秦
恒平・生活と意見 68
闇に言い置く 私語の刻
平成十九年(2007)五月一日より五月末日まで 日付順に
* 平成十九年(2007)五月一日 火
* シンシンと脚が冷える。塞栓症状なのだろう。
血糖値のために服用再開の「アクトス」が、やはり前回と同様両脚にむくみをもたらしている。むくんだら服用をやめるよう言われている。もう一つの「メ
デット」に限定し、食前にインシュリンを注射し、食後に錠剤「メデット」。
左上腕背面に、左肘関節にも、屈伸のつど痛みが走る。これは、転倒事故とは関係ない。もともと敗戦直後丹波の小学校でこの肘はフクザツ骨折している。完
全には回復しなかった。後遺症の痛みとも思っていない。本の発送で、重い荷を、腰を庇い、腕力だけで持ち運びしたのが響いている。脚にも響いていただろ
う。幸い骨の痛みは無い。
* 緊急を要するのは、眼鏡を全部、ことに機械近用を、完全に作り直すこと。鼻梁と眼鏡との間に、中指の先端をさしこむと字が読める。抜くと、霞む。東国
原宮崎県知事のような眼鏡の使い方はできない。
就寝前の読書は、すべて裸眼。乱視がなければ、そのうち機械も裸眼で使い出すかも。緑内障でこわい視野狭窄は幸いさほど自覚しない。ほぼ水平に左右が視
野にある。勝手な思いこみかもしれない。「私」という機械の性能が目に見え落ちてきている。母の九十六歳まで二十五年、保ちそうにない。金婚と百巻に、あ
と二年。二つともわたし一人では出来ない。
* からだを動かせないと、身辺をかたずけるのもママならない。この機械部屋ではわたしの身の回りは手の届くほぼ三百四十度分、仕事のための、もの・も
の・ものが。作業半ばに、本もノートも必要な頁でひらいたまま、無数のメモがちらばり、いずれも自分では何用と分かっているが乱雑感は免れず、ときどきい
らいらする。片づけるには、しかし、手を伸ばすだけでは済まない。よそへ仕舞いに行かねばならない。ところが気ままに歩けない。
そういう身辺は、だが、不思議にわたしの体温で温まっていて、落ち着けるとも言える。なんて人間、いや、我が儘なわたしだろう。
* 脚は、どうかと聞いてきてくださる人が、何人も。メールで銘々に返事するのは、だが億劫。で、此処に「私語」している。記録にも、緊急の折の心覚えに
もなる。
* 気がかりにしていた用事を一つクリヤした。
* 『エネミー・オブ・アメリカ』というウィル・スミス主演、ジーン・ハックマンも出ている怖い映画を面白く観た。悪意の野心をもった国家権力ないしそこ
に巣くう悪政治家が、
衛星写真も含めてIT情報機能を独占的に駆使し、政敵ないし善意の私民を追いまくればどんなことになるか、を、技術的にも組織的にも物語に繰り込んで、こ
とこまかに展開していた。
サイバー・ポリスどころのレベルではない、なにしろアメリカだけでなく、どの現代大国も、躍起になって個人の情報を掌握しつつ機械的に身動きの出来ない
ように踏ん縛りたくて仕方なく、その体制をほぼ完璧にしている国を数えれば十本の指で足りないだろう。日本政府も、それがやりたくてやりたくて堪らない。
われわれの知らぬ組織の働きで、精度はもうかなり高められているに違いない。「アメリカの敵」という映画の題が「アメリカ」自身を指さして警告しているこ
とは言うまでもない。
日本の政府を、権力を、「日本の敵」にしてしまわないように、若い人よ、もっと自身の基本の権利と安全とを大事に守ろうとし給えよ。
* 湯上がりの全身を薄荷のいい匂いがつつんでいる。若い若いともだちが、脚の痛みにきっと利くと思いますよと、香水のようなスプレーを贈ってきてくれ
た。ふくらはぎに少し冷たく、気持ちよく、すてきな香りが舞い立つ。紅茶にも佳い。感謝。
☆ 花の日々,来る。 麗 北海道
我が家の向かいの桜を,勝手に「標準木」にしている。
今日,それが花開いた。
朝方一分咲きだったのが,夕方にはもう三分咲き。おそらく,明日は五分咲きとなろう。
というわけで,今日は,個人的に「開花宣言」。
周囲は,梅・桃・桜や草木の花が一斉に開き,同時に木の芽時まで迎えてしまう,北国の春。
これから,山が「うるうる」と盛り上がり,ライラックやスズランを経て,一気に夏まで向かう。
本州人にとっては,何度迎えても心躍る日々。それが今日,始まった。
* 目に見えるようで、わたしまで心嬉しい。
* 五月二日 水
* だいぶ脚がよくなってきたか。階段は、痛む右足から上がり、左を同段へ追いついて行くとスタスタのぼれる。下りは痛まない左足から降りて、右を同段に
追いつけば難なく降りられる。右足で後ろへ蹴って左で前へ進むとき、右ふくらはぎに痛みが差し込む。左で出ては右で追いつかせていれば、杖なしで進める。
小幅で、少し右を庇えば、普通にも歩ける、少し痛みが来るが。軽快段階に来ている。一日もはやめに街歩き可能なまで回復したい。五月は、いろいろ有る。
* メールや「mixi」のお見舞いに、感謝。
* 「世界の歴史」の『明・清』の巻を読み終え、次は第十巻、『フランス革命とナポレオン』だ、当然やがてアメリカの登場になる。近代の大きな展開。
このシリーズ、小活字で各巻五百頁を越す。少しも慌てないで一巻に数ヶ月掛けても、じっくりじっくり楽しんでいる。世界史をよく知らずに「現代」をよく
理解することはとても無理。
* 夜前は、いつもの音読、バグワンと、大拙『無心ということ』、『太平記』に加えて、ルソーの『告白』それとホメロス『オデュッセイア』も音読してみ
た。
ルソーが、どうも、まだ、乗ってこない。
それに対し、ホメロスの面白いこと快適なこと、黙読よりひとしお身にしみてくる。声と言葉とで読むそれ自体が、嬉しくなる。ニンフのカリュプソーの愛に
捉えられて、絶海の孤島をどうしてもぬけだせなかったオデュッセウスは、女神アテネらの助力でやっと脱出したものの、またポセイドンの憎しみに妨害され、
大海の嵐に海へ投げ出されたがまたべつの女神に救われ、アテネにも導かれて、べつの島浜にやっとはい上がった。
オデュッセイはトロイでの戦勝からの帰国中、なぜか神ゼウスらの怒りにふれ、果てしない大海の放浪に悩まされつづけるのだが、その経路が学問的に「問
題」にされている、らしい。カッスラーの現代小説の中で、その経路がどうも北アメリカの西の湾あたりに克明に推定されていて、俄然わたしは興味をもった。
そんなことなら、停滞していたホメロスの読みを再開したいと。
その欲心が幸いし、訳文にもすばやく馴染んで、今は物語に真実魅されている。映画『トロイ』も役に立った。あの映画のショーン・ビーンの風貌を思い描き
ながら、荒波に翻弄されて運命と闘っているオデュッセイと、わたしも行をともにしている。
* 『星を帯びしもの』も深夜わたしを眠らせない。アイシグの山の地底深くで不気味な敵と闘わざるをえなかったヘドの若き領主モルゴンは、さらなる旅を
エーレンスター山へと目指して、今しも出発のはなむけに、狼王ダナンから、ふとしたおりの瞑想境のためにと、いながらに「樹木」に成る術を習っている。大
鹿のヴェスタに変身するよりずっと易しい、「静かに」なればいいだけだと王は言う。「あんたは成れる」とも。わたしがこの物語で最も心惹かれて羨ましいの
が、此処だ。静かに一本の立木に成れる…。なんと素晴らしい境地だろう。「静かに」成れば、成れる。これは教えられる。
☆ サバティカル ハーバード 雄
今朝も昨日と同じく4時過ぎに目が覚める.我ながら実に分かりやすい.6時半くらいまではベッドに入ったりパソコンを見たりしていたが,大学時代の友人
から6時半にskypeが入って話始めたため,寝るのは諦めて家を出た.
今日は週1度のプログレスレポート.担当はライアン.開始を待って座っていると,赤いジャンパーを着た,40代後半位の白人が入ってきた.椅子に座って
ジャンパーを脱ぎ始めた.見慣れない人だが,と思って,はたと気づいた.
サバティカルでドイツから来ているTBだ.マックスプランク研究所のディレクターであり,神経発生学の大御所.お父さんも有名な研究者だった.
サバティカルを取って,9月までボストンにいるらしい.普段は別のラボで過ごしているようだが,ときどきウチにも来ているらしい.
秘書のフィリスが,「みんなに紹介しないとね.あなたは,ポスドクではないわよね?」.知らないというのは恐ろしいことだ.
プログレスレポートが始まったが,やはり普段の生活がでてしまうのか,他所のラボの初めてのプログレスレポートにも関わらず,矢継ぎ早に質問していた.
ボスが二人になったかのようで,ちょっと恐ろしい.
プログレスレポートの後は,いつもどおり,カルシウムイメージングと電気生理.やはり,昨日自分で言ったことが気になるのか,時々JCが見に来ては「ど
うだ,何か変化はあったか?」と聞いてくる.あいにく,昨日試した方法はダメであることがはっきりした.
電気生理も,標本を作製し,いざ測定と思ったら,何故かベースラインが安定しない.JCを捕まえて聞いてみると,「ああ,これは電極のメッキが剥げてし
まったんだね.一晩,塩酸につけておけばいいよ」.おかげですることが無くなった.
7時に荷物を纏めていると,ドミニカ共和国出身のポスドクのグレッグが,冗談混じりに「もう帰るのか? お前にはがっかりだ.お前は本当に日本人か?」
と聞いてきたので,「実は日本人ではない.ドミニカ出身だ」と返したら,中指を突き立てられた.
* 実験研究者の日々は、じっとガマンの辛抱の日々。まして雄くんの研究は、細胞学でも未開拓な最新最先端の、いまだ荒野にあると聞いた気がする。ルーチ
ンワークで済む世界ではないのだ。
☆ 関野貞と子規 雀
NHK「この人この世界」を毎週楽しみに見ています。宮脇昭さんを知ったのもこの番組でしたし、白瀬矗もそう。
先頃のアンコール・ワットのも、おもしろくて、よくわかるお話でした。
以前に、こちらのテレビ番組で、愛知か三重かちょっと忘れてしまいましたが、石材店を営んでおられるおじいさんが、アンコール・ワット遺蹟の保存・維持
のために現地の人に石工の技術を伝えようと、店の敷地でお弟子さんを特訓して、ともに海を渡り、何年間も通われたお話を聞いたことがありました。そのとき
はぼんやりと石屋さんの技を見ていたのですが、アンコール・ワットの説明を聞き映像を見ているうちに、あのときの石工のおじいさんのお話が興味深く思い出
されてきました。
アンコール・ワットのあと、藪内佐斗司さんの仏像修復のお話になり、奈良や京の仏像が映ることと修復のお話もたのしいし、つながって、よりわかることが
なおうれしくて、毎週目が離せません。そして、先だって偶然に、小川さんとおっしゃる宮大工西脇さんのお弟子さんにインタビューした教育テレビ「こころの
時代」を見つけて、これもおもしろく最後まで見入ってしまいました。
偶然というのは重なるもので、民放で、唐招提寺修理の進捗状況と、明治に行なわれたそれとを、重ねて紹介する番組にでくわし、長い工事でいつになったら
見られるのかしらと思っていた唐招提寺が、2009年秋に修理完成予定とわかったこと、それ以上に、関野貞を知り、同じ年に生まれた伊東忠太、長野宇平
治、漱石と子規の年譜を作ってみたことで、いくつもの発見をし収穫をたくさん得ました。
関野指揮による唐招提寺解体修理完了が、1899年12月といいますから、200余年ぶりの大修理なのですね。解体中の唐招提寺の柱のなかに宮大工が墨
で自分の住所と氏名を書いたものがあるのをテレビカメラが映したとき、2回も新潟の地名が出てきたのに目を留めましたら、関野が、越後高田生まれの人とい
うので、驚いて新潟の実家に電話で訊ねてみると、父もとっさには分からず、夜になって手持ちの本に載っていたと電話がきて、数日後にコピーが送られてきま
した。それを読んで少し手がかりがつかめたのです。
奈良在任初期に日本生命保険会社を、その5年後に奈良県物産陳列所を設計した以外、関野貞は、古仏像、古墳、古瓦、朝鮮・支那の古建築と陵墓、印度仏跡
の研究に邁進した学者とのこと。
帝国大学建築学科名誉教授の初代は、辰野金吾(1854〜1919)。二代目は伊東忠太(1867〜1954)。そして三代目が関野貞
(1867〜1935)だそうで、まえの二人が有名建築の設計で華々しく名を残しているのに比べ、関野貞について雀は業績はもとよりお名前すら存じません
でした。
1935年7月に逝去したのち、1938〜41年にかけて岩波書店から論文集が発行され、1940年11月には新潟県の高田図書館構内に「碩学碑」が建
立されています。これは伊東忠太の碑文を、法隆寺貫主佐伯定胤僧正が揮毫されたものだそうですが、現在、高田図書館は郊外へ移転していて、碑は父も知らな
いといいます。
