秦恒平・生活と意見 66
「闇に言い置く 私語の刻」
平成十九年(2007)三月一日より三月末日まで。 日付順
* 平成十九年(2007)三月一日 木
* 立候補を期待し支持をここで表明したら、その日のうちか次の日には早や前の宮城県知事浅野史郎氏が意欲的に応じる動きをみせ、今朝もその姿勢を是認し
ていた。民主党が独自候補をたてえない限り、決まるだろう。少しでも少しでも手伝えることは手伝いたい。
* 中国を震源に「株」が地球規模で暴落したと聞き、いつとは予測しなかったが、来べきが来たと、驚かなかった。必ず来ると思っていたし、一気に株価が暴
騰しては困ると、中国政府筋がわざと介入してでも冷や水をさすだろうと想っていた。
株に狂奔する中国の大衆は、走り出せば破滅的に暴走し、ブレーキを自発的にかける国民性ではない、そんなことはあの国の長い歴史が示している。まして株
式は、香港はしらず、上海のような国際都市民ですらじつは初体験に近い感覚で殺到、あげくの株人気だったから、ひっくり返るのは目に見えていた。今回はか
なり国策的な空気抜きではなかったか。
それにしても中国の進運は、モンゴルはともかく、明の太祖や成祖のころの国際的な進展や外交力のころを想わせる。
* 日本の政治はちっちゃく縮んでいる。安倍内閣のお粗末ぶり、「総理」も「大臣」もハートは冷え手足は縮かんでいる。大臣たちの言葉も軽薄・軽率、自信
のなさが表情の貧寒に露われている。魅力なんてまるで感じられない。佳い顔の大人が昔よりももっとすくなくなった。
文化人では梅原猛さんが、写真で見ていて、うんと佳い顔に落ち着いて豊かになられた。「猛」然文学の「非小説」とかつてわたしは臆せず評していた。法隆
寺や柿本人麻呂を暴いて大噴火していた頃の梅原さんの顔は、いろいろの「過剰」に、ぎとぎとしていた。あれが良かったという人もいるけれど。
☆ 秦 建日子作 『推理小説』
河出書房新社
実はドラマ(「アンフェア」)は見ていません。
小説だけ読む限り、作者は新本格系の推理小説をとりまく様々な蘊蓄に、ある意味うんざりしていたのかな、と。
その点は私もとても共感。
推理小説を読み終わった後に、犯人の動機には文句を付ける気はないけれど、殺害をした後の犯人の心理描写に「そういうこと思わないんじゃないかなぁ」と
いう微妙な違和感を感じたことは数々。
他にもいろいろと新本格系蘊蓄への違和感を作者は瀬崎に述べさせているけど、この小説ではこの手の違和感を感じることだけはなかったです。小説購入金額
3000万円の内訳など、微妙なディテールに実にリアリティがあるからだと思う。あと、私自身の「冷めてる」部分が犯人のキャラとかぶるからかな。
個人的には、文体というものは生まれつきのものだ、というテーゼが流れているあたりに、作者の背負っているものを何となく感じたりして。
ただ、巷では「かっこいい」と言われている雪平夏見。私には全く頂けないキャラでした。プロじゃない。
その点、瀬崎にはいろいろな意味でプロを感じます。
ホントは星は2.5だけど、半星がないので四捨五入して三つです。 馨
* この批評が有っていいと思っていた。
* 昨日の、非常な長時間にわたるB&A高野氏の機械の調整は、まだまだ成功していなかった。一つ一つを明け方早くから点検し箇条書きにして行くと、問題
点が次から次へ浮かび上がった。午後、さらに直してもらうことに。
早く機械は平生に戻しておいて、不安なく半端な気分をのこさずに、機械から半離れして行きたい。
* 午後三時間ちかく、高野氏、機械を調整していってくれた。それでもまだ明らかに仕残しがある。帰したあとで気づくところがドジな話。ま、読み出せない
保存メールには一定の拡張子を付すれば大方は助かるらしい。しかし何でそんなことになるんだ。
このNECのXPを「本機」と呼び、従来の機械のもとのハードディスクに、新たに大容量のハードディスクを追加しMEを装備した方を、もとどおり「親
機」とは呼んでいるが、その親機で「ホームページ」作業ができるのかどうか、あやしい。できそうにない。ネットスケープもコンポーザも更新用のFFFTP
も入っていないのだから。
ま、いい。本機を遣えば済む話。業者に深入りはよそう。
数百あった電子メール「アドレス」が、今までのように使えなくなった。建日子のも、ペンの事務局のも。向こうから来たのを保存してまた新たに増やして行
くことになる。他人様のアドレスなんて、正確には一つも記憶していない。
* 七日に言論表現委員会、十二日に「ペン電子文藝館」委員会、十五日に理事会と会議がつづく。
* 三月二日 金
* 明け方、そう、四時に一度目覚め、英語の『イルスの竪琴』を数頁楽しんでからまた寝入ったあとのはなしだ、昔わたしを雇ってくれた医学書院の金原一郎
社長の懐かしい夢をみた。なんでもどこかで他の社員らも一緒に、これから食事をしようかというような場面だった。社長はとても老衰された顔の時もあり、記
憶にあるままの元気な顔の時もあったが、終始親愛感に溢れていた。
金原社長は自称「まむし」で、あれは他称を自称に我から置き換えたのだろう、社内でも、出入りの関係業者も、懼れ縮かんでいた。東京大学卒業生でもある
金原社長の怒鳴り方ときたら、企画会議などでも尋常でなかった。編集部員は企画会議で、順繰りに指名されて新企画の提案を、無ければ無いと発言しなくては
ならない。みな、社長に何を言われるかと頭を低くし、暴風雨の通り過ぎるのをひたすら待つ感じであった。
だが、わたしから見ていると、ごく聡明で聴くに足る意見の持ち主だった、大暴君のフリをしていた人であった。長いつきあいの中で、わたしは、タダ一度も
社長に怒鳴られなかっ。わたしはごますりはしない。ごますり型の人とは、いまのペンの理事会ででも口もきかないし目も合わせない。上司や目上の人とは、む
しろ不必要な口はきかない。
だが社長に怒鳴られるワケがなかったのだ、わたしは彼の機嫌など全く気にせず、いつでも自分のやりたい仕事を次から次へと創り出しては報告していたか
ら、それが新人の幼稚な見当違いのモノであっても、社長は嗤ったりせず一人前の仕事かのように悠然と聴いてくれた、時には受け入れてくれた。「いい」とき
は「いいねそれ」とホメテてもくれた。「へん」なものはむろん褒めない。それもこっちとしては、物差しハッキリ、安心だった。要するに自発的に仕事をし
て、それを会社のためなどと、おためごかしはいわず語らず、自分で楽しんでどんどこ結果を実現して行く社員が社長は欲しかったのだろう。あの社長が怖い、
そんなこと一度もわたしは思わなかったし、怖がらない社員というのが気に入っていたかも知れない。
太宰賞を貰った日の授賞式やパーティにも出てくれ、あの晩の金原社長はほんとうに上機嫌だった。わたしは「親孝行」できたように嬉しかった。
いかにも「まむし」らしい写真がとれると、署名入りでわたしのデスクへ届けてくれたりした。クスクスとおかしかった。今も手元に有る。嬉しい懐かしい思
い出がずいぶん有る。
* 一九七四年八月末日、金原社長は息子で専務の元氏に席を譲り、相談役の名で退かれた。わたしは同日を期して、もうあの社長の居なくなる医学書院を退社
し、九月一日から、二足のわらじを脱ぎ、小説家として自立した。新潮社書き下ろしの『みごもりの湖』が発売され、同じ九月のうちに長編『墨牡丹』を、大判
の昔の「すばる」巻頭に発表した。
* わたしにも、父かのように慕い、また思った人が何人もいるが、医学書院の金原一郎社長は最も早い時期のそういう知己のお一人であった。
* 朝起きるとわたしは湯を沸かし、一服ないし二服抹茶を点ててのんでいる。いただいたお茶を缶のまま古びさせてはもったいこともあるが、少年の昔からお
茶が好きで、叔母の稽古日には稽古に来た人のお茶をずいぶん飲んでいた。たてようの下手なのによく閉口した。わたしの点てた茶はだれもが美しいし旨いとほ
めてくれた。茶筅の通しがいいのだろう。ただし今は行儀がわるい。キッチンで、時には床に立ったまま点てているが、無茶人の茶、勢いがついてひとしお旨
い。
* お茶をのみながら、みのもんたの番組の中で、七十七歳「重度要介護」の夫を、疲れ果てた奥さんが「承諾殺人」した裁判判決の始終が報じられた。聴いて
いて見ていて泣いた。奥さんは死なせておいて即座にあとを追おうとした、そのときに姉の電話が来て、自首をすすめられた。
五年の求刑に裁判官は三年、そして五年の執行猶予という温情判決。
夫妻の闘病と介護との経緯はふたりの日記が感動的に書きつづっていて、本当に仲の良かった夫婦とみえる。
みのもんたはこれを憤怒と痛恨を込めて当局に、社会に、時代に訴えたと思われ、みのもんたのこの姿勢に、摘発し言及し赫怒している姿勢に、わたしは共感
す。みのもんたの面つきや物言いや行儀は好きでなくはっきり嫌いで来たが、ものの考え方では共通するモノが少なくない。はっきり言い切り、問題点を提起し
怒るべきは怒っている姿勢、評価する。がんばって欲しい。
* 本気でわたしが怒るのは、民主党の海江田万里がいまになって都知事選に出ようなどとたわことを言い出していること。
わたしは共産党中央委員会にたいしても、支援候補をこの際降ろしてもらえないかと言いたいぐらいで、候補が乱立してくれば現職の石原にのみ利するのは分
かり切っている。海江田はなにを甘ったれたことを言うているのか呆れる。そんなことは彼一人のバカさ加減だけでなく、民主党をも傷つけるし、選挙は混乱す
るし、参院選にもわるく響いて自民党を利してしまう。分かり切ったはなしではないか。
* 午後、東京會舘と銀座泰明画廊に走って、故橋本博英画伯の遺作展を観てきた。
* 建日子がふらりと来て、いろいろと話し込んで。
建日子が家にいると、ほっとする。『バグワン』読みと『太平記』読みとを建日子はじっと聴いていた。
* 機械は好調かといえば、さにあらずきわめて「不安定」と答えねばならない。ま、成るようになる。きりのないことだ。
* 三月三日 土
* 花粉が目へくると、いてもたってもいられない。洟はなんとかかわせるが。
☆ おはようございます、風。
丹羽文雄の本、読みましたよ。後半、投稿作を批評しているのがおもしろかったです。目新しいことは、実はあまりありませんでした。風から学んでいるせい
かな。
今日は桃の節句ですね。
花のふるさとでは、四月三日に祝っていました。七夕も八月七日でした。
古い農家である父方の実家に暮らしていたときは、広い座敷に毎年豪華な七段飾り。菱形のおもちの、桃色は食紅で、緑は、裏の河原で蓬を摘んできて、搗き
ました。
お内裏さまとお雛さまを自分の手で飾りたくて、させてもらえると、とても嬉しかった。
人形のお顔が好きなんです。いい顔、気に入った顔をみつけると、ずっと見ていたくなります。「顔が命の…」というコマーシャルの歌、深読みがきいてとき
に畏いです。 花
* わたしは大将とか大名とか将軍とかが好きでないので、五月人形より三月の雛の方が好きなんです。気がなごみますしね。あなた、いい思い出を持ってます
ね。
わたしは、去年孫娘と雛飾りしたのが元気な顔をみた最期でしたから、つらい思い出になりました。
そうそう、花は知らないかも知れないが、三島由紀夫の自決のあと、ひとりで割腹自決した村上一郎という詩人・評論家がいましてね、亡くなるほんの少し前
に、吉祥寺の家から保谷の我が家まで歩いて、立ち寄ってくれました。お別れのつもりだったんでしょう。
ちょうどお雛様を飾ったばかりだったので、その前で、お茶を点てて差し上げたのを覚えています。村上さんは縁側の日当たりにゆったり静かに腰掛け、ご機
嫌さんでした。橋口健二という渋いいい顔の俳優がいました、村上さんに似ていました。
一期一会の茶でした。 風
☆ 三月になってしまいました。鴉は黙考していますか。
昨日夕方、絵を、搬送の人に渡して一区切り。目の前に置いてては、もういいのだからと思っても、ついつい筆を動かす体たらくで、これ以上絶対余分な一筆
も描いてはならぬなどと恰好よくいきません。それで却って細かに描きこみすぎてしまうのです。悪足掻きなのです・・。
もう手が届きませんから、すっきりするしかありません。とにかく今はぼんやり、ボッーっとしていてもいいかなと、自分を甘やかしています。半日、友人数
人と電話でおしゃべりしたり、あっという間に一日が過ぎました。
コンスタンチヌス帝の本を読んで、その続きで辻邦生の『背教者ユリアヌス』を改めて読もうか、など考えています。
モロッコの旅のことをもう少し整理したら、やっと読みたいもの、書きたいものへ向かえそうです。 鳶
* 辻邦生さん。懐かしい。
辻さんの本は、生前にほとんど全部頂戴している。愛読し耽読したのは『夏の砦』『回廊にて』そして『安土往還記』だ。
『背教者ユリアヌス』の全一巻本は、あまりに本が分厚く重く、未読。なるほどコレがあった。わたしも読んでみよう。
『嵯峨野名月記』を書評したとき、それまでの全作品集をセットで戴いた。辻さんや大岡信さんらも一緒に中国へ、井上靖ご夫妻に連れて行ってもらったより
も前のこと。亡くなった長谷川泉さんの著書に、辻さんとわたしとをならべて「反リアリズム作家」とくくって論評されていたのが印象にある。このくくり方少
し意外な気がしたが、辻さんと名をならべたのは晴れがましかった。
* 機械は、わたしの椅子からいうと鍵の手北向きにモニター付き布谷君作の旧親機があり、西向きに今遣っているXPのノートパソコンと98の古いノートパ
ソコンが二段に置いてある。
二台の機械の奥は、作りつけのがっしりした本棚。鏡花全集や森銑三作品集や、唐詩選や老・荘、古文真宝などの漢籍や日本史大事典六巻やキーンさんの文学
史全巻、古寺巡礼京都全巻、そして平家や徒然草や蕪村・秋成などの背文字が、ざあっと見回せる。本は書庫にも東・西二軒の中にも充満し、おまけに湖の本の
在庫。わたしたち夫婦は「本の家」に間借りさせて貰っているのと同じだ。
☆ 春霞 暖かいですね。
自転車に乗っていますか。
土日は少しのんびりとしていますが、雛祭り、夕飯に、チリメンジャコや高野豆腐の入った好物、大量の京ちらしが出来上がりました。内裏様だけでも出した
いけれど、その力の余裕が、ズーと、ありません。
すこしペダル踏んで走ろうかな、体力が持続できるかな、と迷っています。 七十女
* 春愁ににて非なるもの老愁は。登四郎の句に謂い当てられています。午後、思い立ち家内を尻にのせて自転車をこぎ出した弥生節句でしたが、隣街あたりで
家内もわたしも疲労し、家に帰るのに往生しました。怪我がなくて何よりでした。
そんなありさまでいます。家に帰って四時ごろか。そのまま夜に、今さき十時半まで寝入っていました。
概して機械も不調、安穏でありません。
なにもかもムリはできない、ムリをせず、あるがままの余力を大事に活かしたいと願います。あなたも。ご主人の回復はいかが。お大事にと心より祈ります。
花粉だけは忘れず訪れてくれ、いまも眼がかゆい。うっかり触れば苦痛が燃え立ちます。おお、招かざる春の客です。 湖
* 三月三日 土 つづき
* 「心=マインド=分別=思考」が十分頼れないのと同じに、「言葉=マインド=分別=思考」も十分な頼みにならないことを、わたしは漠然と永いこと思っ
ていた。なんだか儚かった。バグワンが以下のような「体験」を書いていたのに出逢い、わたしは文字通り「はっ」とし、感謝した。幾昔も前になる。
以来、わたしは、ただもう彼のそばに居て、彼に聴いてきた。
訳者の星川淳(スワミ・プレム・プラブッダ)さんにおゆるしを願い、先にわたしが出逢ったバグワン自身の「体験」を、次いで彼の言葉に聴き入りたい。
『存在の詩』を真っ先に読み始め、いきなりわたしは出会った。バグワンは語っていた―――
☆ 子供の頃
私はよく朝早く川に行ったものだった
小さな村だった
その川はとてもとてもゆるい流れで
まるで全然流れてなどいないかにも見えた
特に朝まだ太陽が昇っていないときには
とても流れているとは思えない
本当にのたりとして静かなものだ
朝、誰もおらず
水浴の人々もやって来る前
その静けさははかり知れない
鳥たちさえ歌わない
早い朝――
無音――
ただ静寂だけが浸み渡る
そして川面をおおうマンゴーの樹のかおり――
私はよくそこに出かけ
川辺のはずれまで行ってただ坐り
ただそこに居た
何をする必要もなかった
ただそこに居るということで充分だった
それはなんとも素晴らしい体験だった
水浴びをし、泳ぎ
太陽が昇れば
向こう岸まで渡って行って広々とした砂の上でからだを乾かし
そこに横になって、ときには眠り込みさえした
家に帰るときっと母は尋ねたものだ
「朝の間中あなたはいったい何をしていたの?j
「なんにも」と私
なぜなら、事実私は何をしていたわけでもないのだから
すると彼女は
「なぜそんなことがあり得るの?
4時間というものあなたはここに居なかったのよ
何もしていなかったなんていうことがあり得るかしら?
何かしらしていたに違いないわ」と言う
彼女は正しい
しかし私も間違ってはいなかった
私は全く何をしているわけでもなかった
私はただ川といっしょにそこに居ただけだ
何をするでもなく、事が起こるのにまかせて――
泳ぐ感じになったら……
忘れてはいけない、泳ぐ感じになったら、だ
そうしたら泳ぐ
けれどもそれは私の側で何かをするということじゃなかった
私は何を強要していたのでもない
もし眠気が来れば眠った
もの事が起こってはいた
しかしそこにはそれをする者はなかった
そして私の最初の<さとり>の体験は
その川の側ではじまったのだった
何をするでもなく
ただそこに居て――
何百万というさまざまな事が起こった
ところが母は私が何かをしていたに違いないと言って聞かない
しかたなく私は言う
「わかったよ i
水浴びをした、太陽の下でからだを乾かした」
そこではじめて彼女は満足した
が、私は満足しなかった
なぜならば
その川で起こったことは「永浴びをした」などという言葉では
とうてい言い表わすことのできないものだからだ
それではあまりにも貧しく色あせてしまう 1
川と戯れ
川面に浮かび
川で泳ぐという体験の深さの前には
ただ「水浴びをした」などという言葉はまるで意味をなさない
あるいは
「そこに行って堤を歩き、坐っていた」と言ってみたところで
それは何も伝えてくれはしない
* こういう「川辺」体験ではないが、こういう「早暁」体験はわたしにもあった。一読、バグワンが何を言おうとしたか察した。理解した。ここで「母親」が
決めつけて行く「説明」としての、ただそれだけの「言葉」のむなしさも身にしみ理解した。
だがつたないわたしの更なる説明を加えるよりは、バグワンの雷のような声に聴いて、わたしもまた思いを新たにしたい。
開巻たった三頁めにわたしは出逢っていた、バグワンに。瞬間にわたしは彼の透徹を信じ、帰依・降参のよろこびを覚えていた。
バグワンはこう、「言葉」を、語る。彼は語りかける相手に「あなた」「あなたがた」と呼びかけているが、わたしは「おまえ」と聴いている。
☆ あたり前の生活の中でさえ
おまえは言葉というもののむなしさを感ずるだろう
それどころか、もしそのむなしさを感じないとしたら
それはおまえがいままで
全く生きてなどいなかったということを表わしている
いままでとても浅薄にしか生きてこなかったということだ
もし何であれおまえが生きてきたことが言葉で伝え得るとすれば
それはおまえが全く生きてなどこなかったという意味なのだ
何か言葉を越えたことが起こり始めたとき
そのときこそはじめて
生がおまえに起こり
生がおまえの扉を叩いたということになる
そして究極なるものがおまえの扉を叩くとき
おまえはまるで言葉など越え去ってしまうものだ
おまえは(ことば無き者)と化す、 ・
口をきくことなんかできはしない
ただの一語といえどもおまえの中に生じはしない
何を語ろうと
そんなことはことごとくあまりにも色あせ
生気なく
無意味でなんの重みもなく
あたかも自分に起こったその体験に不義をなしているかのようだ
これを心にとめておきなさい
なぜならば
マハムドラーとは最後の、そして究極の体験なのだから――
* ちょっと唐突にもちだされた「マハームドラー」とは、この本の主材であるティロパの詩、またバグワンにとっても「究極の体験」だと言い切るほど「根源
の語彙」の一つであり、それ一つでバグワンを言い尽くせると思うのも過剰な思いこみにはなるけれど、それでも、きわめて、すぐれて大事なことをこの「マハ
ムドラー」は伝えてくる。「今・此処」でそれをよく聴いておくことは実に大事であった。
☆ マハムドラーとは宇宙との全面的なオーガズムを意味する
もしおまえに誰かを愛したことがあり
ときとして溶け合い合一するのを感じたことがあったら
――二人はもう二人じゃない
からだは別々であっても
ふたりのからだの間の何かが橋を、黄金の橋を作り
内面に〈二〉は消え失せて
ひとつの生命エネルギーが両の極をふるわせる
もしもそれがおまえに起こったことがあったら
そのときにのみおまえにも
マハムドラーの何たるかを理解することができるだろう
それより何万倍も何億倍も深く √
何万倍も何億倍もハイなもの
それがマハムドラーだ
それは<全体>との
宇宙との全面的なオーガズムだ
それは存在の源への溶解だ
これはマハムドラーの詩(うた)だ
ティロパがそれを「うた」と呼んだのは素晴らしい
それはうたうことはできる
が、語ることはできない
それは舞うことはできる
が、それを語ることはできない
その現象のあまりの深みは
それをうたうことによって、ようやく
そのいくばくかが伝わるかどうかというほどのものなのだ
それも、何をうたうかではなく
それをうたううたい方によって――
* この「うた」「うたう」という物言いに、わたしは「詩・歌(うた)」とは「うったえ」の意味だと理解してきたのを受け入れられた気がしたものだ。
バグワンはここで「〈二〉は消え失せて ひとつの生命エネルギーが両の極をふるわせる」と性の究極を適切な「喩」に用いながら、「存在」としての個と全
体との溶解を告げている。海と一滴との喩えでも彼はすでにこれに触れていた。
☆ Blue Fin 雄 ハーバード
今朝は,こちらに来て一番と言ってよい程の大雨だった.気温が高くなって雨だったからまだ良かったが,これが雪だったらラボには行けなかったかもしれな
い.実際,内陸部では吹雪のような天候だった場所もあったようだ.朝のニュースで映像だけ見た.雨だけでなく風も強い.
今日は6時にラボを出て,シュシェンとライアンと3人でポータースクエアにある日本食レストランBlue
Finに行って来た.本当は技術員のサラも行くはずだったが,いざ行くという時間になったら姿が見えず,結局3人となった.知らない間にシュシェンが色々
な人に声をかけていたらしく,色々な人から「今日はいけなくてごめん」と言われて驚く.一番のお気に入りのアイリーンにも急に声をかけられてびっくりし
た.「今日は友達の誕生パーティーなので,行けなくてごめんなさい.次は必ず行きましょう」と言われて,年甲斐もなくちょっと顔が赤くなりそうになった.
Blue
Finはボストンでも人気の高い日本食レストランで,着いてみれば20分待ちとのこと.順番だけ取っておいて,向かいの日本食材店Kotobukiyaに
入り,色々と品物を物色する.ライアンは餅が大好きなのだそうで,雪見だいふくを見て興奮していた.
店に戻って待っていると,店内のテレビを見て,シュシェンが「あ,松坂が出てる.今日は登板のはずだけど,もう投げちゃったのかなあ」といって,携帯電
話で友人に確認しだした.「もう投げちゃったらしくて,今はインタビューを受けているらしいよ.もう一度録画で流さないかなあ」と興奮している.僕より
シュシェンの方がよほど日本通だ.
ようやく順番が回ってきて,席へ案内される.僕とシュシェンは寄せ鍋と寿司2貫,ライアンは巻き寿司と海草サラダを注文した.寄せ鍋の味は,日本でコン
ビニなどで売っているアルミホイルに入った一人用鍋と大差ない.先日訪れた「竹島」のすき焼き同様,スープの中に少量の具が泳いでいるといった感じだっ
た.やはり鍋は土鍋に野菜や豆腐,肉か魚などを豪快に入れて食べたい.追加で頼んだ寿司はホタテと鮪だったが,鮪は旨かった.
料理の味は先日の店と大差ないのかもしれないが,3人で食べに行ったせいか旨く感じた.店員さんの態度も思ったより悪くなかった.2人とは店を出てすぐ
に別れ,僕だけKotobukiyaで食料を買い,地下鉄で帰宅.
* 手の届くところに「雄」君いるみたいだ。松阪投手がいる都会に彼もいるんだなと思う。フーン。なんとなく感じ入る。
☆ 号令 笠 e-OLD
東京から田舎へ疎開した国民学校四年生のとき、級長にさせられたことがありました。体操の時間、先生に言われた通り「気をつけぇ!」「右向けぇー右!」
とか「前へー進め!」とか僕が大声で言うと、組のみんなが全員その通り動くのです。僕はよく分からないけど嫌だと思いました。その後もどうしても嫌なの
で、先生に「級長やめます」と言ったら、革のスリッパでひっぱたかれました。あとは忘れましたが、それはきっと自分の号令でみんながいっぺんにその方へ動
いていってしまうのが何だか恐ろしかったのだと思います。いつからか大勢集まると自然に最後列にいるようになり、何か人前に出たり晴れがましい事をするの
がむやみに嫌いになっていました。偉くならずに(なれずに)よかったと思います。
☆ 自由人、尺度を持つなら自分の物差しを作る。当事の教室の雰囲気は「陸軍大将か海軍大将」になることが、「坂の上の雲」でありました。
「性格」、「気質」そして「人格」。
僕には出来ませんでしたが勇気があったのですね。
気質が広い心を作る、そしてペルソナ(仮面)を完成させる。仮面は人格。つい感動をしました。 瑛. e-OLD
* わたしも「級長は勘弁して下さい」と申し出たクチです。『もらひ子』に書きましたっけ。あまりカッコよくないんです。号令をかけようにも、「右」
「左」の判断に自信がなかった。「右向け右」と言われても「左向け左」といわれても、みんなと逆さまに動いて校庭でよく怒鳴られたり、嗤われたりしまし
た。まして号令なんかかけて間違えたら、ナニをされるかしれなかったし。ハハハ 湖
* 三月四日 日
* 三時半に寝て、六時半に目が覚め、しばらく中國の「明」史や、チムールやその他北アジアの英傑たちの歴史を読んでいた。妻と寝ている黒いマゴの手をに
ぎったり、手先をマゴに噛ませたり。八時に起き、湖の本の校正。
妻をきのう自転車にのせて春散策に出たのは失敗だった。わるいことをした。だいぶ疲れてしまったらしい。
* 浅野史郎の都知事選正式出馬を歓迎する。心ゆく選挙戦を繰り広げて欲しい、微力ながら声援を惜しまない。
現知事石原をのぞく他候補に苦情はないが、「石原に勝つ」ことを一義に考えるなら、「勝てる可能性のある浅野候補」に力を貸しぜひ結集して欲しい。
少なくも共産党が本当に都民の安寧や福祉を考えるなら、党としてのエゴを、より高度の目的に聡明に振り向けてほしい。
「共産党が道を譲れば、ほぼ必ず石原に勝てる。」
共産党が党利党略のちいさな意地を張っていれば、負ける確率が高くなる。こういうとき、共産党はいつも癌のように、より望ましい行政への道をふさぐの
だ。共産党には共産党ならではの、もっとふさわしい政治闘争の場があるだろうに、「おれは」「おれは」とバカげた我をはる。そのためにこの党は国民にいっ
こう「愛されない」のは、わたしは、当たり前だと考えている。
国民に愛されずに政権にちかづくことなど永遠にありえないと、そんな当然なことを頑固に認めたがらない蛸のような軟体動物ぶりは、戦前はしらず、戦後何
十年すこしも進歩しない。わたしのようなノンポリの世離れた物書きにして、比較的親和的に共産党のことも眺めている外野の目にも、そうだ、
「せっかく選挙に行っても、いつも共産党の票が邪魔をしてくれる」とウンザリしている革新を望む有権者は、べらぼうに多いのである。
☆ サービス 雄 ハーバード ボストン
隣のラボに、マイクというポスドクがいる.
笑顔がさわやかで,物まねが上手い.以前ラボに所属していて僕も知っている日本人の方の物まねも絶品だ.面白くて愛想の良い奴だと思っていたが,彼は
今,幸せの絶頂にいるようだ.
まず,もうすぐパパになる.そして,少し前にインタビューを受けた大学で独立してラボを持つことになったらしい.さらに現在,非常に載せるのが難しい専
門雑誌に論文を投稿していて,ほぼ通りそうだとのこと.同じく隣のラボのポスドクであるグレッグが主催して,お祝いのパーティーを今日やるとのことだった
ので,是非とも参加したかったのだが,あいにく今週は疲れきってしまったので,申し訳ないが遠慮させて頂いた.
昼近くまで寝て、大分疲れが取れた.昼前に車で家を出て,中国系スーパー超級市場へ向かう.付近は交通の激しい場所なので,昨日からちょっと不安だった
が,意外とスムーズにたどり着くことができた.バスだと結構時間がかかる上にかなりの距離を歩くのだが,車だとあっという間.駐車場が満車だったが,2,
3周しているうちにたまたま空いた場所があったので,急いで車を入れる.
早めの昼食をスーパー内のイートインスペースで摂る.
マイミクの「い」さんの日記で、フォーの話を聞いてからムショウに食べたかった.今日の昼食はフォーにしようと昨日から決めていた.ここのは量も多いし
麺もコシがあって,スープも旨い.ハラペーニョを入れすぎて,食べ終える頃には汗だくになってしまったが,いやあ旨かった.満足した.食べ終えてから食材
を大量に買い込む.
車を出して,向かいのトヨタの代理店に行く.今回車で来たのは,実はここに行くのが目的だった.僕の車は中古車だが,ナンバープレートを取り付けるボル
トが古くなりすぎて,一つのボルトの頭の部分が壊れてしまっていていた.仕方なく片方だけで停めていたが,これではいつ外れてしまってもおかしくない.
そこで新しいボルトを手に入れるべくネットで調べていたら,たまたま超級市場の真向かいに代理店があることが分かった.そこで,昨日電話をかけたら,
CKと名乗る担当者が実に感じ良く,こちらの拙い英語の説明に気長に付き合ってくれ,良く分からないけれどもとりあえず明日車を持ってきてくれないか,と
いうことだった.
店内に入り,CKという人を呼んで欲しいというと,しばらくしてあごひげを生やしスーツを着た,ダンディな初老の男性がやってきた.車を見せると事情が
分かったらしい.車にしっかりと付いたままになっていた古いボルトをペンチで外してくれ,新しいボルトでナンバープレートを取り付けてくれた.ボルトの代
金を聞くと,要らないという.小さなことかもしれないが,なんだか妙に嬉しかった.何度も礼を行って店を後にした.
一旦荷物を置きに自宅に戻り,しばらくのんびりしてからクーリッジコーナーまで歩いて向かった.
家を出る際,ポストを開けると,日本のシティバンクからの手紙が来ていたのだが,この文面があまりに失礼なのでちょっと腹が立った.今までもこの銀行は
慇懃無礼で碌でもない対応ばかりだったので,今更驚きはしないが,サービスというものを大きくはき違えていると思う.
僕は新生銀行も利用しているが,ここもシティバンクと近いものを感じる.
もともと新生銀行は長銀が破綻した後に外資系の銀行が買い取って「新生」した銀行だ,店舗を増やさずにインターネットやコンビニATMを利用することで
経費を減らし,手数料無料という当時としては画期的なサービスを始めたのだが,ここ最近店舗を増やしてきた.
しかし,店舗は妙に小洒落た造りの店内でありながら,店員の応対が全く要領を得ない.サービスに全く柔軟性がないし,非常に慇懃無礼だ.行く度に不快な
思いをする.
新生銀行は従業員の応対は不快なものの電話やインターネットではまだマシだが,シティバンクはそのどちらもどうしようもない.
アメリカに来て、銀行には度か足を運んだ。店内の雰囲気はシティバンクや新生銀行とよく似ているが,サービスの質はアメリカの方が圧倒的に上.意外かも
しれないが,アメリカでもしっかりした人はしっかりしているし,サービスも非常に素晴らしい.
シティバンクや新生銀行は外資系銀行だが,形だけでなくサービスのあり方についてはき違えていると思う.形だけでなくサービスの本質についても,シティ
バンクや新生銀行は少しは深く学んで欲しい.
クーリッジコーナーでは新しいスニーカーを2足買い,近くのすし屋Mr.Sushiに入った.どうも昨日2貫だけ食べた寿司が後を引いてしまって,もっ
と沢山食べたくなったのだ.名前は怪しげだが,ここの寿司はなかなか美味しかった.
こちらの日本食レストランは、寿司以外のものを食べると不満がつのるが,寿司に関しては日本と大差ない気がする.少なくとも僕の舌では充分満足できる.
店員のサービスもとても良い.満足した.帰りにTrader Joe'sと日系食材店で買い物をして帰宅.