ちょいワルと称され、ファッショナブルでセクシィな面ばかり話題にされるパンチェッタ・ジローラモさんが、もともと古い建物の修理・復元・保存の仕事を
したくてイタリアの大学に建築を学び、念願の仕事に就いていたと話すのを聞いて、テレビで垣間見る彼の一面はそういうことからきていたのかと納得しまし
た。イタリアの大学で建築を学んだ人がすべて最新の建築物を設計するわけではありませんものね。
それと同様に文明開化の明治期に帝国大学で建築を学んだ学生が、みな最新の建物を設計する仕事に名を残したわけではなく、ちょうど東西の有名建築家がな
にかとマスコミに登場していた時期だったので、調べていて愉しかったです。 囀雀
☆ 般若寺の釣鐘細し秋の風 雀
子規が奈良を訪れたとき、今のような修復された社寺ではなかったのですね、般若寺は。
慶応2年7月、将軍家茂病死、12月孝明天皇急死。
慶応3年10月大政奉還、12月王政復古の大号令。その年、江戸に夏目漱石、幸田露伴、尾崎紅葉。松山藩に正岡子規。米沢藩に伊東忠太、池田成彬。越後
高田藩に関野貞、越後高田の商家に長野宇平治。また斎藤緑雨、宮武外骨、南方熊楠、芳賀矢一、藤島武二も同じ年に生まれていた
のですねぇ。
漱石は卯年生まれでしたの! 同じ干支、同じ1月生まれというだけで親近感が違ってきますわ。すると6年後が酉年で、泉鏡花が生まれる…と…そういう時
代でしたのね。
1877年、ジョサイア・コンドル来日。
1878年、アーネスト・フェノロサ来日。
東京帝室博物館、鹿鳴館、有栖川宮邸、岩崎家深川別邸、ニコライ堂と、コンドル設計の建築物が次々と建つさなか、岡倉天心がアメリカから帰国し東京美術
学校を創立します。
そのあいだ、伊東忠太、長野宇平治、関野貞は通学を続け、伊東も関野も、帝国大学工科大学造家学科を卒業後、東京美術学校建築装飾術の講義を嘱託されて
います。
岡倉天心の美術品重視、美術品保護に比べて、建物については遅れていたそうで、もしも、関野に家計の都合から2年間授業生として西頸城郡(現・上越市能
生)の小学校で働くというブランクがなければと考えてしまいました。
1895年、漱石は松山中学校に赴任し、子規は日清戦争従軍。4月講和。5月帰途船中で子規は喀血し神戸病院に入院後、松山に帰郷。漱石と同居し、彼に
お金を借りて根岸に帰るその途中、奈良の宿で御所柿をたらふく食べていた子規の耳に、東大寺初夜の鐘がごぉん…だったのですって? この年に「夜行巡
査」「外科室」で鏡花が文壇に登場しますわ。芳年が歿し、黒田清輝が帰国し、黙阿弥が歿し、高橋由一、仮名垣魯文が歿したそのあとで―。
関野が帝国大学工科大学造家学科を卒業し、辰野のもと日本銀行の工事に参加するものの興味が持てずにやめてしまった、その1895年に。
伊東は平安神宮を設計、前年に奈良県土木工事技師嘱託となっていた長野は、奈良県庁などその後の奈良市官公庁建築の様式を決めた奈良師範学校を設計して
いました。
そして2年後の1897年6月22日、29才の関野は奈良県技師として名勝旧跡臨時調査委員を命ぜられます。前年に伊東が、内務省古社寺保存会の委員と
なり、関野は奈良県古社寺保存委員に任ぜられていました。奈良へ赴任した関野は、3ヵ月間で仏像を含めた古社寺等を80件調査。それが終わるのとほぼ同時
に「古社寺保存法」が制定され、法律施行後“修理第1号”に選定された唐招提寺の工事が、翌1898年3月に、前後して新薬師寺、秋篠寺が修理されたそう
です。前便の、唐招提寺の番組は関西限定の放映かもしれません。大仏線の遺構映像から始まり、“関野貞は大仏線に乗ったかもしれない”というものでしたか
ら。
明治31年、唐招提寺の修理が始まって間もない4月に、近江草津駅⇔奈良大仏駅開業。奈良駅への乗り込み許可が取れず、暫定的に大仏殿の近くに駅を建設
して開業させた大仏線は、1906年8月、関野が清国・韓国に出張した年に廃止され、翌年、駅舎やレエルは撤去。わずか8年間の営業でした。ところが現在
も駅跡や、使われなくなったトンネル、道筋を尋ねるウォーキングツアーが催される、関西屈指の人気廃線跡ですの。 囀雀
* こういう読者にわたしは支えられている。こういう情報を、まるでわたしは役得のように手に入れている。雀さんは、学者でも勤め人でもない。一人の家庭
主婦。はじめてわたしに手紙をくれた十何年昔のこの人は、ヒッピーギャルかと思えそうな賑やか女史であった。実際は全然分からないが。
* じりじり、と。前へ。心に遊びながら。
* 久しぶりに「ペン電子文藝館」に自作を出稿した。『初恋(雲居寺跡)』を。同じ題で明治の嵯峨廼屋御室の『初恋』がある。左千夫の『野菊の墓』に似た
秀作だった。もう一つぐらい『初恋』が採ってあった気もするが。
久しく「ペン電子文藝館」から身を退いている内に機械の破損などあり、校正室が開けなくなっているのに閉口。五月十四日の委員会通知がもう来ている。こ
の日は、そのまえに一つ仕事が重なっていて、少し遅刻せざるを得ない。
* 夕方、杖を手に、十分ばかり歩いてみた。すこしムリが利いてきた。攣縮の痛みを堪えて歩くのは、この数年いやほど繰り返し体験している。その伝では、
そろそろガマンも利くだろう。とうとう秦さんも杖ついて歩いていると、驚いてみている人もいた。ま、次第送りか。
* 五月三日 木 憲法記念日
* 今日に限らないが、今日は「憲法」について、一度は物思いたい「国民の祝日」である。
なぜ今日が国民の「祝日」であるのかを、第一番に政治家に考えて貰いたい。
* 憲法については、改訂したい、それには反対、という両側からの声がかまびすしい。しかし、どの箇条をどう改訂したいのか、全面的に改訂反対なのか、
はっきりすべき時期が来ている。法の執行上、具体的な手続き等で齟齬する何が、憲法と現行法の間に挟まっているのか、いないのか。
もし改訂派が、前文や九条には手はつけない、もっと末梢の不都合部分だけを改めるのだと言うなら、わたしは、そうすべきだと賛意を持っている。しかし、
前文、九条をふくむ戦争放棄、基本的人権に改悪をくわえる改訂には、断乎、賛同しない。
* 次に、「アメリカに押しつけられた」などという低級な議論はやめにして欲しい。
どんな助産士がとりあげようと、生まれた子供の素質や美質とは関係がない。日本憲法の世界史的に誇れるのは、憲法そのものの内容で、誕生に立ち会い多少
の手を貸した助産士アメリカは、本質的に日本国憲法自体に関わりはない。日本国民が承認して成ったことだけが、大切だ。子供(憲法)の親は、「日本国の国
民」である。「アメリカ」ではない。
現に、アメリカこそ、日本国現憲法の精神にたじろぎ、いまや悪意の算術を躍起に駆使して、「憲法改定」を日本政府に強要しているというのが実情ではない
か。そう言い切れる根拠は、有識者ならいくらもいくらも挙げられるだろう。
そもそも戦後、「アメリカ政府に強要された政治」しかやってこなかったに等しい「自民党政権」じゃないか。その情けない愚を先ず白紙に返せるなら返して
後に、「わが憲法」についての「強いられた」の何のというゴタクを並べよ。猿の尻嗤いはやめよ、と言っておく。
* ともあれ憲法のことで、これだけは言っておく。
* わたしは日中文化交流協会の会員である。会員として二度中国に派遣され招かれていて、その感謝の気持ちもあり、会員を辞めていない。井上靖、宮川寅
雄、白土吾夫、中島健一、山本健吉といった亡き方々への懐かしさもある。
しかし協会に対しわたしは全面満足しているわけではない。なぜ、こういう時に公然中国の友人に対し「協会」としてものを言わないのだろうと、何度も思っ
てきた。たとえば、ものすごい量と質の海賊版。これは看板に掲げた「文化」の問題ではないか。
今日も報道されていた。北京のまんなかのテーマパークで、知的著作権の公然大々的な窃取がなされている。名にし負う中国はレプリカ大国であり、それなり
の理由もわたしは理解しているが、中国の、中華思想にあぐらをかいた国際法の足蹴り違反行為などは、まさしく「文化」交流の美質を蹂躙する。これも今に続
く、夷國からする「朝貢」なのか。今日、何が見返りに中国から文化的に「下賜」されているというのか。
* 日本ペンクラブも、こと「中国」となるといつも腰がひけ、抗議すべきはするという是々非々の基本が守れないでいる、と、この十年、わたしは理事会を眺
めてきた。むろん発言してきた。
何よりも中国(その他の)「核保有」を黙ってゆるしていて、どうして北朝鮮の核保有に妥当で適確な反対が言えるのか。だから言うなではない。言える姿勢
をつくれということだ。
* わたしのいる町も鴉の多い町になってきた、しきりに鳴いてとびまわっている。
鴉は好きでも嫌いでもない。ときに嘴が不気味、ときに羽色の漆黒に魅される。丹波に疎開していた少年の頃、あの山村で記憶に残っている鳥は、鴉だけ。な
ぜか雀すら印象にない。
村の少年たちは、鴉をいくらか畏怖していた、賢いというのだ。一丁ほど向こうの街道にいても、田畑や畦にいても、
「よう観ててみ。ここで石を拾うただけで翔びよるで」と皆が言う。たしかに、そうだった。自分で石を拾って試みたが、いつもそうだった。
あれを賢いというか、要するに人が石で追っていただけの条件反射なみの話だろうが、相当な距離でも、反応はいっしょだった。しかし今、西東京の鴉がそう
のようには思われない。時には一メートルまで迫って歩いていても、逃げて翔んだりしない。
前にも書いたが、鴉は、鳶とならべて、蕪村に、とても佳い絵がある。鴉の木にとまった姿は秋の夕茜に似合い、冬の降雪にもしんしんと似合う。必ずしも嫌
われてばかりでない証拠に、鴉の童謡がいくつもある。「鴉のあかちゃん」なんて観たことがない。それでも「可愛い七つの子」があるから鴉はいとしがってよ
く鳴くのだと唄っていた。「七つの子」とは何じゃ? 七羽とも七歳ともとれて、よろしくない、と幼いわたしは批評家だった。
西国ずまいの鳶さんは、この連休にも絵を描いているだろう。
☆ 眼鏡 ハーバード 雄
僕はとても目が悪く,裸眼だと両目0.04しか視力がない.普段はハードのコンタクトレンズをしている.家に帰り,寝る前にコンタクトレンズを外し,眼
鏡に換える.
アメリカに来る前にインターネットなどで調べていた情報では,アメリカではハードのコンタクトレンズというものはほとんど普及していないそうで,もっぱ
らソフトらしい.したがって,ハードを利用している人は,洗浄液を持ってくると良いとのことだった.そこで,大量の洗浄液を荷物に入れて送った.2年間は
優にもつことだろう.
普段はコンタクトレンズを利用しているのだが,花粉症の時期や,夜になって目が疲れてくると,コンタクトレンズをしているのが辛くなってくる.昨日も,
顕微鏡の見すぎで目が疲れたため,夜になってコンタクトレンズを外し,眼鏡に換えた.
すると,同室のライアンが「おお,ciona.眼鏡姿がとてもセクシーだよ」.後からパソコンで作業をするために入ってきたグレッグも「ヘイ,ドク
ター.眼鏡をかけていると,インテリジェンスを感じるよ」と,二人とも妙に眼鏡をかけた僕を誉める.帰り際に擦れ違った,韓国系女子大生のジェイも
「cionaは眼鏡をかけるととてもhotよ.これからは眼鏡をずっとかけた方がいいわよ」と誉める.
実物の僕を知っている「マイミク」さんたちは,これを読んで腹を抱えて笑っている(哂う?)に違いない.お世辞も多分に含まれているだろう.なんでそん
なに誉められるのか良く分からないが,きっと平坦な顔なので,眼鏡があったほうが,顔にアクセントがつくのだろう.
僕自身は,あまり眼鏡が好きではない.すぐに耳や鼻が痛くなる.「ちゃんと合っていないからだ」という人もいるが,いくら合わせても,また,色々な眼鏡
を試してもそうなので,おそらくもともと好きでないのだろう.しかも,眼鏡をかけると,十歳くらい老け込んだように見える.
さらに,鼻が低いために,頻繁に眼鏡がずり落ちてくる.そこで,ずり落ちた眼鏡を元に直す訳だが,この動作が良く哂われる.
別におかしな直し方をしている訳ではなく,眼鏡のフレーム近くの「つる」の部分を持って上げるか,鼻にかかる部分を指で押し上げるかのいずれかだが,ど
ちらをやっても,「もう1回やってみせてよ.かっこいいなあ」とからかわれる.これ以外に,どうやってずり落ちた眼鏡を直すというのか,知っている人がい
れば教えて欲しい.
今日も顕微鏡を覗きつかれて居室に戻ってくると,ライアンが「ciona,どうして今日は眼鏡にしないんだ」.まだ夕方だが,目が赤くなってきたのでコ
ンタクトレンズを外し,眼鏡に換える.すぐさま,グレッグやマイク,学部生のデイヴィッドが「うーん,インテリジェンスを感じさせて,セクシーだなあ」と
持ち上げる.
おだてられるとすぐに木に登る僕の性格を利用した,新手のからかいか.
* 可笑しいほどわたしが、今も、同じ。
いくらお金かけて調製しても、眼鏡がすぐ見にくくなる。鼻梁の高さと位置とが眼鏡とズレているのだ、雄くんの書いているその通り、「頻繁に眼鏡がずり落
ちてくる.そこで,ずり落ちた眼鏡を元に直す訳だが」瞬く間にまたずり落ちる。別におかしな直し方をしている訳ではなく,眼鏡のフレーム近くの「つる」の
部分を持って上げるか,鼻にかかる部分を指で押し上げるかのいずれかだが,どちらをやっても」キリがない。雄君のように「セクシーだ」「ホットだ」などと
褒めてくれる人もいない。
信じられないだろう、今その鼻梁と眼鏡との大きなすきまに、妻の作ってくれたあまり効果のない紙束が差し込んである。鏡を見たくない。昨日は試みに葱の
白根のところを切って細工して眼鏡下に突っ込んでいたが、本人も苦笑いする顔面で、ものの言いようがなかった。頭に来る、いや現実には、眼に来る。
* 雄君の日記、雀さんのメールを、わたしはよく此処へ頂戴している。具体的に事柄をきちんと書き、気負わずいたずらに飾らず澄ましかえらず、観念的でな
い。普通の日記や述懐のメールはこうこそ在りたい。自己主張のことばも殆どなく、感想に類する言葉も最小限にとどめてありながら、書き手の気持ちはちゃん
と伝わる。空疎でない。公開の日記は自分だけわかる端折った独り言では意味がない。言い過ぎてもくどくなる。
* 松たか子さんの『松のひとりごと』十五編を「ペン電子文藝館」に入稿した。若い優れた女優の「ひとりごと」は、ただの独り言では済まない。いやおうな
くも社会にむかい押しひろげられた「ひとり」だ。そのいやでも身構えた「ひとり」に直面して、内なるまた「一人」が自然にものを問いかけたり答えたりして
いる。この二役、難しい「役」だろうなと想う。人柄の素直さ、まじめさがにじみ出て好読み物になっている。
* 次は今井清一横浜市大名誉教授に戴いた本から、「第二次世界大戦と戦略爆撃」の項を「反戦」特別室に頂戴する。小田実さんの『終らない旅』からももの
すごい部分を「反戦」特別室に戴く。
スキャン量が多く、目も疲れるが。
そしてまた何よりわたし自身のためにもスキャンを始めないといけない。日大の講演を引き受けるべきでなかったなあ。気ぜわしい。片づかない用事が、数え
るのもイヤなほどある。
* 五月四日 金
* このまま行くと、日本国の世論に「核武装しよう」という声の比率が、必ず高まってくる。それが破滅的決断であると承知しながら、あるいは先攻すれば破
滅を免れるだろうなどという泡のような希望に、しがみつきながら。
落ち着いて考えねば。
癌病巣はどこにあるか。世界の指折って数えられる程度の國が、公然核武装しているのが現状。インドやパキスタンも持ち、北朝鮮とイランも持とうとしてい
る、もう持っていると言える。
米中などの大国が核武装しているかぎり、自国もという動きは抑えられるものでない。絶対抑えきれないことは、目に見えている、現に。それが北朝鮮で、攻
撃目標の一番二番に日本列島のある現実の否みようがない以上、かならず対抗して、わが国もという議論が、声がすでに上がっている。
もし米中をはじめ核保有国へのグローバルな反対の声、核廃棄の地球世論が、もし成功の道をみいだせば、新たな核保有意向にたいして強い姿勢で当たれる可
能性が出る。日本も核武装せずに済む。
この二つの方向のどっちが現実か。残念ながら前者。
そして次々に核武装国が増えてくれば、一触即発の偶然に似た悲劇は確率を増してくる。金正日の國に、政権に、良識が期待できないことは世界中が感じてい
る。第三次世界戦争はあっいうまの大惨事に終わるだろう。相討ちであっても悲惨、どこかが勝ち残っても悲惨。こうなっては、その時期まで三十年もつとは、
とても思われない。
* こっけいな事に、いま日本でも、一部の文士たちは没後著作財産権の期限を「七十年」に延ばそうと、躍起に働いている。
こういう野放図な財産権意識は、そもそも作家に似合っていて当然と、本当に言えるのだろうか。これは、一にかかってアメリカの国益とディズニー等の良識
を欠いた企業我欲の動かしてきた傾向なのであり、アメリカ内部にも延長に強い反対がある。憲法上の法廷闘争も続いていると聞く。
日本の作家達の中には、現在の「五十年」保証では、国際的に「恥ずかしい」などと言っている。
ほんとうに「恥ずかしい」のは、世界が核戦争の無残な犠牲に陥らないようにこそ意識を高めねばならないときに、こういう泡のようなエゴイズムのために、
かりにも藝術家のはしくれの一部創作者が長広舌を弄して奔走している風景だろう。
いったい、今一斉に創作者が没したとして、この七十年後、2077年という時、人類と地球の、いや日本国民の生命の安全と平和は、政治的に、外交的に、
約束できるのか。いつたい、どんな顔ぶれが「七十年」の雀の涙に満たない恩恵にあずかれる、あずかりたいと妄想しているのか。
そもそも、現実を見渡して、当人が死んでしまい「十年」もの間、生前の創作の財産権を主張できる、そんな文学者が、作家が、何人残れているのだろう。自
称創作者はゴマンといるけれど、没後十年、財産権を主張するに足るのは、明治以来五万人に二百人かその半分ぐらい。おれだけはと幻想しながら「七十年」へ
の仇夢を見ているのんきな昨今の作家連中に、わたしは笑いをおさえられない。創作の財産権など五十年でも永すぎる。それらは速やかに公衆の財産(パブリッ
クドメイン)として国民的・世界的に利用されればいいのである。もっと別の「七十年」後に、懼れとまた勇気とをもって臨まねばならぬ瀬戸際にわれわれは生
きている。バカか、お前らと言いたい。
* 「ペン電子文藝館」の仕事をして痛切に感じたのは、湮滅させるに惜しい人と作品とが、文学史に数多く埋没しているという事実。そして、それを掘り起こ
して復権させ読書人の人目に触れさせることは、例えば「ペン電子文藝館」のような施設と活動をより大きく支えて行けば十分可能なのであり、それを阻む大き
な要因は、常に二つある。一つは、愚かしい著名・有名への錯覚に満ちた偏重。もう一つはいたずらに永い没後著作権期限という制約。
没後に忘れられるという事実と、作品の質とは、少しも正比例していない。文運というが、それが左右したし、なにより「出版」という善悪の二面を持った資
本機構の悪い面が、いたずらに虚名・著名・有名の弊害を生じさせてきた。
出版は文化に相違ないが、著しい背文化、反文化のエゴイズムも抱き込んでいる。「著作権没後七十年まで」などというたわことを言いつのっている作家達
は、自分がそうい背文化、反文化に庇護されているというあさましい自負と妄想とに溺れているのではないか。
* わたしはいま高校生の孫を一人だけもっている。もし今から「七十年」後にはこの孫娘はもう八十六、七。もし孫の孫・ひ孫がいようとも、わたしは、顔も
知らない子孫に雀の涙の現金をかりに贈れるとしても、ほぼ無意味としか考えない。それよりも「ペン電子文藝館」のような場所に作品をのこして、その時代時
代の「いい読者」と作品を介して対話したいと願う。自由にそれの出来る期限はむしろ短い方が良いが、少なくも現行の「五十年」で十二分だ。
☆ John Harvard’s Brew House
ハーバード 雄
今,日本はゴールデンウィークだろうか.今年は中に2日入ってしまったようだが,会社によっては休みだったところもあることだろう.
憲法記念日.このところ,ネットニュースで安倍首相が改憲に前向きとのニュースをよく目にする.
先日参加した日本人研究者の会で,アメリカ人のハーバード大名誉教授は,「今,文明国でありながら,自分達が作ったのでない憲法を使っている国など,日
本くらいなのだから,自分達で憲法を作るべきだ」と話していた.しかし,その憲法を強要したのは,他ならぬ,貴方の先達なのですよ,と言いたかった.そん
な発言は,偽善に過ぎないように思える.
試案を提出したグループもあるようだが,国家元首を天皇にせよだの,軍を持てだのという試案には,到底賛成できない.今頃になって,何故,戦前の日本に
戻ろうとするのか.よほど戦前に甘い汁を吸った亡霊たちが,今なお政治の世界で幅を利かせているのだろうか.僕は断固反対だ.
とはいえ,僕は国外にいて蚊帳の外.たとえ,国内にいたとしても,この流れをどのように止められるのだろうか.口惜しい.
昨晩,台湾人大学院生のシュシェンがJCと,僕の実験器具や机を午前中使いたいと言ってきた.僕にとって興味のある実験だったし,生きた動物用の器具を
持っているのは僕だけなので,OKした.朝9時に始まり,10時には終わるとのことだった.お易い御用だ.
今朝は,彼らの実験に遅れるまいと,朝8時半にラボに来た.しかし,JCもシュシェンもいない.ようやく二人が揃ったのは9時半だった.すぐに実験を始
めるのかと思いきや,必要な溶液を作っていなかったとかで,実験が始められたのはなんと11時を回ってからだった.何故溶液一つを作るのに,1時間半もか
かるのか,僕には理解できない.
その後も,必要な器具がなかったり,実験に不備があったりで,結局彼等の実験が終わった(というか諦めた)のは3時.かなり苦痛だった.
おまけに,シュシェンの新たな一面にがっかりさせられた.普段は,いかにも金持ちの実家で純粋培養されたような,気のいい青年だが,実験に関しては極め
て自己中心的.自分の都合しか考えていないので,その後に僕が控えているということに気づかない.平気で予定を延長する.指摘しても,のほほんとしてい
る.動物を解剖しながらも,必要な溶液を僕に取ってくれと指図する.Could you~?と言われるのならまだしも,You
can~.と頼まれると,なんだか腹立たしい.もっとも英語のニュアンスが,直訳どおりなのかどうかは,僕には良く分からないのだけど.
やはり金持ち育ちで,今まで何一つ不自由なく,周りの人たちが世話を焼いてくれたからこうなったのだ,と考えてしまうのは,貧乏人のやっかみかもしれな
い.
おまけに使った後の片付けが何一つ出来ない.顕微鏡のライトなどがつけっぱなしだ.終わったことさえ僕に伝えないので,一体始めて良いのかさえわからな
い.
実験台を見た瞬間,凍りついた.動物を解剖したまま洗わず,血がこびりついた解剖道具が散乱している.マウスの毛なども実験机に散乱している.人の器具
と机を借りておきながら,これはあまりに酷い.文句を言おうと思ったのだが,当人はのんきに遅い昼飯でも食べにいったらしく,姿が見当たらない.今度やっ
たら,徹底的にとっちめなくてはならない.
夕方,コーリーが,「ciona,今晩飲みに行かないか?」と誘ってきた.彼は今の僕の状況が分かっているので,気遣ってくれたのだろう.ちょっと喉が
痛いような気がしているのだが,好意をむげにしたくなくて一緒に飲みに行く.
今日行ったのは,「地球の歩き方」などにも載っているJohn Harvard's Brew
House.ビールは全て自家製だという.黒ビールと,やや色の強いビールの2種類を頼んだが,どちらも悪くない.食事にはハンバーガーを注文.こちらに
きてハンバーガーを食べるのは,実はこれが初めて.
まだ東京にいた頃,土日にラボに行った時などに,目黒駅近くのT's
dinerでハンバーガーを食べるのが好きだった.アメリカに来たらこんな感じの店が多いのだろうか,と思っていたが,実際にアメリカに来てからハンバー
ガーらしいハンバーガーを食べたのは,来てからもう4ヶ月近く経つというのに初めて.肝心のハンバーガーだが,なかなか美味しかった.
* こういう「くやしさ」がうねりうねって、大きな連帯の力になって欲しいもの。
☆ 仕事にも少し慣れて ゆめ
元気にしております。まだまだ覚えなければいけない事柄もたくさんあって、なかなか大変です。ぎりぎりの人数でやっていることもあり、忙しい日々です。
連休の好天に真冬の衣類の洗濯や、お布団干し、また昨日籐の敷き物を出しました。
つつじの花盛りですね。大好きな紫らんの花、咲き始めたのを見つけました。
* 名古屋市大の谷口さんから、脚のけがのお見舞いと、最近の研究論文数本が届いた。ありがとう。
* 明治学院大学名誉教授の粂川光樹氏の大冊、最近笠間書院から出された初の単行本『上代日本の文学と時間』も贈られてきた。医学書院に同期に入社した四
人の一人で、彼は一年もするかせぬかで退社し、わたしを大いにうらやましがらせた。フエリス女学院の先生の頃に、わたしを呼んで講演させ、中華街でご馳走
してくれた。のちに明治学院大に移った。この方面の研究者とは識っていた。古事記、日本書紀をつづけて音読して間もないこと、楽しみにこの大著に敬意を
もって向かいたい。
医学書院で、入社してすぐわたしが主任を務めていたデスクに配置された、中島信也君(筆名・小鷹信光)の、これも早川書房刊の大冊『私のハードボイル
ド』も、堂々の半ば研究書の印象すらある自伝ふう歴史本であった。彼も医学書院に初出社の日を顧みてあんな情けないイヤな日はなかった、一日も早くやめた
いと思ったと書いていて、あまり似ていたので笑ってしまった。
彼は徹底したハードボイルド畑の訳者・筆者で、仲間も、著書もびっくりするほど多いはず。わたしとは、ピンからキリまで方面のちがう書き手で交叉点はな
かったが、共通の知人である書き手は少なくない。ペンの委員会や理事会で、彼の本に顔を出していた書き手とも何度も一緒になっている。
退社は、どっちが早かったか覚えない。中島君は会社に入るより前から、大学時代からもうその方面に地歩をもち仕事し始めていた。彼がデスクにいたちょう
どその頃、わたしは昼日中東大国文の研究図書室に身を隠し、夢中で徒然草文献に読みふけっていた。その勉強から、書き下ろし長編の『慈子(斎王譜)』が生
まれた。無我夢中であのころは勉強した。大学の勉強などものの数でなかった。仲間など一人もいなかった、妻のほかには。いや、編集長重役に長谷川泉がい
て、わたしは、長谷川さん、あんなに忙しくてしかも森鴎外はじめ三島や川端の研究と啓蒙者として沢山な研究書・著書を持っているのだもの、自分もやれる
と、いつも気を張っていた。幸せな環境だったと今にして思う。
他に医学書院からは、わたしの知る限り、後輩に評論家樋口覚が出ている。先輩で上司だった畔上知時氏も優れた歌人で、何度も自著で紹介している。
* 故福田歓一さん(東大名誉教授・法学部長)の夫人からこれまでの「湖の本」を永く愛読しておりました、今度の本を霊前にお届け頂き、早速供えましたと
丁重なご挨拶があった。
そういえば、わたしも七十一を半年過ぎている。知己の人たちがいわばみな「名誉教授」なのも当然すぎるほどになった。現役の大学教授ともまだたくさんお
つきあいがあるが、歳月の摩滅のはやいことよ。
* 名古屋の子松君、モーツアルトのバイオリン曲のCDを二枚贈ってきてくれた。いろいろと忙しそうだ、なにもなにも順調ですように。近いうちに会う機会
もあろう。そんなことを言いながら、わたしの事情から会いそびれている卒業生が何人も。上尾君、竹下君にも会いたい、折悪しくのびのびのままの林君にも、
剣道五段にすすんで元気に仕事中の西山君にも。藝大の油絵に転じた折戸さんの顔も久しぶりに見たいもの。
そういえばバルセロナが、帰国休暇とメールにあった。故国を楽しんでゆくように。
* 五月五日 土 こどもの日
* ひとりだけのこされた孫娘、やす香の妹みゆ希が、幸せに高校一年生の日々を満たしているだろうか、元気でいて欲しい。風の便りに、すこし風変わりな学
校・学科へ進んだらしい。心ゆく日々、そして何より心身の健康で安全な毎日を祖父母は心より願っている。
☆ 非常識part2 昴
(「mixi」)147日目 高度が上がると、飛行機の中が心持ち暖かくなってきて、そりゃイカロスの翼も溶けるよ、と思った。
というわけで、また(北海道の北辺から=)東京に向けて旅立ちました。
何のために行くかというと、演劇「アルジャーノンに花束を」を平塚市まで観に行くためです。
非常識もいいところですね。
さて、飛行機から東京を見ると、雲の色が変わるのはいつも気づいていたのですが、今回は、川のそばに家が結構あることに気づきました。
あんなに川のそばにあって怖くないのでしょうか。
上空から見る、本州と北海道の景色は全然違うので、じいっと見てしまいました。
一日目は、東京に着いた時間が五時ぐらいだったので、八重洲のブックセンターに行って教育関係の、印刷してすぐに使えるような本を何冊か買ったぐらいで
疲れてしまって、すぐにホテルに帰りました。今回の旅のメインイベントは明日なので、一日目は体力温存です。
二日目は演劇を観に平塚に行くのですが、そのまま行くということはつまらないので、由比ヶ浜にちょっと寄ってから行くことにしました。
なぜ由比ヶ浜かというと、鎌倉文学館があるからです! 近代文学に度々出てきている地だからです!