* 業者を頼んでの機械環境の復旧と改良とは、都合四五回家まできて貰ったけれど、どこか作業に締まりなく、ピリオッドどころか、コンマもまだ打てず、あ
ちこちに仕残しがある。
以前、布谷君や林君は二台のラン機械の「連携」に、たいそう便利な相互コンテンツ移動の工夫をしてくれ、安心してバックアップに活用できたが、それを使
うとほぼどんな内容も自在に両機を移動できた。
「もっと簡単です」と今度B&Aが設定してくれたのは、わずかに一太郎とホームページだけの相互移送だが、もうまく行かず、機械からはエラー警告がで
る。そもそも旧親機ででもホームページ作業は出来ますと言われても、ホームペジを設営している肝腎のネットスケープもその中のコンポーザも旧親機に入って
いない。このアプリケーションはもう市販されていない。機械の奥に隠れていた大昔の古いネットスケープを掘り起こしてインストールし、それをさらにバー
ジョンアップして、とにかくもコンポザ環境は自力で用意したけれど、まだそこへ現在のホームページを移植は出来ていない。だがまだ転送用のFFFTPの用
意もない。
業者に来て貰えば「設定」一つ一つについて何千円ないし一万円余が請求される。持参のハーデディスクやOSなども追加して請求される。自前でモニターや
MOドライヴなどの外付け器具も買い足したし、新しい機械を買えるほど資金を入れた。もうせめて安定したコンマぐらい打ちたい。
* ほっこり疲れているのが分かる。まだ十時だが、階下におりる。
* 三月五日 月
* 「mixi」では、心静かに、思いあい考えあえる人たちを見つけようと心している。話すことばも書くことばも大切に、思いを編み考えを績み紡いでいる
人たちが、その気でさがしていると何人もみつかる。わたしはしばらく時をかけてその人の日記を読み、読み続けて、必要で可能でそれが楽しそうなら、そうい
う人とマイミクになろうとしている。
美、藝術、文化、民俗、詩歌、信仰、政治、家、そして自然と人間。歴史。
それらへの思いを、マインドでではなく、言葉に多く凭りかからず、分別くさくなく、こまやかな体験をとおして聴かせてくれる人たち。
* 高校の友人が、われわれの少年時代に聴いていた唄のかずかずを一枚の盤に構成して、送ってきてくれたのは、もう何年も以前のこと。ときおりそれを此の
機械で聴いている。なかに『夜霧の馬車』という李香蘭の唄が入っていて、一のお気に入り、とても愛づらかな一曲で、西条八十が詞を、古賀政男が曲を。詞も
曲もじつに愛づらか。しかし何と言おうとも李香蘭の透明に高調した美声の魅力が圧倒的。名高い『夜来香』より哀調に富んで闇の底を唄声が疾走する。この一
曲が入っているだけでわたしは、友人の好意を大いに多とし楽しんでいる。昨夜もおそくに妻に聴かせ、妻も新鮮な作調に驚いていた。
先ごろ上戸彩であったかがテレビで演じた『李香蘭』に、この『夜霧の馬車』の唄も流れていただろうか。
『異国の丘』『こんな女にだれがした』の二曲にも、しみじみした。こういう「時代」がリアルに、おそろしいまでに実在した。
* そのあとバレーの『ジゼル』を、最後まで楽しんだ。『白鳥の湖』以上にわたしは『ジゼル』が好き。
日本人の演じるバレーが隔世の感ふかく美しくなり洗練されてきている。プリマドンナと相手役とだけが外国人で、少しの違和感もなく日本人出演者たちも優
美に踊ってくれた。
* 朝になると、滝のおちるように「SPAM」メールを削除。いやはや。
* じりッ…と、前へ進む。
* よくこう用事があるとおもうほど、ある。わらってしまう。
☆ お元気でしょうか? あまりにご無沙汰、何からお伝えしてよろしいか? 整理がつきません。
まず母のことですが、ご心配を賜り感謝しております。昨年末よりすっかり体と頭が不調になり、全部ではありませんが「まだら忘れ」いたします。まだ私な
ど分かってくれますが、時間とか場所などの感覚がゼロでして、いつでも私に「明日来て欲しい」とばかり申します。
現在は一人住まいのホームを出まして、ショートステイーでワーカーさんその他のかたがたに介護されています。私と妹たちでローテーションを組み、できる
限り榛名へ行くようにしています。
あれだけ活発で行動的でプライドの高い母が、ああして命の終焉をむかえながら日日過ごしているのをみるにつけ 切なく 可哀想なつらーい気持ちの毎日で
ございます。
恒平先生には随分とお世話様になりまして、心からお礼を申し上げます。もう母からお手紙や賀状などお出しすることもできませんが 長らくにわたって本当
に有難うございました。
本人は、短歌のお師匠様と位置づけさせていただいているようで、いろいろとご迷惑をおかけしましたことと お詫びとお礼を申し上げます。京都時代から暖
かくお見守り賜り、重ね重ね感謝もうしあげます。 有難うございました。
さて私の絵のほうですが 休まず あわてず 努力は続けております。(。。。。さんと同じ姿勢!) もう私の人生最後になるかもしれない個
展を 21年秋に申し込みいたしました。(私のみに)足場のいい、横浜のデパートに。水彩のみの展示にしようかなと、今は考えています。恒平先生にお元気
でいらしていただけますよう、祈っております。銀座だと、と思いましたが、なかなかいいところが昨今はなく 殆どがブランドショップに変わりました。毎日
通うのも横浜のほうが まだしんどくないかと。いろいろ考えて決めました。
どうぞ、お元気で、叱咤 激励してくださいませ。自分なりの自分らしい気負わない作品を並べようかとおもっております。
まだどなたにも、家族 妹たちにも話しておりません。ただ だいたいのギャラリーは
2年先ぐらいまで予約済みですので 自分の望む月日をとることができません。この先、どんなことがありますやらわかりませんが、だんだん体力的にもつらく
なるんじゃないかと思い、ひとりで決めました。
いい絵を描くよう努力いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
これから夏までは 水彩展 と 一水会 に向けて大作にかからねばなりません。 あれやこれやと追われる毎日です。
恒平先生もどうぞお元気でお過ごしくださいませ。 郁
* 久しい友にも、こういう決意の時が来た。ちいさな個展は繰り返してきた人だが、こんどは覚悟がちがうだろう。「自分なりの自分らしい気負わない作品
を」と言うのが、どうか逃げ道にならぬよう、一期一会、今回はいっそしっかり気負ってもらいたい。
* 郁さん 決意に賛同します。 湖
あなたの体力や気力が堪えうるのなら、どうか母上を、よろしく。ただし共倒れに、とりかえしつかぬ負担を後々に抱き込んではいけません。あなたが長生き
しなくては。かねあいが難しいが、誇り高きご老人の、平安ないい終末を祈ります。
展覧会のこと、決意をに賛同します。とうとう此処までの覚悟をしたかと感慨深い。ずいぶんヒドイことを言ってあなたを傷つけてきたと思いま
す、許されよ。
メールの中に「自分なりの自分らしい気負わない作品を」とあるのは、しかし、危険信号ですから撤回されますよう。むしろ今回こそはしっかり
気負って、死にものぐるいの、コレまでになかったものの誕生・創作を期してください。
だいたい、ものを創る人が「自分なりの自分らしい気負わない作品を」などと言い出す時は、はじめから言い訳用意、逃げ腰の逃げ道づくりなんです。
きみに、「自分なりの自分らしい何か」なんて、「ほんとに在るのかい」と、わたしは授賞した当日、今後も「自分なりに自分らしい」仕事をと口走って、え
らい先生に睨まれました。あの青くなって震えた瞬間。それが、本当の出発でした。わたしは忘れない。そんなものが本当に「在るのか無いのか」、あなたは、
今度の展覧会で血相かえてでも見つけ出さなくちゃいけないんですよ。
「自分なりの自分らしいものを自分なりに」と言っている限り、もし失敗しても、「自分なりにやったんですもの」と言い訳が利いてしまう。言い
訳がはなから用意できている。これが、危ない。
創作の場合、言い訳の「退路」はあらかじめ絶っておき、形相を変えて必死で取り組まねば、せっかくの「最期の機会」がムダに終わります。がんばってくだ
さい、今度こそ。そう激励します。おなじことをわたしは自分に向かって言うているのです。
* 三月六日 火
* 好天。眼が痒くなければ外へ出たいが。七時前に血糖値を計る。一仕事。腹が空いた、昼かなあと思ったが、十時過ぎ。さしたることの何もない日々が、い
い。
☆ 昨日の嵐はすごかったですね。富士山も揺れていたでしょうね。
どしゃ降りの中、わたしたち英語サークルのメンバーは、富士宮の牧場へ行きました。有機野菜で作ったバイキングランチがとてもおいしく、たらふく食べま
した。
帰りしな、雑貨店でキャビネットを受け取り、帰宅してから二時間かけて組立。木ネジをたくさんとめたので、手が痛くなりました。
そして、床の間の垂れ壁の工事が、八日にと決まりました。
七日にエアコンがつくはずですし、大きな工事はほぼ終わり。
八日には、家の一ヶ月点検もするそうです。もうそんなに経ったのか、と思い、その割にはちっとも片づいてないなあ、と苦笑してしまいました。
ま、八日が終わば、ほんとうに一息つけると思います。
家のことでいろんな業者の人と接しますが、トラブルが発生すると、愛想のよかった人の、「仕事の仮面」をつけていたんだと気づかされたりして、さみしく
なることがあります。
写真は、香港のレパルス・ベイの寺院にあった金魚の像です。中国の寺院には、おもしろい像がたくさんありました。
そろそろ自動車の六ヶ月点検に出かけます。
フローベールの書簡を持って。 花
* 太平記は、いましも新田義貞の軍勢が鎌倉へ乱入、ついに北条政権、鎌倉幕府が撃滅されようと。
太平記は、すさまじい合戦につぐ合戦で、勇壮というより時に酸鼻を極め、武士たちが、潔いとはいえ凄惨に次から次へ討死し、割腹し、命果てて行く。
かつて、平家物語には見ない「血」が太平記ではどすぐろいまで流れると書いたことがある。そもそも平家物語の中で「割腹」「切腹」の場面を、粟津での木
曽最期のあたりでしか、他ににわかに思い出せない。
極言かもしれないが、十二世紀の平家物語の死闘で、敵の頸は斬るが、まだ自身切腹という死の行儀が一般に成立していない。
ところが十四世紀の太平記の戦闘では、ここぞに及ぶと武士は、名誉を重んずる武士はなおさら、ためらわず腹をかっ斬っている。主が割腹すれば、従も、ぞ
くぞくと後を追っている。
三百年の間に武士の倫理が、どうおぞましくとも、どう潔くとも、ともかく凄絶な行儀を確立してきている。
そして不思議なことに、予期したこともなかったのに、ときどき、太平記を声に出して読んでいるわたしの声が感動に震えてくる。涙も溢れたりする。
* ドン・キホーテは頭の「おかしい男」に想われがちだが、そう想う者たちのほうが「よほどおかしい」ときもあるのを、セルバンテスは残酷なほど厳しく表
現している。たしかにありとある騎士物語を読破のあげくその世界に完璧なほど自己同一化しているキホーテは異常であるけれど、その異常を通して、泰然と昂
然と彼は世俗世間の愚昧と傲慢と無知を「批評」している。それに気づけばこそこの大作は生き生きとおもしろい。加えてサンチョ・パンザのキホーテとは逆さ
まを向いた率直な俗欲のおもしろさ。弥次喜多のような「悪人」ではない、愛すべき俗人の素直さ。たいした人間の「把握」だ。
* 中国の歴史では、割勢された「宦官」たちの国政を壟断して憚らなかったあれこれに、ひっきりなしに驚かされる。わたしは、概して漢や唐より、宋やこと
に明の歴史にいま興味があるが、明時代はことに宦官の害がひどかった。
だが宦官は中国だけのものではない、むしろ世界的に有力諸国では顕著な例がたくさん見られる。それよりも驚かされるのは、あれほど中国の文化文物や法制
を憧れ真似た我が国には、忌まわしき宦官の制が、纏足もそうだが、ついに芽生えもしなかったこと。これは誇ってもいいことではないか。
* 「美しい日本」を説くのに安倍総理は熱心に異邦の知識人や文化人の来日時の称賛の言を以てしている。国会でも。
しかしながら、明治以降今日でも、たまたま訪れた知名人のその手のあいさつには、よく聴くとときどきとんちんかんもあり、まちがいもあり、口先のごあい
さつとしか思われない社交・国交の友誼辞令が多い。詳細は記憶しないがアインシュタインほどの人の日本褒めがなんだか妙であったという苦笑いだけをわたし
は憶えている。
そもそもそんな「あやふやな異国人の感想にのっかって殊勝に国策の支えにする」ぐらいなら、「日本国憲法が海外勢力からの押しつけだから云々」は、撞着
ではないのか。良いものは良い、だから外国からも聴けば良いのなら、われわれの憲法は、世界史的にも良い内容の、他に誇っていい大きな一つだということ
を、わたしは改めてまた感じる。
☆ 1987 雄 ハーバード
この週末は比較的穏やかな天気で,気温も東京と大して変わらないようだったが,今日は一転して寒くなった.帽子と手袋の完全防備で外に出た.昼には雪も
ちらつき,時折激しく舞っていたが,あっという間に晴れ上がり,跡形もなく消えてしまった.不思議な雪だった.
実験の合間にメールチェックして,思わず「あっ」と声を上げてしまった.ボストン交響楽団からのメールで,今週末予定されていたコンサートをマルタ・ア
ルゲリッチがキャンセルしたとのこと.ショックだ.
前にも書いたが,マルタ・アルゲリッチは,現在存命中のピアニストの中で,僕が最も生で演奏を聴いてみたいピアニストだ.だから,今週末のコンサートは
非常に楽しみだったのだが,期待が大きかっただけに残念.代役はYuja
Wangというピアニストだそうだが,あいにく僕は知らない.ボストン交響楽団との共演も今回が初めてだという.
ホームページ(http://www.yujawang.com/)によれば,なんと1987年生まれだという.今年二十歳になる,北京出身の女流ピア
ニストらしい.それにしても,2003年にヨーロッパデビューを果たして以来,昨年はニューヨークフィルやシカゴフィルなど,アメリカを代表するオーケス
トラとの共演を果たしている.まさに神童ということか.昨年はN響とも共演しているそうだから,日本のクラシックファンの方にはご存知の方もあるかもしれ
ない.
アルゲリッチの生演奏が聴けないのは残念だが,この新星の演奏が聴けるというのは,考えようによっては楽しいかもしれない.
今,彼女のホームページを見たら,過去の演奏が試聴できるコーナー(Listening room)があった.ラヴェルの「水の戯れ(Jeux
d'eau)」も載せられている.Youtubeにはアルゲリッチの演奏やリヒテルの演奏も載っていた.これらと比較してみるとなかなか面白い.ちなみ
に,アルゲリッチの演奏はhttp://www.youtube.com/watch?v=lWeAbgA5tS4,リヒテルの演奏はhttp:
//www.youtube.com/watch?v=cumoVX7x3Zoでそれぞれ聴く事ができる.
ラボからの帰りは一層気温が下がり,目の前でバスが行ってしまったせいもあり,地下鉄で帰宅した.ボストンの地下鉄は車内がとにかく汚い.新聞などが床
に散乱している.車両も新しいとはいえない.グリーンラインの最後尾に乗ったが,ふと上を見上げると’Kinki
Japan’と書いてあるマークを見つけた.グリーンラインの車両は日本の近畿鉄道の古い車両を譲りうけたものなのだ.それは知っていたが,そのマークの
中に「1987」の文字を見つけた.
Yuja Wangはまだまだ若いが,この車両はとても同じ年に作られたとは思えないほど古い.
* おしまいの一行で締めくくられた。
☆ 枯れ木と雲 瑛 E-OLD 川崎市
山といえども人間が手入れしないと荒廃する。手入れをしても例えば山頂近くの隠れた沢に清水が滾々と湧いていたところなど、一度水が涸れると姿を消す。
異常気象の出てくる時代には、「オアシス」は数年ともたない。
夏に豪雨を伴った台風がきたり、雨の無いひと夏があれば、「湧き水」は痕跡すら残さずに消える。
山を散策中に「倭建命」の彫像かとみまがう、自然の作りだした造形美の枯れ枝に昨年の冬出会った。気力の「気」をもらったように嬉しかった。
今年、雪の残るその場所を再び訪れた。なかなか「倭建命」が姿を見せない。いやっ、おられた。その写真であります。
無残やなといいたいが、形あるものは変化する自然のことわりでありましょうか、これでよし。空には移ろいの雲が白く浮いていました。
この「雲」もう自然界には存在していないが、ここに「写真映像」として存在いたします。人間の「脳」の作り出した「幻影」であろうか。
* 残念ながら写真は扱えないが、イメージをのこす佳い文章。気が晴れる。
☆ 花はいつも元気です。
> 「たらふく」はよくない。せめて「たっぷり」「たくさん」に。
はい、わかりました。
> フローベールの小説は文庫本翻訳でたくさん読めますか。
文庫は『ボヴァリー夫人』と『紋切型辞典』くらいです。図書館で、筑摩書房版のフローベール全集を閉架から出してもらって読んでいます。
ホフマンは短編集を読んだことがあります。ちょっとこわいような話でした。
ノヴァーリスは『青い花』を。
ヘルダーリーンはまだです。
ドイツロマン派は、好きです。小さい頃、グリム童話の世界が大好きでしたから、なじみ深い。それにしても、童話というのは、どの国のも、こわいです
ね。
日本の詩は、高村光太郎、井上靖、茨木のり子が好きです。
荷風の『珊瑚集』もよかったですね。上田敏の『海潮音』を読んで以来、文語の詩が好きです。
今日は、お手洗いの窓際に花を飾りました。
* メールは、具体的で滞るもののないのが、気が和む。思ったら、思ったなかみを、観たら、観たなかみを。簡単でいいのだから。
* どう切り開いて行けるやら、「闇」に足から突っ込みかけている。
* 明日夕刻ひさしぶりに猪瀬直樹の顔をみる。言論表現委員会。そのまえに銀座辺で一気に校正を片づけてきたい。気安くくつろいで仕事も出来る新しい店を
開拓したい。
* 三月七日 水
* 言論表現委員会は議題が二つ。
* 一つは山田健太委員からの緊急提議で、「国民投票法案」に対する懸念のいろいろを明瞭に整理し説明され、問題点へのペンとしての対応策が、まず、よく
出来たペーパーで提案された。良く整理された「ペン声明案文」も提示された。
だが、猪瀬委員長は山田氏の提議趣旨もその陳述も聴くより前に、「この問題はもう済んでしまったこと」で今更なにも問題にするほどのことでないと明言し
てしまった。委員が集まってこれから討議しようという、その前に委員長がそんな断定的な発言をしてしまい、結局、一時間余の討議はただの「学習」として棚
上げのうえ、委員の多数決もなく、委員長一存ですべて葬られてしまった。
山田氏は強い懸念とともに提案し、わたしもはっきりその趣旨に賛同し、ペンとして対応したい、きちんと対応しておきたいと発言した。
他に委員長をのぞき四人の委員がいて、山田提案に誰一人反対とも不要とも言っていない。あの事態では委員会として一応多数意見を確かめるのが自然な作法
だが、猪瀬直樹氏はおかまいなく打ち切り、いわば山田提案を反古に打ち捨ててしまった。
あまりに横暴なやり方だと思う。
わたしは、次のように発言した。
国民投票法案には、市民的な関心、表現者からの関心として、少なくも二つの大きな側面があり、一つは成立基準とされる「二分の一の賛成意見」という場合
の、「何」の二分の一であるかが実はアイマイであり、投票に基準を置いた際、へたをすると国民総数の二割程度の賛成だけで憲法改正が成立してしまうことも
ある、ということ。これは大問題なのである。
ただ、その論議は、或いは日本ペンクラブの関与事項ではないかもしれない。
しかし今ひとつの、「言論表現や思想表現の規制や抑圧」になりかねない側面が、この法案に、まだ多々現に懸念されている以上、懸念に対しては、為すべき
対応、とるべき対策を、日本ペンクラブとして、ぜひ機を逸することなく発言もし警告もしたい、と。
言論表現委員会が、一委員長により、討議も意見交換も未然のまま、恣意の独断で、ことを決めつけられては、「委員会の意味」がない。委員会はただの学習
会ではない。学習も必要だが、委員の意見を糾合しまた調整して「意の重き」にしたがい委員会意向を理事会に提示するのでなければ意味がない。
猪瀬委員長は有能で「情報通」ではあるが、専横も度が過ぎている。「そろそろ委員長をやめる」といったことを漏らしていたが、こんな有様なら、わたしは
氏の意向を歓迎したい。
* もう一つは、議題というほどでないが、元週刊現代などの編集長だった元木昌彦委員が、新たにネット「オーマイニュース」の日本版編集長に就任したのを
機に、その話を聴いた。春秋にも富むが前途のはなはだ不透明な、むずかしいネット・ジャーナリズム。
それへ「2ちゃんねる」などが絡みついて、すさまじい悪声や罵倒や誹謗中傷も。そしていずれは、いやもはや「mixi」も巻き込まれつつあるだろうとの
観測。思わず笑ってしまった。
たしかにこの方面の広告料収入は他のメディアを抜こうとしている以上、何がねらいのまま乱立し混乱してくるか知れたモノではない。
* 会議後、ひとり和食の「鈴木」に寄り、ミニ懐石で少し飲みながら、一気に次巻の「校正」を進めてきた。
委員会のまえに「ビッグカメラ」で先日のと同じMOドライヴを買っておいたのを、帰宅後に旧親機に接続してみた。なかなかうまくいかず諦めかけていた
が、なんだか、なんとか成っていたようでもあって、画面を引っ張り出せた。旧親機と新本機とのLANがいっこううまくいっていないだけに、両方にMOが使
えるようになったのは、手間のやや面倒なのを辛抱すれば、相互に大量バックアップして行けるわけで、3.5インチディスクもこまめに併用できるわけで、や
や独力で環境を部厚に出来たような気がする。すこし一段落した気もする。
☆ 大雨と強風で、すっかりと梅の花が散ってしまいました。急に寒さが戻ってきましたが、奥様ともどもお風邪など引かれませぬように。
今日は歌舞伎座で『義経千本桜』の昼の部を見てきました。
安徳天皇の乳母役の藤十郎が粛然として気高く、そして幸四郎の知盛が大碇とともに海へと、舞台のそこそこへ惜しみなく拍手を送りながら、舞台に没入でき
る喜びを味わってきました。
二幕目の大物浦の場面は能の「船弁慶」の趣向が取り入れられてあるとのことでしたが、能の話のほうから見ると主体が違うように思いながら、歌舞伎の話の
面白さに引きずられました。
能の拍手のことを思っていました。
先月、矢来の九皐会「蝉丸」の舞台で、蝉丸が姉宮の去った後一人になり、舞台をひいていく折、橋掛かりの三の松に掛かったときに拍手が起きてしまいまし
た。コツ コツと杖の音が幕内に入らないうちに拍手の音に消えてしまいました。
師は演者の力量が足りないからだと残念がっておられました。
観客は蝉丸の哀しさ 寂しさは充分感じて、好演技に、一人拍手が入れば、続いてしてしまったのです。私も胸締め付けられそうにもなりながら、遅れながら
拍手しました。
能の舞台では感動を拍手で表さないのが昔からのことでしょうか。また拍手すらできないほどの感動を求められるのでしょうか。他の演劇やコンサートのよう
に熱狂的ではなくて、能の舞台でも終わりには静かに拍手があって良いように思いました。
また先日東京交響楽団のコンサートでチャイコフスキーの6番「悲愴」を聞いたのですが、さすが指揮者が指揮棒を台の上に置くまで拍手はでませ
んでした。その後に大ホールを揺るがすような拍手が沸き起こりました。
それぞれの舞台の拍手を思いながら胸に響いたものを持ち帰りました。 晴
* 能の場合、三役が、つまりは笛方が最後に幕に入ったところで、能一番の好演に感謝し静かに拍手を送るていどが、礼としても、許される限度だろうと思
う。能舞台は、ただの藝能の演技・演奏とは本義を異にしている。超越した「翁」の、さまざまに姿形を変えた、「影向」の能なのであり、松羽目はただの装飾
ではない。来臨の神のよりましである。神前の柏手は神の所為を称賛するのではない、来迎を促し頼むのである。その気持ちをワキが見所にかわって演じてくれ
る。
少なくもシテのひきあげる橋がかりや幕入りにもう拍手するのでは、幽玄また清明な舞台の感興を無惨に殺してしまう。あまりに無残である。感銘は見所の一
人一人が胸奥に深くたたんで、感動に堪え黙して座を立つのが本筋の深切だとわたしは考えている。深い深い静かさからあらわれ、また深い深い静かさへと去っ
て行くのが、能、ではなかろうか。
* 三月八日 木
* 昨夜、寝がけにふとテレビをつけたら、エド・ハリスらの演じる宇宙船飛行士誕生譚が始まって間なしのようだった。以前一度観たことがある。もう一度観
てもいいなとかねて念裏にあった、だから、長い映画をつい観てしまった。朝刊を配達のバイクの音が聞こえていた。さすがに寝床での読書はムリだった。
* 七時には起きた。血糖値96は気温の低いせいであろう、10ほど加算してもいい、それでも正常値だ。
☆ 3・8 鴉はお元気ですか。新たな模索が始まっていますか。
再び少し身体の調子が悪くて、今週数日は閉じこもっておりました。昨日メールを書いたのですが、ミスでうかと消してしまい、がっかりして・・今日は再挑
戦?! です。
絵が描けて・・でも少しも余裕ができたと思えず、・・いけませんね。
辻邦生『背教者ユリアヌス』読み始めました。再々読になります。
小田実『終わらない旅』は読み終えました。これは以前読んでいらしたもの。フィクションであっても、べ平連のことや、さまざまなことを改めて理解するい
くつかの手がかりがあり、分かりやすい。
いつのことか、もう記憶も定かではありませんが、成田で乗り継いでアメリカに行くとき、その搭乗口の待合室で小田氏を見ました。いくらか身構えるような
姿勢、強さを感じました。そして彼の伴侶は(伴走者と彼は記していた?)毛皮のコートを着ていて、日本という場所では夫妻に何故か浮き上がったような寂し
さを、その時わたしは感じたのです。本当に勝手な感想ですが。
『テヘランでロリータを読む』というアメリカに住む文学研究者のイラン人女性が書いたもので、イスラム革命以後のテヘランを知る手がかりにもなる興味深
いものです。が、最後まで読むかどうか、まだ迷っています。
チベットに関する幾冊かの本も・・。
濫読はいけないと思いつつ。絵に向かえばたちまち本に向かう時間は少なくなりますし、やはりジレンマに陥ります。
ボストン君のこと。
彼の日記は彼自身にとっては記録、そして新しい環境での自己確認の作業ではないでしょうか。読む人にとっては未知のボストンへの、観光ではない視点から
のアプローチ。わたしは再確認の旅をしているような感じがします。地名、お店の名前などが出てくると、すぐに情景が浮かびますし、もっといい所があるのよ
と言ってみたくなったりします。
全体からとても堅実な理科系の人の文章だと感じます。
花粉症、早く過ぎてくれるといいですね。くれぐれもお体ご自愛くださいますように。 鳶
* 『終わらない旅』は小田さんの代表作の一つに加わるのではないか。そうそう『ロリータ』が家にあった、映画は観たがナボコフの原作を読んでいないのは
怠慢に類する。また楽しみができた。
バランスのとれた乱読は、むしろ自身にいつも奨めているが、このところ視力をかばい、就寝前のベッドでの読書を三四冊に減らしている。
* 「湖の本」の初校を大略手早く終えて、印刷所に送り返した。あとがきと表紙の入稿が残っている、が。土日の二日を跨ぎたくなく、一気に集中。自転車で
宅急便を出しに行ったら間一髪間に合ったのもよかった。
録画しておいた『トラ・トラ・トラ』を観た。懐かしい顔が大勢。ひときわ田村高廣が、また三橋達也が。山村聡が、特殊撮影の完璧なのに驚嘆。
機械は十分ではないが、なんとか自力で少しずつよくしたい。旧親機と新本機とにMOドライヴが稼働したのは心強い。
旧親機が音声を出してくれない。「ME」をOSとして一万円支払い親機に入れたというのに、音声が出ないというのが分からない。「サウンドカード」を
買ってこなくてはという話だった。さしこめば簡単なモノですという話で、ではと有楽町で買って帰ったら、組み立て機械をほどいて中で接続しなければ役に立
たない。そんな真似は出来ないので、断念した。
なんとか旧親機でもホームページの書き込み転送が出来るようでありたい。コンポーザも用意したし、最新のホームページ内容もみな親機にコピーしたし、
FFFTPも用意した。その三者が一つのトータルとして稼働してくれない限り、バラバラのままだ。
* メールアドレスがみな行方不明になったため、いまいちばん智慧を借りたいイチロー君とも、連絡がとれない。布谷君はもう海外青年協力隊に出かけていっ
たはずだ。上尾君らとも、子松君とも会いたいのに、うまく巡り合わせがつかずにいる。
☆ 各駅停車 雀
ここ数日の冷え込みに、今朝は雪が舞いました。お障りなくいらっしゃいますか。
お水取りが終わると奈良に春が来るといわれますが、今年は冬がなかったような感じです。ぬくい日が続き、更雀寺に行った日も朝から優しい春のこぬか雨が
降っていました。
雨の春野―。想像の景色に背を押され「JRでゆく奈良・京都‐単線各駅停車の旅‐なンちゃってプラン」を実行してみようと思い立ったのです。
いたってのんびりとした出発で、玄関を出たのはいつもより二時間以上も遅い9:30。赤目、室生、榛原、長谷寺、桜井。
雨がやみ始めた山肌には蒸気が上がり、斜面にちらちら白梅が咲きこぼれる潤んだ春のいい景気です。
この区間はなにもせずに車窓を流れるひなびた隠国(こもりく)の景色をぼんやり眺めて過ごす、気に入りの旅の序奏。
桜井駅でJRに乗り換え、雲立ち渡る山々を右に見、三輪、巻向、柳本、長柄。そして、天理、櫟本、帯解、京終、奈良に到着。外観や内装など風情ある駅舎
で知られる奈良駅は、現在新駅舎建設中で、埃っぽいホームのなかほどには、「今まで奈良駅を支えてくれた柱です」と、プラスチックで囲われた展示がありま
した。
その一方で、いつものように、月ケ瀬梅渓の宣伝用に改札口に据えられた盆梅が香りを漂わせています。
京都行快速列車を見送り各停に乗り込みました。
東側の窓はつぎつぎと山が移ってゆき、西側は木津川流域の平野がきりなく続きます。ほとんどが単線ということも一役買って、運転席の後ろから眺めている
と、どの地方にいるのか、どこへ着くのかわからなくなりそうです。
平城山、木津、上狛、棚倉、玉水、山城多賀、山城青谷、長池、城陽、新田、小倉、宇治、黄檗、木幡、六地蔵、桃山。
どこで降りようか地図と景色を交互に眺めているうち、「つぎは稲荷」というアナウンス。京阪に乗り換えて出町柳から叡山電鉄へ乗り継ぐことにしました。
稲荷駅着12:34。出発から三時間…いつもの二倍です。いつもは私鉄利用なのです。
JR稲荷駅の改札を出て、視界いっぱい、料亭「玉屋」の建物が飛び込んできたのには思わず声が出ました。
青谷梅林は車窓からは見えませんが、線路ぎわにも梅を栽培する家が点在しているので、満開の花をしばらくの間楽しむことができます。藤森駅あたりでも梅
がそこここに咲いていました。昔は梅渓といわれたそうですね。「深草大亀谷」を何と読むのか訊ねましたら、以前は「オオカミ谷」といっていたとか。
稲荷前のお店でいつものように雀の丸焼きをいただいて、京阪に乗り、出町柳で鞍馬行に乗り換えて、京都精華大学前駅で降りました。更雀寺は大学と反対へ
畑の中を少し歩いたところにあり、焼き物でつくられた茶色い雀がたくさん置かれているなかお参りし、かたちを変えた“丸焼き”雀にフクザツな思いを抱きま
した。
Uターンして修学院で途中下車、送り火の“法”から“妙”へと歩いて、末刀岩上神社にお参りし、松ケ崎から地下鉄で今出川へ。今まで通り過ぎてばかりい
た白峰神社へ。「桜井」のあとは「飛鳥井」と、バス通りをてくてく。サッカー神社になってるンですねぇ! そのあと小学校の前を通り、観世水を探してみた
り、さまざまな西陣の店先を興味深く眺め眺め道を進みました。
そこここに立てられた解説板には、高師直屋敷のあった舟橋、後鳥羽院御所のあった五辻殿と書かれ、「人足パン」「五辻の昆布」といった看板も目にはいり
ます。
茶くれん寺の交差点へ出て般舟寺に詣りました。ここから北野白梅町駅は近いようだから地蔵院の散り椿を見て嵐電で嵯峨へと考えていたのですが、交差点の
時計は16:20。拝観はとうに終わり、町も灯をともし始めているころでしょう。足もそろそろ、やだやだをしています。
タクシーを拾って「京都駅へ」と告げました。
☆ 旅ののち。 雀
旅の途中、入手した冊子に、宇陀紙を漉くおじいさんの記事があり、帰宅してから『吉野葛』を出し、記事とともに読みました。
「旧一月十四日」を固守して行なわれている「国栖奏」は一度は見てみたい行事の一つで、今年は三月三日でしたから、三月二日のお水送りと両方は無理、で
もこう暖かいのだったら見物するにはいい年だわと思っていたら、月が満ちるにしたがい、体調低下。そちらに気を取られて四日になって思い出しました。残
念。
記事によると、第二次大戦前の国栖郷は、五月頃から春夏秋と三回養蚕をして、十月下旬に最後の繭をあげて、一段落した十一月からは紙漉きにかかるとい
う、休みなしの暮らしで、しかも小半紙寸法の型で漉いていたため、1日600枚以上漉かないことには一人前に食べてゆくことができず、戦後は下市に入り込
んだ割り箸産業が好況だったことや、価値観の変貌もあって、転業が相次いだとか。「次号へつづく」ですって。忘れずに入手しなければ。
滋賀の安曇川町へ出かけたとき、アンケートでいただいた「湖西・湖辺(うみのべ)の道」に紹介されていた『乳野物語』が手近なところに見つからなくて、
図書館の地下室へでも訊いたら見つかるかしら、読めるかしらと考えています。 囀雀
* しばらくぶり元気な「てんじゃく」サンの囀りが聴けて、わたしもご機嫌。鏤められた、固有名詞たちが、きらきら光る。
☆ 「影向」の能 晴
能舞台への拍手のことについて、早速ご返答頂きありがとうございました。
能のことを殆ど理解していないのだと痛切に思いました。単に話の筋道や演者のことで、分かったり、感動したりの程度の見方しかできていなかったのです。
ワキのお役のことなども全く理解できていませんでした。
感銘を胸奥に深くたたむことの大切さ、それが尚一層感銘を深くできることになるのでしょう。これからはそのような見所の一人になりたい思います。
今朝は鶯の初鳴きで目が覚めました。
一昨年環状8号線が家の側を通り、隣接の神社の樹々も多く切り取られたのですが、例年通り季節に帰ってきてくれたようです。これから一週間ほどは楽しま
せてもらえそうです。
上手に鳴けるようになるともう聞くことができなくなるのが常です。春到来を喜んでいます。
* 鴬のささ鳴きが聴かれるなんて、うらやましい。
* 四月の歌舞伎座を松嶋屋に注文。
* あまり眠く、音楽を鳴らしたまま機械の前で眠りこけていた。このまま引き下がるのも癪で、機械の奥から碁敵を引っ張り出し、一局、相手を盤上全滅。こ
の機械の碁敵は十段階ほどにレベルが分けてあり、最初「最強」高レベルにいきなり立ち向かって初めて機械に負けた。これは下から勝ち上がってこいというこ
とかと、レベル一と二とを先ず全滅させた。次の機会にはレベル三を引っ張り出す。勝負事が好きなのではない。今のは目覚まし用に。もっとも、もう寝ていい
時間。
* 三月九日 金
* 朝、冷えた。少し寝過ごした。十時の血糖値、低い。明け方、左の太ももからスコップで肉を深く抉られたような痛み。あやうく痙攣をかわしたが、起きて
みると左脚のつけねと左尻の辺に鈍い痛みが残っている。
昨夜、仕事をしていて、両方の足くびより下が、寒いのでも熱いのでもないが異様に気の遠くなるような違和感を湛えていた。
また七日の委員会帰りに保谷駅でタクシーを待つ間が寒く、右上腕の裏側にあとまで痛みがのこった。いまも左右の上腕とも同じ裏側、芯のあたりに痛みがあ
る。「血のめぐり」がいかにも悪そうだ。
なるべく、他人事のように自分の体調を「傍観」ないし「観察」するようにしている。顧みて七十一年余、入院したのは小学校五年生初秋の腎臓炎、大学一年
の盲腸炎手術の二回だけ。左腕肘を、騎馬戦で組み打ったまま落ちて骨折脱臼したこともある。一里半の道を疎開先の山の中から山陰線の亀岡町まで通ってなお
したが、直りきらなかった。いまも左腕は右腕ほど深く曲がらない。
東京へ出てからは入院も大病もしてこなかったが、現在糖尿病で継続診療をうけ、自分で毎食前にインシュリン注射。飲食の摂生をほとんどしていないのだか
ら、良いわけがない。血糖値自体はさほどはねあがらないでいるらしいが、もっと大事な他の何やらの値がよくないとか。今月三十日に新しい何かしらんの検査
を受けに病院に行く。
* 世界史を読んでいると、ときどきビックリするような大政治家、名宰相にであう。そしてそういう人たちの末期が、概して悲惨なのが哀れ。いま、明末の言
語道断な頽廃を、身一つの国家への忠誠心から、目をみはるほど建て直してあまりある成果をあげた張居正の事跡を読み終え、没後の不運・悲惨を目のあたりに
したばかり。
* 安倍総理は往年の従軍慰安婦の存在を否認するかの言辞を弄し、アメリカからも非難されている。「ペン電子文藝館」にわたしがとりあげて発信した小説の
なかにも、従軍慰安婦とみていい幾場面もを描いた作品が一つ二つならずある。またそれが「稼ぎの売春」で軍として制度化されていなかったと仮にしても、そ
れら女性の徴発に軍ないし日本国の意向の強硬に働いていた事例は数え切れないであろう。歴史に学んで謙虚・聡明であらねばならぬ一国の宰相の言辞として
は、聴くに堪えない醜悪で軽率で無情なものだとわたしは悲しむ。「美しからぬ気性の総理」で恥ずかしい。
大臣ばかりか総理もこれだとは、分かっていた。彼の就任時、わたしはせめて拉致問題一つだけを目に見えて進展させたなら、少しも早く退陣して欲しいと望
んでおいた。今も同じ思いで苦々しく睨んでいる。
☆ 滋賀県知事が安曇川上流のダム建設を認めたという報道を聞いたのは、半月ほど前でしたかしら。余呉の丹生上流にも新しいダムがつくられています。
丹生神社を訪ねた折、菅並まで行って引き返しましたが、あのまま谷の道をさかのぼっていくと夜叉ヶ池に至るのですね。
山にへばりつき、渓流に沿い、くねくねとはしる道が、昔にもどるように徒道路となり、田畑の真ン中を通したバイパスや、峠近くに掘ったトンネルによっ
て、定規で線を引いたような突ッ通しの自動車道ばかりが増えてゆきます。
みちゆき、みちのり、みちすじなどない、点と点とを結ぶ差し渡し。
川が細くなる、岐れる、住居がまばらになる、農作業小屋、炭焼き小屋、そしてまた一戸建の家が見えてきて集落に入る、坂道を昇って、そして別の世界に降
りる…そういう感覚はなくなり、タムケ、ドウソジン、サカガミなどの神からは疎遠に、点から点への移動をどれだけ効率よくできるかと、カネが神ばかりを招
く、そんな道を走っているとだんだん荒れた気持ちになってくるので、疲れます。
広河原から久多あたりの景気が気に入って、この一年で三度訪ねました。
朽木梅ノ木から、久多、佐々里、美山町へ抜けたとき、朽木と美山町の道路が観光地として整備され過ぎていたため、久多の景色にとても感激して、その際時
間の都合で途中で引き返した、久多河合から朽木への道が魅力的で惜しまれて、後日、そのつきあたりは小入谷という地名で山の向こうが遠敷と知って以来、気
にかかってならず、先月末―お水送りの一週間前―ひさびさに冬気温となった朝に、思いきって出かけました。
ぱらぱらと降り始めた雨が京の町を一色濃く変え、北山は白く霞み、鞍馬は粉雪。その先はひたすら風と、降り敷く細雪でした。
花背、原地、広河原、能美、久多。こちらから行くと景色も道も自然にひなびて思ったより感激が起こらず、あれあれと思いました。鞍馬集落奥の景色に慣れ
たこともあるのでしょう。鞍馬寺界隈の景色しか知らない頃でしたら感激したと思います。
この記録的な暖冬でも、さすがに小入谷から小浜への山越え道は雪が凍って通れません。朽木の中心部へ出て鯖街道を北上しました。今津町の水坂峠も冬期閉
鎖。トンネルの新道を通って若狭へ入ります。
朽木から若狭遠敷へ木地山峠を越す道もあるのですね。
熊の畑、木地山、中小屋。小浜市に入って、上根来(カミネゴリ)、中の畑、下根来、神宮寺。この下根来にある八幡社でお水送り神事が始まるのですが、こ
のときは地元の方しか入れませんので、お参りをして、注連縄が張り巡らされた建物のまわりをめぐってお祭りを偲びました。
若狭市街からこの八幡社辺りまで、ごく最近大規模に道路整備と護岸工事がされたことがうかがえます。お水送りの鵜の瀬もハコモノができ、公園化され、重
機を入れた工事がされていました。上根来はというと、入り口に廃校になったぼろぼろの小学校があるのに気を飲まれ、さらにゆくと景色はますます索漠とし
て、新しく造成された集落の墓地に手の切れそうな墓石が立ち並んでいます。
人の気配も体温も、暮らしのきれはしすら感じられず、ひっそりと仙人や山姥が暮らしているほかは誰もいないような印象を受けました。観光地化されてゆく
集落のすぐ隣に、このような滅びゆく落人の里といった有様があるのです。
神宮寺はお水送り祈祷中のため、二十日間拝観停止とのことで、閉じた門の前にたたずんでいましたら、法螺の音が聞こえてきて、仏具・神具・法螺貝が並ん
でいた内陣を思い起こしました。
また、若狭は庭園も見ものというお寺がいくつもあって、門前に白梅の古木が花をつけている風景など、本当に絵になります。けれど、いつもで
したら雪中に咲いて吹雪に耐えている花は、なんとなしきまり悪そうに見えました。
本堂は改修中、ご本尊は三月の東京国博企画展に貸し出し中につき拝観停止という多田寺。お留守だった法順寺。
気がつけば午後二時。みけつ国を訪ねながら、カニ脚一本口にすることなく、さらには四宇の社寺をあきらめて、黒川宿で昼食を摂って帰ることにしました。
特産の葛でとろみをつけたおうどんで、ほっと一息。
一昨年六月と今回。根を詰めて二回、社寺巡りをしてもなお、みうらじゅん命名の「仏ゾーン」若狭小浜は、とてもまわりきれません。 囀雀
☆ 帰宅して数日は、うかされたような、ふぬけたような有様で、思い出しては手控えをしていました。しばらく経って、そのメモなどをまとめ始めたとこ
ろ、主な社寺の一覧表を作るまでしないとわからなくなって、それに二日費やしました。その代わり見落としていたことに気がつき、記憶と記録の整理という大
収穫を刈り入れました。
なかで、若狭神宮寺が一年ほど桜本坊に武田元明をかくまっていたというのに目が留まり、若狭武田家と足利将軍、浅井・朝倉、京極高次まですっかりおさら
い。
姉川の戦の時、元明十九才。1573年8月に朝倉義景が自害し、義景を裏切って生き延びた朝倉景鏡が翌年に一向一揆に攻められ自害。その間、つまり二一
〜二二才の頃、元明は若狭神宮寺で過ごしていたのです。
おととしは“お水送り”しか頭になかったのに、武田元明、木下勝俊、京極高次、遁れ追われて客死した足利将軍と出会い、旅がその後まで少し厚くなりまし
た。
若狭湾は北からの潮と南からの潮が両方とも入り込む良港で、大正時代まで沖縄からの船が漁をしにきていたとか。実忠が神名帳を奉読して諸国の神々を勧請
したとき、釣りをしていて遅刻した遠敷明神若狭彦(山幸彦)の本地仏が薬師如来で、若狭姫(豊玉姫)のそれが十一面千手観音ということで、そのテの仏像が
多いのですが、“二十四面”千手観音というのを若狭で初めて見ました。
主な寺のご本尊には、ほかに、春日明神神託という大日如来、また、若狭武田家祈願所の阿弥陀如来、さらに馬頭観音がみられます。西国三十三所札所の中山
寺から若狭にかけて馬頭観音が多いのです。
記録によると、小浜から若狭にかけては塔がいくつも建ち並び、たくさんの僧坊をかかえた寺が林立していたそうで、廃寺の本尊が脇侍仏になっているお寺が
何宇かありますが、坂上田村麻呂創建の明通寺は、創建時から薬師如来の脇侍に降三世明王と深沙大将という変わり種。深沙大将像は国内に三躰しか現存せず、
ほかは舞鶴市鹿原の金剛院と岐阜県揖斐川町谷汲の横蔵寺とのこと。うなずける位置です。
脇侍に強い明王像を持ってきたのは、武将ならではのキブンかなぁ、時代が降っているせいか、いかにも密教らしい造形だわと思って仏像を見上げましたが、
若住職によると田村麻呂は、802年、蝦夷のアテルイが処刑された年にこの寺を、翌年、清水寺を創建したとのこと。
アテルイが陸奥国胆沢を本拠としていた人ということも、多賀城、胆沢城、衣川の戦、志波城、鎮守府など、知らなかったたくさんのことに出会いました。そ
して、奥州藤原氏も義経のことでしか知らなかったので、アテルイから260年後にどうしてかの地に藤原氏が栄えたのかと思い、清衡、基衡、秀衡、泰衡、安
倍貞任、宗任、清原家衡、武衡、源頼義、義家に出会いました。
まったく発見ばかりでした。すべて。
奥州藤原氏が百年で滅んだことも‥。
帰り道、お土産を品定めしていて、鯖街道の由来から「外郎売」に出てくる「京の生鱈」は「めったにお目にかかれない」意味と知りました。
乾物・加工品料理が発展したわけ、魚と野菜の炊き合わせ文化が京で独自の洗練を遂げた理由、はもの骨きりが生み出された事情。はもだけは京まで運ばれて
生きている強い魚だったので、それをなんとか生で食べたいという執念と研究が、あの骨切りを生んだとか。本当ですか?