で、鎌倉文学館に行ってきたのですが、旧前田侯爵別荘だった建物はいかにもお屋敷、という感じがしました。三島由紀夫『春の雪』の舞台にもなったお屋敷
だそうで、敷居の高い感じがひしひし伝わってきました。中の展示品も、川端康成の使っていた筆や作家さんの原稿などがあって、興奮してしまいました。
鎌倉ゆかりの文学ということで『平家物語』や『徒然草』などがあったのもおもしろかったです。あの『平家物語』の本が影印本なのか、原本なのかが気にな
るところ。写本に、前田家蔵本というのもあったような、ないような、御伽草子の方だったような…勉強しないとな。
電車に乗って由比ヶ浜まで来ましたが、このお屋敷とその周りの環境を見ていると、なんで文豪達が鎌倉に集まったのか、わかるような気がします。仲間が居
たからっていうのもあるでしょうが…。
文学館から駅へと帰っていく途中、日本家屋の造りと思われる廃屋が、草木に覆われて辛うじて建っているのを見ました。『源氏物語』を読みながら、垣根が
草木で壊されたりしている、荒れている家々のことが出てくると、「そんなわけないじゃん」と思っていましたが、そんな家を目の当たりにして、自分の考えを
改めることになりました。北海道の、特に私が住んでいる場所の廃屋は、牧草畑や浜辺に、木も背の高い草も生えさせず、ぽつんと孤独に荒れているだけなの
で、この発見は貴重でした。
この後、電車に乗って平塚に行きましたが、早く着きすぎて、神社に行っておみくじを引いたり、公園で本を読んだり、鳩にビスケットをあげたりして過ごし
ました。
* 昴のこの日記を読み漏らしていた。文は人なりという。いかにも柔らかな人となりの「素」があらわれて、微笑ましい。川の側の家が怖いという、これは昴
の、根の感性のように想われる。草生に荒れる籬についての発見も素直で美しい。そういう昴がはるばる、ほかならぬ『アルジャーノンに花束を』を見に行く意
思。錐で揉み込まれるほどの感銘がある。
芝居の感想も転写しておく。わたしのこの「私語」は、ときに劇団昴を率いておられた福田逸さんの目にも触れている。
☆ 観劇 昴
さてさて、平塚市中央公民館で行われた「アルジャーノンに花束を」の感想です。
印象としてはオーソドックスな演劇を見た、という感じ。
チャーリー役の平田広明さんが、知的障害者をその人らしく(指先を奇妙に曲げているなど)演じていたので、「え、違うよぉ」という思いを抱かず、すんな
り劇に入ることができました。う〜ん、プロの人ってすごい!強いて言えば、もうちょっと子どもっぽかったらよかったのになぁと思うことかな。あ、あと間が
変なところがあったなぁ。そのあたりが気になったぐらい…かな。
お話自体も、一人称の原作では書けない部分が書かれていて、おもしろいなと思いました。原作付きの演劇を楽しむ方法を一つ覚えました。
実は観劇後のアンケートに、「元に戻っていくことがチャーリーにとって必ずしも不幸ではない」と書いたのですが、一日経ってみるとそうだったのかがわか
らなくなってきました。だいぶ悲観的ではあったように思います。でも、「仕事しに来た」とチャーリーが言ってからは幸せになってきたのかな。最後のチャー
リーのレコーダーに残した声は確実に喜びだったように思います。
原作を読んだときに、チャーリーは元に戻りたかったのではないだろうか、と思うことがあったんですけれどもいまいち自信が持てずにいました。今回、演劇
を見てやっぱりそうだったのかなと思えました。
今回の演劇を見て、ダニエル・キイスが「二四人のビリー・ミリガン」を書いた作者だということがよくわかりました。
原作がある作品の演劇化などは、物足りなさを感じるのであまり期待を抱いていないのですが、今回のは作品の理解を深めることができたので、いい劇だった
なと思います。
広い舞台ではなく、本多劇場ぐらいの大きさの所で見てみたいな、と思いますが、もう、東京に行く経済的余裕もありませんし、冬の公演も見に行けるような
時期ではないので、無理でしょう。
今回の観劇は、鬼気というか、緊迫感というか、そういうものがもう少しあれば100%満足のいくものになったようには思いますが、充分、満足のいくもの
でした。
平田さんが言っていたように、「仕事しに来た」というセリフはこの劇で一番の見所でした♪
* とにかく観て感じて、そのまま書いている。本も芝居も景勝・古跡もそうだが、再見からが、真の体験になる。一度目は扉を開いて一歩だけ踏み込んだのと
同じ。その一歩をどうつぎへ育てるかには、少なくも二つ道がある。その一歩を二歩に三歩にする、またはその一歩をかかえ持ちながら次の別の一歩に内的に加
算する。
古社寺をめぐって社寺印を捺して貰ってくれば「行った、知っている」という人がいる。良い体験は、そういうものでない。二度立ち向かう気を起こさせない
ものは、概して、つまらない。但しこの際に、ぜひ覚悟しておきたいのは、作品がつまらないとは限らない、作品に比して当人の人間の方がよほど「つまらな
い」場合もある。作品を「つまらない」と投げ出すのは人間の勝手だが、作品の方からおまえは「つまらない」と言われるのはかなり恥ずかしい。
昴さんも次の雄くんにしても、みな年齢的にはわたしの「こども」世代。わたしはいつもそういう親愛感でこの世代の人たちに接している。
次の雄くんの日記も例によって、なかなかおもしろい。単篇の日記として読み流すのが惜しいほど、それも公団に展開すればするほど内容面白く、興味津々。
なるほど理系の秀才じゃのう、この展開はと、また納得させられる。苦笑も快笑もする。
☆ かぐや姫 ハーバード 雄
エドに頼んであった電気生理の器具がようやくできた.エドがやってきて,午前中に一旦,顕微鏡まわりの部品を回収し,夕方,それらと共に新しい器具を
持って再び現れた.今週の初めには出来上がっているはずだったのに,出来上がったのは結局,金曜日だった.
取り付けてもらったが,こちらの望んでいたのとかなり違う上,照明の当て方が適切でないために,像のコントラストが極端に低く,全く使い物にならない.
結局,月曜に再度来てもらい,案を練り直してもらうこととなった.
ハッピーアワーのビールも手伝い,その際にもちょっと色々あって,夕方にはすっかりやる気が失せ,居室に戻る.居室では,ライアンが暇をもてあまして
か,下らないアニメのウェブサイトなどを開いている.
ふと画面を見ると,「月からやってきた狙撃者」とかいう文句とともに,アニメのキャラクターのようなものが描かれている.ライアンも,こんな下らないも
のを見つかってしまった,という様子で気恥ずかしそうにしているので,思わず笑ってしまった.
「日本にも,そんな話があるよ」と言って,竹取物語の話をライアンにしてみようと思い立つ.が,実際に話してみると,自分の記憶がいかにいい加減である
かが分かる.
僕が話したあらすじは以下の通り.
「昔あるところに,おじいさんとおばあさんがいました.或る日おじいさんが竹林に竹を切りに行くと,一本の光っている竹がありました.おじいさんがその
竹を切ると,中には可愛らしい女の赤ちゃんが入っていました.おじいさんとおばあさんは,その赤ん坊をかぐや姫と名づけました.かぐや姫はすくすくと育
ち,やがてとても美しい女性になりました.多くの男がかぐや姫に求婚しましたが,彼女はそれに応じず,或る日,自分は月から来た者だと伝えると,月からの
迎えとともに,月へ戻っていきましたとさ.おしまい」
これを聞いたライアンは,「ということは,そのかぐや姫は,それまで大切に育ててくれたおじいさんとおばあさんを置いて,月へ帰っていったというのか?
なんて女だ!」
続けて,「で,その話はそれで終わりなのか?」
昔,子供の頃に聞いたときには,とても美しい話であるように感じたのだが,いざ説明してみると,どこが美しいのか説明に苦しむ.きっと僕の話し方が悪い
のだ.
「cionaはストーリーテラーにならずに,サイエンティストになって正解だったな」と,ライアンにからかわれる.
インターネットで検索し,竹取物語のことが書かれているウェブサイトを読みあさっているうちに,すっぽりとぬけてしまっていた箇所がいくつかあることを
思い出した.
例えば,最終的に5人の男が求婚したが,それぞれに無理難題を言いつけ,結局誰も願いが叶わなかったこと.「竹取物語」では,もっとも重要な箇所の一つ
であるはずなのに,ウェブサイトを読むまで,きれいさっぱり忘れていた.
最後には御門(帝)までが彼女に会いたいと言ったが,それにも応じず,月に戻る直前に御門に「不死の薬」を渡していったこと.御門はそれを日本で最も高
い山の頂上で焼くようにと命令したこと.そのことから,その山は「不死の山(=富士山)」と呼ばれ,今なお煙を上げているのだということ.そんな最後のオ
チの部分などもすっかり忘れていた.
しかし,こんなのをライアンに説明しても,5人の求婚者の話は,かえって火に油を注ぎそうだし,最後の富士山のくだりも,日本人にとってはオチになるだ
ろうが,外国人が聞いてもピンとこないに違いない.
小さい頃に読んだ物語などのあらすじを,いまなお良く憶えている人を時々見かけるが,僕は全くダメ.うろ覚えで,他人に説明するなど,もってのほかだ.
そうはいっても,どうしてこのようなあらすじの物語が,いまだに受け継がれているのかは,考えてみると謎である.単に受け継がれるだけでなく,古くは同
じ名前のフォークバンドもあったし,竹取物語をモチーフとした映画やマンガ,果てはパチンコ台まであるそうだ.日本人の美意識にマッチしているのだろう
か.
ちなみに,「かぐや」と名づけられたマウスがいることは,ご存知だろうか?
東京農業大学の河野友宏教授らが作製したマウスだが,なんとこのマウスは「父親を必要とせずに」生まれたのだ.そこで,竹取物語にちなんで「かぐや」と
命名されたのだった.3年前のネイチャーに報告された.
色々な生き物の中には,単為発生するものもあるが,マウスなどの哺乳類は,精子からの核と卵からの核が,個体の発生に必要とされている.
何故なら,哺乳類の場合,父親由来の遺伝子には,同じ遺伝子であっても母親から受け継がれた場合と異なる働きを示すものがあり,胚が正常に発達するに
は,この父親由来のパターンが必要だからだ.
このように,親の性別によって,同じ遺伝子でも異なる修飾を受けることを,「ゲノムインプリンティング(刷り込み)」と研究者たちは呼んでいる.「イン
プリンティング(刷り込み)」とは,例えば,生まれたばかりの鳥は一番最初に目にした動くものを親とみなして後を追う,という生得的な行動のことを指す.
河野教授らは,マウスの遺伝子を操作し,雄に由来するDNAがなくても生殖ができるようにした.そのマウスは雌であるものの,DNAの一部が欠損してお
り,インプリンティングを受ける遺伝子のうちの2つが胚の中で雄由来の遺伝子のような働きをする.このようなDNAをもつ核を通常の雌のマウスの卵細胞に
入れることで,受精卵に相当する細胞がつくられ,それを元に作製されたのが「かぐや」だった.
この実験結果だけを単純に考えると,動物界でオスはもはや用なしということになる.
ただ,そういうことを結論付けるために行われた実験ではなく,ゲノムインプリンティングを受ける遺伝子のうちのいくつがオス型になっていれば,胚発生が
進むのかということを学問的に検証するのが本来の目的だった.
また,457個の同様の卵を用意したそうだが,実際に生まれてきた「かぐや」は,たったの2匹だった.このことからも,まだまだ分かっていないことも多
いのだろう.
ただ,このマウスの場合,竹から生まれたかぐや姫とは,大分かけ離れている気がする.しかも外国人には理解されがたい美意識のようだ.果たしてこのネー
ミングのセンスが良いのか,僕には分かりかねる.