また塗り箸の初は、若狭だそうですね。象牙の箸の中国。素木や竹を使い、折って使い捨てていた日本。その中間にステンレス製の韓国と、塗り箸の若狭。な
るほどと思いました。 囀雀
* おみごと、囀雀さんの地誌。わたしは、とても楽しい。
* 中村屋の勘三郎襲名興行の二年を追いかけた特別番組を、妻と楽しんだ。門弟源左衛門の襲名も好演も記憶に新たで、その死が惜しまれる。
勘太郎も七之助も逸材。ますます中村屋が楽しめる。四月歌舞伎座、我當出勤の夜だけを頼んだが、昼の部の仁左衛門と踊る中村屋の「男女道成寺」がやはり
残り惜しくて、明日にも昼の部も追加注文しましょうよと、妻。そうしよう。
* 三月十日 土
* 一人のこされた孫・みゆ希が、今日十五歳を迎えた。この春から高校生になる。朝いちばんに、妻と、赤飯で祝った、元気で心ゆく日々を過ごすように、
と。
「十五の春を泣かすな」と謂う。泣かずに、姉・やす香があんなに望んだように「笑って笑って」幸せに姉のぶんも生きておくれ。おじいちゃんも、まみい
も、いつでも手をひろげてみゆ希を抱きとめ、前途を祈っています。
* 花粉が洟へ来ている。
田島征彦さんに昨日新しい繪本をもらった。「じごくのそうべえ」のシリーズ三冊目。元気な繪だ。
四月歌舞伎座、昼の部も松嶋屋に追加注文。どうも勘三郎と仁左衛門との「男女道成寺」は見逃したくない。
ものの下から六年前の「AERA」の表紙が出てきた。たぶん中国の映画女優なのだろう李英愛の大きな顔写真だ、大昔の物言いをすれば「スコブルつき」の
「トテシャン」で、よほど見惚れ見惚れたので、本文は棄てても表紙をはずして眺めていたに違いない。今観ても気持ちのとろけそうな美女で、降参する。
きれいといえば、吉永小百合のいまいまのコマーシャルの寝顔が、すてきに綺麗に撮れているのに、中年過ぎてからのサユリストは、満悦。いやはや女優は化
けるなあ。
今朝のテレビ、音羽屋の娘・寺島しのぶが外国人と結婚するという話題。寺島は話題性だけでなく女優の力量も群を抜いた逸材だけに、舞台や映画から遠ざか
られるのは困る、彼女はとても家庭生活だけに甘んじる人とは思わないが。
問題は、男の子が生まれたときに歌舞伎役者として育てるという音羽屋の「期待」だが。ま、そんな成り行き、わたしの年齢では見届けられまいが。
この番組の司会者役のひとり、東ひづるとかいった女優は、デビューの昔からちょっと別格の存在感で目を惹いたが、達者な可塑性で、知的にも感性的にも巧
みに化ける。この「生彩」が、女優志願者には欲しい。かしこぶっては固くなりダメなんで、バカにもはじけられる素直な聡さ謙虚さが、成功している女優には
なべてみられる。それがオーラになる。じょうずに伏し目のつかえる人と、ともするととがった顎をあげてしまう人との、差。
☆ 拝金文化 雄 ハーバード
前から思っていたのだが,アメリカには敬老の精神というものは,どうやらなさそうだ.いや,このラボには無いだけかもしれない.とにかく,年齢が上だか
ら目上の人として扱おうという気持ちは微塵も無いらしい.
隣の席のデイヴィッドは中国系のまだ学部生だが,挨拶もゾンザイだし,実験の合間に居室に戻ると,自分の椅子に荷物を置き,僕の椅子に勝手に座って作業
をし,僕が入ってきても平然としていたりする.
デイヴィッドに限らず,コーリーも僕に対しては明らかに目上とは考えておらず,対等か,場合によっては向こうが上といった感じだ.
僕だけが軽んじられているという訳ではなく,他のポスドクと学生を見ていても,その傾向は変わらないと思う.JCなどは大分歳上のはずだが,誰もそんな
ことは構わず接しているように見える.これにはJCの人柄もあるのかもしれないが.
僕が学部生の頃は,ポスドクや博士課程の学生といったらラボの長老であって,目上の人として接するのが当たり前だった.最近は日本でも変わりつつあり,
以前僕が所属していたラボでも,大学院生がポスドクや助手にタメ口をきいたりすることも多かったので,徐々に変わりつつあるのかもしれない.それでもま
だ,腹の中はどうであれ,年長の人を立てるという文化が、日本には残っていると思う.
しかし不思議なのは,そうやって年長者を敬う習慣が無いにも関わらず,バスや電車に乗っていると,足元がおぼつかないようなご老人が乗ろうとする時に
は,皆積極的に席を譲ったり荷物を持ってあげたりする.狸寝入りをする人間は日本の方が圧倒的に多い.敬老の精神が無いのに,こういう風に接するのはどう
いう訳なのだろう.
今日は大学院生のライアンが僕にちょっかいを出すようなしぐさをふざけてしたので,僕もふざけて「おいおい,もうちょっと俺を敬えよ」というと,「ここ
はアメリカだから年上だからといって丁重に扱う習慣はないんだよ.cionaは慣れないだろうけど,直に慣れるよ」という.
ちょうど良い機会なので,先ほどの疑問をぶつけてみた.ライアンは「一応,老人や身体の不自由な人に対してはそのように振舞う習慣があるんだけど,皆,
腹の中では「使えない人」と思っているよ」という.なるほど,建前上は丁寧に接するが,腹の中は違うということか.
続けてライアンは、「ポスドクと学生も、そんなに変わらない.年齢が上だろうが下だろうが対等に接するというのが、この国のやり方なんだ.唯一違うの
は、PI(研究室主宰者)になったときで,PIに対してはたとえ若くても,皆丁重に接するよ.結局は金の問題なんだよ.PIになると急に給料が増えるで
しょ.この国では結局のところ価値基準は、金なんだよ,嫌なことだけど」という.
確かにアメリカでは、難関大学は概ね私立大学であり,ハーバードでもMITでも、日本では考えられないような法外な学費を払わねばならない.従って有名
私立大学出身であるということは,そのまま親が金持ちであることを意味している.勿論,種々の奨学金もあって,優秀だが貧しい人にも門戸は開かれているだ
ろうが,多くの学生は裕福な家庭の出身だろうと思う.
したがって,日本と違ってアメリカでは学歴イコール裕福という単純明解な図式があるのだろう.
日本も学歴が偏重されるのは,将来有名企業に就職して生活が安定するから,という理由が大きいのだろうが,一方で「頭が良い」ということに対して或る程
度の尊敬が払われている部分もあると思う.
金で全てを判断するというのは、極めて単純明解である.あまりに単純明解すぎて,僕など、ついていけない.少なくともポスドクだからといってぞんざいに
扱われるのは良い気はしないが,まあ仕方が無い.
* 興味在るところへ「雄」くん、踏み込んできた。これに、やはり海外に学んでいるらしい人の「コメント」があり、「アメリカは結局エリート家族はエリー
トになるべく、貧乏に生まれ育ったら貧乏から抜け出せない、限りなく一握りの人たちがアメリカンドリームをつかんだときに『ほらアメリカだ』ともてはやさ
れているように見えます」と感想を結んでいる。こういう「アメリカ」にかぶれた、イカレた小泉純一郎タイプの政治家が増えてきて、「格差」容認の環境が上
から押しつけられ始めているのが、今の「日本」ではないのか。
そして、そういう「日本」に、こういう「日本」は根付いている。
☆ 毛虫 桜
去年 毛虫にぼろぼろにされた椿の そのぼろぼろの葉・病葉・徒長枝を、脚立を持ち出し上からも覗き込むようにして、カット・カット・カット。
驚きました。去年の毛虫の死骸のほかに もう新しく卵の産み付けられた葉 なかには孵化しはじめた幼虫まであって・・・早すぎない ???
切りつめられ 裸同様になってしまったけれど 南無・・・元気に茂って頂戴よ。
☆ 鹿 瑛 e-OLD
天気図は寒いが「晴れ」と出ているので、富士山を見に、また「丹沢の大倉尾根」を歩いてきた。
午前中から雲が多くなり、昼間はついに富士は裾野の一部しか姿を見せてくれなかった。午前11:30に昼休みの場所を探し、登山道から一寸外れた小高い
丘のようなところで昼飯にした。肌着はびっしょりと汗で、寒い。着替える。
このあたりは「鹿」の縄張りでありました。親子の鹿がしきりと草を食んでいる。数年まえから鹿の害が声高にいわれており、ブナの芽を食い荒らすらしい。
「柵」をしているところもあるが効果はなかろう。
僕がクロワサンを口に入れてもぐもぐしていると、鹿がじっーと僕の口元を見ている。何か餌を与えたい衝動に駆られたが止めた、思いとどまる。ちょっと人
間の通るみちを外せば動物達の住みかだが、あたりは都会の山場である。よく生きて子供を生んでいるなあと頭が下がった。
「遠雷」のような音が響いていたが、富士山麓の演習の音であることはわかる。気ままな写生をして下山とする。あらぬことか粉雪が天から舞い落ちてくるで
はないか。段々霏々として舞う雪の雪片、充実感に満たされる。
水墨画の写真は「箱根の金時山」です。伊豆半島の太室山、天城高原と真鶴半島の尖端の「三ツ石」と手前は小田原の街点景、そして夕陽の富士山でありま
す。
全て世はこともなし。と歌いたい一日でした。
.
* 地球には、それはそれは、いろんな人たちが載っている。平等に載っていたいものだ。
☆ 突然のメール失礼致します 治 若い父方従弟
秦 恒平様
昨夜 「mixi」のサイトをうろうろと眺め漂っておりましたら、偶然、サイトにたどり着きました。
お会いしたのは25年程前になりますでしょうか、私の上石神井のアパートに訪ねて来た母が突然 秦様に会いに行きたいと言い出し、姉と私を連れ 連絡も
せずに保谷のお宅に伺った事を記憶しております。
その母も 一昨年 癌を患い亡くなりました。来月には三回忌を迎えます。父の後を追うようにして 逝ってしまいました。もっと孫たちと過ごす時間を持っ
て欲しかった、逝かせてしまった思いがのこります。
母は晩年 白内障にて随分視力を落とし、その為 長らく送って頂いていた「湖の本」もお断りしたようですが そのたくさんの本を、今また私が読ませてい
ただいております
私は 昨秋 長く勤めた会社とともにソフトウエア技術者の仕事を辞め 父母の残してくれた家屋と地縁を使わせて貰って 新たな仕事に就こうとしておりま
す。
建日子さんの著作を書店で見つけて読み ご活躍を知り、姉や 従姉妹ともども、TVや著作を楽しませていただいております(関西におりますのでなかなか
舞台を拝見する機会がありません)。
さて 昨夜 恒平様がサイトに書かれていた ご自身の近況に関わる事などを読ませて頂き 大変驚きました。
母と伺った後も 私のひょんな行動から お宅に招きいただけることになり、美味しいすき焼きを皆様と一緒にごちそうになりました。
そのときの恒平様がお子様達にしめされるこまやかな愛情と暖かい家庭の雰囲気が、今も、しっかりと記憶に残っております。
「mixi」の私のサイトへ、「足跡」から辿っていただいたのか、訪れていただきありがとうございます
突然のとりとめもないメール失礼致しました。
* 「mixi」について「足あと」を辿って山城加茂の従弟だなとすぐ分かった。若い父方叔母が突如我が家にあらわれた日の驚きは憶えている。
わたしには、実の父方に、たしか七人の伯母叔父叔母があり、ほとんど知らない。自然いとこも大勢らしいが、おおかた知らない。実の母方にも二人の伯母が
あったらしく、いとこも何人もいるのだが、ほとんど誰とも会ったことがない。育ての母方にも、一人の伯父と大勢の伯母がいたらしいが、伯父しか知らない。
自然いとこも大勢らしいが、伯父の娘のひとりとだけ、今、メールのやりとりがある。甥や姪は数え切れないほどいるはずだが、ほとんどつきあいがない。わた
しが、独特の「身内」観を育てたのはあまりにも当たり前の成り行きだった。
☆ みぃ 雀
今日は琵琶湖びらき。皇子山の桜が満開だそうです。
熊川宿の食堂で、おうどんができあがるのを、北風にさらさらと雪が流されてゆく窓の景色を眺めながら、ぼんやり待っていましたら、点け放しのテレビから
「継体天皇」と聞こえたのではっと画面に目をやりました。
福井県三国で大きなイベントが予定され、郷土出身の天皇とアピールするため、紙芝居で地元の子供に教えたり、山車をこしらえたりしているそうです。
近江安曇川の南が三尾一族、北は角山一族の本拠ということでしたね。川から南下してゆくと、まず、振姫が三人の男子を出産したという三重生神社があっ
て、猿田彦を祭る三尾神社旧跡があります。このあたり、かつては「産所村」、現在は「陵」というそうです。続いて彦主人王墓、スサノオと稲田姫を祭る田中
神社。三つ巴紋の式内箕島神社の南が、安曇川町三尾里。ここを流れる川は御殿(ゴンデン)川というそうです。安閑神社と胞衣塚(えなづか)は残念ながら見
つけることができませんでした。
鴨川にかかる天皇橋を渡った先が、高島町宿鴨。ここに三つ鱗紋の志呂志神社が添う稲荷塚があります。さらに南へ進むと巨石が累々と池を取り巻く水尾神
社。その南に嶽山が秀麗な姿を見せています。白蓮山長谷寺。嶽観世音とも書かれていて、長谷寺の十一面観音像と深いつながりがあったのですね。朽木の蛇
谷ヶ峰、嶽山、白鬚神社が直線上に並ぶのも神秘的です。
近江国高島郷の神である三尾明神が鎮まるところが、三尾が崎。継体天皇の頃、洪水が起こってここから楠の大木が湖水へ流出し、お告げによりその材で長谷
寺の観音像が造られたとか。その大木が大津の浜に至る時に、忽然と三匹の小蛇が木から這い出し陸に上がり、西の山を望んで去ったというのが、園城寺町鎮座
「三尾神社」。長等山に三尾谷があり、疏水取り込み口の名が三保ヶ崎なのですねぇ。
さて、巨木は七二○年に初瀬の東の峰(与喜山かしら?)に引き上げられ、七二四年に即位した聖武天皇から勅許を得て、七二七年四月八日に開眼。モデルと
して出現した観音も楠の像に変わり、海難事故が多発して漁民の命が失われていることに心を痛めた徳道上人は彫った一体を海に流します。それが七三六年に横
須賀に流れつき鎌倉の長谷寺となった、とのこと。伊勢の丹生にある近長谷寺ではこのとき観音像は三体つくられ一体がこの本尊といいます。
さて、現存の長谷寺本尊は一五三八年に造られ、一六五○年には現本堂が造営されます。新本尊が安置されて百五十年後の一六八八年、芭蕉は「春の夜や籠り
人ゆかし堂の隅」と吟じました。二十年前、二十四才のときは、「うかれける人や初瀬の山桜」でしたのね。
明日は一転、真冬の寒さが戻るといいますからおん身どうかお大切に。 囀雀
* ありがたいレポート。湖西の地誌ないし歴史に照らして此の具体的な名辞の紹介はとてもわたしの力になる。この真似だけは誰にもできない。
☆ 卯の神 雀
秋も終わりという頃、堅田の本福寺や祥瑞寺を訪ねたあと、伊賀で入寂した真盛上人をたどって西教寺へ詣り、明智光秀一族の墓に肝を消して、三井寺の観音
堂へ足を運んでみようと思いたちました。
日吉大社門前のお蕎麦でお昼にして、坂本駅から電車に乗ろうという心づもりで歩いてゆくと、バスの団体客が門前町にあふれています。
客待ちのタクシー運転手さんから、「少し遠いけど円満院の前の蕎麦屋はおいしい。行く価値はあるよ」と言われて、食いしンぼ雀は駅へ急ぎました。
そのお店に着いたのは二時をかなり過ぎた頃。休憩に入る店もありますから恐る恐る引き戸を開け、
「あの、お蕎麦、まだありますか?」。
「大丈夫ですよ」
黄味がかった明かりと奥様のやわらかな声音にほっと店に入りました。
「桜の時はご予約いただかないと…けれど、そのほかの時期は、もういつもこんな具合ですからいつでもどうぞ」とお笑いになります。こぢんまりとしたお店
に雀一羽。
「そんなに違うンですか」
「ええ。花は三井、紅葉は日吉と、はっきり分かれますの」
「いまその日吉から、あまりの人に、こちらへうかがったンです」
「まぁ、それはそれは。混んでましたでしょう? どうぞごゆっくりお休みになってください」
おいしいお蕎麦と蕎麦湯にすっかり伸びやかな気持ちになって、足取り軽く観音堂へと歩き始めました。御陵の方を歩いたり、長等公園や関寺の方へ歩いた
り、うかつにも観音堂や観月亭はこれまで行ったことがなかったのです。十一面観音を本尊とする長等公園西の微妙寺が園城寺境内に移されたと聞いたことも気
に掛かっていました。仁王門を阿星山西寺常楽寺と重ね合わせて眺め、鬼子母神堂の前を通り、境内案内図を確かめて、駐車場にさしかかったところで、“真向
き兎”の紋と「卯年生まれの守護神三尾神社」とあるのにびっくりして、急いで鳥居をくぐりました。
手水鉢、本殿、至る所に石のウサギが蹲っています。この長等に三尾明神が出現されたのが、卯の年、卯の月、卯の日、卯の刻、卯の方と伝えられ、そこから
ウサギが神様のお使いとされたそうで、三尾明神はウサギをつかう神でもあるそうです。
西に伸びた坂道を400Mほど上った先には三尾明神の影向石があるとのこと。そこから微妙寺は目と鼻の先でしたし、観音堂もすぐに判りました。今までこ
の一帯をまったく見落として雀が遊山していたのは、善い出会いのときを待って導いてくださったのかもしれません。
「月さびよ明智の妻のはなしせむ」
芭蕉のこの句も以前でしたらこうも胸に訴えてこなかったでしょう。 囀雀
* 佳いエッセイになっている。
* 一仕事のあと、映画『ディープインパクト』の後半を観て、また感動。このあいだの『デイ・アフター・トゥモロー』もよかったが、今夜の映画は人間模様
がいろいろによく描けていて、感動させる表現に富んでいる。芯にいる意欲的な新人キャスター役のティァ・レオーニが、やはり先日観た『神様のくれた時間』
での好感度ともダヴって、しきりと胸をゆすった。
こういう、いまや少しも荒唐無稽ではない「地球終末の危機モノ」に強く心惹かれるのは何故だろう。もうもうあんまり情けない、張りのない人間社会がいや
さに、同じならこういう絶対的な人類危機のなかへ溺死してしまいたいようなヤケクソが起きるのだろうか。
そういう良からぬ荒廃へ押しやられそうな時、雀さんの行脚の記は、わたしをふと安堵へ掬いあげてくれる。
* 三月十一日 日
* 冷えるなあと感じて目覚めた。風。花粉がしきりに洟へ来る。
* 例の SPAM MAIL
を削除して、ナニも残らない。そういう朝は「マイミク」日記から、興味に触れてくる文章を拾い読む。生き生きと刺激してくれる一人は、ハーバード大で研究
生活に入った「雄」クン。
☆ インパクトファクターとアメリカ文化 ボストン 雄
先日、アメリカには敬老の精神がなく,持っている「金」の多寡で人の値打ちが決まりやすいと書いた.今日はこれと似たことについて書きたい.長くなりす
ぎるので,明日にも「続き」を書くつもり.さすがに湖さんは鋭くて,ご自身のホームページで,僕の結論を先回りして書かれてしまったが.
学問の世界でも,インパクトファクターというものがある.「その雑誌に載った論文が、平均して何回引用されるか」ということを指標に,各学術雑誌を評価
する数値で,アメリカのThomson Scientific社という会社が毎年発表している.生命科学の分野では,Nature, Science,
Cell
が「トップ3」として君臨しており,それに続く形で色々な雑誌が並ぶ.中にはインパクトファクターが「1」を切る雑誌もある.すなわち,それらの雑誌に論
文を掲載しても,一度も論文が引用されないということが大いにありうる訳である.
インパクトファクターは研究者にとっては非常に大事な数値であって,なるべくならば,インパクトファクターの高い雑誌に論文を掲載したいと,研究者達は
考えている.よく引用される論文は,様々な研究の基盤になっていると考えられるだろうし,せっかく書いた論文なのだから,多くの人に読まれ,参考にして欲
しいと思うのは当然である.
しかし,実際にはもっと現実的な理由から,インパクトファクターは重要な意味合いを持っている.
「ポスドク」ならば,インパクトファクターの高い雑誌に多くの論文を発表すれば「PI」になれるチャンスがぐっと高まる.既にPIになった人でも,多額
の研究費を獲得するためには,コンスタントにインパクトファクターの高い雑誌に論文を出さなければならない.
しかしながら,インパクトファクターの低い雑誌に載った論文でも,その後の研究の流れで大いに価値が高まり,何度も引用される論文というものも、現に存
在する.それに,インパクトファクターの値は,その学問の分野の「勢い」のようなものを大いに反映しているので,研究人口のあまり多くない分野であれば,
なかなか引用されなかったりする.
そこで,僕が日本に居た頃は,確かにインパクトファクターの高い雑誌に論文を掲載することは大事だし,なるべくそのように努力はするけれども,インパク
トファクターの低い雑誌でも、価値のある論文はあると教わってきた.
前置きが長くなったが,本題に入りたい.
今のラボのメンバーを見ていると,ボス以外の人々のもっぱらの関心はインパクトファクターにあるように思われる.
僕がラボに来て間もない頃,JC、が僕にどうしてこのラボを選んだのかと質問してきた.僕は、「このテーマの研究がどうしてもやりたくて,それをやれそ
うな研究室を探した」と答えたのだが,JCにはピンと来ないようだった.
そこでJCに、「どうしてこのラボを選んだの?」と聞き返すと、JCは「インパクトファクターの高い雑誌に論文が載せられそうだからだよ」と答えてき
た. さらに,聞いてみた。最近JCが投稿しようとしている論文は、医学寄りの内容なので,「JCは医学部出身なの?」と。
「いや違うよ」と答えるので,
「ああいう論文内容の研究をしているということは,医学的な興味があるからなのかな,と思ってね」と、僕。するとJCは悪びれず、
「いや,そうじゃないよ.だっていい雑誌に論文が載りそうじゃない? それだけだよ」と。
確かにいい雑誌に論文が載れば「PI」になりやすいし,給料も上がる.極めて単純明快だ.
しかし,学問って,そういうものだっただろうか? 正に、本末転倒なのではないのか?
JCに限らず,コーリーも各雑誌のインパクトファクターを,実に正確に,良く記憶している.あの雑誌はインパクトファクターはいくつだから「割に合う」
とか,あの雑誌のインパクトファクターは低いけれども,この論文が出せると「グラント(研究費,助成金)にアプライできる」などということを、しょっちゅ
う話している.
僕の偏見かもしれないが,こういう物の考え方は「実にアメリカ的」な気がする.「数値化」することで,誰が見ても分かりやすい価値基準を作り上げる.実
に即物的だ.そしてこの「分かり易すぎる価値基準」が,日本を,世界を,席巻しつつあるように思う.
僕が知っている或る研究室では,「インパクトファクターの合計がいくつ以上か」ということが博士号取得の必要条件となっていた.僕は当時,これを聞いて
非常にクレイジーというか,偏差値世代の若い教授らしい発想だなと思ったのだが,アメリカではそれほどクレイジーな考え方でもないのかもしれない.
明日は,こういう即物的なアメリカ文化と日本との関係を書いて見たいと思う.
今日はこれから,ボストン交響楽団のコンサートに行ってくる.アルゲリッチの生演奏が聴けないのは残念だが,コンサートそのものは楽しみだ.
* 「アメリカ」という名辞を一度も口にせず過ごせる日が、年に一日も無い。それが日本の知識人や企業人の決まり切った日常だろう。だがその口にする「ア
メリカ」のなかみは、ま、おおかた符号か記号に類している。アメリカの主導した「グローバリゼーション」についても、語の表面の意味だけに反応して、とて
も良いこと素晴らしいことのように受け入れて片棒をかつぎたがるが、ひとことでいえば、いろんな豊かな食生活・食文化を持った各国に「コカコーラ」と「フ
アストフード」で上陸し、経済効果を口土産に席捲してしまう、実に「経済侵略効果」だけが意図の、味気ない「世界一律化」の勝手な国策に過ぎないというふ
うに理解すれば、だれが素晴らしいことと思えるだろう。しかし、それこそがアメリカによる「グローバリゼーション」の正体ではないか。
アメリカ方の価値観に、手もなく精神的にもイカレテしまっている代議士が、いかに日本の国会に多そうであるか、気がつかないだろうか。しかもわるいこと
に自他共に有能であるかに思っている若手に、そういう薄い軽い精神の持ち主が多そうなのが怖い。
* そもそも今本気で、アメリカは日本の同盟国であると信頼しきっている日本人が、国会の外の世間に、どれほどいるだろう。少なくもアメリカ人で、「日
本」は利用するに「都合の良い国」ち思っている者が無数にいても、「国の運命や利害をともに出来る同盟国」と考えているような暢気な人は、ブッシュ大統領
をはじめとし、おそらく一人もいない、建前ですらそんなことは胸の内に持ってはいまい。
今朝も安倍総理はテレビで「同盟国アメリカ」との関係を大事に思うと繰り返していたが、それは切なる願望として事実だろうが、其処どまり、であることに
も実は情けなく気づいているのではないか。
* わたしの此の「日録」の読者、わたしの「著作」の読者なら、記憶していてくださる方も有ろう、わたしは外交とは、ことに「大国の外交」とは、「悪意の
算術」そのものだと何十度繰り返し書いてきたことか。
大国と自認している国の誠意や親切が、いかに脆い紙衣に過ぎないかは歴史が明らかに繰り返し証明している。そういう基本の歴史的教訓にまなびつつ、わた
しは、この日録「闇に言い置く」を書き始めて、ほぼ八、九年。
それほどの昔から、わたしははっきり繰り返し予想し懸念し続けてきた。すなわち、朝鮮半島、台湾を(ついには沖縄も支配下に)前衛に、極東「日本」を太
平洋を背に完全包囲し強烈に圧迫して来るであろう「中国の覇権」意志、最終的にはその「日本」を中国への取引材料に自国利益を勘定高く計算する「アメリカ
の世界戦略」、そしてついには日本列島はついについに中国覇権の最良のリゾート地として、また工場として征服されてしまうであろう、と。
少なくもその懼れをバネに、よほどの外交と政治の舵を取らない限り、まさかまさかのジリ貧のうちに「日本丸」は海の藻屑と崩壊沈没するだろう、と。
* 嗤う人はまだまだ多かろうが、現にもう極東での「日本の孤立」を、普通に当たり前に口にしている連中は、マスコミに数え切れないではないか。
だが、つい先頃までは、信じられない話だが、そうではなかった。その背景に「日米同盟」という決して金に兌換されない紙屑並みの相互依頼心がバーチャル
に鎮座していた。ああ、それこそを嗤うべし。
* では日本は今どうすればいいのか。わたしにその名案があるわけでない。どのような案を、策を、用いるにせよ国民にほぼ一致の危機感と、立ち向かう政治
家に、宰相・大臣に、聡明な大勇猛心が、迂遠なようでも人間愛が、なければお話にならないし、そういう点に希望をもつには、今の小泉や安倍のタイプはサマ
にもならない。
そもそも安倍総理の理想とはナニぞや。あの岸信介を尊敬してその憲法改正の遺志を継ぐのだと。
岸信介がなにものであったか。国民の全てに悲惨と苦悶を強いた戦時経済の酷薄な謀略者だったではないか。あの戦時内閣の戦犯閣僚たる行跡から、もう一度
も二度もわれわれは安倍総理の顔をしっかと睨みつつ彼の祖父のこと思い起こさねば。
「岸を倒せ」の国民的な叫びの前に倒された岸総理が幻想したのは、永世の日米安全保障条約」であったが、その名の下にいかに「アメリカ」は背信と高慢と
強欲を繰り返し、引きずられて日本政府がどれほど繰り返し国民を愚弄するウソを塗り重ねてきたか、われわれは忘れたわけではない。
一にも二にも「アメリカ」依存の幻影に過ぎない国策を国民に押し被せておいて、今日の極東の孤立への道をつけたのが、平和憲法を憎悪していたであろう戦
犯宰相の岸信介であった。安倍総理はその孫としてその祖父の「跡を継ぐ」と繰り返し公言してやまない。推して知らねばならない。
* 湖の本通算九十巻の「あとがき」を書き終えた。今日メールで入稿しておく。
明日は「ペン電子文藝館」の委員会がめずらしく夕刻四時半から。
☆ Yuja Wang 雄 ハーバード
日記は毎日1回の更新と決めているが,興奮が冷めぬうちにと思って,今日は2回更新することにした.
先ほどシンフォニーホールから戻ってきたが,Yuja Wangのピアノに全て持っていかれたといっても過言でない演奏会だった.
曲目はリムスキー=コルサコフのRussian Easter
Overtureと、リムスキー=コルサコフの弟子に当たるストラヴィンスキーの交響曲ハ長調.休憩を挟んで、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番とい
うことで,みなロシアプログラムだった.
アルゲリッチが演奏するはずだったのはベートーベンのピアノ協奏曲第一番だったが,キャンセルに伴い,演目も変わった.プログラムによればキャンセルの
理由は病気とのことだ.心配である.
やはりキャンセルの影響か,空席が多い.僕の隣も空席だった.これは僕にとってラッキーだったが.
休憩前の演目に関しては,正直,もう帰ろうかと思ったほどだった.
ボストン交響楽団の演奏はいつもどおり素晴らしいし,指揮者のデュトワにも何の問題もない。だが,リムスキー=コルサコフの曲はまだしも,ストラヴィン
スキーの交響曲はさっぱりだった.何故これが作品として上演に値するのか,良く理解できなかった.現代音楽に僕が疎いせいかもしれない.
休憩を挟んで,いよいよYuja Wangの登場.
浅葱色の美しいドレス姿で登場したYuja
Wangは,いかにもアメリカ人が好みそうなタイプの美しいアジア女性で,まだ二十歳あどけなさが残っている.胸に手をあて,深々とお辞儀をしてから椅子
に座った.
演奏に入ると,しかし、信じられない度胸の持ち主で,すっかりホールの人々をとりこにしてしまった.難癖をつけると,ちょっと耽溺しすぎるためにリズム
にばらつきが生じ,オーケストラやデュトワは合わせづらそうだった.しかしこれは,この曲の抱える構造的な欠陥によるところも大きいと思うので,あまり責
めることはできない.
実際のところ,僕はチャイコフスキーのピアノ協奏曲があまり好きではない.なんといっても第一楽章が長すぎる.しかも冗長という感じの長さであって,ピ
アノとオーケストラの連携も,いまひとつ決まりにくい.作曲直後に,ニコライ・ルービンシュタインに演奏を拒否されたのも,分からないでもない.
この構造上の欠陥を打破する方法は,「超スピード演奏」しか無いように思う.ホロヴィッツ(ピアノ)、トスカニーニ指揮、NBC交響楽団(RCA、
1941年5月、モノラル)の録音が残っているが,この演奏は,特に第3楽章は火がついたように熱狂的な演奏で,僕はこの演奏だけは好んで聴いている.
今日のYuja
Wangの演奏は,ここまでとは言わないが,やはり第3楽章の盛り上げ方はすさまじかった.曲が終わると同時に,皆一斉に立ち上がって,歓声を上げて拍手
したほどだ.僕もたまらず立ち上がって拍手した.
弾き終えたYuja
Wangは,また元のあどけない少女に戻って,何度も深々と,胸に手を当ててお辞儀をしていた.オーケストラの人々も暖かい目で彼女を見ていた.
それにしても,すばらしい二十歳がいたものだ.演奏の造型が今ひとつではあるが,各所に見られるテクニックは並外れているし,ピアノの音もとても美し
い.盛り上げる場所でのボルテージの高さは桁はずれている.
嫌らしいことを言うと,こういう中国からのスターが出る背景には,中国という巨大な「マーケット」を意識したものがあると思う.かつての小澤征爾が日本
のマーケットをターゲットとして売り出されたように.
しかし,良い演奏さえすれば,そんなことは関係ない.是非これからも活躍してほしい.今後が楽しみなピアニストだった.
* 東工大の日々が嬉しかったのは、こういう学生がたくさんいて、思いがけず話題の広がることであった。それに対し、教授陣の内懐はかなり貧相で、カラオ
ケ自慢が関の山かとよくガッカリした。卒業生の結婚式や披露宴に十回ほど招かれていったが、専攻学の先生をまったく招かない卒業生が何人もいた。驚いた。
* 昨日、今日、興に惹かれ二度まで同じノーマン・ジュイソン監督の『月の輝く夜に』を観た。主演はシエールそしてなんとニコラス・ケージ。映画の魅力
は、観て分かってもらうしかないが、こんなに洒落ておもしろい傑作はそうそう無い。
シエールという女優の品の良い底知れないコケットリーの魅力に参った。好演などというものでない、演じられた役とはとても思われないリアリティの確か
さ、美しさ。いつもやんちゃ坊主のニコラス・ケイジが無我夢中にシエールの女に吶喊していた。
二人だけの映画ではない、一家四人に犬も五匹。そしてロレッタに求婚する兄と弟も、ロレッタの両親も、親族も、誰も誰も適材適所。余裕綽々、緻密に艶冶
に流れるように。敬服し嘆賞し楽しんだ。
映画ってほんとうに面白い。
☆ 春の坂道 雀
今年の若草山山焼きは、台風なみの荒天のため順延となりましたが、翌日は嘘のような晴天で、月ケ瀬→忍辱山円成寺→柳生町→奈良市丹生町→山添村鍋倉渓
→山添村と、名張市にまたがる鵜山地区(島ケ原修正会の鵜宮、ひいてはお水取りとの関聯があるようです)とを、めぐってみました。岩と能のたびでした。勧
請縄と仏像が印象に残りました。
明治時代、村をあげて神道に改宗した十津川村同様、熱い思いをもつ丹生町は真言宗から神道に改宗したそうで、集落には、「旧国宝」と彫られた石柱が鳥居
脇に立つ丹生神社がありました。祭神は罔象女と植山媛で、一柱は、お伊勢さんが大嫌い、神楽が嫌い、獅子舞の翌日は必ず雨を降らすという禁祭神で、ここに
は祭礼がありません。
カグツチを生んで床に臥したイザナミの屎から生まれたのがハニヤスヒメ、尿から生まれたのがミヅハノメとワクムスビでしたね。植山って、埴山ではないか
かしら。
柳生一族に親しみや興味がなく、紹介記事にいつも「平安時代の庭園、運慶作大日如来坐像」と書かれている円成寺にそれほどひかれていなかったこともあっ
て、物見や見仏には疎遠でした。
ところが円成寺へ伺って初めて、もともとのご本尊は十一面観音で、今も三体が堂内に安置されていると分かり、欣喜。さらに、電灯で照らす不粋な方法をと
らず、しかも仏像のよく見えるように工夫されているのには、仏像と同じくらい感動し、陰陽を表わした勧請縄が注連縄というのも興味深く見ました。
杉木立の中にひっそりと立つ古い十三重石塔は、於美阿志神社と同質同型だそうですし、石仏、石碑、石塔のなんと豊かなこと。お寺によると墓地はさながら
墓碑の展覧場とか…。
また、丹生神社拝殿は茅葺きの能舞台で、ほかに何か所か回ったうち、拝殿が茅葺きの能舞台になっている社を、幾宇も見ました。題目立が残っていて、今も
奉納が続けられ、ある社では室町時代の能面を六枚所蔵しているとか。このあたりも金春流能楽源流の地といってよろしいのでしょう。景色の好さとすこやか
さ、和やかでのびやかな集落の景気、お社と拝殿の能舞台に吹く風が、民俗芸能という実感をもたらしました。
山添村の鍋倉渓や岩屋桝型岩、柳生の一刀岩。岩がご神体の神社や戸隠神社も目につきます。観光地図に名が出ているお寺に行ってみると、たいてい古い層塔
や石仏がありました。玄ボウの開いた福智院の本拠、下狭川町から阪原への古い道路などは岩がごろごろひしめきあう渓流と、落石注意の岩膚にはさまれた軽自
一台がかつかつという狭くうねうねとした道で、北は笠置山、西は岩船・当尾という地理をのみこみました。
ところで「当尾」は「撓野」、天理にある「桃尾」にも通ずる名付け、とか。そう聞いて、いっぺんに両方を憶えました。 囀雀
* 円成寺は、懐かしい。雀さんに手をひいてもらい、脳裏の旅を楽しんでいる。
「当尾」とあるのが、この私の、実の父方の里である。父の生まれた吉岡家は一帯の大庄屋だった。父の母は柳生から嫁いできた人とか。
当尾の里には、人にも廣く知られた磨崖の石仏群があり、近くに岩船寺や九体寺=浄瑠璃寺などがある。わたしが大人になってからただ一度吉岡家を訪れたと
き、当時府立木津高校の校長先生をしていた叔父は、学校から急ぎ帰宅して、わたしをその二つのお寺や石仏や、父の墓などへ案内してくれた。
わたしの印象そして考えでは、「当尾(とうの=とうのお)」は、奈良の都の東北にやや遠く位置した「遠野」の意味ではないかと。
「野」は、日本の各地で人の果てて行逝く奥津城の意味を多く帯びており、「遠野物語」のあの遠野とかよいあう現世の他界的な明浄処なのではなかったろう
か。
☆ 明日から三日間 雀
天満天神繁昌亭の夜席で、「四代目桂文枝追悼」の興行が行なわれるそうです。
NHKで、まだ小文枝時代の「百年目」(平成3年8月放送)を放映していました。「廓丹前」になさる以前の出囃子で高座にお出になるのを、雀は初めて拝
見しました。
彼岸の天王寺、大川の花見、伏見の三十石船、天神祭の花火…(哀惜のあまり=)橿原より西に行けないまま、はや丸二年が経ちます。
* 落語の文枝の、雀さんは熱心な賛美者であった。文楽の或る人形遣いにも親しんでいた。文枝は佳い咄家であった。秦の父に面影がにていて、父を懐かしむ
ように文枝のはなし、聴いたものだ。
* 三月十二日 月
* 六時前にめざめ、床のなかで『宇宙誌』『世界の歴史
明国の経済』『ドン・キホーテ』『旧約聖書 列王記』そして英語の『イルスの竪琴』を読み進んだ。
「鳶」に送ってもらった『宇宙誌』は、湯川博士の中間子発見から語り始められている。偉大な自然科学のむしろ現代・未来像のようであり、記述は明瞭で冗
漫でなく、おもしろい。こういうのを読んでいると、しょうもない身の憂さなんか忘れてしまえますと「鳶」はメールに。そうかもしれない。が、読めるか知ら
んとしばらく放ってあったが、読み出すとじつに興味深い。
ニュートリノの研究でノーベル賞を受けた博士と、山の上ホテルのパーティで椅子に並んでおしゃべりしたなあと思い出す。いま、そのニュートリノの発見や
クオークの発見と理解などを、本に教わっている。
明の経済発展は、都市の展開と農村のマニュファクチュアルな発展が結びつき、大資本の「客商」や地場の「土商」たちが、隋王朝以来の大遺産である四通八
達の運河網を利して、多彩な物産を運輸・拡販してゆく。
日本人は、聖徳太子と小野妹子との遣隋使で隋にまず触れるが、一般には評判の悪いごく短期の隋国ながら、言語道断に大規模な運河をあの廣い国土に通しに
通しまくったいわば帝王の道楽が、今世紀にいたってなお中国経済への計り知れない遺産としてモノを言い続けていること。歴史の面白さである。
運河は、道。道は、不思議な文化だと思う。古代は絹の道、近代は海の道に多くを負うた。「道」は、不思議な生き物だ。
ドン・キホーテは、崇拝かぎりない彼の「ドゥルシネーア姫」のすばらしさを、まこと簡潔に美しく旅の道連れ相手に語っていた。荘子の夢に見た蝶を連想し
た。
さて王「ダビデ」はついに死に、いよいよ「ソロモン王」のときとはなった。ま、それにしても「粛清」の次から次へ相次いで、それがみなエホバの意思に出
ていることは。
* ヘドのモルゴンは遙かなるエーレンスター山をめざし、豪雪の深林にいましも垂死のていで立ち往生している。ヴェスタと呼ばれる巨大な鹿がいまあらわれ
て、凍えたモルゴンにふと顔をよせてきた。
* 早朝に読んで、深夜ははやく睡魔に身を任せる方がからだにも眼にもいいだろう。
* 音読している『太平記』は、いましも新田義貞の義兵に攻め込まれた鎌倉幕府潰滅のとき。血みどろの死闘のさなか、最期の執権北条高時入道の側近の武将
と一党とが、相次いで凄絶に討死し、また枕ならべて壮烈に割腹死を遂げて行く。
太平記の合戦の描写はあまりに華麗に残酷ではあるが、感銘も深い。
この本、音読していてつぎへつぎへと興を惹かれつづけるけれど、「黙読」ではこの大量の装飾文は読み切れないかもしれない。何度もこころみては結局拾い
読みで退散してきた太平記を、「音読・朗読」のゆえに、きっと最後まで楽しんで読み切れるだろうという気が、今、している。
☆ 即物化する日本 ハーバード 雄
今日からdaylight
savingになった.いわゆる「夏時間」で,時計の針を一時間だけ進める.夜型人間の僕には,朝起きるのが一時間早まったことになるので大変辛い.日本
との時差の計算も,今までは十四時間であったが,今日から十三時間となった.従って,今まではこちらの時刻に「2」を加えて,午前と午後を入れ替えていた
が,今日からは「1」を加えることとなる.慣れるまで少し時間がかかりそうだ.
さて,ここ最近の日記では,アメリカ文化は極めて即物的であり,「数値化」された,分かりやすいものが好まれるという話を書いた.
今日はこのことについて,最近僕が思うことを、もう少し詳しく書きたいと思う.
良く,戦後の日本をダメにしたものとして
GHQの3S(Sports,Sex,Screen)政策が挙げられるが,「3S」こそ、まさに「アメリカ文化そのもの」ではないか,と最近僕は良く思
う.つまりGHQは日本をスポイルしたかったのではなく,単に自国の文化を押し付けたかっただけなのではないか,と.
SportsとScreenは言うまでもないが,残りの一つに関して,最近特にそれを感じる.
JCやコーリーは盛んに、「ガールフレンドを作らないのか」と僕に言う.ラボの女性の名前を挙げては,彼女はどうだとか言う.以前にもこれと同じ話を書
いて,僕の好みはアメリカ人には全く受け入れられなかったと書いたが,結局のところ,アメリカ人の好む女性というのは,スリーサイズで端的に分かるような
タイプであるらしい.
例としては,先日フロリダで変死したアンナ・ニコル・スミスのようなタイプといったらよいだろうか.あの事件はアメリカでは連日うんざりするほど放送さ
れていた.彼女は「プレイボーイ」誌の元プレイメイトで,豊胸手術を受け,金持ちの老人とまんまと結婚し,莫大な遺産を引き継いだが,最近,謎の死を遂げ
た.彼女の遺産を誰が相続するのかという問題もあって世の関心を引いたのだろうが,豊胸手術を受けた後の彼女の写真は,まさに彼等が好みそうなタイプだと
思う.そしてそうした好みはそのままそっくりセックスに結びついているようだ.異性のタイプはそのまま,いかに良いセックスができるかということであるら
しい.
勿論,そんなことは女性の前では言わない.「愛」が大事だとアメリカ人は良く口にするし,実際,愛し合っていることを不必要なほど人前でもアピールす
る.しかし腹の中はそんなところであるように思う.どおりで離婚率が高いのも頷ける.
昔,「建前と本音」は日本の文化だと習った記憶があるが,あれは間違いだ.欧米人こそ,建前と本音を巧妙に使い分ける.
誤解の無いように書いておくが,僕は別にアメリカ文化を否定している訳ではない.そういう文化を持つ国があっても別に構わないし,そうした文化を好む人
がいても,それはその人の嗜好であって,何ら責められるべきではない.それに,ここで書いているのはアメリカの文化の一面に過ぎず,評価できる点も決して
少なくない.それらについては今後,折に触れて日記で書いていきたいと思う.
問題は,そういう文化が他国にもさかんに輸出されており,日本はその最有力候補になっているということだ.
日本には日本独自の,繊細で機微に富んだ文化があったと僕は思う.そして,それは守られるべき文化だったと思う.しかし,それが次第に姿を消しつつあ
る.
先ほどアメリカではスリーサイズで女性の容姿を評価すると言ったが,最近の日本のテレビを見ている限り,決して他人のことは言えない.ホリエモンのよう
に「全てのものは金で買える」と言うのは,まさにアメリカ文化の悪い部分をそっくりそのまま受け売りしているように見受けられるが,今の日本ならば,あな
がち外れてはいないかもしれない.
実際,多くの人がホリエモンに取り入り,時代の寵児としてもてはやした.今にして思えば,ホリエモンの有り様は「グレート・ギャッツビー」と重なるもの
がある.
全く個人的な意見だが,こういう即物的な文化の有り様は,食べ物一つをとっても良く分かる気がする.朝,鶏のえさのようなシリアルを食べ,昼食はサンド
イッチかハンバーガー,ピザをダイエットコークで押し込む.そんなアメリカ人が即物的になることには,何の疑問も感じない.
同様に,コンビニ弁当をペットボトルのお茶で流し込み,夜中にカップラーメンをすする日本人が即物的になっても,それは致し方ないような気がする.さら
に加えて,欧米の表面的な真似だけをして,「ゆとり教育」などという名のもとに若者をどんどん勉強から遠ざけてしまった.資源の無い日本にとって,人材こ
そが唯一の資源であり,そのために教育が果たしてきた役割は大きいというのに,だ.
最近良く感じるのは,アメリカに移る前も,ボストンに来てからも,多くの若者に生気が感じられない.目が死んでいる.彼等が聞いたら腹を立てるだろう
が,すっかりスポイルされてしまっているように思う.アメリカに来て日本人と友達になりたいでしょう,と言う人もいるが,彼等と親しくなりたいとは,残念
ながら僕には思えない.
それに,確かに平均的なアメリカ人は日本人と比べて働かないかもしれないが,アメリカのエリートは本当に働く.そのモチベーションが例え浅薄なものだと
しても,実に良く働く.
騙されてはいけない.未だに「日本人はモノを作るにも,何にでも優れている」と思っている日本人は多いだろうが,それは日本人の驕りだ.かつて日本人は
努力したから繁栄したのだ.努力を怠れば凋落するのは当たり前だ.
加えて,国立大学の独立法人化は正に暴挙だと僕は思っている.構造改革などという名の下に,教育・研究という,日本が削ってはいけないものを削ってし
まった.大学を国がサポートすることをやめ,一時的に表面上の景気「指数」を上向けにしたところで,それが将来,一体どれだけの損失につながることか.独
立法人化してから,旧国立大学や研究所がどれだけ研究しにくい場となったことか.教授達は、大学の運営に今まで以上に多くの時間を割くはめになった.研究
の方向性についてもいちいち,それが将来何の役に立つのかを訴えなければ研究が継続困難な状況となっている.基礎学問が廃れ,応用ばかりがもてはやされる
ようになっている.
慶應義塾出身の小泉純一郎には,国立大学など何の必要性も感じなかったのかもしれない.竹中平蔵は一橋大学の出身らしいが,彼も慶應の教授を長年やって
いる.彼らは、慶應が日本のハーバードになれば良いとでも思っているのかもしれない.いずれにせよ,彼等はアメリカ型の「分かりやすい」格差社会を日本に
持ち込みたかったのであって,「痛みをともなう」などと言っても,結局痛い思いをするのは非富裕層だけだ.小泉や竹中はちっとも痛い思いなどしていない.
僕は「日本」が好きだ.今はアメリカで研究をしているが,いずれは日本に戻って研究を続けたいと思っている.しかし,日本を離れ,アメリカという比較対
象を得たことによって,今,はっきりと,日本の抱えている問題が見えるようになってきたように思う.何とかしないと「日本」はなくなってしまうかもしれな
い.日本に戻った時に,「日本」はもう無いかもしれない.
室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」という詩を思い出した.
* わたしは東工大の学生諸君に、毎時間かならず難問を呈し、わたし宛てに「あいさつ」を返させた。それで「評価」した。
卒業後もわたし宛に「あいさつ」を送ってくる人がときどきあり、それらはさすがに社会に出た彼や彼女らの充実を伝えてきた。
今日この「雄」くんの決然とした「あいさつ」はわたしを喜ばせる。現代の日本とアメリカとをとらえて、的確にわたしの思いに、実感に多く重なり合ってく
る。だが、結論を急ぐまい。
それよりも、もし可能なら他の卒業生たちの呼応・賛否や批評・批判の「あいさつ」が聴きたいものだ。
ポーランドの柳君、国交省の丸山君、特許庁の上尾君、竹下君、三井化学の子松君、富士通の林君、スペイン通の河村君、NTTの田中君、サンケイグループ
の井筒君、博士になった古沢君、関口君、中野君、小川君、海外青年協力隊に鹿島立ちした布谷君、千葉県警の降旗君、塾講師でがんばっている西山君、トヨタ
の両角君等々、諸君はいま日本と世界とをどう観ているのか。
またバルセロナの岩見さん、母校や東大で博士として研究を続けている為我井さん、川口さん、IBMの道本さん東芝の富松さん、旭硝子の國峯さん、都文研
の早川さん、日経の白澤さん、日建の宗高さん、主婦の堂免さん、和田さん、小川さん、藝大油絵に再入学した折戸さん等々、あなた方はいま日本と世界とをど
う観ているのか、と。
* 四時半からの「ペン電子文藝館」委員会は手短に終わった。城塚朋和委員長の辞意が告げられ、大原雄新委員長を委員会推挙した。ついでというのもナンだ
が、先行きもし可能ならわたしも委員会を退きたいという希望を言い置いてきた。
* 夕食にクラブへ向かったが、途中気が変わり、中華料理の小店に入り、ささやかな料理と紹興酒とで、ゆっくり露伴に読みふけってきた。家を出るときわざ
わざ書架から引き抜いた来た。もう三十年ぶりぐらいの再読ながら、内容は熟知していて、それでも新鮮で、文学・文体・文章の生彩に惹かれ、面白くて面白く
て、往きの電車からもうわくわくし、委員会が早く果てるととにかく続きを読みたかった。クラブよりもその店の方が明るくて静かなこと、料理もひと味すぐれ
ていることを前に一度入って心得ていた。紹興酒も飲みたかった。
帰りの西武線は立ったままの満員だったが、その中でも読みやめられず、露伴の妙に浮かされたようであった。久々に文章の夢を観るかも知れない。鴎外の
『渋江抽斎』と露伴の此の作とは読んだ夜中に文章を夢見た記憶がある。幸せな体験だ。
☆ 梅の花びら 雀
紅梅が咲き白梅が咲きこぼれ、花びらか雪かという按配です。お風邪などお召しになりませんように。
先週は五月、今週は一月…そんな気候の変わり方が3月らしいといえばらしいのですが、
「もすこし、なみに、おたのもうします」
と天に祈る心地でいます。
今日はお水取り。
NHK関西で、昭和六十二年撮影・放送の「NHK特集‐奈良・お水取り」が再放送されました。
奈良国博「お水取り展」で見たあれこれが、実際に使われているところ、伊賀市島ケ原の達陀を見物した経験、得た知識と映像とが結び付いて、おもしろく見
ました。奈良で発行されている月刊誌「大和路ならら」で、この行を支える人々(世襲の職も多い)を知ったことで、隅にちらと映る物事や動きに歌舞伎座のベ
テラン大道具方や黒衣の役者連中の動きを思い出しもして、見おわって、
「やっぱり(先代の)松緑さんはスゴいわ」
とため息をつきました。
雀にとって、お水送りを含めた神事がほとんど取り上げられていなかったのは不満でしたが、松明など火はなにより強く人の目と心をひきますから、火と闇の
映像が多く使われるのは仕方がないことでしょう。お水取りはたった一度、しかも夜中の一時過ぎに行なわれ、カメラ厳禁なのですから。
「お水取りといっても火の祭りなんですね」
といわれるというのも、もっともなことです。
お堂に登る練行衆の足元を照らす明かりでしかなかった“お松明”。
西面している二月堂の、北と南に出仕口があり、北に入る人を先導した松明を、そのまま消さずに南から入る人の足元を照らすため舞台を回っていたそうです
ね。のちに南の出仕口から入らなくなったので、舞台を回る必要がなくなり、四職の松明は北出仕口で消されていたそうです。
それが見物人の要望で松明をすべて舞台に上げ、さらには巨大化がすすみ、振り回すといった、いうたらショーアップが進んできたというのですよ。
何に対しても、昔からそうだった、昔からこうしてきた、在ったと思っていたら、いけない。
もう何度目になるかしら、また肝に命じた雀です。
ふだんはオール電化で、お休みの日にアウトドア・バーベキューをするオカシな火とのつきあい方を現代はしていますでしょう。たき火の明かりで見る梅は、
花びらだけが浮き上がって見え、燈のもとでは神名帳に書き入れられた朱が消えてしまう。敦煌の石窟壁画もライトアップでなく燈で照らさないと描かれた本当
の姿がわからないのではないかというはなしに、「灯ともしごろ」という言葉とともにすっかり「ともし」の感覚を失っていることを知らされました。 囀雀
* 気持ちが、しっとり静まる。
* 三月十三日 火
* 太宰賞がきまった一九六九年の六月十九日の桜桃忌は、わたしの二度目の誕生日になった。あれから一月も経つか経たぬかアポロ十三号が月へ往き、月から
生還した。人類の世界史を大きく区切る大事件で、歴史は、少なくも二十世紀は、それ以前とそれ以後に、截然と切り離された観があった。二十世紀は、遅くも
アポロ13号までで果ててしまい、一九七十年以降は科学の発達を目盛りにみれば、すでに別の新世紀、二十世紀「以降」に推移していた。
十九世紀末から二十世紀の半ばまでに、科学の歴史は、過去の全部を遙かに倍々する発達を遂げ、しかし、遅くもアポロ13号以降は、さらに驚異的に、ほと
んど信じられないほど科学的成果を積み上げた。それ自体がじつは人類の現在未来の安寧や幸福をおびやかし地球と人類との破滅の臭気をすらもたらしかけてい
ると、心あるものなら誰もが深い危惧におびえている。楽天的に未来を仰望することはもう許されていないのではないかと。許されていない、と。
* そういう時代・時勢に、文学・藝術とは何でありうるか。創作とは何でありえて、どう表現され享受されるのか。
☆ 三月十日 笠 e-OLD
東京大空襲だった。やめにしようと思ったが書いておくことにした。空襲は東京だけではなかったし、今も戦争は起きている。その時は、縁故疎開をしていた
ので自分たちは助かったが、近所の人たちも、親戚の人たちも、死んだ。
空襲の十日くらい後に、母親は焼けた浅草へ兄と私と妹を連れて行った。国民学校六・四・二年生だった。神奈川県の西端の田舎から東京まで汽車に乗った。
4人分の切符を手に入れるのは容易ではなかった筈である。汽車の中で母は何度も般若心経を唱えていた。御徒町の駅からだったか、果てもなく黒い地面を妹の
手を引いて歩いた。やっと着いた家の跡もただ真っ黒なだけで何もなかった。
父は徴用、長兄と次兄は海軍だった。母が何故それほどまでして焼跡を見せに連れて行ったのかよくは分からなかったが、残った三人の子供たちに何か覚悟を
させようとしたらしい雰囲気は感じた。きっと自分にも。
それから間もなくして母は、自分の帯で軍刀の袋を二つ作り、遠い兄たちの所へ届けに出かけた。幾日か子供三人でじっと留守番をした。
* B29の空飛ぶ轟音を、戦災にほとんど遭わなかった京都育ちのわたしでも憶えている。敗戦は一九四五年、わたしは数え歳十歳の国民学校三年生だった。
世界はもうすでに第一次世界大戦を体験し、第二次大戦の大空襲に日本中が呻き喘いでいた。その重爆撃機の威力のせいぜい三十数年前に、ライト兄弟はほんの
わずかな距離の試験飛行に、やっと成功していた。だがそれから数年も経つ経たぬうち、第一次世界大戦にすでに航空機は、戦闘機は近代戦争の相貌を根底から
変えようとするまで実用化していた。
それから半世紀も経ぬ間に人間はあの月へ飛び、また地球へ戻ってきたのだ。なんということだろう。
めずらしくもないことを事あらたにわたしは何を考え感じているのか。あわてて書くことではない、ただ驚いている、しんから。
小説家としての二度目の誕生日をそんな機にわたしは迎えたということ。それを考え感じて、真実驚いている
* そんな折に、親鸞仏教センターはわたしに、かなりな量の原稿依頼をしてきた。引き受けた。何か、一つの機会にしてみたい。
* 新しい小説の一つのための「ノート」を書き継いでいる。おもしろくなってきた。
☆ タラバガニと電気生理学とハコフグと 雄 ハーバード大
昼食は久々に自作の弁当.昨日,Whole Foods Marketというスーパーマーケットに行ってきて,大量に食料を買い込んで来た.
このスーパーの生鮮食品は質が良いと評判だったので,前から行ってみたかったが,徒歩では無理だった.昨日,ようやく念願かなって車で行ってきた.車で
ならば,どうという距離ではない.
こちらに来て,スーパーマーケットの野菜の品質の悪さにびっくりしていたのだが,このWhole Foods
Marketの野菜は瑞々しく新鮮.鮮魚コーナーにも足を運んだが,生で食べられそうな鮪の切り身なども置いてあったので,思わず衝動買いする.タラバガ
ニも置いてあった.英語ではking crabというらしい.
ちなみに,意外に知られていない事実だが,タラバガニは、カニの仲間ではなく,分類学上はヤドカリの仲間である.きちんと脚を見れば分かるのだが,カニ
には左右に4対の脚があるが,タラバガニは3対である.
もっとも僕のような独身かつ貧乏な人間は,タラバガニ一杯を目にする機会は皆無だし,仮にあったとしても食い気が先行してしまうので,観察している余裕
はない.
さらに付け加えると,実はタラバガニにも,もう一対,脚はある。だが非常に小さくて鰓の中に入っており,鰓を掃除する役割を担っている.腹を見ると,カ
ニは左右対称だが,タラバは左右非対称で,これはヤドカリ類の特徴の一つである.さらに,カニは基本的に横歩きであるが,タラバは縦方向に移動できる.
それはさておき,新鮮な鮪を買って刺身にしようと思い,念のため「これは生でも食べられるよね」と聞いたら、「ダメだよ,焼かなきゃ」.
残念だが,仕方ないので,ヅケにしておいて今朝焼いて弁当に詰めた.他にもアスパラガスと椎茸をバター炒めにしたのだが,アスパラガスがシャキっとして
いて美味だった.確かに他のスーパーより値は張るが,やめられそうにない.
午後,ボスとコーリーの3人でミーティング。今回は、自分が中心となって話せたと思う.
今後の方針としては,かなり大掛かりな方針転換をすることとなった.といっても研究の目的は当初と変わらず,手法が今までと大分異なり,電気生理学的な
手法を用いたアプローチも取り入れることになった.
実は,アメリカに来る前に所属していた研究室には,電気生理学がやりたくて移籍したのだが,いざ移ってみたら全然関係ないことをやらされた.僕自身の興
味を追究するという意味では,全くの回り道だった.
その後,電気生理学的なアプローチは諦めて,別のアプローチから同じテーマに迫ろうとして現在のアメリカの研究室に移ったのだが,皮肉にも,以前やりた
かった電気生理の実験をすることとなった.僕には電気生理の知識や経験が充分ではないだけに不安はあるが,やりたかったことなので楽しみでもある.
もっとも,電気生理学実験はごく一部であって,光学的手法をメインにすることには変わりない.来る前に僕が提案していた実験のこともボスは良く憶えてい
て下さって,「そろそろこっちの方向からのアプローチも本格的に考えよう」と言って下さった.このラボにはまだ無い手法なので,他所に行って教わる必要が
あるが,それに関しても良さそうな候補を挙げてくださった.
僕のテーマは,このラボの主流からすると,やや外れている.それでもこれだけ親身になって,色々とアドバイスを下さるということに,とても感激した.実
際に手を動かして実験するのを辞めてから大分経っているはずだが,アドバイスの一つ一つが実体験に基づいていて,非常に説得力がある.やることは山積みだ
が,また頑張ろうという気になった.
帰りはポータースクエアまで歩いてKotobukiyaで少し買い物.韓国料理のchochoという店に入ってプルゴギ定食を食べたが,なかなか美味し
かった.最近プルゴギが食べたかったので行ったのだが,満足した.
店の前には大きな水槽が置いてあって,ハコフグやナンヨウハギ,カクレクマノミなどが泳いでいる.
実は,アメリカに来る1年程前から,僕はカクレクマノミをペットとして飼っていた.アメリカに移るに当たって,他の人に委ねてきたのだが,なんだか懐か
しい気分になった.
水槽の大きさはかなり大きい.僕が使っていた水槽は縦横30センチの立方体型の小さなものだったが,それでも水量は10リットルにもなる.これだけの水
槽ともなれば相当な重さだろうし,値段もかなりのものだろう.
店を出る際に店員さんに聞いたら,これはリースの水槽らしく,専門家が手入れしているらしい.どおりで綺麗だと思った.魚の種類も豊富だし,それらを共
存させるのは,かなり難しいはずだ.
店を出る前に水槽の前で立ち止まったら,人懐っこいハコフグが僕の方に寄って来てくれた.また来ようと思う.
* 四十八年という歳月が過ぎていった。
三月十四日、総務課長の野田さんと同期入社の山本誠君に「証人」署名をもらい、新宿区役所に、妻と二人で結婚届をしに行った。その足で荻窪の妻の伯父さ
んの家に行き、座敷の上座に妻と並んで据えられ、妻の親類一同にあいさつをし、食事をご馳走になった。それが、ま、お世話になりっぱなし妻方への、結婚披
露宴であった。その晩その座敷で床をならべて寝た。伯父さん夫妻、叔父さん、妻の兄など、もう早くに亡くなった。
* 妻は心臓がよわく、わたしは糖尿病。ウソにも元気旺盛とは言えないが、「一病息災」にじょうずに甘えながら生き延びて行きたい。妻の健康を心より第一
に願っている。
病院がもう少し適切な健康指導をしてくれるといいのだがな。
わたしは我が儘な飲み食い以外は、健康には注意しているのだが、糖尿には何よりその我が儘な飲み食いがいかんというのであるから、生きにくいよ。
* あすは歌舞伎座、名作『義経千本桜』の通しを、今回は二日に分けて観る。幸四郎の渡海屋銀平じつは知盛、仁左衛門のいがみの権太、菊五郎の狐忠信。我
當も梶原平三景時で、大きい姿を見せるだろう。
* 碁は、半ばのレベル5まであげて、まだ、一方的に千目以上も勝ち続けている。
* 三月十四日 水 結婚記念日
* よそやとせ(四十八年)あゆみあゆみて今朝の晴れに風光るとは妻がことばぞ 恒平
* 二人で赤飯を祝った。健康に、怪我なくと。新しい創作が日一日ふくらんで行くのも願おう。旧臘新調の服を着て、体力をいたわりながら歌舞伎座に。老境
に、過ぎたるこれが楽しみ。
* 胴体着陸を名人藝を想わせる確かさで成功してくれた若き機長に、感謝。その一方、巨鯨に構って命をうしなった漁師も。世の中、一通りではない。
国会では、いやしくもいやしい厚顔無恥な松岡大臣の居直りと誤魔化し。それを許容し涼しい顔の安倍総理大臣。日本の政治は、あまりにいつもいつも一通り
に、軽率で醜悪。
何が「適切」なものか!!