* 「かぐや」と名のあるネズミが、世界のトップ科学誌に論文として登場するとはね。
雄君も、かぐやひめの話が現代の今日にもまだもてはやされていることに奇異の眼をまんまるくしているのも、この私には、異様な刺激である。わたしの「湖
の本」には『なよたけのかぐやひめ』一巻が含まれているのだもの。
この戯曲化した和英対訳の美しい絵本は、語学のラボ教育センターが出版し、いまも滞りなく印税がを届けてくれる。この絵本には英語での、日本語でのふた
つのテープも、語ってくれるのは外人も、日本人も大塚道子ら一流の俳優さんたち。わたしの三つの講演録もふくむ手厚い解説本もついていて、このワンセット
は、しばしば政府要人等が海外首脳へのおみやげとして利用されていると聞いている。またラボの全国支部ではいまもこの台本でこどもたちが大勢英語劇として
も日本語劇としても演じていることが、読者からの便りで分かっている。
かぐやひめ伝説はグローバルな根と広がりとを持っていて、バリエーションは莫大な数にのぼる。雄君が必死であらすじを友人科学者に伝えようとしてくれた
ご苦労に感謝する。
* そういえばこの本をラボで出してまもなく、ある人がハワイに嫁いでいったので、はるばる贈ったことがあった。どうしているかなあ、と、と
きどき懐かしく思い出す。なのに、咄嗟に名前が思い出せない。あんなに人の氏名をたくさん覚えていたのに、年々歳々、忘れて行く。昨日会ったような人の名
も忘れている。やれやれ。
* 実父吉岡恒と生前に話す機会はほとんどなかった。わたしが避けていたからだが、妻は父の電話をうけて、いろいろ聴いていたようだ。柳生の里との血縁に
ついてもそうだったか、しかと二人とも覚えていないが、「柳生」は父の母方または祖母方の里のように聞いた気がしている。それで柳生へ一度は行ってみたい
と想いつつ、願いつつ、果たせていない。この先のことも分からない。
南山城加茂の若い従弟が、その「柳生」のことを書いてくれている。有り難い。
☆ 柳生へ行って来ました 孝
遠方の知人がコンサートをしに奈良市に来るというので 顔出しだけでもと思ったら 柳生でとのこと。
天気も良く 午前中で予定の仕事が片付いたので 加茂からJRで一駅を笠置に出 そこから 歩いて行ってみた。
昔は この地とはよく交流があったようで うちにも、母方の家にも、柳生や柳生家から嫁いで来ている先祖がいる。
笠置から柳生へは、二つの道がある。
一つはまず笠置山・笠置寺に登ってから尾根沿いに (おそらく元弘の乱の際 笠置の後醍醐帝の行在所へ 柳生郷から兵糧を運んだであろう道らしき辺り)
と、
笠置寺へはいかずに 打滝川沿いに 登っていく (一般の用事ではこちらをとっていたであろう) 道。
今回は 打滝川沿いを歩いた。
打滝川は笠置山地を奈良市の東部から出 笠置へ流れ 木津川の手前で白砂川に合流し 木津川となる。柳生から笠置までは ただ滝が連なっている。
このあたりは巨石が多く もう少し広くとらえれば 大坂城の石垣も多くこの地域から運ばれ 途中幾つも備蓄された址がのこり それらは今 「残念石」と
呼ばれている。
大きな岩は柳生にもあって 手力雄命 天岩戸を引き開けたとき 力余ってその扉石 空を飛んでこの地に落ちた といういわれを持つ神社があり
その側にも (写真の)一刀石がある この辺には大きな岩がいくらも露出している。
大きな岩を伝って落ちる水の音と、谷を渡る鶯の鳴き声とを、ずーっと聞きながら一時間登り道を歩いていくとポンとひらけた土地に出る そこが柳生の里
だった。
渓流と野鳥らの響の援けがなければ とてもこの坂道今は歩き通せない。
古くからの豊かさを感じさせる柳生の里は 剣豪の里ということだが 建て方からすると元は商家であったのでは とおもえる家が 山間の里にしてはことの
ほか目に付いた。
柳生家の家訓に
大才は 袖すり合った縁をも生かす という部分があるらしい。 感度 工夫 精進 ということなのか。
建物については物識らずの間違い勘違いかも。
コンサートの会場となる アジア食堂
Rupaに到着。知人の車かなと思えるナンバーのものがあったが 皆出かけているらしく こちらもあちこち散策してみた。
どこをみて回るにも 春の坂道 足がお腹一杯というので 帰り道の事もあるので 近くで休憩していると 皆が戻ってきコンサートの準備が始まった。知人
に声をかけ 少しだけお話をして 明るいうちにと また 歩いて笠置駅まで戻った。
とにかく ひさしぶりにたくさん歩きたかった そしてよく歩いた という一日。
* 柳生への道のりを、しっとりと、臨場感もたたえて教えて貰った。嬉しい。正確な筆致で書かれている。
父恒の生母が「良」という名前ではなかったか、裏に「良」と一字ある写真が手元に伝わっている。美しい人だ。この人は不縁になり柳生に帰ったとも聞いた
ような。その母の末っ子であった父は、彦根高商に学んだとき、彦根で下宿を営んだ寡婦「福(筆名阿倍鏡)」と出逢い、兄恒彦と私とを儲けたのであるが、父
は母ほどの年の福に、幼くして生別した生母の面影を観ていたらしいという噂もわたしは聞いている。
* もう一人、「こども」の日のレポート。堅実な子育て、幸せなお嫁さん、ゆとりのセンス。
☆ ゴールデンウィーク後半 馨
ゴールデンウィークの後半は、少し早めに、水曜日の午後からでした。娘の帰宅後すぐに車で焼津のダンナ様の実家へ。
港町の上に、実家は昔は漁をしていたので、ご両親は今でも釣りが趣味。魚好きの私は帰省すると必ず太るんです。
私の好きなものをいろいろ覚えていて、全部取り揃えて出してくださるんです。しかも「ちゃんと食べてる? もっとあるからどうぞ、どうぞ」と、食事中も
念を入れつつ・・・。意志の弱い私は目の前に好物を並べられて、毎度激太り。
今回も危険を察知して、できる限り散歩に出たり家の中でも階段をこまめに昇降したりしたのですが、帰宅後に体重計に乗ると・・・1kg弱増えてまし
た・・・。やっぱり・・・。
いかん、いかん、と、一泊して帰宅した翌日はサイクリングに出ることにしました。娘の自転車を大人がついていない時はダメ、と禁止したので、そのかわり
に最近の休日はほぼ毎日サイクリング(というほどの、速度もないトロトロ運転なのですが)。
行き先は、1)娘が自転車に乗っていかれる程度の距離、2)人混みを通らない(私の希望)、3)チビを遊ばせられる芝生がある(ダンナの希望)を満たす
ところということで随分と悩んで、旧華頂宮邸にしました。報国寺より少し奥の洋館です。
話がそれますが、この洋館、昔、鎌倉市の文化財課の人と話していてお互いに挙げた「鎌倉の洋館best3」の一つです。鎌倉には洋館が結構残っています
が、奇しくもその方のbest3と私のbest3は完全に一致。
残りの二つは鎌倉文学館と、某個人宅です。
その方はセオリー通り、旧前田邸である鎌倉文学館を一位に挙げていましたが、私はNo.1はその個人宅だと思っているのですが・・・。
裏駅の方にある谷戸全体を所有されたお宅です。しっとりしたロケーションがすばらしいんです。きっとご存知の方、多いですよねー(^^)。
綾辻行人の「時計館」を読んだ時に、絶対にモデルはその洋館だと思いましたが、その後、ミステリに詳しい知人に尋ねてみると、その通りらしいです。
と、話がそれましたが、表通りを通らず、ひたすらに裏道を抜けて二小の裏からバス通り、さらに報国寺の裏に出る道を通って、華頂宮邸へ。
予想通り報国寺前は大混雑でしたが、人が多かったのはそこだけで華頂宮邸はちらほらと人がいるだけ。
残念なことにお庭の芝生は人の立ち入りが禁止で息子クンを遊ばせられませんでしたが、代わりに玄関の横にテーブルとイスが出してあって、そこでゆっくり
できました。
ここは、中は年に二回の公開ですが、お庭周りは毎日公開になっていたんですね。お庭周りは土日祝日だけだと思っていました。
娘は最近吹けるようになった笹笛を吹いて遊んだり(ついでに観光客のお姉さん二人にも吹き方を教えたり)、近くの水場でヤゴやオタマジャクシを見つけた
り、楽しんでいました。
オタマジャクシは、私が久々に見たアカガエルのオタマで、「お、ここはちゃんと生態系が残ってるなぁ」とちょっと安心。
山の上ではオオルリの鳴き声を今年初めて聞いて、とっても嬉しく。
それから、その近くのお宅でゼンマイがたくさん生えており、我が家のゼンマイは増やしたいのに毎年3本しか出ないので食べるに食べられず、垂涎。ダンナ
が先手を打って「取らないでね」と牽制しましたが、大丈夫。私だってよそ様のお宅のものは取りません、はい。
ただ、最近、山に藤がすごく増えていますね。
この時期、きれいに咲いているのでどれだけ増えたかよくわかるのですが、藤って山の手入れが悪くなると激増するんですよね。ちょっと心配。
帰りは、小学校の前ではなく、浄妙寺の前を抜けて裏から住友団地を越えて遠回りして帰りました。このくらい上り坂を行かないと焼津太りは解消しません。
(いや、このくらいでも解消しないけど。)
しめて2時間半のお出かけでした。
帰宅後、江ノ電の乗車に紀伊国屋の前まで並んでた、などという話を聞いて、毎年のことながらそれだけ黙って並んでる人たちって私にはない才能がある
なぁ、と。
今日は娘とダンナ様でちょこっと自転車で買い物(柏餅や菖蒲ですね)に行ってもらった以外は家でおこもりです。
焼津太り、このまま定着しそう・・・。
明日はようやく雨が降るということなので、障子の張り替えをします。湿気の多い日のほうがきれいに張れるので。
最後の方はおこもりしてしまうので、あっという間のゴールデンウィークでした。
でも、地元で外出しても観光客と遭遇しないで楽しんだ! というのはちょっと達成感。ゲーム的ですね。
来年はどうなるのかなー。
* 五月五日 土 つづき
* 自分が書くよりも、知友、読者、マイミクからの便りを喜んで転写できる日が嬉しい。それぞれに心動かした、動かされたのであるから。そういう日は人肌
の温かさを感じる。次の雀さんのメールは、かなりハイな歴史エッセイで、追いついて行ける人は少ないだろう。
☆ 西行と重源、芭蕉と公慶 雀
露伴、紅葉、漱石、子規が同い年とは思いませんでした。前のふたりは昔の人、あとのふたりは今につながっているイメージがあるからです。それに「吾輩は
猫である」が書かれたと、き既に紅葉は世を去っていたのですね。
伊東忠太、関野貞、長野宇平治、夏目漱石、正岡子規の五人に絞って、さらに主に三十歳頃までを比較した「年譜」を書き出し書き写していて、漱石に一番時
間がかかりました。たびたび手が止まったからです。一つには西鶴の年譜を書いたときの思いと共振するところが強かったんですの。
師の没後俳諧から小説にうつったこと、むすめを喪った悲しみ。
西鶴は五十二年の生涯で四十一歳から小説を書き、漱石は五十年の生涯で三十九歳から小説を書いていて、なにかと取り上げられる有名な著作がその初期作品
に大きく傾き、それが彼らのイメージの多くを先行形成してしまっている不幸も、同じです。
西鶴さん、ごめんなさいと謝りながら年譜を書き写していたあのときと同じに、漱石さん、ごめんなさい、です。
ときにファンというのは、贔屓の人と少しでも共通点や類似点を見つけるとたまらなくうれしくって、その人と一段とまた近くなった気がすると同時に、落ち
込んでいるときなど、特に自分の価値を自分で上げるものと思うのですが、いかがですか。
雀は、ながく、西行=桜の人というイメージで避けていました。芭蕉さんが、西行が好き好き好きと熱烈にあらわすので、蟹歩きにすこぉし近寄って、「どん
なひとなの?」とちらちら見ていたあんばいで、そこに正剛さんが、「しきりに桜の名歌を詠むのは、晩年になってから」。旅をして都をしのんで恋しくおもう
ときの西行は、月を詠んでいるというのと、「ねがわくば…」の歌が満月と桜と釈迦入滅の3つを結び付けた歌ということに、「月見西行」なら好きになれるか
もしれないと、弘川寺の「西行記念館」にでかけてみたのです。
入口の西行像の上に彼が旅した場所を印した日本地図がかけてあるのをながめているうち、「俳聖」を括弧でくくって、「西行の大ファンで追っかけの松尾芭
蕉」としていいですか? そうするとお気持ちがよりわかるンですけどと、芭蕉さんの背を軽く叩いてみたい気がおきました。
そして西行が晩年、重源から頼まれ、陸奥に東大寺再建勧進の旅をしたというでしょう。再建リーダー重源が六十歳を過ぎての大仕事で、さらに三歳年上の西
行が陸奥に赴き、十月半ばに平泉到着という旅をするさのパワーに驚嘆しました。
五百年後の江戸時代の大仏再建のときは、ぐっと若く、芭蕉がお籠もりをしたお水取りを、参籠の最後に大仏殿再建に邁進した僧公慶は四十歳の勧進リー
ダー。ところが重源と西行に相似して、芭蕉は公慶の四歳年上なのです。芭蕉は百二十年雨ざらしにされたままの東大寺大仏に再建の許可が下り、なおかつ勧進
のリーダーに公慶が任じられたと知って、飛び上がって喜んだのではないでしょうか。
1688年4月、公慶は大仏殿再建を始めます。芭蕉はその前年「笈の小文」の旅に出立し、伊賀上野で越年。翌年、伊勢内宮参詣後、新大仏寺〜吉野〜高野
山〜和歌浦〜奈良〜竹内街道を大阪へ出て、尼崎〜須磨・明石〜能因塚・山崎宗鑑屋敷跡〜京。まさしく「西行好き好き好きの旅」ですわねぇ。
京〜大津〜鳴海・名古屋〜美濃〜姨捨で月見、そして〜善光寺参拝。西行が妙高山に来ていたということは西行記念館で日本地図を見るまで知りませんでし
た。「おくの細道」では越後高田に滞在しています。あの時代、あの旅程のなかで高田は仙台に次ぐ大都市だったそうですが、妙高山に少しでも近づきたい思い
がありそうに思います。
1688年8月下旬「江上の破屋に蜘の古巣をはらい」、年を越して1月17日付の兄への手紙に、「おくのほそ道」の予定を告げています。西行が勧進の旅
をしたのが1186年、それから503年後の1689年。季節は半年違いますが、芭蕉にとって初めての陸奥、その上、秀衡のような人がいない平泉に10月
半ばに着いて、そのあとを思うと、雀も、芭蕉を引きとめますわ。