* 歌舞伎座は通し狂言『義経千本桜』の、今日は昼の部。六列目中央の絶好席、しかも我々の一列真ん前の二席が終始空席とは。感謝感謝。
夜の部は別の日に。
* 開幕の『鳥居前』は大きくは盛り上がらなかった。梅玉の義経が猫背でのっそり立ち、老けた桃太郎のよう。四天王(松江、男女蔵、亀三郎、亀寿)が若々
しく揃って、まずまず、助けられた。福助の静は絵に描いたような赤姫で可も無し不可も無し、では、福助にしてはよろしからず。
左団次の弁慶もこの場では気の毒千万な出方で、笑うに笑えない。忠信の花道への出からは音羽屋が、菊五郎が、若々しく舞台を保ってくれて何とか落ち込ま
せなかったが、亀蔵の笹目忠太ひきいる軍兵どもの、忠信に迫るも終われるも、いまいち迫力もおかしみもなく、音羽屋の、花道狐六法のひきあげに拍手するの
が関の山であった。
* 「吉兆」雛祭りの献立は鯛の刺身はじめ、どの一品もけっこうで、一献白酒を振る舞ってくれてたら申し分なかったよと、マスターと笑ってきた。
* つづく『渡海屋』『大物浦』は高麗屋幸四郎の独擅場。渡海屋銀平は、今少し漁師っぽく、ざらっとくだけたまま芯が徹していいのかも知れない。「実は知
盛」腹の内の悲愴が「銀平」からもう出溢れている。大きく化けて知盛であらわれたとき、おおそうか、より、やっぱりな、と観客に思わせかねない。だがま
あ、あれが高麗屋の芝居なのだろう。
此処でも梅玉の義経、もう少し性根に工夫、所作に切れ味が欲しい。ぼやーと立ったままではないか。あれでは碇知盛も遣る瀬が有るまい。
山城屋の藤十郎さんは、せいいっぱいのきっちりした思い入れと歎きとで、出色のお乳の人であった。さすがになあと、やはりこの優の藝力に惹かれる。
渡海屋での相模五郎(歌六)はまだしも、大物浦注進はけっこう見せ所なのに冴えない。颯爽若侍にやってもらいたい、歌六はもうオジサンすぎて、この役の
ニンではない。入江丹蔵(高麗蔵)ですら、まずまずに演じたものの、颯爽も悲愴も感じさせ得ない。海老蔵や松緑ならビビビと来る役なのだが、客としては残
念。いっそ松江や亀寿にさせたかった。
それでもなお幸四郎の藝にピタリの碇知盛、さすがに大きく盛り上げて拍手が沸き上がる。劇作の妙も大きい。この場の左団次弁慶の花道は、まず締めくくっ
ていた。
* お定まりの「道行」は、なんと芝翫の静に狐忠信の菊五郎。まず当代では大顔合わせだが、芝翫がよくない。菊五郎に踊らせておいて静御前どころか露骨に
「芝翫」の顔で音羽屋の藝をまるで監督・品評しながら、表情も芝翫そのものという、名優には似合わぬ行儀悪さに呆れた。静御前が口をパクつかせたり曲げた
り、ときに声音をもらしたりして相手役を観ているというのは、客としては迷惑だ。菊五郎が抜群に踊りが巧いならそっちへ視線をあつめていれば済むが、あい
にく今の音羽屋は必ずしも踊り手ではない。
この舞台を、断然盛り返し盛り上げて劇場感覚を一つに統べたのは、松島屋片岡仁左衛門が、華麗に、選り抜きの花四天を従えた大馳走の「逸見藤太」だっ
た。これはおそらく初役か。じつに悠々綽々の道化芝居。完全に音羽屋と成駒屋とを食い囓って圧倒した。客はもうもう大喜び。妻も隣席でウハウハ笑い続けて
喜んでいた。これあるかなの仁の徳。なみの藤太だったらたいがい眠くなってしまう。
芝翫の静でなく、せめて福助であってほしかったが、松島屋にわれわれも救われたのである。ウオオオッと盛り上がった気分で歌舞伎座を出られた。
* 大物浦のあとの幕間に、高麗屋の奥さんに声かけられ、ロビーの雑踏でしばらにこにこ立ち話。染五郎のめずらかなカレンダーを貰った。
はねてからは「茜屋珈琲」で、今日もふるいつきたいような佳いカップで珈琲をのみ、マスターと歓談、劇界のうわさ話など聴く。
* 仏蘭西料理の「レカン」にちょうどまだ一時間の間があり、デパートの松屋へ入った。妻は新調したコートに似合うブローチを買い、わたしはたまたま開催
中の「シャガール展」で、無署名ながら刷りの佳いリトグラフを見つけて買った。愛蔵のダリ署名入りのリトグラフより小品だが、シャガールの美しい赤が引き
立っていて、気に入った。会期が過ぎたら家に届く。
「レカン」の晩餐はさすが。すっかり馴染んだ店の人たちが、飲み物にも食べ物にもデザートにもよく気を遣ってくれた。写真まで撮ってくれた。書きかけて
いる新しい小説のはなしなど妻としているうち、一番乗りだった店内がいつか満席にちかくなっていた。シェリーもワインもよかった。
銀座は落ち着く。
* 明日は日本ペンクラブの理事会。あと四月と五月と出れば、御用納めに。そう願いたい。
* 三月十五日 木
* 好天、血糖値85。空腹時血糖値は聖路加では125までなら許容されていて、110ぐらいまでが正常値。85は低いほどで、低血糖の方に寄っている。
☆ 先生の「私語」はよく読んでおります。最近で言うと、「行為はいい、行動はだめ」というのが引っかかっています。
昨年、松岡和子訳のシェイクスピア全集を沢山購入し、一なめしたところです。18年ぶりに読み直し、まさに「単刀直入」と言うにふさわしい、力強い物語
の運びに驚かされました。また、エリザベス朝時代に、こうも王を哂う作品の数々を作ることができた、その王朝の懐の深さ、圧倒的な力に興味が沸いていま
す。
一昨日、ちょっとズレますが、ツヴァイクの本(上巻のみ)を見つけ、キープしたばかりです。
仕事は、ここ二月、文字通り仕事して風呂入って寝るだけの日が増えています。
本は欠かさず読んでいます。読みっぱなしです。感想を書き留めておこうとおもいつつ、いつも寝てしまいます。消化しているのか、消費しているのか、わか
りません。
最近で言うと、丸谷才一の『女ざかり』がとても可笑しく、一気に読みました。
新聞社の女性論説委員がある社説を書いた途端、不自然な異動をさせられそうになった…と、一見、社会派かと思いきや、最後には総理官邸でかんざしをもら
う、という、人を食った筋書きが面白おかしく進み、しかもその中の寝物語で、日本論=日本は贈与国家である=という聞いたことのない論説が繰り広げられま
す。
その論説自体は、アニミズム信仰(モノに魂が宿る)を贈与という行為(魂の宿ったモノをあげて、もらう)に発展させたように感じました。
ただ、そういう論説よりも、様々な文体が駆使された(それでいて旧仮名使いにはこだわる)まさに文章のコメディという印象が強く残っています。
また、たまたま直前に、田中角栄に関する本を二冊ほど読んでいたので、ひときわ楽しめました。 森
* 「行為と行動」「感応と反応」などと微妙すぎる日本語になってバグワンのことばが伝えられるとき、わたしもとまどい、せめて原語が付記されていると有
りがたいと思う。
行為はいいが、という時、腹が空けば食う、それは自然な行為で、エゴの所為ではないと説明できる。空腹ではないのに食欲に任せて食う、それはエゴの働い
た行動で、自然な行為ではないと説明できる。この譬えは、わたしにはいつも耳が痛い。
藝術ないし創作行為にも及んでくる。力強く内側から膨れるように成ってくる創作と、遮二無二作りだしてゆく商売制作とは、異なる。差は在る。
夢中で「ペン電子文藝館」を立ち上げ、また充実させていたころのあのわたしの集中は、創作的な行為として自然だった。渇くので水をのみ、腹が空くので食
べていた。しかし名誉心や成功欲にかられて取り組めば、ただの虚しいモノになる。肩書や地位を肩書や地位と意識せず、任務や責任に自然に応じて務めるのは
自然な行為だが、実体に熱が失せていながら肩書や地位にものを言わせたがるのは、無用で不自然な行動だ。理事の名は受け取りながら理事会に全く出ず、理事
として働かないなら、それは貪る行動であろう。そんな己れ高しとしている人は、しかし、どこの世間にもいる。
わたしは東工大のとき、学部の教授会には、事実教授就任と定年退任のあいさつ以外にほとんど出なかった。その時間は学生たちとの面会にあてていた。肩書
きも地位もその方が内実を得たから。東工大の全学や学部の教授会でわたしの果たせる仕事は無にちかい。しかし学生とすごす時間には何かしら伝えることも逆
に与えられることも有って、満たされた。ためらいなくそっちの行為をえらび、あっちの行動は合法的な手続き、欠席通知を出しつづけて、遠慮した。
☆ 夏時間 ボストン 雄
今日は週に一度のプログレスレポート.担当は中国人学生のジュリュウ.用事があるとのことで開始が遅れると昨日連絡があった.おかげで遅めに起きても間
に合った.まだ夏時間に慣れない.
ジュリュウは抜群に数学ができる.今日はデータが何もないからといって、データ解析の話をしたのだが,大学以来久しぶりに行列・一次変換の計算をした.
数学は理解できるのだが,数学の専門用語を英語で何と言うのかが分からず,内容も生物学とはかけ離れていたため,聞いていて辛かった.コーリーなどはしび
れを切らせて,途中で逃げ出してしまった.
昼食後にようやく実験に取り掛かる.
ボスからの指示で,或る色素を試してみたのだが,意表をつく結果だったので驚く.本来の結果からすると失敗なのだが,もしかすると何かに使えるかもしれ
ない.
電気生理実験に関しては,意外にもJCがエキスパートであることが分かった.このラボに来る前は電気生理を専門としていたらしい.相談すると,「今ある
セットアップでできるから,すぐにでもできると思うよ.後で相談しよう」と言われる.みんなに話すと,「JCの英語を理解するところが一番大変そうだね」
と言われる.確かにその通りかもしれない.
7時少し前にラボを後にする.まだ外は明るい.先週までは5時台だったのだから当たり前だ.こんな時間に帰途につくのなんて,一体いつ以来だろう.嬉し
いような,ちょっと後ろめたいような.
まだ身体も頭も、夏時間に慣れていない.
* 「森」君の、「雄」君の、こういうメールをもらうのがわたしの幸せである。好奇心も共感も自然に沸く。「今・此処」の実感が伝わってくるからだ。
* 昨日、食事しながら妻が言った。「月をさす指は、月ではない。けれど同じ一つの月をさす指は、無数にあるわよ」と。その通り。指の一つ一つがどんな指
であり得るか。その指次第だ。
☆ ちょっと冷えますね。異常に温暖でしたから、寒くなって少しほっとします。
きのう今日と、リビングのシアターシステムのリアスピーカースタンド(壁に設置)を、壁と同じ白に塗り変えました。
黒だったので、浮いて見え、気になっていました。筆でアクリルカラーを塗ったので、いかにも手塗り、という風になってしまいましたが、離れて見れば壁に
なじみ、よかったな、と。
家のことは、(出来上がってからも)ちょこちょこ、あります。
でも、それはそれ。いつも風を想っています。
きのう、フローベール関連の文献をたくさん図書館から借りて来ました。分厚いのが、いっぱい。
こんなときですが、『ドン・キホーテ』が読みたいので、文庫の一巻目を借りてきました。こちらはゆっくり読もうと思います。
ピカソのシルクスクリーンのポスターに、『ドン・キホーテ』が通販でありました。買おうかな、と考えています。ほかにも、ペンギンやフクロウなど、かわ
いいのがあります。
ピカソは好きで、飾りたいと思うけれど、刺激的なのもたくさんありますから、考えてしまいます。
他の画家のものも、好きな絵の前では、わたし、ドキドキします。ドキドキさせてくれるから、それらの絵が好きなのでしょう。
でも、家のあちこちでドキドキしていては、休まらないな。 花
* 兼好法師に多くを聴いて育ったわたしは、家や部屋にものの溜まるのをいやしいと感じてきたのだが、いかにも抗するすべなく、本をはじめとし、ま、本は
商売道具でもあるのだが、他に、貰ったり買ったりしてきた絵や工藝だけでもたくさんになり、自然と溢れていて必ずしも適切に遇せていない。申し訳ない。
せめて季節と場所をえらんでこまめに掛けかえるといいのだが、年々歳々の無精がつのりはびこり恥ずかしきていたらく。きのう衝動買いしたシャガールもど
こで適切にひきたつのか、少し頭が痛い。痛いけれど楽しみだ。
カレンダーはたいてい美術ものをつかうので、その月々がすぎたあと、つい棄てるに忍びず作品だけがそのへんにふわふわ残される。竹内栖鳳の繪は、蛙でも
猫でも、とてもすてるに忍びない。「お父さん」が描いてくれた繪もついいつも眺めていたく、狭い部屋の壁面を占めている。俳人荻原井泉水米壽の朱印も美し
い「花 風」の二字額もわたしの身辺には欠かせない。「秦恒平雅兄一餐 井泉水」と添えてある。
* 理事会は執行部提案で、国際ペンに日本の理事候補をたてて選挙戦を敢えてすること、その際、三、四年後に東京で国際ペン大会開催を引き受ける腹をく
くって当たりたいと。たいへんはたいへんだが、タイムリーな時機にも遭遇していると。
提案を、理事会決定に持ち込むか。問題は簡明にそれだけであり、それなしにその先のことを議論してもラチがあかない。
なのにどうして、その簡明をワキにおいたままワケの分からない長広舌で時間をくうのだろう。わたしは、簡明に「まず支持」を表明し、それは国際大会を引
き受けて良いという覚悟の上でであること、金は出せないが、必要な役にはたてるものならたつと発言した。先に、それがあれば、つぎへ議論が進む。先にそれ
なしに、もっと時間を掛けて会員の意見もよく聴きなどという理屈は、立候補への期限が今月末限度であるときに、屁のつっぱりにもならない。
なんで、ああ、こねまわしたがるのだろう。おかげで時間の大分を空転させた。
* その余はさせることなし、と言いたいが、山田健太理事のレクチュアもむなしく、「国民投票法案」関連の日本ペンクラブとしての対応が、ついにうやむや
に議論のひまもなかった。なさけない。
* 松たか子さんを日本ペンクラブの会員に歓迎すると決した。推薦の弁をのべた。女優松たか子のフアンであること無関係ではないが、文筆家、エッセイス
ト、つまり「書き手」としての実績と才能とをわたしは十分評価しているし、異存をとなえられるヤワイところは少しもない。自信をもって推挙した。
* 四月歌舞伎座は松嶋屋に、五月は、歌舞伎座を成駒屋に、新橋演舞場を高麗屋に予約した。
四月は勘三郎、玉三郎、仁左衛門それに我當ら。昼の勘・仁の『男女道成寺』が楽しみ。
五月の歌舞伎座は豪華な團菊祭。團十郎、菊五郎、梅玉の勧進帳が、四天王も充実して期待度満点。海老蔵、菊之助の『お冨・与三郎』は待ってました。夜に
は三津五郎や松緑が踊り、どんな舞台になるか計り知れない羽左衛門追善の『女暫』がある。大詰めは菊、團、梅、左、時蔵、田之助ら総出演の「め組の喧
嘩」。扇雀の息子の虎之介くんが、暫くぶりに成長した子役を見せてくれる。
新橋演舞場は播磨屋吉右衛門の当番で、夜の部に染五郎が出ずっぱり。『妹背山の三笠御殿』につづいて吉右衛門の法界坊。つけたりに浄瑠璃『双面水照月』
で染五郎、福助、襲名したばかりの錦之助、芝雀の競演。御大冨十郎、そして段四郎、歌六、歌昇がワキを固めている。夜だけでいい。
* ペンの帰りにお目当ての露伴作を読み上げた。三嘆。悠々の名作であった。痛切に刺激された。嬉しい読書だった。
* 三月十六日 金
* 東京に初雪とか。観測史上もっとも遅い新記録とも。冷えている。
* 東京大学の倫理学、竹内整一教授、ひざびさ、早朝の懐かしいメール。ずいぶん永く専修大学時代十何年にもわたり『秦文学研究会』を主宰してくださって
いた。竹内さんの配慮からときおり講演や原稿の依頼も来る。また「研究会」をやりましょうと。前回の『かくのごとき、死』にも触れてであろうか、新刊の
『はかなさと「日本人」』でわたしについても書かれたらしい。親鸞仏教センターからの原稿依頼にも竹内さんの名前が出ていた。恐れ入ります。
* 『秦研』のつねに幹事役であった、わたしとは幾久しい原善くんと、竹内さんも連絡がないと書かれている。わたしももうずいぶん久しく善さんの噂も聞か
ず消息にも接しない。北関東の大学から、念願かない東京の武蔵野大学に赴任したとずいぶん前に仄聞した。武蔵野は前の女子大で、同じ旧保谷市にありわたし
も昔に、教授の打診を受けてお断りしたが自転車で通えるほどの地元大学。
だがよほど忙しいのか、元気な原君の声をもうわすれそうなほど聴かない。綺麗な奥さん、二人のお嬢ちゃん、元気だろうか。
☆ やっと『宇宙誌』がHPの記述に現れて、読んでくださっていると知りました。「文学的なことばかりでなく、こういう見方も・・」と「不遜なもくろみ
をもった仕掛け人??? 鳶」は、鴉の反応が楽しみです。
ほとんどの日本人にとって(絶対的な神を抱かない人にとって)、宇宙の誕生や進化論は、宗教の教えからくる呪縛や限定的肯定にとらわれないで読み進めら
れる本です。
当たり前と思われるかもしれませんが。けれども、例えばアメリカは、意外なほど宗教に左右されている社会で、「進化論」を公立学校で教えるな、云々の議
論が盛んですし、彼らにとっては此の『宇宙誌』も、おそらく、「とんでもない本、人を惑わせる本」の類に入るのではないでしょうか。新しい知識を得ると同
時に、やはり世界観、人間観まで大きな影響がありますから。
わたしはもともとは生物や地質、宇宙に関する事柄に興味があったようです。が、如何せん、数学が苦手で、理科系の人間ではありません。時折科学の本を読
み、テレビの科学番組もかなり丁寧に見ます。新しい発見には夢が膨らみます。数式や専門的なことは理解できなくても、凄いなあと・・携わっている人を尊敬
してしまいます。
これはコンプレックス? 謙譲の心? 分かち難いです。
数日冬に戻ったような日が続いています。青春切符で琵琶湖一周に出かけたら、雪景色に出会えるはずですが、まだ身体を第一に考えてしまいます。と、言っ
ても、自分で把握できる範囲での、ちょっとした症状で何も心配していません。甘やかしているのです。
近くの白木蓮の花が寒さに震えています。 鳶
* ほうと思った。科学的な事実や発見への、またその科学史への好奇心は、わたしにも強い。自分に不足した側面をいつも補えるようにと、知解しかねるほど
の数学や理論物理学や天文学や、みな興味はたやしたことがない。そして感嘆する。
大学の一般教育でも「自然科学」という授業には興味をもって出た。テレビを観る楽しみの一翼に、科学番組は敬意や憧れとともに、ドラマなどよりも確かに
在る。
贈られた『宇宙誌』はかなり分厚い文庫本。装幀がいまいちで、題もあまりそっけなく思えたのと東京大学の先生である著者になじみもなく、またフォント
(字体)にも気疎かったので、ま、しばらく放ってあった。むしろ妻が興味をもつだろうと思っていた。
たまたま湯川博士の中間子論がわたしたちの生まれた頃ことでもあり、ふっと読み始めたら予想に反して実に読みやすい。たちまち赤ペン片手に読み進み読み
ふけり、もうずいぶん本が真っ赤っかになった。わたしに読まれる本は、歴史でも何でも白い綺麗な本のままには残らない。あとから読む人の意欲をそいでしま
うほど真っ赤に傍線がひかれてしまう。ただ黙読より頭に入り、またの読み直しの時に傍線部分だけでも要点は斟酌できるので、やめられない。
いま、コンピュータのところへ来ていて、ま、わたしの最も近寄りたい、近寄りやすい記述である。
* 昨日の理事会で、日本で国際ペン大会を主催するなら、主題は間違いなく「地球温暖化」だと井上ひさし会長が力説していたが、これもゴア氏のいうように
端的に「危機」という言葉を用いた方が良い。「温暖化」はなまぬるく要点を逸らすだろう。
今ひとつ、地球温暖化を自然環境の問題ととらえているだけでは、この危機は把握に余ってしまうだろう。繰り返し言うように、いまや危機は「生活環境」
「精神環境」に及んでいて、むしろそこで生じている害悪が大自然に波及しているのだという「方向感覚」がゼッタイに必要だ。その害悪の背後に、背景に、自
然科学のもたらしたいわば「科学環境」狭義には「機械環境」のおそるべき魔と毒とを正しく見抜いていないと、根の問題が問題として正確に構築できない。
科学は、もはや、「便利」提供の代償として底知れたぬ「魔と毒」とを地球と生物にもたらす「責任逃れ」を、利用者である人間に対し強いている。変な物言
いをするなら、科学が「サタニティ(悪魔性)」の側面を隠そうともせず、露わにしはじめている。もし真に「環境」を憂うるなら、自然や人間の破壊や頽廃に
いたる根の問題としての「科学」への批判的自覚を課題にしなければウソである。
日本ペンクラブ理事会でしばしば話題になる「環境」への理解は、あまりに「自然環境」という枝葉(現象)に終始しすぎている。根は「機械と精神との人間
環境」にあることを忘れてはならない。自然を蹂躙しているのは自然ではない、人間と機械とである。もし国際ペンが開かれれば、その点で演説したいとすら
思っている。
* 三月十六日 金 つづき
* すっかり真冬装束で出かけた。歌舞伎座通し狂言『義経千本桜』の夜の部。
* 『木の実』で始まる。秀太郎演ずる小せん(いがみの権太の女房)の掛け茶屋に清盛嫡孫維盛の奥方若葉内侍(東蔵)と幼少六代が従者小金吾(扇雀)とと
もに小憩。女房に薬を買いに走らせた不在の間に、近在鼻つまみのいがみの権太(仁左衛門)が絡みつき、無道に二十両の金を小金吾から巻き上げる。世が世で
なく源氏に追われる平家の不運、次の場面では小金吾が囲まれて討たれてしまう。内侍と六代はかろうじて落ち延びる。秀太郎の小せんは評判の持ち役で、愛想
のよい気の良い女ぶりが可愛くて、亭主の権太に惚れてもいる。権太も、仕様のないワルだが、女房子供をかわいがっている。仁左の上方ぶり権太には愛嬌あ
り、憎めない上に、いいいい男前。
成駒屋中村扇雀の小金吾は、「討死」の場面が必死でよろしい。討たれた遺骸を通りがかり鮨屋の弥左衛門(左団次)に見つけられ、弥左衛門は思うところ
あって小金吾の頸を斬って持ち帰る。まず無難な、二た場。
* つづく『すし屋』は人気の一幕、巧く書けている。弥左衛門女房(竹三郎)が渋い味で、可憐でストレートなな娘お里(孝太郎)を引き立てる。近頃家に置
いて弥助と呼んでいる実は三位中将維盛(時蔵)に惚れに惚れ今宵の祝言初夜を待ちに待っている。もうちょっと綺麗だといいのに。
時蔵はさすが位高く、弥助から維盛に直る気合いも的確で、巧い。二人のラブシーンのさなかへお里の兄権太が母親を「だましの金の無心」に帰ってくる。母
親は手もなく息子にだまされ大金を出してやり、権太は金を鮓桶に隠す。
この一幕はあらすじを書いていたら夜があけてしまいそう、次から次へと劇的に場面は変わりつ盛り上がりつ、意外ないがみの権太の悲劇へ上り詰めて行く。
仁左衛門ならずとも此処はものあわれ、親も子も、主も従もかなしい。
乗り込んできた源氏の大将梶原景時(片岡我當)の首実検に、いがみの権太は「維盛討った」と頸をさしだし、頸実見の梶原は、平維盛に相違なしと権太に当
座の褒美をあたえ、とらわれた若葉内侍と六代とを縄目にかけて引き立て、帰って行く。
主君維盛を大切に匿っていた弥左衛門は激怒のあまり、息子いがみの権太めがけて刀を突き立てる。だが、権太が差し出した頸は、じつは弥左衛門が持ち帰り
権太がまちがえて持ち出したあの小金吾の頸、そして内侍と六代とみせかけたのは、権太の女房と息子であった。
梶原は頼朝の意をうけて、維盛に、暗に出家をすすめて偽頸と承知で帰ったのだった、我當は梶原平三景時を立派な姿と口跡とですがすがしく演じ去った。我
當、秀太郎、仁左衛門の松嶋屋三兄弟が、出色のいい舞台だった。
* 弁当幕間についで『川連法眼館』」、此処が大いに盛り上がる。
義経の梅玉、福助の静御前、秀調と團蔵との二人武士、そして誠の佐藤忠信と源九郎狐忠信の二役を、尾上菊五郎。
初音の鼓を話題に子狐源九郎のあわれな身の上話に、御殿上の吟味役静御前の福助がまさしくもらい泣きしているのが手にとるように見え、感動した。あんな
に思い入れ深く、ほんとうに泣いていると見えた静御前は初めてみた。わたしは福助に惚れた。
菊五郎の狐も忠信も満点を惜しまない出来で、立派だったし綺麗だったし、からだがきっちり働いていた。気が入っていた。何度も何度も『川連法眼館』は観
てきたが、福助の涙にもさそわれ、感動は今日が最上、心深く泣かされた。
そして大詰めの『奥庭』では、待ってました高麗屋幸四郎の横川禅師覚範、実は能登守平教経の舞台中央のせり上がりが大きく、義経・静、忠信その他の出そ
ろいで、後日の見参を誓い合っての大詰め・大切りの幕引きは、通し狂言にふさわしくみごとに盛り上がった。この出と幕とのために幸四郎が待っていた、われ
われも待ってました、歌舞伎の楽しさ美しさであった。あれでよいのだ、歌舞伎は。
* 満足して、タクシーで日比谷へひきあげて、クラブで小憩、あれこれ舞台の上を反芻してから帰った。オーバーコートが役立ったほどの冷え込み。しかし、
胸の内は温かかった。怱卒に書いたので、これは明日にも読み直さねば。もう二時過ぎ。
* 日大から、谷崎を二度にわけ話しに来て欲しいと依頼あり。いまさらにという気もするのだが。よく思案して。
* 湖の本の再校がもう出そろった。これは、仕事を追われる。来週は忙しい。
* 再校の朱字合わせをしながら、ケビン・コスナーとケリー・プレストン主演の『ラブ・オブ・ザ・ゲーム』を観た。二人の主役が好感度抜群、すがすがしい
感動に満たされた。スポーツものはあまりのめりこめないのだが、実話感とラヴストーリーとがマッチしてイヤミのない娯楽映画に出来上がっていた。『追いつ
められて』などのむかしケビン・コスナーはそう好きでなかったのに、『ダンス・ウイズ・ウルヴズ』などの辺から彼の清潔な男っぽさが好きになり始めてい
た。
この映画では初めてみたケリー・プレストンの知的な清潔感と情の深さ熱さは、それ以上に気持ちが良かった。すてきに良かった。
しかしわたしのように、見る人、出会う人ごとに好きになっていては、もし十人選べといわれたら、どうしよう。
昔、中学の先生に二学期のおわり、何でもいい、読書でもいい、好きな人でもいい、大晦日になったら今年のベストテンを選んで順番をつけてみよと教えられ
た。十えらぶのは出来るが順番を付けるのは難しい、が、それをするのが「批評」というものだと。たしかに難しかったが、真剣に試みたものだ。
海外の主演級の男女優とも、体調のいい時ならこの老人、各百人ほどは名前をそらんじて口にすることが出来るが、十人ずつ選んで順番をつけろといわれたら
難しい。しかも試みてみたい気がするぐらいだから、魅力があるのだ。日本人のそれは、あたまから、考えないことにしている。あまり間近くて、夢をこわすか
ら。ハハハ
* 校正が望外にはやく出来てきたので、あわただしくなってきた。発送用意に入って行く。九十巻。創刊当時、こうまで来れるとは、想えなかった。
* 三月十七日 土
* 竹内整一さんの平凡社新書『はかなさと「日本人」』が贈られてきた。あとがきに、わたしと『みごもりの湖』ほかの作を介して竹内さんの思いが深切に書
かれてある。懐かしい気持ちで胸が濡れた。感謝。早速一冊読ませていただく。
* 懐かしいといえば、こんなメールも昨日夜遅くに届いていた。
☆ 細雪の女たち 春
寒の戻りで冷えてきています。連日のお出かけですが、お元気のごようすに安心いたします。
『細雪の女たち』(新潮社)をネットで見つけて注文していたものが今日届きました。
立木義浩の写真が見たかったのではなく、もちろん、細雪の女たちについて書かれた文章が読んでみたかったのです。これは大収穫でした。
『細雪』と蒔岡四姉妹についてこれ以上美しく捧げられたオマージュは読んだことがありません。若く美しい古手川祐子、吉永小百合、佐久間良子、岸恵子の
姿を背景に頁をめくりながら本当にしあわせなひとときを過ごしました。
ご自身の書いたものを時々読み直したくなりませんか。われながら惚れ惚れでしょう。私自身の勉強のためにも、この本での湖先生の「読み」を少し書き出し
てみたくなりました。
谷崎潤一郎と『細雪』
長編『細雪』のすばらしさは、あらすじでは言いつくせない。しんしんと降る雪、しかしそれはまた絢爛の花吹雪でもある、そんな「ささめゆき」のイメージ
さながらに、四姉妹の日々の暮しを具体的に、次から次へ悠々と描き送ってゆく筆の運びに感動のいっさいがある。美しい姉妹は、ゆっくり旋回しながら、まる
くまるくふくらむ”時空”すなわち”蒔岡家”がはらんだ過酷な運命を、それぞれに印象深く分担しているのである。
哀傷──散り伏す妙子
四姉妹の四女は、末の子つまり「こいさん」と愛称されているが、おそらく蒔岡家にしては妙な子でもあった。妙な子の妙子は、遅く生まれたがために亡き父
の過剰な愛を一人受けえずに終った娘であり、それを過少の愛と当人もひがみ、姉たちも哀れげに思っているところにこの「こいさん」の幸のうすさや、とりと
めない行動へ走る動機(わけ)が生じている。
……結局、親の愛を受けないで終った子は、浮舟がそうであったようにすさまじいめを見る。
……
妙子は、なかなか父親からの遺産を手にすることができない。妙子の哀しい苛ら立ちはいつもそこにあった。”遺産”は、やはり親の愛、娘にすればいくら過
剰でもかまわない熱い愛だった。幸子はそれに満ち足りている。雪子はそれに殉じようとしている。そして長女鶴子は、父の愛と嗣いだ家の重さを均等に担いつ
つも、親が与えた夫の新たな運命に生きの行く末を賭けてゆく。
だが、妙子ひとりは、乏しかった親の愛に今も渇きながら、ずるずると姉たちの世界から沈んでゆくのだ。
逡巡──うつろう雪子
もとより娘が可愛さに、手放すが惜しさに、「たうとう父の手で良縁を捜して貰へなかった」三女雪子を、姉たちが再三再四の見合いのはてにやっと嫁がせる
段取りになる。結婚させたい動機も容易に果たせない理由も、蒔岡の亡き父の過剰な愛に根ざしている。しかも当の雪子は渦中にあって冷然平然と逡巡に逡巡す
る。
……
雪子はたしかに美しい。が、美しい下に凄絶な不毛の肉体を隠してもいる。頑固に粘った、しぶとい根性も隠している。へこたれない神経と気力を隠してもい
る。ものはよく見えている。人のいい幸子をあきれさせ、世なれた妹妙子に舌を巻かせるつよさを、楚々とした、嫋々とした物腰に隠しているのを、おそらく、
一等ひよわい姪の少女悦子がよく察して心頼みにしているし、注意深い同情に愛恋の気をひめている義兄貞之助も、雪子がただの美しい女でないことを見ぬいて
いる。そういう悦子や貞之助の気持を、雪子は、幸子の家庭における自身の強みとしてきちんと見通している。
駘蕩──咲き匂う幸子
『細雪』の世界は、譬えていえば風船玉の内側のように、ある閉ざされた状態(なか)に、物・事・人、が充満し渦巻いている。川のように流れ去る一般の時
間からおのずとべつの、ちょうど花吹雪が久方の光に耐えて散りに散り続けている虚空のような世界にできている。たえまなく移ろい動いているのに、しかも永
遠の相を帯びて変化を拒んでいる。
次女幸子はこういう世界に満ち足ろうた、文字どおりの女主人である。次女という安らかさのまま、亡き父の愛を満身に受けて人妻となった幸子は、蒔岡家の
過ぎし栄華を、なお豊かに、寛(おお)らかにひきついでいる。あたかも春風の駘蕩として美しくもはかなく、しかもおやみなく物語世界に花を降らせる役まわ
りにある。しかも容易にそれとは人に心づかせないほど、幸子の配慮や発言は瀰漫し充満しており、その意味から言っても、幸子こそ『細雪』というまるくとじ
た時空にしかと蔽われた、とらわれの女王である。幸子がもし半歩でも外の世界に踏み出せば、そのまま『細雪』という生きた”球”体は破裂してしまうだろ
う。
遁走──翔び去る鶴子
格式ばった大阪の旧家「蒔岡」の本家に生まれた総領娘。妹たちには早くから母代りをつとめ、婿をとって家を嗣いでいる。そういう身の上でありながら、外
の世界へ心は半分、いつしか身はそっくりはみ出ている、それが鶴子の運命である。
鶴子の出番は、幸子、雪子、妙子にくらべすくないにもかかわらず、貴女流離の物語に似た鶴子の身の振り方を大切に比較して眺めながら、京阪神の風土に根
づいて生きる妹たち三人の『細雪を読みとって欲しいと作者は願っていたのにちがいない。
鶴子という家つきの長女は、余儀ない時勢の波にさらわれて、『細雪』の時間をはみ出てゆく。……
次女の幸子にくらべ、見ためは情けない弱い長女のようでいて、むしろ意志的に父の呪縛を夫もろともに抜け出したのだと言える。「鶴」はともあれ舞い立
ち、翔び立つことで、暗転の不安から賭けの遁走を試みたのである。
作者谷崎潤一郎が鶴子の変容を、遁走をゆるしていたか、ゆるせたか。
だがすくなくも長女鶴子の、俗世間への仲間入りということがあって、はじめて幸子や雪子の世界がくっきり浮かび上ってくる。鶴子は大役なのだ。他の三人
のいかにも美しいけれど不安をはらんだ妹たちにくらべ、鶴子一人がやんちゃの子だくさんに恵まれている境遇も意味深長である。平安神宮の枝垂桜や、吉兆の
懐石のように贅沢ではなくても、尋常で健康そうな世間が鶴子の彼方にはひろがっている。
谷崎潤一郎は秦恒平という稀有の読み手に出逢えて幸せです。俄然『細雪』を読み直したくなってきました。
泉鏡花は「卵塔場の女」「ピストルの使い方」「河伯令嬢」「古狢」等々、凄まじいなあと溜息つきながら読んでいます。秦恒平は鏡花の遺伝子
を濃厚に受け継ぐ作家と思うことしばしば。
わたくしもたくさん本を読んで楽しむ生活をするのみ。観劇は一人で出かけるのも気が重く、観劇のための着物など買ったりして。
京風の友禅も好きですけれど、渋い江戸小紋も好きで「静御前」という柄のもの一枚買いました。烏帽子と般若などの細かい柄がびっしり。小宮康孝の江戸小
紋ですが、そこそこで。この着物に季節の桜の帯をしめてご一緒に「義経千本桜」を観に行ったつもり。
それにしても春は不安をはらんだ球体の中にいるのか、尋常な世間にいるのか……。時々わからなくなります。
* 目黒の雅叙園などあちこちで立木さんの撮影に立ち会い、綺麗な女優たちの演戯するあですがたも間近に、みたり、立ち話したり。吉永小百合さんは一等早
くにわたしの『慈子』をラジオで話題にしてくれた人で、いろんな折に顔を合わしてきた。いつも折り目ただしくしかも少しも気取らないむしろ気散じな女優さ
んである。
市川昆監督の映画とタイアップの、綺麗に華奢な写真集に、要領よくいろんな記事を書き入れねば成らず、そのためにかえって「趣向」も出来、大胆に、言葉
数は少なく芯に当てて書く楽しさを味わった。短い、しかも話題はあれこれバラついた内容だが、『細雪』の女たちの魅力と問題とを思うまま書けた。あの写真
集がまだ手にはいるのかと驚いている。
☆ 恒平さん 京
一月頃から職場で難しい日々が続いていました。週末の気分までスポイルされるなんて、とても久しぶりのことです。
でも嬉しいこともありました。*君とコンタクトがとれ、*子さんとも知り合いになれました。この二人のことは、何度となく恒平さんにお尋ねしようと思っ
たのですが、私の「同窓」への拘りがずっと邪魔をしていました。しょうもない拘りです。みんな、恒平さんのおかげ、恒平さんはキューピットだなあと思いま
す。二人と言葉を交わしたことで、私の東工大が一気に健康になった気がします。いえ、健康になったのは、この私かもしれませんね。
転職を考えて、先日、面接に行ってきました。東京の大企業ヨーロッパ社の、行く末は営業も期待される新しいポストです。目の前にぶら下がるにんじんのよ
うでした、が、それが、違うのです。
面接を終え、建物から吐き出された私には、その企業で働くことがなぜか「後退」と感じられたのでした。
私は、そこで我武者羅にエリートたちと働くためには、決して知ってはならないものを知ってしまった。夫と毎日食べる食事を、毎夜寝具を共にすることを、
仕事の後の時間を、無駄なおしゃべりを、時計をもたないことを・・・
私には、井上靖「おろしや国酔夢談」の、身を捧げた甲斐あって、難破先のロシア帝国から十年ぶりに母国の土を踏んだ主人公の気持ちが、思い出されたので
した。
『氷雪のアムチトカ島よりも、ニジネカムチャックよりも、オホーツクよりも、もっと生きにくいところへ自分は帰って来たと思った。帰るべからざるところへ
不覚にも帰ってしまったのである。この夜道の暗さも、この星の輝きも、この夜空の色も、この蛙や虫の鳴き声も、もはや自分のものではない。確かにかつては
自分のものであったが、今はもう自分のものではない。前を歩いて行く四人の役人が時折交している短い言葉さえも、確かに懐かしい母国の言葉ではあったが、
それさえももう自分のものではない。自分は自分を決して理解しないものにいま囲まれている。そんな気持だった。自分はこの国に生きるためには決して見ては
ならないものを見て来てしまったのである。アンガラ川を、ネワ川を、アムチトカ島の氷雪を、オホーツクの吹雪を、キリル・ラックスマンを、その書斎を、教
会を、教会の鐘を、見晴るかす原生林を、あの豪華な王宮を、宝石で飾られた美しく気高い女帝を、―なべて決して見てはならぬものを見て来てしまったのであ
る。』
尻切れトンボですが、今日はこれで送信します。また近いうちに、お便りできると思います。
恒平さんのこと、毎日心に留めています。 京 京
* この対比は微妙にフクザツであり、京は、また思案を深めてしらせてくるだろう。
☆ ここにも松たか子ファンはいます 卒業生
私は普段,あまりドラマや映画を観ないので,松たか子さんの演技のことは知りませんでしたが,先生の文章を拝読していて,そんなに優れた女優さんだった
のかと感心しました.私はただ,バラエティー番組などで出てくる松さんが,「これぞ日本を代表する美人」といった風貌にも関わらず,気さくなお人柄なので
好印象を持っていました.
先生の日記には,松さんとお父様との「往復書簡」というものがたまに出てきますが,これは何かの雑誌に掲載されているのでしょうか? 松さんのホーム
ページなども覗いて見ましたが,ドラマや映画,歌などの告知だけで,文章は載っていませんでした.どんな文章を書かれるのか,興味があります.ペンクラブ
会員になられたら,ペンクラブのページに作品も掲載されるのでしょうか? 楽しみです.
松さんの演技は知らないのですが,お父様の歌舞伎は拝見したことがあります.私が愛知県に参る直前の,2002年の3月でした.演目は『俊寛』でした.
仁左衛門の演ずる『十六夜清心』と併せて上演されていました.
もう東京を離れるのだから,と,思い切って奮発し,良い席のチケットを購入しての観劇でしたが,花道のすぐ脇で,大変楽しめました.先生の日記を拝見し
ていると,毎月のように歌舞伎をごらんになられていて,うらやましい限りです.今度は『義経千本桜』の後半でしょうか.楽しみにしております.
ちょっとミーハーな内容なので,気恥ずかしく,こっそり書かせていただきました.失礼しました.
* 往復書簡は「オール読物」に毎月。まだ当分は連載される。きっと本になるでしょう。松さんは『松のひとりごと』(朝日新聞社)はじめ、プロの大勢の小
説集に「解説」したり、ベスト・エッセイ集に採られたり、エッセイストとしてもプロ級の質の高さと執筆量がある。往復書簡は父幸四郎の胸に敢然ぶつかっ
て、おおらかに真摯な佳い文章と思索を開陳している。『ラ・マンチャの男』の舞台でも証明されているように歌唱力もある。批評性の濃い写真も撮れる。ただ
の贔屓目で会員に推したのではない。この人、『うちのわんこは世界一!』の犬派。同題の朝日文庫に「特別寄稿」している。『うちのにゃんこは世界一!』と
いう本もあるのかな。わたしは書きたくない。
☆ JC先生 ハーバード 雄
天気予報どおり,朝11時過ぎ辺りから雪が降り始めた.時間を追うごとにどんどんと強く降る.ここ最近,暖かかったので油断していたが,やはり甘く見て
はならない.この冬でも一番の降雪量になるのではないだろうか.
今日はJCに、電気生理用のマウス組織標本の作製法を習う.以前,コーリーから習ったことはあったのだが,その時もあまり良い出来ではなかったし,それ
を真似してやってみたものの,やはり全然うまく作れない.
本当は昨日からのはずだったが,何時まで経ってもラボに現れないので,諦めて他の実験を始めた.JCは予定していたことをスッポかす常習犯なので,今更
驚きはしない.前もって別実験も計画しておいた.
今日は,まず初めに自分のやり方でやってみせてくれ,と言うので,自己流で標本を作った.やはりひどい標本になってしまった.JCに見せると,確かにこ
れはひどいね,ということで,JCの標本作りを、実体顕微鏡下で見せてもらうことにした.
手先が恐ろしく器用だ.驚くほど的確に,神経線維を取り出し,必要な箇所のみを残して,筋肉などの余分な組織をハサミで取り除いていく.少しの迷いもな
いし,出来上がった標本も完璧だ.見事だった.いつもは女の子の話しかしないJCだが,やる時はやる男なのだ.
ただし,英語は本当に分かりにくい.
他のネイティブスピーカーの会話ですら,時折2,3度聞きなおすことがあるが,JCの場合は3,4回聞いても全く聞き取れないことがある.ただでさえ発
音が不明瞭な上に,合間合間に突然女の子の話や下世話(下ネタ?)な話をしてくるので,急に話が切り替わったことが理解できない.散々聞き直した挙句に下
世話な内容だと,怒りを通り越して疲れてしまう.
しかし,一緒に実験をしたことで研究の話になり,僕がここに来るまでにやってきた仕事の話などをした.バックグラウンドが近いせいか,向こうも興味を
持って話を聞いてくれ,いつになく真面目な話になった.
遅めの昼食を済ませてから,別の実験に取り掛かる.暇な時間に外を眺めると,雪は益々激しく降ってきた.
確か今日は,日本で知り合いだった方がポスドクとしてこちらに来られる日.無事に飛行機は着陸できるのだろうか? 選りによってこんな日に来られると
は,気の毒だ.
帰れなくなっても嫌なので,6時半に実験を打ち切って帰途に着く.ちょうどJCも帰るらしく,上着を羽織って廊下に出てきた.
「こんなに降っていて,帰れるかなあ」と僕.
するとJCは、「だから,彼女が近所にいればいいんだよ.ところで,お前はどういうタイプの子が・・・」
どんな話題でも強引に女の子の話に結び付けてしまうJCには,或る意味,感心させられる.
* おもしろい。こういうおもしろさは、なかなか、筋金の入りすぎてお硬いエッセイストには出せない。
* 三月十八日 日
* 竹内整一さんの『はかなさと「日本人」』の冒頭に、いまどきの小学生中学生にアンケートして、自分の生きているうちに人類が滅びると思うかと尋ねる
と、六割ほどもイエスと答えるらしいと、ある。もう以前のはなしだが此のアンケートを報告していたのは、わたしの甥の黒川創だと書いてある。
小・中学生に問うにはムリな質問ではなかろうかと、わたしも思う。それでもなお六割が早晩人類は滅ぶであろうと子供ごころに言いうる背景が現に在るとい
うことは、小さな問題ではない。竹内さんは現代の「無常」に問いかけている。
* 竹内様 新刊のご本を頂戴し、あとがきも読みまして懐かしさに胸を濡らしました。農学部前でたまさか出会って、もう何年が経ちましたことか、日頃支
えて頂きまして、答案を提出する心地で「湖の本」をお届けしてきましたが。
昨年は孫をはかなく死なせるという痛い目に遭いました。生にも死にも、日々の、もの、こと、ひとの送迎にも、「はかなさ」はつきまとい、しかも厚顔に図
太くも居直ったザマを、見て、見せて、過ごしているていたらく、わらうにわらえない始末です。
この数年、もう少し永くか、わたしを捉えて悩ましてくれる思念は、「抱き柱はいらない」ということと、「果たして可能か」という高慢なものです。この物
思いのまま、終焉に、はたして「間に合う」だろうかと、堪えるように居ます。親鸞仏教センターから、竹内さんの名前にもふれながら原稿依頼がきました。死
なれて・死なせてといったことで話せということのようですが、今も抱いたこの難問へまで筆が及びうるであろうかと歎いています。
またお目にかかる機会もやと願っています。ご本、よく読ませていただきます。心よりお礼申し上げます。お大切に。
原善君、消息に触れず多年を経ています。 秦 恒平
* 傷むように冷える。暖房がきいてこない。日曜の朝は、置き忘れられたように何の連絡一つもない。小説のための「ノート」は進んでいる。「スケッチ」で
もある。
☆ St. Patrick's day 雄
今日は土曜日だが,ここアメリカはSt. Patrick's dayという祝日.
こちらに来るまで全く知らなかった祝日だが,アイルランドの聖職者Patrickの命日を記念した祝日らしい.
ジャガイモを主食としていたアイルランドでは,1845年から1849年の間にジャガイモの疫病が流行し,約200万人もの人々がアメリカやその他の国
々へと移住したのだそうだ.ボストンは特にアイルランドからの移民が多いそうで,僕のアパートからそう遠くないところに生家のあるJ.F.ケネディもその
子孫と聞く.
St.Patrick's
dayには,アイルランド人がクローバーを大切にする(三位一体を表しているらしい)ことから街全体が緑色にあふれ,パレードなども開かれるのだそうだ.
アイリッシュの店では食べ物やビールも緑色になるらしい.
是非とも見てみたかったのだが,昨日の雪もあって,今日は全く外出する気が起きず,部屋で静かに本を読んだりしていた.時折,窓から外を眺めるが,ア
パートから出る人はごくわずかだ.
「光学」のテキストを読んでいるが,ついついうたた寝してしまう.ただでさえあまり面白くはない(しかも英語!)上に,夏時間のせいで睡眠不足が続いて
いる.
体内時計が一旦狂うとなかなか直らない僕にとって,夏時間は時差と同じで,今週はひどく辛かった.昼寝をしない方が良いのは分かっているのだが,つい,
うとうととしてしまった.
* 湖の本の初校赤字合わせを終えた。再校ゲラをどこへ持ち歩いても、仕事の出来る用意が出来た。やや厚めの単行本一冊を「湖の本」にうつすと、厚さがど
うしても通例の二倍大近くになる。前冊『かくのごとき、死』は三倍大にもなっていた。分冊にして出血を少なくしたいところだが、やはり一冊に纏まった方が
いい内容だと分冊という無粋なことはしにくい。頒価を、しかし二倍三倍にできるものでもない。湖の本でわたしはお金儲けをしようなどと考えていない。せめ
て出血の少ないのを願うのみ。
* ジャンヌ・ダルクに触れてしばらくぶり「mixi」に出した一文に、フィンランド在住の人から佳い「コメント」が入っていて嬉しかった。
* 三月十九日 月
* 早瀬のように日々が流れゆく。
* このところ冷え冷えとし風がしきりにものを鳴らす。幸い日光はゆたか。陰鬱ではない。花の季節ももうまぢかい。
☆ おはようございます、風。お元気ですか。
土曜、県立美術館のロダン展を見てきました。
大革命、七月革命、二月革命を経る過程で、希望と幻滅を味わい尽くした十九世紀フランスの藝術家の抱えていた、ルイ・ナポレオン政権下での科学技術や文
化の隆盛とはうらはらな憂鬱を想い、感慨がありました。
ロダンの彫刻の見事な筋肉と複雑な表情に、成熟した国家そのものを見る思いでした。
日曜は、室外物置を組み立てました。
そういえば、新住所をまだお知らせしていませんでしたね。
****
電話は変わりません。
以上宜しくお願いします。
寒い日が続きますが、お風邪を召しませんよう、お気をつけて。 花より
* もやもやと と、谷崎潤一郎は、『蘆刈』を書いていた、いや書こうとしていた頃に自身の頭の中を謂い表していた。創作者の、妙にはかないが幸せな、頼
りないが、あたたかい気持ちをわたしは感じ、うらやましかった。そういう感じを自分も味わってみたいと夢見たものだ、事実その幸せな胸の暖かさを何度も何
度も味わってきた。いまもまた、成る成らぬはべつにもせよ、ややにそれへ近づいている。おもいきり、遊んでみたい。
* 今日は俳優座の稽古場へ。サム・シェパード作『地獄の神』を田中壮太郎が訳し演出した。
感想は簡単。作の面白さは理念的に言葉で追尋すれば、容易に理解の届く意欲的でいい台本だ、だが、演じる俳優の四人のうち三人までが下手すぎる。
台詞の受け渡しに音楽も絵画もなく、間はグサグサ、受け渡しの悪さが耳に触り、舞台装置も陳腐。せっかくの作が台無しで、何度も居眠りした。
作品は、現代アメリカを痛烈に批評している。日本をではない。演出も演技も、日本の問題として示唆的にする工夫は加えていない。しかしそれはそれとしよ
う。もうすこし熟練した芝居を見せてよと言いたい。
国旗は(舞台では当然のこと星条旗である)、国旗の支配的な意志は、私民に、平和で簡素でこともなく幸せな生活を「させたくない」のだ。がまんがならな
いのだ。真珠湾を思い出させ、あれをこれをの危機や戦意を思い出させ、断乎歩調をとって「あのころ」へ戻らせたい、のだ。カツを入れて強硬に戻らせるため
には、どんな過酷な横暴もやってのけようと、国旗がかかげた意志は、平和で睦まじい素朴な家庭に慇懃に強引にそして凶暴に土足で割り込んでくる。根こそぎ
奪い破壊し、「非常時」「国家総動員」「準戦時体制」の日々を私民に「生きよ」と強要してくる。頸根っこやキンタマをとっつかまえ、そんな幸福そうな生活
など躊躇無くガンガン「奪い取って行く」のだ、拷問に掛けても。
そういう意志表示と実現とを、平和な農村地区のもうほぼ老夫婦の家へ、ある日突如として持ち込んでくるのが、訪問販売を装ったスーツにネクタイの不気味
なハンサム、慇懃無礼に言葉巧みな青年、だ。が、そしてこの役はそう難しくはないから、松島正芳は達者に舞台で活躍する。吐き気のするこわいイヤな青年
だ、みなりとことばは、実にサッパリしているが「地獄の神」だ、凶暴な。
だが、いたぶられる夫婦者も、夫婦の家になにやら逃げ込んできている中年者も、どうもリアリティのある芝居ができないのだから、お話にならない。リズム
のない平板な進行に眠気が来る。
* あたら意欲的な戯曲を、平凡な演出と演技とで、オジャンにしていた。
渋い気分、いや戯曲の意図にはしたたか毒されて吐き気すら催しながら、観劇としては失望のまま帰ってきた。
* 三月二十日 火
* 昨日から「私語」の更新が利いていない。FFFTPに異常があるらしい。ままならない。
* 書いても更新できないと思うと、気が抜ける。その方が書きよいではないかと、内心の声も聞こえる。その通りだ、私語なのだから。
* 体験者がいなくなって、はじめて「その体験」がある、ありうると聴いたとき、わたしは胸をつかれたように感じた。バグワンは言う。
☆ 語られる真実は無い。語ればもはや真実ではあり得ない。求めなければ出会うだろう、求めないこと。求めれば求めるほどエゴ(我執)が強められて見失
う。
「求めざれ!」
あるがままの自分でいて、どこへ歩み出すこともない。もしそれを神と呼びたいなら神は、「彼」の方からおまえのもとへやって来る、おまえが純粋に受容的
であれば、きっと来る。一本の中空の竹筒のように在るがいい。
* 三月二十一日 水 彼岸
* 血糖値108。正常。好天。予約しておいた散髪に。すこし待つ間、千夜一夜物語で「女の狡知」を連綿と話し次ぐのを読んでいた。『千夜一夜物語』はど
ことなし長閑で大らか、どんな話になってもとくべつ不愉快ではない。
散髪されているあいだ寝ていた。目をつむったまま海外女優の名前を百八人まで指折り数えているうちうとうとと。お天気、上々。
* 機械。FFFTPは使用できるが、インターネットエクスプローラでサイトを観ると、まるで違うなかみが出る。今このファイルでは三月が進行しているの
に、インターネットでは二月十日までが出て、それ以降も三月分も現れない。わたしのミステークでなく、ブラウザの方でなにか設定を勝手にいじくったらし
い。迷惑な話だ。
* 苦心惨憺というとモノが分かってしているみたいだが、そうではない。昨日の建日子からの連絡で、ブラウザの方でなにやら設定を勝手にいじくって間違え
たため迷惑をかけたが、明日には復旧すると思う、と。
簡単に復旧はしなかった、あれこれやってみて、元の設定に戻せた。いま書いているとおりがもう更新できているだろうと思う。
なんという機械の難儀さか。
* じりじりと、書きたいものを書いている。
* 野島秀勝さんから岩波文庫創刊80年最新刊ド・クインシー著『阿片常用者の告白』に次ぐ続編を贈られた。古典である。
* 発送の用意など手が着かずにいるが、疲れ気味なので、はやく休もう。
金星の表面温度が千度ちかい焦熱と知り、惑星探査機はほぼ太陽系惑星を尋ねて旅を完結させているとも知った。明國と清國とが、総髪と弁髪、「髪」型の闘
争をしていたことも、知ってはいたけれど、事新たに歴史的に確かめてみる面白さ。
* 三月二十二日 木
* 血糖値86。 よく晴れている。
* 東京発、京都着までびっしり校正。
* 三時半から「京都美術文化賞」の選考會。清水九兵衛さんを欠いて淋しい。
梅原猛さん、石本正さん、三浦景生さん、それに新任の元京都近代美術館館長の内山武夫さんと五人で。
今回は日本画、洋画、染色から三人を選考した。わたしは、すこし年配ではあるが入江波光の子息酉一郎さんを推して、みなの賛同をえた。清水さんの後任に
だれかを決めねばならず、梅原さんの意向に任せた。
* 会議のあと、かねて計画通りすぐタクシーで清水坂にむかった。三年坂のうえ、経書堂で下車、あいにくの雨におそれをなしてすぐ土産物店で傘を買った
が、すぐやんで、荷物になってしまった。
丹念に、なめるように界隈をさぐって写真をたくさんとった。清水寺の真下までいったが、本堂へは上がらなかった。
三年坂で、甘味がほしくなり、昔からある古い甘党の店でぜんざいと、おはぎ付きの抹茶を、おいしく。「糖尿病とちがいますかあ」と図星をさして呆れられ
た。
この店に、色遣いの懐かしいパステルの舞子繪があった。つるた・げんたろう。優しい小品。写真を撮らせて貰った。
「永年お店してましても、繪ぇ観てもの言うておくれやすお人て、ほんま、いやはらへんの」と女将は歎くが、三年坂、清水道に殺到している若い人たち、外
国語の人たちをみていたら、そうやろな。
花にはまだ早いが、清水寺楼門前にも、興正寺参道にも、こころもち早咲きの桜を観てきた。とにもかくにも今度の京都はこの界隈で全部の時間を費やしても
いいと思っていたので、暮れて行く清水道をゆっくりゆっくり高台寺のほうへくだり、そこまで行かずに途中の辻を西へ折れ、旧竹内栖鳳宅の前へ抜け出ていっ
た。ここも佳い路で。
そしてとっぷり暮れた人けない石塀小路へ入り、ただ通り過ぎる気でいたが、「サバティーニ」がひっそりと高級そうな店を出しているのみつけて、入る気に
なった。ピカソの署名入りリトグラフを階下にも二階の食堂にもふんだんに飾った、それだけでもご馳走の、行儀のいい店だった。シェリーと白ワインとで凝っ
たパスタもついたコース料理を、本を読みながらとっくりと堪能した。
正直の所、「銀座レカン」や「京都萬養軒」のフランス料理ほどはいかない単調な料理であったけれど、ひれ肉の炭火焼きがじつに食べやすく美味かった。赤
ワインも欲しかったが、少し遠慮した。気持ちの良い店であった。
下河原へ出てみるとそこにはなじみの「浜作」があるのだし、なにより「美濃幸」のような料亭もある、此処で食べても良かったなあなどと贅沢を思いなが
ら、ご神灯のあかあかとした八坂神社にお参りし、宵明かりの四条大通へ降りていった。
ちと思案して東山線からもとのすみかの新門前へ向かったのは、「mixi」で知り合った店が、我が家の筋向かい辺にあると知っていたから、だが、惜しく
も店は開いてなかった。足裏もふくらはぎももう疲れて痛んでいたので、思いきってホテルまで車をつかった。部屋で缶ビールをのみながら、湯もつかわず、
「K19」というハリソン・フォードの映画を一本観て、そのまま部屋の灯も消さずに寝入っていた。
* 三月二十三日 金
* 早起きして、菩提寺へ墓参に。大住職が脳梗塞を再発して、よろしくないと若い住職に聴いた。わたしとほぼ同い歳である、気が萎れた。
ゆっくり今出川通りを西へあるいて、同志社栄光館から構内をずうっと通り抜けていった。新年度前の春休みで、ひっそり閑。
「良心を全身に充満したる丈夫の地に来たらんことを」
校祖新島襄の碑に正門の内で真向かい、わたしの良心はどこに在るだろうと愕然とした。
* もう一度、昨日と同じ清水坂・経書堂の界隈をどうしても歩いて行きたかった。もう一度あの舞子の繪も観たかった。
* 新幹線ではまたも校正に没頭。それでも富士川をわたったあたりで、もう夕霞む富士ヶ峰の興趣ゆたかな繪のようなすがたを眺めた。カメラをむけたがあの
霞んだ空も富士も映しきれなかった。
おかげで行き帰りに「湖の本」の再校は大幅にすすんだ。重い荷物だったが持って行ってよかった。京都で、花にはまだ早かったが花粉のわずらいなく、ひと
り、静かに取材にまた飲食に堪能できたのはなによりだった。
行くつど、京の街や町がよく変わっているとは、お世辞にも言いにくい。それでも、こっちにその気と備えとがあれば、しっとり落ち着いた気分になれる。そ
の気分にしてくれる独り歩きの場所はいくらでも在る。ありがたい。
* 学生の頃は、ひまがあれば今の妻と歩き回っていた。いまは独り歩きがいい。淋しいほどの気持ちでひとりでぽつぽつと歩いている、モノが肩先へよって来
ればいいと思いながら。
☆ 66番 ハーバード 雄
いつも僕は66番というバスで通勤している.このバスは,Harvard SquareとDudley
Stationという駅を結んでいる.朝はDudley station発Harvard Square行きのバスに乗っている.
Dudley
stationのことはよく知らないが,印象としては,あまり治安の良くなさそうな辺りにある.従って,あまりこの方面には足を運びたくない.今後も足を
運ぶことはなさそうだ.
僕の住んでいる辺りから,急に治安が良くなる.わずかに通りを一本挟んだだけなのだが,急に変わる.とはいえ,バスの停留所付近などには,時折怖い目を
した人が座っていて,煙草を吸っていることがあるし,一度だけだが,煙草を吸っているにしては明らかに不自然な吸い方をしている50代位の女性を見かけた
こともある.女性は通りがかりの怪しげな男に囃し立てられていた.
従って,バスに乗った直後の車内の雰囲気は,ちょっと怖い時がある.
しばらく走るとクーリッジコーナーという繁華街に出る.ここは僕の日記にも散々出てくる場所であるが,ちょっとした商店街になっている.本当に「ちょっ
とした」というのが相応しい.地下鉄のグリーンライン(Cライン)の駅がある.付近にはレストラン,ドラッグストア,本屋,スポーツ用品店などが立ち並
ぶ.土日ともなると,かなりの人で賑わう.
クーリッジコーナーからさらに2,3ブロック走ると,突然ユダヤ教の教会が現れる.付近にはKosher(ユダヤ教の教えに基づいた食事)のレストラン
や雑貨店などが立ち並ぶ.この界隈では,頭に小さな帽子を被った人をよく見かける.
さらに2ブロックも走るとハーバードアベニューというところに着く.ここにはグリーンラインのBラインの駅がある.この辺りから,急に街の風景がざらつ
いたような,殺伐とした雰囲気になる.
ここまでの道のりは,ほぼ一本道で,ひたすら直進するのだが,ここで大きくバスは「くの字」型に迂回する.まっすぐ走っても同じところに到達するはずな
のだが,迂回したところに停留所があり,ここは他のバスとの乗り換えに利用されている.
停留所は大きな薬局の駐車場の前にあるのだが,何故かこの大きな駐車場には,怪しげな人たちが沢山集まっている.日本でも以前,山手線に乗っている時
に,高田馬場と新大久保の間にある公園を通り過ぎる際に,このような光景をよく目にした.
そして,出発地点付近から乗ったと思われる,ちょっと怖そうな人たちは,皆,判で捺したように,ハーバードアベニューから,この「くの字ゾーン」の間で
下車する.
入れ替わりで乗って来る人たちは,南米系の人たちが圧倒的に多い.男は皆,これもまた判で捺したように堀内孝雄のような口ひげを蓄えている.近辺にはブ
ラジル系の食品店やレストラン,床屋などが立ち並ぶ.
ここから先,陸橋を越え,左折すると,後はハーバードスクエアまでは一本道.途中はハーバードのスタジアム,グランドなどが立ち並ぶ.チャールズ川を越
えれば,ほぼ終点は見えている.終点のハーバードスクエア周辺は多くの車と人とでごった返している.土日は見世物などもあり,さらに混雑する.
日本でも僕はバスに乗って,車窓からの風景を眺めているのが好きだったが,外国のバスはさらに面白い.たった一本のバスなのに,驚くほど沢山の光景を見
ることが出来る.わずか数ブロック,場合によっては通りを一本挟んだだけなのに,全く異なる文化圏が存在している.人間には足があるのだから,もっと自由
に広範囲に行動できそうなものだが,皆,頑なに自分のエリアを持ち,その中で自分の文化を固守している.
ボストンの朝の片道のバスには,一つの物語がある.
* 三月二十四日 土
* 京で歩き疲れてきたか、本を読み終えて寝入り、ま、熟睡、少し朝寝坊した。
買い求めたシャガールの『天使の湾』が届いた。無用のモノのはみ出して落ち着きのない玄関だが、会津八一の額装した「學規」のあった位置がいちばんよろ
しく、掛けてみた。ぴたりとはまった。美しい。好きだ。
「學規」はこの機械部屋に、井泉水の「花・風」の大字と向き合わせに高い位置に掛けよう。
和風の家だが、居間には、ダリの署名入り、綺麗な青い細い線の疾風なす回旋描き、馬上の二騎士が真っ向長槍をかざして激突する、大ぶりの繪が掛けてあ
る。キッチンにはキューバの風景画。
* 断ろうかと思っていたが、手紙をくれていた日大尾高修也氏の朝電話で、余儀なく五月二回の谷崎を語る授業を引き受けた。
* メールの出揃った次の二人、ずいぶん環境をことにしているようだが、二人とも、かつて同じ教室で隣り合ってわたしの授業に出ていたかも知れず、二人と
も方面こそちがうがピカピカの研究者。
わたしを介し、お互いにこの日記も読みあっているのかなと想うと楽しい。バルセロナの京は、この二人と連絡が取れているらしい。It's a
small world だ。
☆ It's a small world ハーバード 雄
今日は週末恒例のhappy hour.4時過ぎにロビーに行くと,大勢の人が集まっていた.
ピザを取って,さらにビールを取ろうと歩いていたら,Hさんとドイツ人ポスドクのマーチンの姿を見つけた.
マーチンはHさんと同じラボに所属している.僕と初めて会ったのは,こちらに来て間もない,オリエンテーションの時だった.とても気の良い奴で,
happy hourのときや,gene gunを借りにラボにお邪魔した時などによく立ち話をする.
話していて分かったのだが,僕とマーチンには共通の知人がいる.僕の高校時代の同級生が,ドイツで研究者として活躍しているのだが,マーチンは彼と同じ
研究所でポスドクをしていたらしい.
と,そこへ,隣のラボ(といっても同じ部屋だが)のポスドクのトーメックが来た.彼はポーランド生まれで,ドイツで学位を取り,ドイツでポスドクをして
から半年前にボストンにやってきた.Hさんが初出勤された日に,僕を探してラボに来られた際,彼が最初に案内したらしい.
トーメックとマーチンがお互いに「初めまして」と挨拶をする.トーメックという名前を聞いてマーチンが,「君はポーランド人だね?」という.トーメック
も「マーチンということは,君はドイツ人だね?」と返す.共にそれぞれの国では典型的な名前らしい.
トーメックがドイツに居たことを伝えると,ドイツのどこにいたのかなど,お互い共通項を探り合うような話を始めた.話し始めて少しした時,ほぼ同時に二
人が「あ〜!」と声を挙げた.
何事かと思ったのだが,なんと二人は遠い昔に会ったことがあるそうだ.共通の友人がいるのだそうで,その友人を介して会ったらしい.さらに,その友人か
ら「僕の友達が今度ボストンに行くよ」とお互い聞かされていたんだと.
狭い世界だ.お互い,日本,ドイツ,ポーランドから来ているというのに,間に一人か二人入っただけで繋がっていたりする.研究者の世界は本当に狭い.
happy hourのあと更に実験をつづけたが,芳しい結果は得られなかった.諦めて早々にラボを後にする.久々にHarvard
Squareの付近を歩いていて,ふとメディカルエリア行きのハーバード大のバスを見つけた.このバスは,ハーバードのIDさえ持っていれば,タダで乗る
ことが出来る.タダというのも魅力的だが,普段通ったことの無い道を通ることができるので,早速乗ってみた.
マサチューセッツ通り沿いをひたすら直進するのだが,途中,MITの正門も見ることができた.ボストンに来たというのに,まだMIT(マサチューセッツ
工科大学)には行ったことがなかった.写真で見る正門は,まだ真新しい印象だったが,間近で見てみるとかなり年季の入った代物だった.ギリシャ彫刻のよう
な構造物で,ハーバードのレンガ造りの建物とは大分違う.
ここからチャールズ川を渡ったが,レンガ造りの様々な建物に取り囲まれた,夕暮れ時のチャールズ川の美しさには,思わず息を呑んだ.
橋を越えるとビーコンヒルと呼ばれる古い街並みがあり,ここも美しいのだが,残念ながらバスはここで右折してしまい,まっすぐにメディカルエリアに進ん
でいった.
メディカルエリアから自宅までの道が良く分からずに右往左往してしまったが,なかなか楽しい帰り道だった.