3月江戸深川出立、8月大垣到着、9月伊勢へ。伊賀に帰郷し滞在ののち、東大寺参詣「雪かなしいつ大佛の瓦葺」。そして秋に、完成した嵯峨の落柿舎に弟
子去来を訪ねています。
先月から嵯峨厭離庵が特別公開していますが、定家の時雨亭は、落柿舎のすぐ北でしたの? 嵯峨も芭蕉にとって西行の跡を慕うに気に入りの場所なのでしょ
う。
「おくのほそ道」前後の旅は、西行が重源に頼まれて勧進の旅をしたことをなぞり、西行もこうして再建を進める僧の仕事ぶりを見聞きしたり槌音響く古都奈
良にたびたび立ち寄ったのかもしれないと思いをこらして、「西行さーん、わたしもこうして東大寺再建に立ち会い、頼まれませんが勧進のこころもちで旅をし
ています。公慶さんもなかなかがんばっているンです、みてあげてください」と話しかけながら歩いていたのかなと思います。
さて西行の昔、この大仏復興の為に招かれた陳和卿が、このあと将軍実朝に謁見し、渡宋船を造るよう命じられたのですね。進水に失敗してなかったら、実朝
が渡宋していたら、あの時代はどうなったか…これは、雀の、定家卿への想いです。 囀雀
* これだけ書いて、書き手の経巡った歴史の「時空」は広大。天空に舞う凧の糸をしっかり手元に握っての随感・随想は、さぞ手応えがあるであろう。
☆ 今日は兄夫婦とそのお友達が実家に来ました。 昴 北海道
兄嫁が摩周湖に行ってきたお土産ということで、ふくろう(コタンコルカムイ)の栞をいただきました。ありがとう、お嫁さん! 早速、『愛、はるかに照
せ』のしおりにしました。航空券の半券が今までしおりでしたので、助かりました。
で、兄夫婦が帰ってからネットで「平家物語」の諸本について調べものをしました。そうしたら、「尊経閣叢刊」が実は前田家が自身の蔵書を保護するために
創刊された本だということがわかりました。学生時代に習っていたことだと思います…。何勉強していたんだ、自分。
しかも、「平家物語(真字熱田本)」を所有していたらしいです。ああ、熱田本ね。演習で何回も聞いた名だよ…。なにしていたんだよ、ホント。
AERAの平家物語がわかる本をもう一度読もう。
このことから、鎌倉の本は貴重な原本でないことがわかりました。私が見たのは、漢字かな交じりで真字ではなかったので。謎がだいぶ解けたうえに、新たな
知識を得ることができました。
ああ、マイミクさんの「モディリアーニを見た」とか「神奈川の文学館に行った」という日記を見ると、足が痛くても見に行けばよかったなぁ、と後悔しま
す。いいな。
* もったいないミスチャンスを平気で繰り返している東京近郊のわたしたち。昴の、「いいな」に胸衝かれる。
「京の昼寝」という物言いがあった、今は言わないが。「東京の昼寝」はありそうだ。 昔は、京都の者が昼寝しながらでも身につけたものを、地方の人は不
自由に勉学しなければならなかった。美術も文藝も、やはり優れた作品に触れることが、その後に大きい。それと、今ひとつ、ものの生まれ出てくる風土の実感
が体験として大きい。物の色、物の音、ことば、山紫水明、空の色、風の声。そういうものが役に立った。
いま東京の者が東京のそれを活かしているか、何とも言い難い。
* いつも気に懸けてきた卒業生から、相当真剣な問題提起と相談とがメールできた。恋愛や結婚の相談ではない、もう少しお互いの仕事や日々とも関わってく
るなかみなので、緊張している。自分に何が出来るかもよく考えねば、口から出任せに相談に乗ってはならない。
* 五月六日 日
* 右脚ふくらはぎは、椅子の時間がながびくと、厚い藁で巻いたように腫れ固まって、歩行の痛みは退かない。だが、日に日にわずかに軽快し、痛みに拘泥せ
ず歩いたり階段を上下して、「慣れ治し」にかかっている。手で触れるだけでふくらはぎの表面にも芯にも痛みと違和感があるけれど、押し殺すように平気で過
ごせばもう過ごせそうなところへ来た。連休は今日で終わり、今週、一度出かけねばならないし、来週は数日連続する。脚の連休も切り上げねばならない。
* フランスの大統領選は案外大差になるかもしれないが、接戦、と謂うより分かりよい闘い。名前は覚えにくいが、移民氏と女史で分かる。しかも移民氏は反
移民、女史は移民容認。
歴史的にいえば移民氏ははっきりブルジョア資本主義のディドロ百科全書派系、女史は明らかに人民ルソー系。
フランス革命はこの二派に加えて、重農主義。この三派の協働でみごと端緒についた。いまでこそ重農主義は枠外であろうけれど、フランスで今しも闘われて
いるのは、日本の戦後のある時期でいえば、ちょうど自民党と、左派社会党プラス共産党との対決。アメリカ主導の今日の世界情勢からは、ブルジョア資本主義
系の移民氏の勝ちはかなり堅いだろうが、もし女史の人民エネルギーの結集と改革とが勝ってくれれば、今日世界に与える衝撃とムード変更の効果は、想像以上
に大きい。但しそれは中国とロシアとの覇権主義をイヤな形で顕在化してしまう「反人民的な反動」への引き金にもなりかねないが。
フランス革命は、ルソーのかなり孤独な、しかしかなり効果的なプロパガンダで、人民エネルギーが先頭に立ち爆発して成功し、さらにある種の徹底、過剰と
も観られた徹底まで見せた。けれど時勢と世情の落ち着きがみえてくると、ディドローらの穏健で均整のとれた上昇安定楽観的資本主義へ体勢を立て直し、それ
がほぼそのまま今日の世界情勢にまで続いてきている。
アメリカがフランス革命を気運にみちびき、フランス革命がアメリカの独立を支えたように、フランス百科全書派のブルジョア資本主義が、今や世界を混乱さ
せるほどに満開爛熟したのも「アメリカ」でだった。そしていま、比較的アンチ・アメリカのフランスが、もう一度ディドロ型の移民氏と、ルソー型の女史との
「一騎打ち」を展開している。歴史は繰り返そうとしているのか、人民の、やはり叶わぬ屈服に終わるのか。
* ルソーの『告白』がだんだん面白く展開して行く。まだ彼は、少年。今の日本や世界を眺めていると、ルソーの思想は、お伽噺めく空想のように思う人が多
かろう。しかし、ルソーの思想と先導なしにフランス革命が成功したとは全く思われない、思われていない。彼の思想は、人民の力を構築し爆発させるだけの素
朴すぎるほどの起爆力に溢れていた。人民の、不平等格差への絶対的な怒りを彼自身が共有していた。彼は貴族でもブルジョアでも学歴人でもなかった。つらい
格差に揉まれて熱烈に独学した天才的な思想家だった。体験や実践の天才でなく、直観と洞察で人間の本性を鼓舞しうる思想力をもっていた。わが日本のいまの
社民党や共産党には、ルソーの確信と怒りと理論とを、ホンのかすかにも受け継いだ思想家が、完全不在。なさけない極み。土井たか子も社会党を投げ出し、失
敗した。
☆ 連休は遠出しなかったので、たまには人混みに出ようと新宿に出かけました。
お上りさんよろしく、久々に中村屋のハヤシライスを昼食に、その後パソコンのSや、Yカメラを覗き、新宿通りのパフォーマンスを横目に伊勢丹、西口の京
王デパートへ。
一保堂のくきほうじ茶を買おうと、お店に寄りましたら、お抹茶の初心者セット「はじめのいっぽ」のお手頃価格。お抹茶に茶杓、茶筅、オリジナルのお布巾
付き。お茶の心得は全くないのに、たまにはおいしいお茶いただきたいものと…。向かいの金沢「森八」で美味しい和菓子「薔薇」と「菖蒲」も購入。
年金の戴ける年齢になるまで、いま少し頑張ります! ゆめ
☆ 近況 叡
秦先生 前回の湖の本はとても重くて、私はまだ途中までしか読んでいないのですが、とても辛く哀しく、しかし死の問題は私にとって重要なので(7年も経
つ父の死、父の喪失を、私は今も引きずっています。)、送って下さった事、感謝しています。やす香さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
最新の湖の本もありがとうございました。
GW明け、奈良と京都に古美術の旅にちょっと永く行って参ります。京都ご出身だったと記憶していますが、京都奈良でお勧めの場所はありますか? わたわ
たと忙しく、荷物のパッキングもまだなのです。土門拳の「古寺巡礼」を図書館で借りてきたのですが、想像以上の大判写真と重さ、しかも5冊組み、というこ
とでまだ予習が済んでいません。
制作の方はといいますと、去年の秋ほどから前兆はあったのですが、今年に入りとうとう筆が止まり、全く絵を描いていません。美術館には行けますし、外に
出ることは活発にしていますが、とにかく自分で何かを作り出すことが出来ないのです。スランプ、と言ってしまうのはあまりにも簡単で、いやなんです。で
も、そういうものかもしれません。混迷の極致。本当にやりたいのが何なのかもわかりません。日本画の方が顔料の色がきれいだと、近代美術館の常設を見るた
び思いますし。でも、それも逃げのような気もします。
とにかく創作意欲がわかず何も出来ない状態の中で、ひとつだけ熱心に取り組めたテーマがあります。5年以上心の中に封印していたテーマを思い出したので
す。
それは、「インターネットによって得られたものももちろん沢山あるが、失われたものもある」「インターネットはコワイ」「インターネットの罪」といった
事柄です。上司にこの話をしたところ、「だって機会は広がったでしょう? 何の悪いことがあるの?」と全く理解をされなかったので、これは駄目だと、
そのまま心の奥にしまいこんでいたのです。
今更何を、といったテーマかもしれません。でも私が言っているのは、いわゆる個人情報の流出問題やネット犯罪の増加、あるいは、情報リテラシーの教育で
既に言われていることではありません。もっと人間の成長と思考に関する問題です。既にこのテーマで何人かの方々に突撃インタビューを行いました。
秦先生にももしお時間があればお願いしたいのですが、何しろ5月はてんてこ舞い、6月はグループ展を予定しておりどうなるかわからず、という感じでし
て。
先生はお時間ありますか? 最短で1時間頂ければ何とかなります。本当はもっと深い話をしたいのでその場合はそれより時間がかかるでしょう。
こういった少し社会的な問題を、では藝術で表現するにはどうしたらいいのか、という視点で向き合っています。答えは自分で見つけるものですが、少し、ヒン
トになりそうな意見ももらうことが出来ました。でも、いまは目の前の古美術の旅をいかに充実したものにするかで頭が一杯です。
1/21に放送された、「Google革命の衝撃」というNHKスペシャルはご覧になりましたか? 私は見逃したので友人にDVDを焼いてもらいまし
た。今の私の問題意識に関連する内容で、タイムリーでした。
先生はインターネットを活用されて執筆活動をしていらっしゃるので、もしかして、このテーマはご興味が沸かないかもしれませんね。私の以前の友人の中に
も、この話をした途端、アレルギー症状を示した人もいます。私の言っていることは全部主観だし、新興宗教の人の議論のようないかがわしさを感じる、という
わけです。でも私はインターネットをやめろとも、TVを見るなとも、携帯電話を使うな、とも言う気はありません。ただ、そこに潜む問題を追及したいだけで
す。
長くなりました。おとなしく絵を描いていればいいのかもしれませんが、そうもいかないのでいまはこれに取り組むしかないのです。よろしくお願いいたしま
す。
このところ暑いので体調崩されぬよう。私も体調管理に気をつけて行ってきます。ではまた。
☆ 大田神社の杜若 泉
日にち薬が効いてヨカッタネ。もう普通に歩けるのですね。反射神経が後退している老人だから、気の先走ったサイクリングをしないでよ。
最近は、車にしても歩くにしても、ちょっとぐらい早うて何のタシがある、と思てます。
連休中はほぼ自宅を出ませんでしたが、一日だけ娘夫婦に便乗で、アクアライン経由で千葉の勝浦へ行きました。早朝五時出発、帰路は間違いなく渋滞にハマ
リましたが、海をのんびりと楽しみました。
大田神社の杜若がきれいやから、と京の上賀茂住人に誘われたけど。
「たった三時間新幹線に乗るだけやから」といとも簡単に言うてきゃはります。
☆ 連休の終わり 蘭
今日も休日です。思い切りリラックスしましょう。
朝目覚めて一番に外回りの掃除。そして植木鉢への水やり。
今日は雨なので その日課もお休み。
猫を洗ったら 冬毛がぼとぼとかたまりになって落ちてゆく。
湯上がりに震えないですむ陽気になりましたねぇ。
「猫はシャンプーすると とても疲労すると聞いたのですが」
「あなたの好きにすればいいのよ」 これ獣医さんの返事。
で 気が向くとこちらの都合でお風呂に入れます。
拾ったときは 湯に蚤が浮き タオルについた蚤をぷちぷち潰しましたが すっかり きれいです。
* 連休が終わる終わると聞いていささか恐慌。最初の「谷崎」話が、来週月曜。漫談ならいくらでも話せるけれど。講義はしたくない。
☆ 『月の定家』の 雀
“此旅の陸奥の旅”は、1186年の東大寺再建勧進の旅でしたのね。(弘川寺の西行)記念館で西行年譜の冒頭に「母は源清経女」とあるのを目にした瞬
間、
「このひと…!」
と声を上げました。えぇっと、たしか、『面白い話』にと思い起こしてから、帰宅の道中のもどかしかったこと。読み返して、そぉかぁと、また声を上げまし
た。
それから、西行の出家は10月15日。満月でしたのね。
讃岐墓参10月10日、最後の平泉への旅は10月12日到着。毎年10月の望月をどこで見上げていたのか、たとえば待賢門院が亡くなった年のその日
は…、そう思うと西行が少し近しくなりました。
西行記念館は春秋のみの開館で、前回訪ねたときは真夏でしたから白くて小さなコンクリの建物という認識しかありませんでした。一度によほどの団体客があ
るようで庭と記念館の散策用に100足ほど履物が用意されていますが、学生が数人とぽつぽつ夫婦連れが来るだけでいたって静か。20人くらいの団体が、境
内・桜の裏山・記念館を一通りめぐってさぁっと帰ったあとは、ふたたび鶯の伸びやかな声がきこえるばかりの静寂が戻りました。
桜花は終わりに近づき、樹齢300年という海棠が満開。睡れる花、ですか ―
陽光に対してつよく華やかに艶に、立ち去りがたくただ見上げるばかりでした。
往路は竹内街道を、復路は千早赤阪村の史蹟を巡って、水越峠越えに葛城〜壺坂〜明日香を通って帰ってきました。水越トンネルのルートが意外に短時間で至
ることに驚きます。距離と交通について、しばしば想像のいたらなさを実感しますわ。
千早赤阪村の役場近くに “日本一かわいい道の駅”
があると聞いて訪ねてみると、まさかこの村中の細い道を行くのという斜面をのぼった先に、正成生誕地、産湯の井、郷土資料館、くすのきホールなどととも
に、普通のおうちといったそれが建っています。丁寧に淹れられたホットコーヒーをいただきながら風の通る二階の展望スペースから眼下のパノラマを楽しみま
した。
ところで、昨日、主人が桜井から王寺、さらに亀の瀬を通って高井田駅までJRに乗り、柏原市の史蹟を散策したあと道明寺から近鉄に乗って、弘川寺へ行く
ときに割愛した當麻寺へ寄って帰ってきました。
牡丹も藤も散ったばかりだったそうです。雀に、駅で見つけたといって観光リーフレットを差し出すので、なにかしらと思いましたら京都文博の催事紹介のと
ころに、長野宇平治の名を見つけました。あの建物を設計したのが長野でしたの。経歴の「日本銀行技師」がわからなかったのですが、建築や建築士という名称
ができたのは、彼らの尽力があったからなのですね。 囀雀
* ハワイへ嫁いだ人の大阪の家族から、「湖の本」に払い込みがあり、ビックリ。感謝。
* 五月七日 月
* 妻が髪結いに行っている留守を、のーんびり過ごしてしまった。まだ、のーんびりすることにいささかの後ろめたさを感じるとは、ダメな境涯。本気もウソ
気もなく、のーんびりしなくちゃ。
☆ 秦さん、 脚の具合が良くないご様子で心配しております。ずっ
と出歩かない訳にも行かないとは思いますが、どうぞご無理なさらないようにお過ごし下さい。
『愛、はるかに照せ』を送って下さり有り難うございました。
今現在気持ちを寄せて共感できるもの、まだ実感の湧かないもの、かつての感覚として記憶しているものと、様々で、まるで博物館のようだなと、一つ一つ楽
しみながら読み進めています。
イギリスから帰国以来ずっと、仕事に追われる感覚が抜けない毎日です。身体的にも精神的にも。夜中2時3時に帰宅する日が続くと、知れず知れずに一本足
でバランスの悪い自分になってしまうものですね。
メールを書きかけては消してを繰り返していました。今回は、中途半端ですけれどお送りしてしまいます。またゆっくり書きたいと思います。
ご都合の良い折がありましたら、またお目にかかりたいです。
くれぐれもお体をお大事になさって下さい。 敬
* 要するに晩春にうっとりとして、何にも手が出ない。すこし歩いてくるかな。
* 歩きもしなかった。何をしていたのか思い出せないほど。
長谷川一夫の大昔の、正しくはわたしが高校二年の頃の時代劇映画の駄作を見た。
時代劇映画にも秀作がある。『羅生門』『阿部一族』『七人の侍』『用心棒』『笛吹川』『山椒大夫』『近松物語』『上意討ち』『切腹』『写楽』『たそがれ
清兵衛』『雨あがる』などいろいろ。これらは観ていて「時代劇」という呼び方をたぶんしないのではないか。
時代劇俳優と呼ばれる大物達が大勢いた。映画としてはほぼどうしようもない駄作ばかりを娯楽時代劇として並べていたが、その中で、長谷川一夫だけはなぜ
か贔屓だった。『源氏物語』『近松物語』だけでわたしは忘れない。
今日の『修羅城異聞』だったか、長谷川一夫の眼づかいの色気と、若かったとびきりの美貌とに、もう一度逢っておきたかった。
* じっとがまんして、待つ。波はうねってくる。日付が変わるまえに機械を閉じ、また本を読んで、寝る。いや、一時間ほど必要なスキャンをしてみよう。音
楽を聴きながら。
* 五月八日 火
* 妻は近くの眼科へ。わたしも行って良かったが。
なぜか、今、本機のインターネットが不通になった。どうすれば回復可能か見当がつかない。それならそれで仕方がない。
☆ 東海道新幹線の南の席ゆえ、山は見えず。 叡
今のぞみに乗っています。平日指定席だというのに満席です。
頂いた京都案内を今から読みます。
今日はとりあえずガイダンスと興福寺です。古寺巡礼を見る時間はなかったので、それは復習用にし、まずは現物を見ようと思います。
近鉄奈良線への乗り換え時間が8分しかないので慌ただしいです。
京都のプランはまだですが、重森三玲の庭なども見たい気がしますが、少し軟派でしょうか。
☆ 鴉様 鳶
脚、少しずつ確実に治っている様子、良かったです。くれぐれも注意して大事になさってください。目の方、心配です。機械に向かうことは目に良いはずあり
ませんが、鴉から書くことは奪えませんし、重大問題です。
連休が終わって、さて世の中が平常にと言っても、連休の方が忙しいのは主婦、今はホッとしています。
少し前のHPを読み返していて、さてわたしは古い友人「鳶」と書かれています! 改めて古株なんだと思い返します。それだけ年とったということ・・か。
フランス大統領選挙の結果を思うにつけても、現代の左派、進歩派とは何か、分からなくなります。反体制、というあたりがメルクマールになるのでしょう
か。自民党vs社会党の図式がぎこちなく念頭にある世代だと痛感します。政治的社会的にどう向き合っているか、わたしの中では常に歯がゆい思いがありま
す。
今の日本の若者の中で、良い意味での競争心や野心、気概などが一笑にふされ軽視されているとしたら、憂慮すべきことです。彼らに左派や反骨を求めること
には徒労にも似た虚しさがあるのも事実です。
連休、遊びまわりましたかって? 鳶は元気に飛び回り遊びまわりましたと書きたいところですが。連休前半の一日はベランダのペンキ塗り。二年に一度塗り
なおします。白、緑と色を変えて、今度は何色? なんと青です! 婦人雑誌にバラの庭が紹介されていて、やや紫がかった青ペンキに塗られた柵やベランダが
あったものですから、真似してみました。自然にない色がかえって色々な花の色、赤、黄、紫、白、ピンク・・何色とも合うようです。病気で弱った薔薇も注意
していたら今年はかなり元気になって、葉の緑がつやつやして蕾も揃い、これからが楽しみです。
連休後半は姑の家で。
渋滞を避けて往復はいつも夜遅く。一人暮らしをどこまで維持できるか、際どい状況にあります。やっとケアハウスの見学に行きました。申し込んでも
勿論順番待ち、どのようになっていきますか。集団生活?? ・・わが身の将来を嫌でも考えてしまいます。
オデュッセイ、面白いですね。地中海世界に溺れている鳶は相変わらず夢という泡を食べています。
この春、坂本竜馬に興味あるという友人と高知に行きました。その後、吉村昭氏の『ふぉん・しいほるとの娘』なども読み、何故か江戸後期から明治の近世近
代が問題意識に入り込んできました。随分久しいことです。さまざま分裂気味、収拾不可能を半ば楽しんで読んでいます。と、言っても本を読める時間がとても
限られています・・。
まずは近況報告まで。お体大切に、大切に
* 移民氏サルコジが当選し、フランスは当分荒れるだろう、それが世界情勢のいい意味の撹拌になり、「ブッシュ型アメリカ抜き」の世界を内々に進行させよ
うとしている政治勢力にどう力を与えるか、目が離せない。サルコジ移民氏大統領は、あのフランス革命を最終的に方向づけた百科全書派から、「思想抜き」の
ブルジョア資本主義だけを強引に受け継ぎ、ディドロらの穏健なバランス感覚と進歩的な粘りとは似もつかない「ブッシュ・コピー」を乱暴に実現する気か。
ブッシュの命脈はもう無いだろう。アメリカは黒人大統領へ動き出し、フランスは奇妙なジレンマに、移民氏選択の失敗を悩み始めるかも知れない。しかし人
民派のロワイヤル女史には、本格の充電と、もっともっと巨大に頑強な理論武装と実践の腕力が必要だ。サッチャーにくらべても、よほど福島瑞穂に毛の生えた
程度という不安があった。野にいて女史流にサルコジ政治を強硬にコジながら、成長するといい。福島さんも、いま一段、水平思考して政治手法を改めないと。
* かぐやひめは、月に。 竹取物語には現代が感じられる。世界も感じられる。
☆ 百人一首 雀
目崎さんの「百人一首の作者たち」は、“西脇順三郎先生のことばがきっかけ”とあとがきの、新潟のはなしにひかれて読み始めてはみたものの、何度も放り
出した本でした。藤原氏系図が巨きく膨らみ始めるあたりから、ついていけなくなるンです。
松のとれたころ、つまり、書店やマスコミに百人一首関連の物事が目に立つ時期、電話で母と話しているうち自然そういった話題になりまして、あ、あの本を
読み切って送ってあげようと思い立ちました。
そう決めてしまうと今まで幾度もくじけたハードルも、かじりついて越えようと俄然がんばっちゃったのですから、雀ってタンジュン…。
百人を腑分けするように解説されていたのが、雀がつッかえていたところを大いに援け納得に導き、今まで切れ切れに書き留めていた関係図が次々つながって
ゆくのも面白くて、封筒の裏など家中のありったけの裏白紙を使い尽くし系図を書き散らし、人物事典をひきひきそこに書き込みをし、それらを整理していくな
かで、お作に登場する名に、幾度も繰り返し再会しました。懐かしい顔を思いがけず人混みにみつけたみたいで、遠くから見ていただけの人と、すこしはことば
をかわせるかも、という気持ちで作業がすすみました。
六条家、葉室家、徳大寺家、西園寺家、土御門家、坊門家、宇都宮家。
大原三寂、寂蓮、証空、道元、明恵、親鸞。
鹿ヶ谷謀議、保元の乱、平治の乱、以仁王、頼朝また義仲の挙兵。
学校にすっかり置いてきたお勉強をあらためてし直して、しかもそれが“お勉強”でなく、感じるもののある愉しい “かかりッきり”でした。
俊成、定家の家系、彼らを取りまく人々、それらを広く知ることができたこともおもしろく、母系からみる大切さをあらためて考えました。
また、頼朝や北条氏について、鎌倉の地に疎いことと武家の成功譚が嫌いなことから興味がもてずにいましたが、実朝が作歌にのめり込んだ事情を知りたい、
定家が彼をどれほど気にかけていたかを思うと、どういう状況だったのか知りたくなり、雀のオツムの容量が足らないために、しょっちゅう頭痛を起こしなが
ら、比企氏、畠山重忠父子、牧氏、伊賀氏、名越氏、三浦氏、安達氏と滅ぼして、権勢が北条の一点に焦点を結ぶさまを知り、実朝に心寄せる気持ちになりまし
た。
甲子園の高校野球大会が、何百何千かの野球部が敗れて一校の優勝校にライトが当たって、その優勝校も4ヶ月経たないうち県大会で敗れ去ってしまったり、
初戦で敗退したりすることを聯想し、そして、どうして望月になってゆく景色より、虧けてゆく風情にひきつけられてしまうのかしらと思いました。
この本のあと、白洲正子さんと田辺聖子さんの百人一首についての著作を読んで、ともかく今はここまでと区切りにしました。偶然でしょうかしら、お三方と
も60才前後に著していらっしゃるのですよ。
ときに、京の都から丹後の間人へ行く道は、単にその距離だけではなく、両脇をいつも山に迫られる景色のせいもあって、ホントに“いくのの道の遠けれ
ば”…都から海って遠いものだったのねェと、実感しました。 囀雀
* 歴史がすき、古典が好き、文学が好きと、口にしたり書いたりする人は必ずしも数少なくない。「mixi」に足あとをつけてまわっても、そんな人と大勢
出会う。しかし書いたり話したりしているのを、読んだり聞いたりすると、紙くずを空に浮かべたような塩梅で、いい趣味とすらいえない。
マイミクの中に「香魚」さんがいるが、この人など、中西進さんがほめるほど本格で、最近纏めて読ませて貰った『小侍従論』など、ひところの出版界ならと
うに本になっていただろう。
文壇に身を置いて、たくさんの物書きとつきあってきたが、こと古典や国史となると竹西寛子さんや馬場あき子さん、なくなった中村真一郎さんやお元気な大
岡信さんらのような人はすくないのである。むろん、持ち場持ち場というものがある。それでいいのであるが、何の持ち場もなさそうな「将来は作家を予定して
います」なんて人の方が世間にあまりに多い。ナメてはいかんぞよ。
この雀さんの歴史や歴史地理への迫り方は、ただごとでない熱を帯び、熱だけでなく方法や手法を徐々に我流で見つけ出している。勘がよく利いている。
* 機械は直らない。どうすれば直るのか見当がつかないし、前に懲りているので業者を呼ぶ気もしない。もう機械に翻弄されるのはやめてもいい。ワープロ機
能が使え、スキャンも印刷もでき、MOも使えるなら、要するにインターネットだけが出来ない。ホームページと「mixi」とメール。いまではぜひとも必要
とも思われない。
* 五月九日 水
* 本機インターネット破損。かろうじて不安定な旧機で。
講演用意に手が着かず、気分もひどく不安定。数え上げてみると容易ならぬ仕事の塊が、五つ六つも積み重なっていて。
食わず飲まず、この二三日、ときおりの、人のメールを一服がわりに、はなはだ不勤勉にかつ慌てています。のーんびりのつもりで、内心あたふたしていま
す。目も霞んで、機械漬けは要用心です。
いまのところ「mixi」も、「私語」の更新も本機では不可能。この旧機メールが命綱です。
脚を治さないと。町歩きができるか、今日、街へ出ます。 風
☆ 届きますように、このメール。 花
ネットトラブルのこと、諒解しました。復旧に慌てないでくださいね。
お元気で、風。お仕事でお忙しそうですね。そうです、のーんびり慌ててください。花は、風のお仕事を邪魔しないよう、そうっとメールします。
今日は街へ出かけたとのことですが、脚の具合はいかがでしたか。
今日は暑かったでしょう。七月下旬並みの気温だったとか。うちの近所でも、光化学スモッグ警報が発令され、さっき解除されたところです。
風のところは大丈夫でしたか。
花は、GWの疲れがとれ、元気回復しています。
* さほど暑くもなく。脚も違和感はたっぷり、多少不自由ながら歩行可能でした。よかった。ムリが利くのかどうか分からないが、どっちみち多少ムリするし
かない五月ですから、「ムリ慣れ」するようにします。
気がかりは十四日と二十一日とのおしゃべりです。谷崎を「語る」ことに飽きているのです。「読む」だけでよい。