☆ 先生も京都に行っていらしたんですね。
私も今週、何年かぶりに仕事抜きの観光旅行に行きました。(お世話になった中央信用金庫の本店近くに泊まっていました。)たぶん先生と入れ違いだった気
がします。帰る日の京都はあたたかでした。
子ども連れの京都も予想外に面白く、日記にアップしました。
ようやく春本番のようですが、花粉症は続く気配でしょうか。おからだ、どうぞお大切になさってくださいまし。
*
☆ 京都旅行 馨
いろいろなことが重なって、家族で京都に行って来ました。四年近く前に行って以来、家族で京都を歩くのは本当に久しぶり。
以前は、「どうせわからないだろう」と思って大人の好みにつきあわせていましたが、今回は完全にお子さま仕様の旅程を組み立てました。
着いた日は京都御所。事前に申し込みしておいて、おひな様で「右近の橘、左近の桜」を覚えたムスメと紫宸殿や建礼門を見て回りました。意外にも屋根の桧
皮葺を面白がったので、以降、建物の装飾の説明を増やそう、と思ったり。
御所から出て来た後は、夕方近くになっていたのですが、蛤御門の近くの桃林で娘は走り回って遊んでいました。松の根方でヒバリがエサを探していたり。桃
林からは大文字がまっすぐに見え、「大」の字が読めるようになった娘はこれにも興をそそられていました。
翌日は北野天満宮。お子さま向けにわかりやすいのは金閣寺かな、ということでそれを中心に、まずは初宮参りや七五三でお世話になっている荏柄天神のご本
家へ。
ところが、ついでのつもりの北野天神、予想外に面白がってくれました。拝殿の後ろまで来た時に、御所で建造物装飾に興味を持っていたのを思い出して、欄
間の透かし彫りを見てごらん、と言ってみたのですが、ちょうどそのあたりは最も格下で植物などが多い付近。次々に見ていくと、千鳥や山鳥、孔雀など鳥類が
増え、正面に近づくにつれ、動物が登場。拝殿正面では虎や龍がいて、娘は大喜びで一枚ずつ見ていき、結局一周してしまいました。
この拝殿正面は、もう一つ奥にまた欄間があって、ここは人物画で、おそらく中国の故事のよう。でも、そのあたりのことは私は詳しくないので、ぼんやり眺
めていたのですが、その中の一枚に、鼻が長ーく伸びた絵があるのを見つけた娘は、
「天狗の羽うちわだ!」
見てみると確かにその気配。確かあの話は中国から伝わったものなので、おそらくその通りなのでしょう。
「いいの見つけたねー」
と褒めると、にこにこ、お得意になっていました。
すっかり建物の装飾チェックにはまってしまった娘は、その後、龍安寺に行った時にも、門の鬼瓦が鬼でなく龍であることを見つけて、
「あ、龍だ!」
近くにいた管理人さんに、「お嬢ちゃん、ようわかるなー」と褒められて、またもお得意。龍安寺では肝心の石庭は見ずに、その背後の扉の木彫透かし彫が
「麒麟だ!」
と、またしてもチェック。(私は狛犬だと思うのですが、本人はキリンビールの麒麟だと言い張りました。)
この年頃の子に、どうやって京都を楽しませようかな、と思っていたのですが、こういう具象的な宝探しのようなことをすると、子どもってとても面白がるよ
うです。
せっかく連れて行った金閣寺では「あれ、金色じゃない〜」と由々しきことを大声で言うなど、あまり興味はなかったようですが、門のところから見えた左大
文字にはとても真剣。
ついには、送り火の載っている地図を広げて、他の形をチェックしはじめ、
「鳥居形も見たい」。
・・・これには、私、思わず「うっ・・・」。
八月十六日に京都で送り火を見たことは何度かあるのですが、目にしたのはいずれも両大文字と「妙」と「法」だけ。鳥居形の所在は自信がない。
時間もあることだし、大覚寺方面に行けば見えるかなぁ、、とそのあたりに行ってみたのですが、見当がつかず「京都で困った時はタクシー」ということで、タ
クシーに乗り込んで聞いてみました。
「あれは見えにくいもんですわ。大文字なんかとちごうて日頃から手入れしてるわけでもないから今の時期は見えんのですわ。場所によっては送り火焚く草む
らは見えますけどな。鳥居の形はむつかしなぁ」
確かに、見えるポイントを通って頂いて、そこから教えてもらった部分には、木の生えていない三角形の草むらが見えましたが、鳥居形は見えず。
この話、夜に食事に行った席で、昼は別行動だった母に話していると、(母と旅行に出たのも二十年ぶりくらい)、横にいた仲居さんが、
「見えますよ。あれは全部御所の方向を向いてるんで、御所の近くの高いビルの上か、京都タワーからなら」
「でも、今は鳥居の形は消えていたんですけど」
「いいえぇ、雪降っても鳥居の形に残りますもん。鳥居の形がなくなるはずはないですよ」
強く言い切られて、そうかなぁ、と。
私もダンナもしつこいタチなので、ホンマかどうか確かめようと、翌日京都タワーに初めて登ってのぞいたのですが、ちょうど春霞がかかりはじめた日で、山
そのものが見えずに断念。
それにしても京都の人って、尋ねると必ずウンチクを語ろうとするんですよね。知らない、と、絶対に言わない。これ、ちょっとラテン系入ってる気がしま
す。スペインやイタリアで人に道を聞くな、全然知らなくても自信を持って(間違った方向を)教えるから、と言いますが、近いものを感じるような。
そうそう、京都タワーの前に三十三間堂に行きましたが、ここで千体観音に感激してくれるかと思いきや、娘は二十八神将にご執心。観音様は持ち物にのみ興
味でした。何々を持っている、これは何々に見える、等。
この年頃って本当に興味の対象は具体的なんですね。それともこんなに「ブツ」にこだわるのは、現実的なうちの娘だけかしらん・・・。
帰り際に伊勢丹の地下で、麩嘉の麩まんじゅうと「黒おたべ」を姉家族のお土産に、三木鶏卵の出汁巻き卵と茨木屋の揚げ物を夕飯のお菜に買って、京都旅行
は終了。
ところで京都に詳しいどなたか、今の時期、鳥居形は行くところに行けば本当に見えるのか、実はやっぱり見えないのか、ご存知でしたら教えて下さい。気に
なりますワ。
* 京の山焼きはどれも遠方から観られるので、「鳥居形」といえどもそこそこ大きい。むろん東山の「大文字」ほどではないし、「妙法」や「船」のように、
譬えていわば字画はフクザツでない。そばまでいっても、季節により灌木などに埋められているし、間近すぎては形は容易に納得しづらい。食べ物屋の仲居さん
の言うている、ほどよい「雪」の日には、不思議でもあるまい、鳥居形が、東山よりの高いところから遠望すると、時に綺麗に浮かび上がっている。
わたしの高校は九条の東、東福寺より高みの日吉ヶ丘に在った。真冬、寒気に全身をさらして校舎二階三階の西はずれに立つと、京の下京を遠く越えてそれら
しくくっきり見えることがあった。いつもいつもではなかったが。
* もう一人、四国の「先生」からも京の旅便りが。「磬」を下さった方。打っています、なるべく心静めて。
* ひゃ〜っ、うれしい〜っ!と思ってしまいました。 讃岐
先生の歩かれた清水道、どこもここも思い当たるところばっかりです。興正寺別院は母(磬子)が青春時代を送ったところ。谷口松韻堂で、母は行く度いっつ
も清水焼を買うので、私一人で行ったときでもおまけしてくれます。
石塀小路のぬれた敷石を歩いて、八坂神社を抜けたら、ぱっと明るい、暑い(寒い)東山通り。
清水の七味屋から三年坂二年坂と続く道を、最近は娘も、夫や子供と歩く道になりました。母、私、娘、孫と4代がたどる道です。
私も3月18日に夫の供養に知恩院に参詣しました。
京都駅を降りたら伊勢丹の壁に白いものがチラチラ。なんだろうと目を凝らしたら雪でした。新大阪では降ってなかったのに、突然の春の雪です。
タクシー乗り場の行列を避けて地下鉄で四条まで出たのはいいけど、ここで雪のなかタクシーがつかまらず、さらさらさらさら雪は降ってきて薄いコートを濡ら
し、途方に暮れました。
やっと反対方向でタクシーに乗って御池通にまわって知恩院の、上まで行ってもらいました。
お彼岸だけどお天気のせいかお参りは多くなく、本堂内陣は寒さが伝わってきます。いつもながら黒光りする太い大きな柱を見上げて、ここなら安心して後生
を送れるなあと思ってしまう。寺院建築の壮大さの意味を、ここで実感する。
私のお墓はいらない。一片の骨をここに納めてもらおうと決めている。
お茶堂で熱いお茶をいただいてほっとし、売店で400円の傘を買う。すべりそうな脇の参道をゆっくり降りる。桜のつぼみはまだ堅い。
今日は、右手へ。岡崎方面へ。青蓮院の大楠を見上げる。向かい側はマンション群になった。以前工事中に値段が書いてあった。こんな値段でこんな所に住め
る人がいるのかと驚いたのを思い出した。
何か春のイベントらしく、道ばたに華道家の大きな作品がいくつも置いてある。
青蓮院はずれの公園の中に、このあたりにゆかりの文人を紹介した立て看板がある。丁寧で詳しく、写真も豊富。西行、池大雅、鉄斎、蓮月、与謝野晶子、夢
二、栖鳳と、熟読。
そこで新発見。
蓮月尼が、この近くで焼き物を制作、売っていたらしい。薄黄色い急須に歌が釘で彫った写真がある。ずっと前、骨董市で買った手塩皿とそっくりの生地と
歌。どこかの有閑マダムの手すさびの作品と思っていたけど、ひょっとするとひょっとするかも・・・!
お昼、三条通でおかめうどん(お餅と揚げ玉入り)を食べる。(これを私と娘は「にょろにょろうどん」と言っている。こしの強い地元のうどんに比べて、な
んとやわらかく、やさしいことかという気持ちをこめて。)
ここから、古川町の方へ行くのがおきまりだけど、今日は反対に東へ行く。
瓢亭の前を通って、南禅寺へ。それにしても、あのラヴホテルはなんとかならんものかと憤りを覚える。日曜日で、南禅寺は、すごいほどの人出。
お参りはやめて山門に上る(500円)。
階段の一段一段の幅がものすごく広い。
手すりや床は踏み慣らされて、つるつるぴかぴか。踏み外しそうで怖い。
登り切って、「絶景」を眺める。目の前の大灯籠や松の木を高く越えて、ずっと京の町並みや山々が望まれる。後ろは比叡山。
知恩院、東福寺と並んでの「三大山門」とテープのガイドが言っている。
登りよりもっと怖い階段をこわごわ降りて、疏水道へ。しだれ桜のつぼみがほんのり紅い。疏水記念館があり、インクラインの中に入れる階段が見えたので、
入ってみる。
田辺朔太郎という天才の存在を知る。設計施工に携わった弱冠土木学士の成し遂げた仕事の偉大さ、才能の大きさに驚く。
彼のノートの緻密なこと! ユンボも掘削機もない、ダイナマイトやセメントさえイギリスからの輸入であったという時代に行われた事業に、今さらながら驚
く。
田辺の書いた設計地図の片隅の四角の中に、「監獄」というのがあったのが気になる。なんの説明もないけど、必要だから書き込んだのであろう。(囚人がこ
の仕事に携わったというのをどこかで聞いたことがある。)
この疏水の水で発電し、日本で最初の電車を京都は走らせた。戊辰戦争や、蛤御門の変で傷つき、天皇を東京に連れ去られた京の人々の心を、この事業はどん
なに奮い立たせたか、わかる気がする。
勢いよく疏水の水は流れ、噴水は早い春の空気の中をふき上がっていた。
くたびれ果てて乗った新幹線博多行きが、満席。指定席とらなかったことが悔やまれる。
新大阪でやっと見つけた空席。
岡山まで『能の平家物語』(湖の本)を読みふけりました。口絵の敦盛の面「十六」。じっくり見て納得、ぞくりとしました。
気がついたら傘をいつの間にかなくしていました。
この単独物見遊山行、夫も許してくれるでしょう。
* 馨さんも讃岐さんも、楽しそう。
* 瓢亭ちかくの「ホテル」のこと、あれは評判がわるい。
しかし歴史的に言うと、大きな寺社の門前や鳥居本には、昔からお色気の場所、遊郭がつきもので、祇園も上七軒もかつての島原も伏見も、似たようなもの。
京にはその手の遺跡が、いたるところにある。南禅寺境内の出逢い茶屋風の建物には「禁令」がなんども出されていたが、あまり効果無く、その名残といえば謂
えそうなあのようなホテルかと想うと、ときどきくすりと笑ってしまう。
今は遊び女がいるのでない、あそこへは、お色気びとが自前に夢を見ようと忍び込む。太古からの発想でいえば、明浄処なればこその性的祝祭の場と謂えなく
もないから、わたしは憤慨まではしない、が、無いほうがいいのにと思う。
☆ 京都 七十泉
楽しめましたか。春めいてきましたね。小金井公園の桜はもう三分咲きかも。
お中日にドライブした海辺で、冷たい潮風に三時間程吹かれたせいか、夜中に初めてのような喘息発作を起こしました。これまでのようなチャランポランでな
く、十年先を目標に、しっかりと治療を受ける事にしました。有り難くない終生のお荷物。
それでも四月には京都へ行ってみようと思ってます。
* お大事に。わたしはこの週末に、なにやら、初めての「検査」を受ける。
* 思いがけなかった。本はずうっと読んでもらってきたが、ひさしく逢わなかった人から、いろいろ辛いことがあったようだけれど、大丈夫かとお見舞いをも
らった。清方の繪から抜け出たような江戸下町生粋の美女、わたしと同年齢だが。お見舞い嬉しく。
* どうしても通らねばならぬ関所のような仕事を一つ、済ませた。建日子らの忙しさとはまるでちがうけれど、四月、五月は難しい用もを幾つも抱えて、すこ
し大わらわにならねば、却って、からだがきつくなりそう。すくなくも退屈などという面倒な穴には落ち込んでいられない。ただ、忙しがる真似はしない。一つ
一つ、なるべく「よそ事」のように静かに観察しいしい片づけて行きたい。
☆ 14日に出かけて18日に京都から帰ってきました。気の向くまま、足の向くままに遊んできました。
篆刻をしている知人が奈良におりまして、日帰りで行ってまいりました。
奈良ならではの暮らし向きに感じ入りました。
お酒も、食事も美味しく頂いております。ハードリカーも大好きで、特にマテニー党で、飲み過ぎたりします。
ご都合のよろしい時に、お会いしたいです。 和 e−0LD
* 三月二十四日 つづき
* 日本ペンクラブ井上ひさし会長から、来期の理事選挙に当選しているので就任を受諾してほしいと郵便が届いた。半分がた落選を期待していたが、やはりア
テがはずれた。落選後の「会長推薦」なら辞退と心を決していたが、まだ働けとの会員支持の当選を、我が儘にはねかえすほどわたしはエラクない。今度はやっ
と自分の頭の影を踏めると思ったが、また二年先へ影の方でにげた。もっとも、五月総会で正式にきまるまでは単なる内示に過ぎない。
思えば今度の「湖の本」は通算第九十巻、二年後には、我も驚く「百巻」達成も不可能ではない。そして二年後の三月には「金婚」も迎える。
どうなるか分からない、が、謙虚に、ゆっくり慎重に、とりあえずその二年も、妻と一緒に歩んで行きたい。
* 晩飯を近くの「ケケデプレ」で。いまはもう一昨年のことか、やす香とみゆ希とを連れて行き、四人でこの店で食事した。そのテーブルはそのままそこにあ
り、孫二人はいない。まみいは、また泣いた。
いましも校了前の「湖の本」再校ゲラを妻に読ませ、案の定、妻は読んで泣きまた読んで泣いていた、やす香のことなど何も書いていないのに。
おそらく、読者の多くもほんとうに読み進められる方は、今度の本に感動の涙をたくさん流されることと想う。
いちばん読んで欲しいのは、今度こそは、建日子であり、夕日子である。
* 三月二十五日 日
* 能登を中心に大地震。犠牲が大きく出ないよう、祈る。
小松市の井口さん、金沢市の松田さん、金田さん、細川君ら、みなさんご無事であったろうか。
* 朝日新聞社の広告を、東京駅構内やいろんな所で旅行中に見かけて、苦笑の連続。
朝日新聞をとっていないわたしは、正確にその「文句」をここに書けない、が、箇条書ふうに全面「言葉」への賛辞と容認、つまり信頼と奉仕の意志表示に溢
れていた。
「バッカみたい」と思う。
新聞や雑誌やまたテレビなどで有卦にいった知識人たちの「言葉」が、いかに頼りないものか、イヤほど知っている。人や社会や時代をミスリードし紛糾のタ
ネにこそなれ、とてもとても、「話せば分かる」というわけにいかないことを、彼らこそがよく自覚していなくてどうなるのだろう。
その上で、だからこそ謙虚に「言葉」は用いなくてはならない、われわれは「そうする覚悟だ」と言ってもらいたい。
朝日新聞のような大きなメディアが、此の無反省で無自覚な、「言葉への全面の信と服従」を公衆に約束して暢気に安楽椅子にふんぞり返った様は、これほど
今日の「言論の軽薄と滑稽」とを示した愚例は、無類と言わずにおれぬ。
言葉なしに生きては行きにくい。だから言葉は丁寧に謙遜に使われねばならない。「言葉」ほど不完全で不十分なツールはないのだと覚悟の上で、「言葉を活
かす」しかないのである、人間は。それは、「心」ほど不完全で不十分な頼るに頼れないものはない、のと、じつに好一対。
現代、本気でか瞞着でかは別にしても、「言葉」と「心」とを、まさに「心なく」持ち上げて、人と時代とをミスリードする連中こそ恐ろしい毒物だと識って
いなければいけない。
何でもないこと。一度でも少し落ち着いて、自分の、また他人の「言葉」が、「心=マインド=分別=知識」が、どんなに頼るに頼れない頼りない不安定なも
のかに思いあたるほど、直ぐ出来ることはないだろう。
だが「言葉」も「心」も、生きるための最必要なものなのに、変わりはない。だからこそ、朝日新聞の広告のようなノーテンキな理解でなく、謙遜であれ、周
到に誠実に用いて欲しいと言いたい。願いたい。
「言葉」「心」とは、本当に本当に、慎重に謙遜に付き合わねばならない。
* 或る東洋人に、耳を澄まして、わたしは聴く。
☆ 「あたり前の生活の中でさえ おまえは言葉というもののむなしさを感ずるだろう それどころか もしそのむなしさを感じないとしたら それは おま
えがいままで 全く生きてなどいなかったということを表わしている いままで とても浅薄にしか生きてこなかったということだ。
もし何であれおまえの生きてきたことが 言葉で伝え得るとすれば それは おまえが全く生きてなどこなかったという意味なのだ 何か言葉を越えたことが
起こり始めたとき そのときこそはじめて生がおまえに起こり 生がおまえの扉を叩いたということになる。
そして究極なるものがおまえの扉を叩くとき おまえはまるで言葉など越え去ってしまう おまえは <ことば無き者>と化す。
口をきくことなんかできはしない ただの一語といえどもおまえの中に生じはしない。
何を語ろうと ことごとくあまりにも色あせ 生気なく 無意味でなんの重みもなく あたかも自分に起こったその体験に不義をなしているかのようだ。
これを心にとめておきなさい。」(星川淳氏の訳文に基づく。)
☆ hatakさん 京都の取材はいかがでしたでしょうか。
さて、私と同じ農水省所管のある研究所に、進化生物学・生物学哲学を専門とする三中信宏という人がいます。私と一度共著で論文を書きました。学術書のレ
ビューばかりの彼のHPに、珍しく秦建日子氏の「SOKKI!:人生には役に立たない特技」が取り上げられておりましたので、お知らせします。
このHP(というよりこの人自身)もなかなか面白いですよ。
「雄」さんの「mixi」日記、あまりに面白く、マイミクシィになっていただきました。
無事任期を終えて元気に帰国してほしいものです。 maokat
* maokatさんが「雄」クンと触れあってくれたこと、嬉しい。
☆ きのうは、家の床のワックスの直しがちょっとあったあと、携帯電話を見に出かけました。
四月のはじめに、実家へ帰ろうと考えていまして、長ければ一週間以上、二週間くらいいようと思っています。
しばらく帰っていなかったのと、母の腰の具合の悪いことも、帰郷の理由です。
それでね、携帯電話を持とうかな、と思って。
販売されているものは、あまりいいデザインがなく、買うなら小さくてかわいいのがいいのだけれど、ごっついのばかりでした。
新発売の薄いタイプは、高額なので、OUT OF 眼中。
「しょがない、これにしよ」と決心して店員さんに言ったら、「在庫がありません」と言われてしまいました。今日、別の店へ行ってみます。
ゆうべは、すごい雨でしたね。
今朝は大きな地震もあったようで。
風、おだいじにお過ごしください。 花
* いい索引のついた本は有り難い。作ったことのない人には分からないが行き届いた索引をつくるのは、たいへんな労力。労力以上に、半端に投げ出さない誠
意が必要だ。妻にてつだってもらって索引を正確にと、今日一日をかけた。頁数も全体に節約したいので、工夫が要る。
じりじりと発送作業も進む。
* 松たか子の『ひばり』をNHKBSが放映していた。録画しておいた。劇場で観るのがなによりなのは確かでも、録画は繰り返し観られる。
* 三月二十六日 月
* なにもかも、ジリジリと進めている。それが、確実。
* 地震の被害は小さくない。おそろしい。日本列島のいたるところ、真に、防備上、政治的・行政的対策と謂うに足る、何が、現に実感できるであろうか、わ
たしには見当もつかない。
我が家の中は大丈夫か? この瞬間に強い東西の横揺れがくれば、機械もろともわたしは、石のような福田恆存全集や鏡花全集や「古寺巡礼」の数十巻に頭を
割られるだろう。狭いなりに家中のどこかしことなく危険がいっぱいだ。
* 浅田麻央の五位から一位への演技のみごとだったこと、その涙もともども美しかった。結果二位であったけれど、わたしたちは「優勝」に等しいと拍手し
た。大満足した。安藤美姫敢闘の優勝にもわたしたちは感動した。よく立ち直って此処へ出てきた、すばらしいという言葉しかない。
白鵬の優勝も祝いたいが、朝青龍の千秋楽本割り相撲とともに、落胆した。ま、苦笑いの横綱に八分の非、作戦としてうまくつけ込んだ大関にも、それでも、
少し非はのこる。可憐な少女たちの前では、カッコわるい。
水泳の北島、柴田らのけれんみのない敢闘がかがやいている。
☆ 秦さん 迪子さん
迷っていましたが、ホームレス支援のCD、やはり聴いていただきたくて今日お送りました。郵便で明後日(水曜日)到着予定です。解説もぜひ(小さい字な
ので恐縮ですが)読んで下さい。
「平和に関する信仰的宣言」というパンフレットも同封しました。
この宣言の起草者たちがホームレス支援機構のメンバーとして支援に関わっておられます。
四年余り前から、***バプテスト教会に通っています。私は直接の支援活動(炊き出しやパトロールのお手伝いなど)はしていません。教会にはときどき、
元ホームレスの方々や現在も野宿している人たちがやって来るので、お話することはあります。そんななかで出逢ったお一人を忘れることができません。
その方は七十を半ば超えてようやく自立なさるところでした。生活保護の申請をしたけれど、遠縁の遺産わずか二十数万円のあることがわかって、受けられな
いでいました。自立直前に病気がみつかり入院され、半年くらい経ったときに自殺されました。剃刀で。お腹を切って。普通なら脂肪などが邪魔するはずなので
すが、路上生活が長くてあまりに痩せておられたので、簡単に血管に届いて大量出血。手当ては間に合いませんでした。
父に似た雰囲気の方でした。一緒に教会のお昼ご飯を隣の席で食べました。牧師の子供たちに目を細めて「えぇ(好い)、お子です。えぇお子達です」と言っ
ておられました。
その方に逢ったとき、もしかしたら父もこうなるのかもしれない(父の弟は戦後すぐに行き方知れずになっていました)、家にいてさえ「ホーム・レス」には
なり得る、と感じました。父をそうさせてはいけない、と。その頃の私は父との関係がうまくいっていませんでしたから(今でさえ、けして上手ではありませ
ん)、父の孤立を懼れました。
すべてのホーム・レスたちのために。CDにはそう書いてあります。野宿している人に石を投げる中学生。彼らもホームレスかもしれない、と投げられた当人
が心配してくれるのです。こんな真夜中に家に居ない、居られないなんて、と。
能登の被災者もまた、昨夜からホームレスです。同じ日玄海島の人たちは二年ぶりに帰島されました。
やす香さんに逢いたい そう想われる日々でしょうね。私でさえ、あぁ お逢いしたい と懐かしく想うのです。
月命日に間に合わないのは残念ですが、ご一緒に聴いていただけたら〜カタルシス作用は良いといいますから。涙は存分に流して。
どうぞ、お二人ともお大切に。お健やかな日々をお祈りしています。 碧
* ホームレスに石を投げる子供たち。彼らも同じ意味でホームレスなのだという指摘は、じつに示唆に富む。CDを戴くと。感謝して待とう。
* 三月二十六日 つづき
* NHK教育テレビの、アヌイ作・蜷川幸雄演出・松たか子主演の『ひばり』を観た。どうやらその撮影はわたしたちの観た同じ日のものらしかった。主演者
のではない、記憶に残る誰かの一つの科白の揺れ、また王太子シャルルの鬘のもげた滑稽なミス一つ(まさか毎日あんなことは起きていまい。)が、そのまま出
ていた。
わたしはむろん遠眼鏡をひっきりなしに愛用していたけれど、さすがにテレビは、ときおりジャンヌの表情を精緻に見せてくれる。それがけっこうだった。
今日の録音技術にしてなお救われないほど、例えば司教役らの滑舌下手がきずになっているものの、何という松たか子の自然な真実感に富んだ集中力・演技力
であったか、おそろしいほど大量の科・白を、音楽的にまた彫塑的に創作していた。言葉とからだとで一分の空疎な隙間もなくみごとに満たし、彼女が、いまや
日本の若い「主演舞台女優」の力を完きまで発揮しているのを再確認した。すべて豊かで正確だった。真摯に演じていた。
* 再度つぶさに観て、先日書き置いたわたしの「ジャンヌの誠実、近代への誠実」は再確認できた。何一つ書き直す必要がない。
念のため書き加えるとすれば、大審問官らは「神=教会≠人間・人間性」の信仰と権益に固執し、ジャンヌは「神性=人間の自覚」に到達したのである。
劇は、ジャンヌにより王太子シャルルがやっとランスで戴冠したことが、戴冠式までのジャンヌの「ひばり」のような囀りこそが、後世に記憶されるのだと言
いたげであるが、大審問官が、自分たちのジャンヌへの勝ちを内心の恥辱として呻いていたように、それは大きな「反語」であり、本当にジャンヌの体現した大
切な真価は、空疎で政治的な戴冠式から以後のジャンヌ、人間的な自覚を神への帰依にみごとに託しきった「ジャンヌの死生」にあることを物語っているし、ま
たそうでなければ軽薄な「ひばり」の囀りに終わってしまう。
中世の神にしがみついた大審問官や司教やローマが、ジャンヌに対し真実懼れていたほとんど自壊の自覚を、やがてルネサンスが痛烈に衝いて、人文主義・
ヒューマニズムの近代へ怒濤のように人と時代とを押し流す。そして「神は死んだ」とまで言われるところへまたも近代は煮詰められて行く。
ジャンヌは近代をぐっと引き寄せた、もっとも純真で清潔な、しかし熱い魂の「先駆者」であったと、わたしは言うのである。
今夜、舞台をもう一度見直し、さらに確信できた。
ローマにいち早く反旗を翻したイングランド。その代表者のような貴族が、結果的にジャンヌに内心の理解を吐露し、ジャンヌに頬にキスされてたじろいでい
たのは、印象的な場面だった。この英国貴族は、カソリック・スペインから派遣された大審問官が、「人間的であること」を「悪魔」のように憎悪し敵視するの
を、内心軽蔑し、またフランスの司教たちのローマ法王庁に全面依存のさまに「虫ず」を走らせていたのは、「議会」を育てていた「イングランド」の貴族なる
がゆえに、意味深いし興味深い。
* おもしろい、優れて良い舞台劇であった。もう一度拍手を送った。
* 去年は、ろくに花見もしなかったのではないか。やす香の学校に近いというので妻と飯田橋から市ヶ谷へ土手の花見を楽しんだのは、去年ではあるまい、一
昨年。
それでも堀切の菖蒲をながめ、柴又の帝釈天をおとずれたのは、去年だった。寅さん映画を四十八本ほぼ全部は観てきただけに、ときおり柴又へ無性にまた行
きたくなる。
* 三月二十七日 火
* 『宇宙誌』がおもしろく、つぎつぎと惑星に関する最新記事に驚嘆している。月、水星、金星、火星、木星、土星まで読んだ。惑星探査機のすばらしい成果
にしんそこ感嘆。もってきたささやかな知識を豊富に塗り替えてもらった。本が傍線で真っ赤。
* マキリップ『星を帯びしもの』の英語原作も三分の二を過ぎて、いま、ヘドのモルゴンは、狼王ハールに痛い説教を食らっている。モルゴン自身はあくまで
自分は、真っ先にヘドの領地支配者であり、また謎解き人であり、そして「星を帯びしもの」でもあると言い張るが、ハールは「NO」と。生まれる前からそな
たは「星を帯びしもの=スターベアラー」以外の何者でもなく、そのことに今しも違和を露呈した全王国の「運命」がかかっている、それほどの危機に世界は遭
遇しつつあるのだ、と。目覚めよと。多くても五頁ほどずつ楽しんで、のめり込んで読んでいる。
* 世界史は、清の、順治帝を過ぎて、世界史的な名君の一人康煕帝の時代を、興味深く読み進んでいる。太宗いらい、清の建国がこんなに確乎とした足取りを
もっていたのかと、実は眼から鱗を落とし落とし、おどろかされてばかりいる。
どうも「清國」はその末期から近代中国への交代期に先入見が出来ていて、妙に情けない國のように感じがちで来たのだが。焼き物ぐらいにしか関心が向かな
かったが。
少なくもその前半期の皇帝たちの姿勢ないし施政に対し、たいそう「失礼していた」と悔いてさえいる。
* 「mixi」に、京都での写真三枚と「旅」のことを書き送った。写真の中にパステルの「舞子繪」を入れてみた。雨もよいで薄暗い店の中の硝子張り額絵
にフラッシュをたいているので、照りと歪みとで素人繪っぽいリアル味が表へ出た。衣裳の色づかいが佳い。
* 夕方、建日子が、糖尿病に欠かせないインシュリンに相当するとか、「きくいも」を持って来てくれるらしい。ありがとさん。
☆ ボス直伝 雄 ハーバード
いつものように顕微鏡に向かって,一向にうまく行かない実験をやっていると,突然ボスがやってきて「調子はどう?」と聞いてきた.
今までにも,廊下で擦れ違ったときなどに,仕事の進行を聞かれることはあった.しかし,それはあくまでも挨拶の一環のようなものであって,たまたまそこ
に僕が居たからというだけに過ぎない.
しかし,今日は明らかに,僕に用があって聞きに来たという様子だった.特に思い当たるようなこともないだけに,なんとなく気になる.あまりの進みの遅さ
に痺れを切らしたのだろうか? あるいは,先週末はシンポジウムに出かけていたが,そこで会った僕の知り合いから,何か聞かされたのか? あれこれと余計
な詮索をしてしまった.
今の進行状況を一通り伝える.JCに教えてもらった組織標本の作製が依然として上手く行っていないことを伝えた.JCがどのように組織標本を作製したの
か説明させられ,一通り説明すると,
「その方法だと,この実験には問題があるな.じゃあ,僕が教えよう」と言い出した.
実は,今の状況に僕自身が痺れを切らし,今朝,ある決断をしたばかりだった.今までの実験は引き続きやっていくが,並行して,別のプロジェクトもやるこ
とにした.コーリーが以前から提案していたテーマでもあるので,今朝一番にコーリーには相談した.
ボスにも相談しようと,秘書のフィリスにスケジュールを確認してもらったのだが,あいにく今週は空いておらず,来週火曜日にディスカッションすることと
なっていた.ボスは僕が予約を入れたことを全く知らなかったので,今日僕のところに来たのは,そのためではない.
「何時が空いている?」とボス.「来週の火曜日にディスカッションの時間を取らせて頂きましたが」と答えると,ボスは
「それじゃ遅いな.うーん,どうしよう.明日は何時にラボに来られる?」.
そう言われて正直に,「いや,最近弛んでいて,9時のセミナーに間に合わせるだけでもしんどいんですけど」とも言えず,「何時でも構いません」と答え
る.するとボスは
「じゃあ,明日の8時から,セミナーが始まる9時までに標本の作製の仕方を教えよう.それじゃ」と言って去って行ってしまった.勢いに圧されて,相談する
はずだったことについても,切り出せずに終わってしまった.
それにしても,ボスが実験するのなんて何時以来なのだろう.少なくとも僕がここに来てからは一度も見たことが無い.研究室主宰者になれば40歳を越える
辺りから自分で手を動かして実験する機会は減るので,50歳を過ぎたボスが自分で手を動かす姿は想像がつかない.
コーリーに伝えると,「うーん,それは災難だねえ.大惨事になるよ」.確かに,今までの僕自身の経験でも,ボスが自ら何かを教えると言い出した時には,
碌なことがない.
ただし,この世界でトップレベルと誉れの高いボスの実験を見たいという好奇心はある.何より,わざわざ朝早くから来てくださってデモンスト
レーションしてくださるというのが嬉しいし,有難い.
とりあえず,明日は早起きが一番のネックになりそうだ.未だに夏時間に身体が対応していない.セミナーの後には,コーリーに新しいテクニック
を教わることにもなっている.やることが沢山ある.早めに寝なくては.
* 郵便局へ走っただけで、鼻がくすぐったくてたまらない。花粉が舞っている。幸い眼にひどくないので大助かり。
* 九大今西祐一郎教授の『蜻蛉日記覚書』を頂戴した。
『蜻蛉』は、「日記」という名の、文学史初の「私小説」であるとわたしは位置づけている。楽しんで読ませて頂く。
先日の東大竹内整一教授の『はかなさと「日本人」』や、故実相寺昭雄の自伝小説『星の林に月の船』も興味深く読んでいる。
「オール読物」の往復書簡は今月は父幸四郎。雑誌が送られてきた。今日のうちに読む。
* 夕方、「レベル9」の碁敵と黒番で対局中に、建日子ら来訪。かろうじて十五目あまり勝ち、次は「最強」と称するレベル10と対戦することになる。
建日子たち、日立牛とキクイモとを持参、一緒に食事していった。巨猫のグーも同伴だった。いましがた仕事場へ戻って行った。
* 建日子が、同世代ないし上世代の「他」ジャンルの人たちで、互いに力を認めあえ敬愛しあえるような存在と、次々に出逢って行けるといい、充実と飛躍の
ためにはそれの必要な時機に来ている。それを痛感する。ちいさなお山の大将に甘んじていると、真の力の点で置いて行かれるだろう。力のある人たちにこそ認
められ敬愛され信頼されるように。そう願う。同じ業界だけのぬるま湯でへたな風邪をひかぬように。
* 小説を四作も一時に機械から喪った「mixi」の人の歎きが、他人事でなかった。どう慰めても慰めきれないのは重々承知。それでも早く立ち直ること、
それしか薬はない。そう思って励ました。自分を励ますように。
相当な時間と労力で整備したつもりの原稿群が、わたしの機械でも、ワケ分からずに消滅しているのに二三日前に気づいた。捜索しても現れない。
狐に鼻をつままれたようなことは、イヤほど経験している。創作物の場合は諦めきれないが、結局忘れてしまうというやり方で諦めてしまう。いまも、そうだ。
ここ暫く、発送用意を主作業にせざるをえない、あまり機械を開けないだろう。
* 三月二十八日 水
* リングのある惑星。その目をむく組成の不思議。もし地球に、衛星の月のほかに土星や天王星のようなリングがあったら、夜空はどんななだろうかなどと子
供のように夢をみる。
何十億マイルもの太陽系の端まで惑星探査機が行っている。だが銀河系からみれば太陽系なんてひとしずくほど…と教えられると、妙に嬉しくなる。子供にか
えったような嬉しさだ。
* 幸四郎が娘にあてた今月の往復書簡は当然のように松たか子主演の『ひばり』に触れていた。それは、自然なこと。
それでも、今度はすこしわたしにも思うことがあった。
「親娘私信の往来」なら、これでいい。十分いい。幸四郎がもし自分のブログをもっていて、そこで親娘で「私語」しているなら、それでもいい。
しかし雑誌「オール読物」は読者に読ませる出版物であるから、読者を置き去りに、もしもしてしまうことがあれば、それは観客を置き去りにした芝居と同じ
ことになる。
藝談もむろん聴きたい、舞台の苦心にも興味は尽きない。しかしどうしても話題が、劫をへてきた大俳優の「過去」の閲歴がらみに自画自賛ふうに読み取られ
かねなくなると、自然、読者は、これまでにくりかえし聴いてきた、読んできた話柄をまた掴まされることになりやすい。書簡執筆者の常に「読者」を念頭にし
た叙事に、オオッと喝采したくなる目の覚めるような工夫やサービスが欲しくなる。
読者は、幸四郎や松たか子が、現代日本や国際社会や法律などにどんな関心を持っているかも知りたい。『ひばり』のような優れた演劇に出逢ったのだから、
この際、神や信仰や宗教観なども聴いてみたい。藝人と宗教感情には久しく流れてきた歴史の水脈もあるのだから。また仲間内の仲間ぼめにとどまらない、新し
いまた伝統的な藝術・藝能のフラッシュに、どんな個性的な視線をとばして、どんな内心の批評をもっているかも知りたい。
東京や京都といった都市へ、また地方の自然や生活や風習へ、また役者という立場からみた日本や海外の歴史への思い入れとか、さらには趣味の俳句をはじめ
日本の詩歌のこと、とりわけ日本語のこと。また音楽のこと、歌唱藝の楽しさや苦心や、そういうことも話し合って欲しい。
また庭先の季節の色や花や、たとえば役者の日常に必要不可欠であろう「書」についてとか、目新しい見聞録とか出逢いとか、「言葉」と「しぐさ」つまり
「科・白」の微妙な、みどころ・ききどころとか。そういう読者の思いや嬉しさを肥やす話題もほしい。
雑誌という場での往復書簡は、私事の披露と同時に、読者と分かち合うそういう公開性をもっている。
そんな気が、した。
* 梅原猛さんと二人で編集顧問をつとめている雑誌「美術京都」がようやくNO.38を出した。この号の巻頭で、梅原さんが陶藝作家秋山陽を迎えての対談
『<土>とは何であるか』がとても佳い。面白い。
この村上華岳の墨の繪を表紙に置いた年二冊の雑誌は、巻頭対談と、六、七十枚も量をさしあげる長い論考一作とで、構成している。その方が意を尽くせるか
らだ。この号の論考は、京都工藝繊維大学大学院教授である並木誠士氏の、『中近世絵画史における扇絵』。これも面白い。
団扇絵についても誰かに書いて貰おう。
* 今夜、利根川裕氏の出版記念会がお茶の水の山の上ホテルである。返事を出し忘れていたのに気づいた。
歌舞伎関係の本が二冊出たらしい。春はいろんなこういう会があり、みながみなは付き合いきれないが、山の上ホテルなら妙に身近な気がするので押しかけて
いってもいいが。
この前の会では一席お祝いのことばを述べてきた。そのときに中村雀右衛門丈や、ニュートリノでノーベル賞の先生と椅子席にならんで、漫然と歓談したのも
思い出せる。
そういえば井上靖文化賞の授賞式が同じホテルで先日あったのは、出席通知を出していながら失礼してしまった。
* 今西九大教授に頂戴した『蜻蛉日記覚書』は、『土佐日記』冒頭の、例の「をとこもすなる日記といふものをゝんなもしてみんとてするなり」の意義理解か
ら書き始められている。この部分の書かれたのは、小松英雄名誉教授の近刊『古典再入門』の刊行以前であるだろう、と想う。
小松さんは『土左日記』の読みを主材料にして瞠目の新見を展開されていて、明らかに此処に今西さんが要約されている理解とは正面衝突する。俄然として読
み進むのが楽しみで。
* 日本の小説で、ああこれは名品・名作だなと思える作には何年も出逢っていない。最近読んだ露伴の『連環記』ははるか以前の作であるが、読み直してじつ
にみごとな大文学であった、圧倒的な文学作品であった。ああいう感動をいまはだれも与えてくれないが、研究や論考の中にはときどきそういう鮮鋭な収穫があ
るから、どうしてもそちらへ気が惹かれてしまう。
蜻蛉日記はいうまでもない仮名書きの日記ふう私小説である。土佐日記もまた先駆した同種の文学作品であり、蜻蛉を論じる今西さんの念頭に終始土佐のあっ
たろうことは当然だろう。小松論考を一方に控えながら、今西論を玩味嘆賞させてもらう。
☆ 早朝練習 ハーバード 雄
昨日約束したとおり,朝8時から標本作製をボスに教わった.朝8時からなので早朝というのは大げさだが,緊張したせいか,朝4時半に目が覚めてしまっ
た.昨晩寝たのは12時過ぎだったのだが.
5時半ごろまでベッドの中でゴロゴロしていたが,これ以上すると次に起きた時には遅刻している可能性があるので,諦めて起きた.
6時半に家を出て,7時過ぎにはラボに到着.動物や器具などを準備していると,8時10分前にボスが現れた.同じ頃出勤された,隣のラボのボスが,うち
のボスを見つけて「お,早いなあ.どうしたの?」と声をかけていた.「実験を教えるんだよ」とボス.
準備を終えて,8時きっかりから教えて頂く.
ボスのやり方は,これまでに教えてくれたコーリーの方法ともJCのそれとも全く異なっていた.強いて言えば,コーリーとJCの方法は似ているが,ボスだ
け大きく違う.ボスから技術を習ったはずなのに,何故このようなことになるのか良く分からない.ボス独自のこだわりが随所に現れていて,足りない器具をリ
ストアップし,発注することとした.
ボスよりもJCの方が手先は器用そうだが,ボスの方が丁寧にやっているようで,最終的に出来上がった標本は,今までの中でもっとも美しかった.ボスに説
明してもらったことで,どこに神経が走っているのかや,どこを切ってよくて,どこを切ってはいけないのかがはっきりした.
ちょうど1時間かけて標本作製のデモが終わり,すぐに週1度のプログレスレポートが始まった.今日の担当は,ニュージーランドから来ているフィル.割合
年配の研究者で,ボストンへは1年間だけの短期滞在.かつては日本にもこのような制度はあったのだろうが,今では任期制の職ばかりになってしまったので,
このような制度が残っているニュージーランドがうらやましい.
どうやら睡眠時間が足りないと,英語の理解力は極端に落ちるようだ.英語は明瞭だが,何を言っているのかさっぱり分からない.それ以上に,目を開けて居
続けることが辛い.ただでさえ話が長い上,スライドも箇条書きの文字だらけなので,文字を追っているつもりが気づくと夢の中,というのが何度もあった.
セミナーを終えてから,昼食を挟んで,ボスに教えてもらった方法で練習.大分,コツが掴めて来た気がする.
コメント カナダ 2007年03月28日 10: 58
NZの方、サバティカルですか?
実際最先端を走っていらっしゃる方でサバティカルをする勇気のある方は、こちら北米でも少ないのではないかと思います。と言っても私の分野最王手のPI
は、どうやら日本でサバティカルされたそうですが。
昔私の大学院の教授が実験を再開するとか言い出したとき(結局しませんでしたが)、私の同期が教授室に閉じ込めようかなんて言ってたことを思い出しま
す。こちらは教授との距離が近くてよいですよね。
雄 2007年03月28日 11:10
NZの方が,どのような身分なのかは良く分からないのですが,教授ではないようです.サバティカルというよりは,日本であった(今もあるかもしれないで
すが),休職ではなく現職のままで籍を置いて留学するというタイプのようです.
僕の大学院の教授も,先輩にマウスを使った実験をさせたくて,「僕が教えるから一緒に行こう」と先輩を,無理矢理,動物舎に連れて行き,注射の仕方を教
えてくれたらしいですが,ふと先輩がマウスを見ると、白いはずのマウスが赤く...どうやら,手を噛まれたらしいのですが,痛いだろうに教授は一言もそれ
には触れなかったそうで,先輩は笑いをこらえるのが大変だったそうです.
カナダ 2007年03月28日 11:36
男気のある教授ですね! かっこいい。
* こういう「mixi」はとても楽しい。MAOKATがマイミクを希望した気持ち、分かる。メールにも、こういう生活的・体験的なのが増えるといい。文
学や映画・演劇批評なんかも、もっと歯に衣きせぬのがあっていい、無意味なおひゃらかしでは迷惑するが。
☆ 【訃報】花嫁の父 植木等氏 麗 北海道
「日本一の無責任男」植木等さんが死去(読売新聞 - 03月27日 20:11)
もう30年近く前,親戚の結婚式に参列した。場所は,池袋の某大学構内にあるチャペル。
式場に着くと,午前中の式が終わったところだった。チャペルから出てくる参列者の中に『ハナ肇とクレージーキャッツ』の面々を見つけたときは驚いた。植
木氏のご令嬢,植木ひとみさんの結婚式だったという。
「花嫁の父」植木氏は,緊張したような,憮然としたような面持ちで,チャペルの庭に立っていた。当時10代の自分に,その複雑な胸中は推し量れるはずも
ないが,嬉しさや安堵感とは無縁の,ましてやTVや映画では絶対に見られない,見せない表情だ,と感じたことは覚えている。
花婿と見紛うような,白のタキシードスーツ姿であったことも。
その数年後,私も同じ日を迎えた。その日,父が植木氏と同じ表情をしていたかは,記憶にない。
また,昭和がどんどん遠くなる。 合掌
☆ 日本のコメディの終焉 鳰 滋賀
俳優の植木等さんが27日午前10時41分、都内の病院で呼吸不全のため死去した。80歳だった。
すでにお歳だったから…そんな日もいつか来るのだと…心では思っていたけれど…寂しさは拭えない…もうあの飄とした、姿を見ることは出来ない
日本最高のコメディアンは植木さんだと…あの人を越える存在はたぶん、もう、現れない…
どうか、あちらでもご活躍を…
私はコメディエンヌになりたかったの。
ゴールディ・ホーンみたいな…
日本にはいないでしょ?
この顔は決して美形とは言えないしね〜。
ライザ・ミネリとか、シャーリー・マクレーンとか、もちろんマリリン・モンローもそうなんだけど、歌って踊れてわらかして泣かせる役者になりたかった…
学生時代、役者として最初に貰った役がちょいとおつむの弱いメイドの役だった。あまりにハマりすぎて、日常もいまだにどこか抜けてるけどねえ…
この国で言えば、植木さんが一番近かった。高度成長期の働くことが美徳とされた時代に「わかっちゃいるけどやめられないっ」だもんね〜
早世された太地喜和子さんにものすごい憧れてた。妖艶な演技も上手かったけれど、ちょっとずれた役どころもたまらん上手かった…
吉田日出子さんも好きで同じ劇団を受けたとき、実物に偶然お会いしました。ドラマと全く同じテンポでした。
あるとき、吉田日出子さん主演の舞台を観にいった時、客席にいる自分に気がついた…
わたしのいたかったのは、あっちだと…舞台の上なんだと…
それから観劇から遠ざかりました…
* メル・ギブソンと演じた『バード・オン・ワイヤー』のゴールディ・ホーン、我が家ではあだ名を「ギャー」と呼んで親愛しています。十何度も観たでしょ
う。身動きに切れ味のある端倪すべからざる女優ですね。
シャーリー・マクレーンは断然たる名女優、愛しています。マリリン・モンローほど愛すべき愛おしい女はいません。
植木等には同時代人としての尽きぬ親愛と、時代を妙な方へひきずってくれた、かすかな怨念とを持っています。経営者たちの支配意識に火をつけ、今日の格
差のひどい貧しい労働環境をミスリードしてくれた植木等でもありましたか。息子の秦建日子を俳優として鞭撻してくれた人としての感謝も深い。
晩年のおちついた役者ぶりをわたしは好んでいました。 合掌 湖
* 三月二十八日 つづき
* 出版記念会は結局不参。リュック・ベッソン監督の『2001年宇宙の旅』を聴きながら、作業。また下関から届いたホームレスと連帯した歌のディスクを
聴いて、作業。また雑誌「ひとりから」の、憲法を守り抜こうというメッセージも聴いた。
☆ 身辺慌ただしく過ごしています。住所は変りませんので、湖の本を楽しみに待っています。読み耽るとどっと運ばれてきた荷物の整理がつかないことにな
りそう……。
時々、わけわからず涙が溢れてきます。なぜでしょうね。
昨日はやす香さんの月命日でした。やす香さんも歩いたであろう四谷の土手のことを書いていらしたので、もうじき桜が満開になるあの眺めをなつかしく思い
出していました。春風を頬に感じます。
理事に再選は当然のことと思っていました、まだまだお働きくださいませ。老朽なんてとんでもない。益々華やぐお人です。
島尾ミホさんがお亡くなりになったというニュースがありました。あなたの人生にあのような女人が深く関わっていたなら、どんな小説を書いたのかしらと、
ふと不思議な感覚で想像してしまいました。島尾敏雄の『死の棘』をどう評価していらっしゃいますか。
それにしても今日はうららかな一日でした。近所の桜は三分咲き。週末にはお花見日和になりそうです。今年、どこで誰とお花見かしら。妬いてはいけないけ
れど。
落ち着きましたら、またメールさせていただきます。お元気でお過ごしください。 おやすみなさい。 春
* 花粉でしきりに鼻がくすぐったい。くしゃみ、連発。
* 三月二十九日 木
* 昨日おそく、猪瀬直樹氏から文庫本『ピカレスク』(文春文庫)が贈られてきた、感謝。単行本で出たときも貰い、とても面白く読んだ。猪瀬氏の本の中で
一、二と言いたい追求度で、興味津々というにとどまらない、率直で正確度の高い仕上がり。
「太宰治」という過剰な偶像を相当程度まで正当に批評し得ていて、内心に想っていたいろいろを、ずいぶん代弁してもらえた気がした。ピカレスクとは思い
切った題だが著者の容赦ないしかし偏見もない見方が出ている。
太宰文学のよさ、長所は認めている、わたしも。心酔は、だがどうしても出来ない。わたしをこの世界におしだしてくれた有り難い名前であり優れた作者であ
ることはよく分かっている。好きな作家ではないというに過ぎず、そんな好き嫌いは文学としては意味をもたない。希有の人である。
猪瀬氏のターゲットには井伏鱒二もあがっている。これまた太宰賞に一票を戴いた先生であるが、猪瀬氏の追究にも同感できるところがある。純然の文藝批評
家でない自由さがみごとな成果につながった氏のこの作品は、多く読まれるに値している、愉快でないと読む人も少なくはないだろうが。
著者の猛勉強の威力が結実。こういう面の猪瀬直樹をわたしは敬意をもって好いている。
* 下関の方が送ってきて下さった「ゴゥイングホーム」と題した歌謡集のディスクを、歌詞をみながら昨夜、妻と、聴いた。ホームレス支援の運動の意味もい
ろいろ想いながら。
「ホームレス」と謂えば、広く汲めばむかしの「出家」の意義にも届く。またたんに世にあぶれた「宿なし」ともみられているが、アクティヴな「遁世者」と自
認している人もあるようだ。
釈迦もイエスもホームレスだった。
だがそういう一面をだけ傍観していては済まない、もっと厳しい現実社会問題としての側面がある。大きく、ある。きれい事では済まない。手だては、立って
いないように想われる点が厳しい。
* つくばの和泉鮎子さんに頼んで、以前にながく連載されていた和泉さんの「小侍従」論を送ってもらった。もういちど通して読んでおきたかった。
宅急便で届いたのですぐ開封し、鞄に入れて家を出た。往きと帰りの乗り物の中で、また途中乗り換えのところで喉をしめしながら、全編を一気に読み通し
た。
これは佳い仕事だ。前にもそう思ったが、これがどこかで本にならないなんて犯罪的だと思う。小侍従という和歌の名手の環境がかなりクリアに多面的によく
捉えてあるし、和歌の魅力が魅力満点に読み込まれている。中西進氏が「あの人は才媛ですよ」とわたしに褒めていたが、その通り。もう惜しいことに若くな
い、わたしとどっちがどっちという、E-OLD。しかし気迫は若い。「ペン電子文藝館」の委員として最も信頼できる委員の一人である。
* 鶯谷の老舗の蕎麦処で蕎麦湯わりの焼酎をきゅっきゅっと引っかけて、上野公園の白っぽいもう九分咲のトンネルをまっすぐくぐり抜け、広小路からつうっ
と大江戸線で帰ってきた。眼がかすかに痒く、くしゃみと咳とを連発し始めたので、街に長居はむりだった。帰って直ぐ発送のための用意仕事にかかる。
☆ 助教 博士
僕は現在も日本の研究所に「助手」のポジションがあり,「休職」という形で留学している.休職期間は2年間.
しかし,2年後に復職できるとは限らない.僕が休職している間,教授は新しい助手を雇うことができる.2年後に,新しい助手の方が辞めない限り,僕の戻
る場所はない.
とはいえ,僕には現在でも日本の研究所の「助手」という肩書きがある.
今日,日本の研究所からメールが届いた.学校教育法が改定されるのに伴い,今年の4月から,僕のポジションは「助手」から「助教」になるらしい.他に
も,今までの「助教授」は「准教授」へと変わる.
これには,「助手」というと,いかにも「お手伝いさん」という印象が強く,身分が低いように聞こえるから,という理由がある.
「助手」と「博士研究員」とでは,「博士」と付くだけあって後者の方が偉そうに聞こえるが,大抵の場合,「助手」は「博士研究員」を経てから就任する場
合が多く,また殆ど全ての「助手」は博士号を持っている.
しかし,ならば「助教」はどうなのか? 初めて聞いたとき,なんと納まりの悪い名称だろうと思った.この名称に決めた人たちのセンスが理解できない.
そもそも,何故このような名前になるのかには,アメリカの大学・研究所での「Professor」の名称が、背景にある.
アメリカでは 「(Full) Professor」, 「Associate professor」, 「Assistant
Professor」と、3種類の「Professor」があり,日本語での直訳は、それぞれ「教授」「准教授」「助教授」となる.しかし,これまでは日
本では、「教授」,「助教授」,(大学によっては「講師」),「助手」となっていた.そこで,これをアメリカ式に合わせるために、「助教授」を「准教授」
へと繰り上げた訳である.
ならば助手を「助教授」にしてくれても良さそうなものだが,その辺りがいかにもケチくさい.「助手」を「助教授」にしてしまうと,「講師」が「助教授」
よりも下のような印象を与えるからだというのだが,だからといって「助教」というネーミングはどうなのだろう.
そもそも,日本は日本のシステム・職名で良いのではないだろうか.名称を変えたところで,実質的に何か変わるとは思われない.変なところばかりアメリカ
の真似をするのは,もういい加減,止めても良いのではなかろうか.
* ま、わたしも国立大学の「元・教授」ではあるのだが、それも、ま、今では対岸の火事のようで、すこしく野次馬めくけれど、こういう話題、局外者にはア
ハハと面白い。博士の助教クン。ゆるされよ。
それにしても「助教」はやっぱり、ナンダカ、たしかにヘン。明治頃ではなかったか、臨時雇いみたいな小学校の先生が「助教」と呼ばれていなかったか。石
川啄木など、そうではなかったろうか。ウーン
☆ 花冷え 碧
毎年お茶の先生の御宅の桜を楽しみにしている。お向かいのお寺さんの桜が少し早く咲き、そのうち小路に花のトンネルが出来る。月曜からの陽気で一気に開
いたと、もう五分から八分咲き。お茶室のある二階からの眺めを楽しむ。
昨日のお稽古は先週に引き続き「貴人清次」の濃茶。ところが、さぁ用意をと思うのに、まるきり浮かんでこない。千鳥板を目にしても、それをどう使うの
だったか、とんと憶えない。茶巾の折り方を変えて、といわれて漸く、あ、と思い出す。
久しぶりだからと先生は仰るけれど、実は先週のお稽古が初めてだった。これまで貴人点はしてきたけれど、清次はしていない。
こんな世の中なのに、御貴人さんでもないけれど、研究会でもしたから、やっぱりしておきましょう。
苦手なお手前、何がイヤといってあの畏まって待つ間の窮屈さ、逃げ出したくなる。それでも今回はすぐにお供の方のお茶を用意に立つので、気持ちは
楽・・・煤竹の茶筅を入れ忘れた。
次週はお薄しましょ。。。ややこしいのかしらん。
寝む前に、露伴『連環記』を読み出したら面白くて止まらない、それでも遅いから、えいやっ、と離した。今夜もう一度初めから読もう。
* 「濃茶の貴人清次」とは、遠い遙かな昔を思い出させてくれますねえ。「小習」から「四ヶ伝」へ一等手続き煩瑣な点前で、苦手でした。大圓の真台子まで
正引次され、「宗遠」という茶名はもらいましたが、「薄茶の平手前」と「盆手前」がきっちりできればいいやと、生意気に怠けていました。
そもそも足が痛くて「正座」が苦手で。その御陰? で、利休が「正座」してお茶をたてたなどという証拠は全く無いという大発見? をしました。彼の正座
した画像も彫像も、同時代のものでは、一作もありませんし。ハハハ
* 『連環記』は、驚嘆の堂々大文章の文学作品、。『運命』も、天地に鳴り渡るような、すばらしさ。いま、露伴が読まれているなんて、感動。
* 三月二十九日 つづき
* 靖国神社のA級戦犯合祀に政府が深く関わっていたことが資料により明瞭になった。安倍内閣はまたも誤魔化してかかる態度だが、十分な解明が望ましい。
安倍内閣は心臓が汚れている。美しくない。言葉だけを美しくすれば人を誤魔化せると過信している。もっとも低俗な「偽言葉」内閣だ。
☆ 霾翳 雀
比良八講が終わり黄砂朝嵐となりました。
こちら(名張)はようやく桜の蕾が開いてきたところ。来月2日の旧暦“如月の望月”に、はなやかになりそうです。花見客が何よりいやがる寒さと風と雨が
あってこそ、花の雲になるというのにわけを感じないではいられません。
聞くところによると、三重県は人口一人あたりの医師・看護士人数が全国でも下位に位置していて、制度変更により研修医は三重県内の病院を選ぶことがない
限り来ませんし、大学は医師を引き上げ始めているそうで、救急車が到着しても受け入れ先が見つからず、そこを動けないことがあるそうで、それを覚悟して呼
ばなければならないということです。高齢者だけでなく、出産・乳幼児医療・妊婦や乳幼児の緊急医療・病児はもとより健常児の保育についても相当にお寒い状
況で、それにもかかわらず、年々税金保険料は値上がりをしているありさま。
行政から、コンナトコニ、ヨク、スンデルヨ、オマエラハと言われている気がして、市役所や市が整えた公園にどれほど桜が咲こうと、そこで花見などまっぴ
らごめんと思っています。
さて、土曜日に、比叡坂本に伊賀采女宅子(いがのうねめ・やかこ)の、海津で武田元次を、塩津では華叟宗曇、と、お墓参りをしてきました。いつもあちこ
ち遊び歩いているようなことを言ってるから、地震に巻き込まれていやしないか心配したと母が言い、石灯籠や鳥居が倒れている映像を見た主人は、「気をつけ
なさいよ」と心配してくれました。
一休宗純、華叟宗曇から得た旅の収穫と感想は後日いたします―。
年明けに、お水取りの祈りの話で、第二次大戦戦没者に関する祈りは毎年のことながら、阪神・淡路大震災が12年前、伊勢湾颱風が48年前、関東大震災が
84年前というお話になって、まさかすぐにこういうことになるとは、思ってもいないことでした。そして、負や陰を育てることばを発したときに「悪魔が聞か
ないよう」行なうおまじないがあることを思いおこしました。
輪島空港をつくり、自動車道路を整備し、“地域振興の障害は除いた、さぁ、観光だ、パラダイスだ”と意気揚揚だったお上のいう“インフラ整備”とやら
は、この震災からの復興にも大いに役立つことでしょうね!!
母の話では、新潟中部地震の余震がようやく感じられなくなったと噂していた矢先の揺れだったそうで、友人の中には、あのときを思い出して忘れようとした
傷を痛め付けられた気がするという人もいました。そして、新潟のそれに相似の高齢化と過疎化の町村集落が多い土地柄に、また、この大天災を千載一遇の好機
として統合・合併により「棄民」が進むのだろうなと雀は思っています。
行政だけでなく、故郷を離れて暮らす子供たちが、自己中心の思いであると十分に承知しつつも、「これで、じじばばも、あきらめがつくだろう」と安堵半分
思っているであろうと、そんな想像を複雑な感情でしていることも含め、瓦屋根の旧い家々が余震で崩壊してゆく映像を眺めています。
データ隠蔽、また臨界事故をかくし明らかにしていなかったと電力会社が、立て続けに犯罪的な背信行為を発表しました。雪印や不二家のように不買運動がで
きないのをいいことに、やりたい放題じゃないのと、歯がみ、身もだえして悔しがっていた雀です。
問題となった原発のある志賀、その沖が震源地でしたでしょう。
新潟の刈羽原発は活断層の上と承知で建設を強行したとか。近所の民家の被害を目にして、安全宣言など信じられないといいます。新潟県は東北電力管内で、
ここでつくられる電気は、全て関東へ供給されているのです。
京の都に暮らす人が、生活に使うもろもろがどこから提供されているか知っているように、いま、お江戸(都知事は“江戸”と連呼なさいますわ)にもわかっ
ていただきたいと切望します。 囀雀
* もっとも、もっともな「私民」の憤慨であり嘆息である。安倍内閣にも国会にも、また都知事選候補者にも届いて欲しい。聴いて欲しい。
* 宵から、録画してあった『船を降りたら彼女の島』という日本の映画を、観るともなく観ながら仕事をしていた。とても静かな、とても佳い映画で、木村佳
乃がみちがえるほど素朴な、東京から親に結婚すると告げに帰ってきた娘役。父親が大杉漣、母親が大谷直子、ともに胸にしみる好演。さすがだ。脚本と監督は
磯村一路。愛媛県下の瀬戸内海に浮かぶ島の映画。落ち着いていた、なにもかも佳い意味で。
ひきつづいて植木等の無責任男映画がはじまったが、観るに堪えなかった。コメディアンとしては高く買えない。晩年に近づいて落ち着いた老け役をこなして
いたころの植木が敬愛できた。
* 数日前から、ものに埋もれてしまっていた或る情報を必死に捜索していたが、大事な内容を、たったいま捕捉できた。諦めずに捜してよかった。
* あすの午後、聖路加病院で、なにやら検査を受ける。もう休もう。
* 三月三十日 金
* 昨、就寝前の血糖値が近来になく異様に高くておどろいた。応急処置して、今朝はまずまずの高さ。これから聖路加での検査をうけに出かける。
* 二種類の検査を、順調に終えた。ひとつは両腕、両足首、足指に強い負荷をかけた血圧検査のようであった。首尾はむろん何も分からない。
若い華奢な女性の検査技師が、足首が細くて綺麗ですね、うらやましい、などと妙なところを褒めてくれた。初体験。
もう一つは、中年の女性の医師か検査技師かが、頸になにか塗りつけ塗りつけ指で押したりさすったりしていた。検査用紙にはechoと書いてあった。これ
も首尾は一切不明。で、解放されたのが二時半。
聖路加ちかくは桜が八分咲き。いっとき暑くなり、いっとき冷えはじめ風が吹いた。松屋のうえに上がり「つる家」で和食。ここの白鶴上撰はうまい。徳利が
貧相でないのがいい。料理もたいへんけっこうでした。食べながら『宇宙誌』を読みふけっていた。帰りの有楽町線もうまく西武線直通が来てくれて、半分本を
読み、半分寝ていた。保谷では風が冷たく、タクシーで逃げ帰る。
☆ なぜ真実の報道をしないのか 玄 e-OLD岡山
最近マスコミが政権批判を手控える傾向が強くなっている。今回靖国神社への戦犯合祀について国が関与していたことが明らかになったが,新聞の扱いは非常
におざなりでしかない。特集を組んで国民を啓発しようという意図など微塵も感じられない。基地問題や国民投票法案や教育基本法その他国の将来にかかわる問
題をもっと真面目に取り上げるべきなのに,わざと目先のことにばかりに国民の目を惹きつけているのかと疑いたくなる。
* 同感です。 教科書から、日本軍の強制による沖縄県民の集団自決記事を、「検定指導」という名で国家の強制排除を既成事実化しているのにも、安倍
総理は「具体的な検定の内容は知らないが、検定は規定に沿って<適切に>されているに違いない」などと、例の誤魔化しでニゲを打っています。
東京都教員への、またまた君が代・日の丸で大量処罰なども、人権を踏みにじる恥ずべき強制です。
日本はどうなって行くのか。憂慮と怒りにふるえます。
☆ 選挙に行こう! 碧 山口
でも、こんなことが行われてるなんて。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=183926&media_id=2
いま気になってるのは、「ネットカフェ難民」と呼ばれてる若者たちの住民票。出身地に残したままなのかどうか、投票券(投票所入場整理券)は届くのか。
いちばん困ってて いちばん変えたい、変えてほしいと願ってる人たちの権利は、こんな風に奪われていく・・・どんどん「棄民」は増えるばかり。
都合のいいことでしょうねぇ、アベシン君、石原サン。
* こういう声が無数に湧くようにあがってほしい。
☆ ロマンチックなシナプス ハーバード 雄
今日は,コーリーと一緒に新しいプロジェクトの手始めとなる実験を行った.まず手始めに,シナプスを観察した.
シナプスとは神経細胞と神経細胞の継ぎ目に当たる部分.ここで神経細胞どうしは情報のやり取りをしている.脳の中では,無数のシナプスが絶えず作られた
り壊されたりしている.シナプスが出来れば,情報のやり取りができるし,壊されれば,当然,情報のやり取りはできなくなる.従って,脳の働きを理解する上
で,シナプスは非常に大事な構成要素である.
こうしたシナプスが,どのように作られたり壊されたりするのかについて,僕は強い関心を持って研究している.今日は,シナプスの部分を緑や赤に光らせる
ことができる物質を,神経細胞にふりかけて,顕微鏡で観察してみた.
2時間後に余分な色素を洗い流して観察した.顕微鏡で連続的に焦点をずらしていき,その都度撮影した画像をコンピューターで重ねていくと,立体的な像を
得ることもできる.
丸々とした神経細胞の上に,無数の緑色や赤色のシナプスが取り巻いている.とぐろを巻いているようなのもあれば,ポツポツと点状に浮かび上がっているも
のもある.時間を置いて観察すると,多少ながら伸びているシナプスもある.
真っ暗な視野の中に緑や赤に染め上げられたシナプスが浮かぶ様は,見ていて,純粋に,美しい.それらを眺めていると,天体望遠鏡で星を眺めているような
気分になる.見ていて飽きない.
小さい頃,星を見るのが好きだった.目が悪かったので,あまり多くの星を見ることは出来なかったが,それでも天体の世界にはロマンを感じていた.
しかし,天体とは対極にある,私達の身体の中のミクロな世界にも,天体に匹敵するようなロマンチックな世界が存在している.
明日は,向かいの建物で行われるシンポジウムに参加する.ボストンの様々な大学に籍を置く,世界でも有数のシナプス研究者達が次々とトークをする.
その後は,シンフォニーホールへ.アルフレッド・ブレンデルがモーツァルトのピアノ協奏曲を弾く.どちらも楽しみ.
* 研究者は楽しそうだ。企業の人たちは、日々大変なようだが。
* 三月三十一日 土
* 目が花粉負けしていたからか、就寝時間が遅かったからか、寝坊した。比較的平安な熟睡であった。
もう今年も四半期が過ぎて行く。四月は、五月は、公私ともざわざわと賑やかな季節。仕事もある。楽しみもある。しかし糖尿病もある。
☆ 昨夜、NHK「きょうの健康」、『糖尿病 特集』の再放送を見ました。日本では、6人に1人の割合でかかる病気と聞きました。血糖値などのデータ
や、自覚症状なしにかかっている場合が多いということを聞き、慌てて今年と去年の、自分の健康診断の検査結果を見直しました。
視聴者のメールに答える形式で進めていましたが、その中の1つに、「自覚症状は全くないが、『神経症』の初期ステージと言われたがどういうことか」とい
う質問がありました。そして、その症状として
・足の指先がしびれる→感覚が鈍くなる→ぶつかったりしてけがをする→痛くないので気がつかない→細菌感染などで悪化する。
・悪化するに連れ、足先からだんだん上に上がっていく。
・また、治っていくときは上から下へ下がっていく。
というような説明をしていました。
先生が受けられた検査はこの症状の検査ではないでしょうか。検査結果が、私の杞憂にすぎなかったことを祈るばかりです。技師さんも見とれる魅力的なおみ
足をお大事になさってくださいませ。
食事の注意点として、
・初めに、繊維質の物(ゴボウのサラダやひじきなど)を摂る。・・栄養が吸収されにくくなる。
・主食をなるべく、玄米や玄麦のパンにする。
・甘い物、果物は食後にとる。・・即吸収されるのを防ぐ。
なんでもすぐ忘れる私にしては、よく記憶できたと驚いています。先生の、自転車散歩のことや、通院のことを拝見していたからだと思います。
今のところ、私のデータは正常の範囲のようですが、ブドウ糖摂取後の検査は最近していないので心配は消えていません。検査は、かかりつけの医者どこでで
もできるという話だったので、検査を受けてこようと思いました。
これからもどうぞお体に気をつけられますよう。 讃岐
* はい、ありがとうございます。
☆ シンポジウム,シンフォニー ボストン 雄
今日は朝からシンポジウムに参加.講演者はJoshua Sanes,Micheal Greenberg, Susumu Tonegawa,
Roberto Malinow, Morgan
Shengなど,錚々たるメンバーだった.ただし,残念ながら利根川進は来ず,ラボのメンバーが代理として発表した.面倒臭いからスッポかしたのかと思っ
たが,なんと渡辺格先生の葬儀に参列するために日本に行ったらしい.
先日インターネットのニュースで渡辺格先生の訃報に接した.日本の分子生物学の草分け的存在で,利根川先生の師であり,僕の大学院時代のボスの師でもあ
る.ご冥福をお祈りする.
シンポジウムの内容は,面子が面子だけに素晴らしいが,英語なので気を抜くとすぐに置いていかれる.ちょっと余計なことを考えると,すぐに分からなくな
る.今日は特に,余計なことを考えることが多くて,ついつい内容の理解はおろそかになってしまった.反省.
6時半にラボを出て,シンフォニーホールへ.今回は,Hさんもお誘いして二人で行ってきた.本当は早めにラボを出て,リーガルシーフードで夕食をと思っ
ていたのだが,Hさんが土日ラボに入れないので少し仕事をしてから行きたいということで,敢え無く断念.
今日の演目はモーツァルトの交響曲25番とピアノ協奏曲17番,ガンサー・シュラーの「パウル・クレーの主題による7つの習作」,ラヴェルの「ダフニス
とクロエ・第2組曲」.
ピアノ独走はアルフレッド・ブレンデル.ブレンデルは写真で見るよりも大分老けていた.が,ピアノは素晴らしい.正直言って,最初の交響曲は少々冗長
だったが,ブレンデルのピアノが入ったことで引き締まった.最後の曲は,ラヴェルのオーケストレーションの上手さが,ボストン交響楽団の演奏レベルの高さ
を一層引き立ててくれた.
但し残念だったのは,席がひどく悪かったこと.ギリギリになってチケットを取ったせいもあるが,とにかく周囲の人たちのマナーが悪い.始終せわしなく動
いているし,しゃべったり席を立ったりするものさえいた.おそらく,学校か何かの課外活動の一環として来ていたのだろう.
席そのものの位置も,オーケストラから遠く,上に覆いがあるような場所だったので,音響的にも今ひとつだった.それでも一応,Hさんは満足してくれたよ
うだったのが,せめてもの救いだった.次回はもっと良い席を取って,また行きましょうとお誘いする.
帰りは,万が一のことがあるといけないので,一旦僕のアパートに行き,車を出して家までお送りした.
☆ 月明に 雀
桜の話が出ると、坂を落ちるように鬱に入り、花冷え、花散らしの雨にだけ浮き浮きとします。うろうろと落ち着かない山吹の時期。皐月や躑躅の花を迎える
と一段鬱が増し、早く梅雨寒が来ないかと待ち遠しい日を過ごします。
ゆうべは夜中に目が覚めました。包み込む明るさのわけがわからず、カーテン越しに丸く白い光体を認めて、あぁ月夜かと飲み込みました。桜は二分咲き。花
冷えです。昨日と今日では朝の気温が10℃以上違うンじゃないかしら。移ろいやすい天候です。
おんみくれぐれもおいといのほど。
一休、華叟から、ふたたびみたび南北朝と足利将軍をさらい、日野氏の系図を書き写し、感じ、溜息をつくという日を過ごしました。『日本数奇』ならびに数
冊の松岡正剛さんの著書、それに目崎徳衛『百人一首の作家たち』にもかかりきりで、雀のオツムにはかなりの揉み療治になっています。楽しいけれど、へとへ
と。くたびれています。
母がおいしいお米と野菜を送ってくれたので、それがなによりの浮き。霜降り肉も鯛も高級なお酒もものかは、これがなによりのなぐさみ、元気のみなもとで
す。 囀雀
* 一人住まいの母親をはるばる見舞いに行く人、一人住まいになったお姑さんの世話に新幹線で通う人、持病の喘息発作をいたわりながら夫のリハビリに協力
する古希の人、引っ越す人、鬱に悩む人。春も、なかなか無条件に長閑でいさせない。一病の不安をしのびながら、ま、息災な妻もわたしも、幸いな方か。
* しきりに風が鳴っている。なにとなく放心していて、用もはかどらない。こういう日は、ゆるりと過ごそう。ジョン・ウエインの『駅馬車』とエディ・マー
フィの『ネゴシエーター』を観た。両方ともヒロイン役の女優が美しかった。ふたりとも胸もとが魅力的。
なにといっても女性の胸は永遠の魅力。しかしながら某姉妹などのバケツをふせたような巨乳は気味悪い。ああいうのを売り物にし買い物にするやからの気が
知れない。
シンプルなセーターやブラウスやシャツのまま、あっさり襟もとをくつろげたり、胸の線をそれとなく美しくみせている人に出会うと、自然心ひかれる。
もうよほど昔のことだが、こんな歌に出逢った。
いつまでも美しくあれといはれけり日を経て思へばむごき言葉ぞ 篠塚純子
この歌を、もらった歌集で初めて目にしたとき、ウムと唸ったのを思い出す。男は、まるで当たり前のように、また祈るように、こういうことを平気で女の人
に口にしてきた。むごい気持ちでいうのでは、ない。やはり祈るような気持ちというのが近い。「美しくあれ」のポイントは、男どもにより色々異なるのであろ
うが、女の人は、なにを男に美しくあれと求められるのがいちばん「むごい」のだろう。
写真はいる
夜色 京祇園八坂神社石段下(四条通) もっとも懐かしい故郷
(手前左右に、東山通。左方が祇園町南側 右方が祇園町北側)