なんとか意識を集中して、学生や先生に失望させずに済むように。十四日二時半まで話し、三時から電子文藝館の委員会。半時間ほど遅刻余儀なく、移動に脚
が痛まないといいのですが。
* 「mixi」に。 インターネット破損のため、湖のHPは全面
更新不可になっています。 湖
不具合だらけの子機の方で、かろうじてメール受発信、「mixi」使用ができていますが、子機からのHP更新には失敗しています。
場合により「mixi」に「私語」するか、当分放っておくか思案しています。
* 今日は歌舞伎座で昼夜過ごしてきました。「勧進帳」の團十郎が立派でした。パリ公演とはくらべものになりません。菊五郎が富樫、梅玉が義経ですもの、
うんと上等。ことに友右衛門、家橘、右之助、團蔵の四天王が、しっかり盛り上げました。最良の四天王でした。
海老蔵は『女暫』の成田五郎を、『め組の喧嘩』の力士九龍山も、立派に演じましたが、『切られ与三』は落第もの。市蔵の蝙蝠安が自在の持ち役。大の贔屓
の菊之助には、湖、老いらくの恋を覚えます。もっと役をつけて出て欲しいです。代わりに、松緑君が、それぞれ気っ風のいい四役で、久しぶりに贔屓心を大い
に満たされました。『雨の五郎』、舞台も美しかったです。
三津五郎の『三ッ面子守』はさすがの踊り手、堪能させました。芝翫が花をうしなった今、富十郎を別格に、壮年では踊りは三津五郎にきわまってゆくのかな
と感じます。体重の殺し方のうまいこと。
萬次郎畢生の大役『女暫』は大勢に支えられて嬉しいご愛嬌。舞台番の三津五郎にしめくくられての花道は楽しんだ。羽左衛門の七回忌をいたむより、彦三
郎、萬次郎、権十郎の三遺子のためにめでたい追善の大芝居でした。
そうそう大阪成駒屋扇雀の幼い子息虎之介君も熱演。少年を応援するために成駒屋に座席を頼んだ。昼は前か四列の真中央、夜は前から五列の真中央の通路
脇。感謝感謝。
* 茜屋珈琲でわたしは旨い珈琲、妻は例の石榴のジュース。歌舞伎座へ来ると、観劇気分をより美味しくすべく、此の喫茶店に少しの間を惜しんで立ち寄る。
はねたあとは、車で帝国ホテルのクラブルーム。ほっこりと息をついてから帰宅。
* 脚のことを一言。けがの後、初めての外出。痛みもあり、脚をひきずって歩くが、歩行はできた。ただ帰宅の頃は、ことに右足の膝下に藁をきつく巻き付け
ているような腫れ感覚。そのことを気にしなければ歩ける、杖なしに曲がりなりに。せいぜい歩いて治してしまう。
週明けの谷崎講演の気がしんどい。引き受けるべきでなかった。二十一日まで、かなり出ずっぱりになる。
* 五月十日 木
* 趙州という禅の坊さんがいた。趙州は土地の名だが、ふつうに「趙州(ぢょうしゅう)」で通っている。その趙州という地方は「石橋」があるので知られて
いたが、事実は「略杓」つまり丸木橋にすぎないではないかと、別の禅の人が僧趙州をとがめた。
趙州は答えている、「お前は略杓しか見ないから石橋はわからないのだろう」と。
鈴木大拙は言っている、「人間というものは、自分の見るもの以上には見られないのです。われらは同じものを見ているように思っているけれども、人間はい
ずれも自分だけの世界を見ているのです」と。
眼科学的なことを言うているのではない、もっと内的な意味で人間の思いこみの妄りがわしく偏頗なことを指摘している。「石橋を見る眼があれば石橋が見え
る。略杓だけしかみえない眼ならば、それは何といっても略杓以上には出ない」と、趙州。
* 自分に見えているものを普遍妥当の客観視するのは、至らぬ「人の常」である。それを趙州のように、もっともっと深く広く見えている人に出会うと、また
自分よりもまるで見えていない人に出会うと、即座に理解できる。
わたしがこの「私語」に、自身の述懐だけでなく、人様の述懐や発言や見聞をむしろ努めて転載させてもらうのは、「自分の見るもの以上(以外)のもの」を
世界として補いたいからだ。それらは確実にわたしの言葉でなく書かれ、わたしの眼でない眼で見られている。わたしの言葉や眼つまり精神でそれらも濾過され
ていると言えなくはない、が、それでも、やはりわたしのでない言葉と眼の捉えたところは改変されていない。それを受け入れて共感するわたしがいるのは事実
だが、いわばわたしには出来なかった、見えなかった、言えなかったことを、見せて貰い、興味を感じて、受け入れていることに変わりはない。
* 「mixi」のコメントは、どれもかも効果的に機能しているとはとても言えないが、それなりに意見交換されたり対話されていたりする部分は、上の意味
での相互の補いになっている。
わたしは自分の「私語」を、自分の見聞を、自分の言葉だけで書き通すことも出来るが、それだけでは、「自分の見るもの以上には見られないのです。人間は
いずれも自分だけの世界を見ているのです」という域を、枠を出られずに済んでしまう。少し言い替えればその「域」「枠」がいっこう広がって行かない「どん
づまり」を自分から作りだして仕舞いかねない。
現にわれがわれの思いでむやみやたらに自分の言葉と眼とだけで書いている人の述懐や意見や感想は、乾燥したパンのように、ともすると味もそっけもない。
ムリに我を張って、おれが、わたしがと言い張っているからだ。
* さらに大事なこと。趙州に、「略杓」しか見ないから「石橋」は見えない、それだけのことだと痛棒を食った僧は、「ではその石橋は何を渡すのか」と高尚
そうな詰問で反撃した。
趙州はただ、「驢馬がわたり馬が渡る」と。「渡驢渡馬」と。これにはウンもスンもない。
* 「恒河(ガンジス)の砂は馬も踏めば獅子も踏む。虫けらも亀の子も通る。あるいはまた大象の足下に蹂躙(ふみにじ)られるというようなことがあるけれ
ども、恒河の砂は何とも言わずにおる。何の不平もない。何の愁訴もない、また別に腹を立てることもない。驢を渡し馬を渡す石橋もまたこんな塩梅。何を渡し
ても一向平気でいる。」
日本人でもロシア人でもエスキモーでも構わない。いわば「木石」のように在る。「無」とか「空」とか難しく言わなくても「静かな心」は、「無心」は皆人
の胸中のこんな石橋としてありうる。べつに略杓であってもいいのだ。分別して比較するからいけない。略杓はだめで石橋は上だと思っているのが困る。「よほ
ど良い何かが選ばれて」渡るなんて思っていては、どうしようもない。
☆ 脚のお見舞いを申し上げます。 麗
観劇の記、有難うございました。私が行くのは25日最終日の夜の部のみですが,日記を拝読し,幕見で昼の部も…と思いました。TVで見たオペラ座の「勧
進帳」に違和感を覚えたので,また生で観たいな,と。
舅は若い頃から一幕見席に通ったとのことで,今回の團菊祭も大変興味を示し,いろいろ解説をしてくれました。今は脚と耳が不自由になり,幕見席まで行く
のはとても無理ですが,7月,札幌に来る吉右衛門は見に行くそうです。
「私語」の再開を心待ちにしております。「谷崎」の講演録などアップしていただければ幸甚です。脚,どうぞお大事に。
* 麗さん 湖
昼の部の山本周五郎原作「泥棒と若殿」は、人それぞれの身分と持ち分において励めという、現状保守の観点で原作も芝居も作られ、そういう思想はわたしの
好むところでないので、劇場では大受けしていましたが、なんだくだらないという気分でした。松緑と三津五郎への好感でのみ楽しめました。こういうのが通俗
時代小説や時代劇のやすいモラル押しつけ、臭い俗弊で、好きません。
お富と与三で、きれいな化粧に「化粧料」をたずねた助平な男客に、菊之助のお冨さん、澄まして「資生堂ですのさ」と返事したのには満場爆笑でした。
芝翫の女伊達、貫禄ではありましたが。絡む男伊達は翫雀と門之助でした。浪速雀の翫雀が、なかなかの江戸っ子で佳い感じでした。好い鴈治郎に成るでしょ
うね、背丈をもうすこし遣りたい、女形にはあれでいいけれど。門之助にはオーラがどうしても立ちません。
女暫は、ご愛嬌としては十二分楽しめます。松緑と三津五郎の所作事も、気分すっきり。
お父上のご平安を。あなたも。
もうすぐ、新橋演舞場で吉右衛門の法界坊を観ます。明日の昼は俳優座へ。
脚はすこし異常なようですが、様子を観察かたがた違和感とも仲良くしてゆきます。
* 夜の部を観る麗さんには遠慮したが、この「私語」は、どうせ当分更新出来ないのだから書いておく。大切りの『め組の喧嘩』はばからしい芝居で、なんで
もかんでも劇団総員が参加できるというだけ。「喧嘩」自体がノンセンスで、いささかもお役に立つ喧嘩ではない。音だけ高い、においもしない屁のようなも
の。
『勧進帳』では総員の芝居に涙を誘われるのに、そういう感動は「め組の喧嘩」にはしずくもない。無意味芝居の最たるもの。虎之介坊が熱演の芝居だから観
たものの、わたしはこういう無意味芝居は好きになれない。「河内山」が好きになれないのも、あれもいうまでもなく悪いヤツの上にもっと悪いヤツがいたとい
う、それだけの芝居ツクリが好きになれない。
☆ 山容 雀
お誘いがあって京都市内観光をしてきました。
GWの観光客が去りお店もシャッターを下ろして休日です。
厭離庵の公開もGWのみだったようで、嵐山から高雄へ向かい、中川の集落を通って清滝川をさかのぼりました。鶉が、また、蛇が道を横切り、木に絡み付い
た藤花がかすかな風に揺れ、地には一面の著莪。
惟喬親王供養塔があるという長福禅寺はあいにくとお留守でしたが道から宝筺印塔が見えました。
せせらぎ、早苗、残んの八重桜。青嵐の山を堪能しました。
また市街地に下りてきたとき、目に入る山のかたちが甘食に似ているなぁと思いました。お腹が空いていたからというだけでなく、これがきっと「都に帰っ
てきたンやなァ」と感じる山容なのでしょう。この山のかたちに日夜囲まれ、昇る朝日を拝み西山に沈む夕陽に照らされて暮らしてきた時間が、京の性格や生活
をかたちづくってきたかと、ハタと気がつきました。
暑さにばてました。そちらも暑いでしょうか。今日は荒れ模様になるとのこと。くれぐれもお大切に。 囀雀
☆ 研究者とお金 ハーバード 雄
一段と日差しが強くなってきた.行きのバスの中で汗ばむほど.日中は摂氏30度にまで跳ね上がったらしい.春を通り越して,一気に夏になってしまった.
今朝は予告どおり,JCのチリでのボスがプログレスレポートの時間を利用してプレゼンテーションを行った.朝9時前にお茶部屋に行くと,既にJCがい
て,元ボスの横でプレゼンの準備を手伝っていた.
JCの元ボスがボストンに来た理由は,チリでベンチャー企業を立ち上げたからだそうで,企業活動としての一環らしい.チリは南半球の南北に亘って細長い
土地を有しているため,様々な動植物があるのだという.特に植物から取れる様々な薬は,まだ手付かずのものが多いという.そこで,JCの元ボスは,これら
を扱うベンチャーを立ち上げたらしい.
神経科学の世界では,色々な「天然の毒」を実験に使う.
以前日記にも書いたフグ毒のテトロドトキシンは,ナトリウムチャネルという神経にたくさんあるタンパク質に結合して働きを止めるが,同じように,例えば
貝毒のω(オメガ)コノトキシンは、カルシウムチャネルのうちのN型(神経型)と呼ばれるものの働きを止めるし,サソリの毒であるカリブドトキシンは、細
胞内のカルシウムイオンが増えた時に働くカリウムチャネルの働きを止める.
他にもクラーレという薬は南米産の植物から取られ,古くは原住民達が矢に塗って獲物を倒すのに使われていた薬だが,これは神経伝達物質の一種であるアセ
チルコリンの受容体(これもイオンチャネルの一種)の働きを止めてしまう.
こうした神経科学に使う毒以外にも,チリにしか生えていない植物の実には,例えば活性酸素を除去する強い作用を持つものもあるという.「ジュースにして
売ったら?」とうちのボスが言うと,もう既に品種改良を始めているのだとのこと.なんでも手広い.
今日の話のテーマは,アルツハイマー病に関係すると言われている分子の,神経細胞の活動に対する効果についてのものだった.マイミクの「ぶんちゃん」さ
んは,この辺りの研究のエキスパートなので,僕がこの辺りのことを詳しく書くのは憚られる.
話の結論としては,「あるペプチドが,アルツハイマーの治療に効果があるかもしれない」というものだった.おそらく,彼のベンチャーでイチオシの商品な
のだろう.質問もそこに集中していたのだが,僕には根拠としている前提があまりにも弱いように思えた.
セミナーから帰ってきてしばらくすると,JCが部屋に戻ってきた.「昼食を一緒に摂るんじゃなかったの?」と聞くと,「いや,彼はもう,今度はシカゴに
向けて発ったよ」という.やはりタフな人だ.
「昨日は遅くまで,Jobのことで話してたんだよ.で,今朝は早く起きて娘のために食事を作ってからセミナーだろ? もう,くたくただよ」とJC.そん
なに遅くまで話し込んでいたとは思えないほど,元ボスはハツラツとしていたが.
話し合いの結果は,必ずしも満足行くものではなかったようだが,今書いている論文が通れば,きっと見通しは明るいに違いない.元ボスとの関係も,かなり
良好のようだ.「彼一人ではどうにもならない」とJCは言っていたが,それでも強力な後ろ盾であることは確かだろう.
今日のセミナーでも,元ボスは研究所の写真を示して,「JCは昔,この辺りで研究していた」などとポインターで示していた.広大な敷地に扇形の美しい建
物が建っていて,それが研究棟だとのこと.なんとなくJCが戻りたくなるのも分からないでもない.
居室に戻ると,僕の日本のボスから,一緒に出している特許の出願書がFedexで届いていた.サインをして,特許事務所に至急送り返して欲しいという.
基礎科学の分野では,これまでは論文さえ書けば済むというところがあったが,近年はそうではない.必要に応じて,積極的に特許を取る事が推奨されている
し,特許を全く取っていなかったりすると,研究所のお偉いさん方からお叱りを受けたりする.基礎科学一辺倒というのはダメであって,これからは,JCの元
ボスほどではないにせよ,応用ということも視野に入れていないとダメということらしい.
まあ,この特許が通ったところで,お金になるとは思えない.至急送り返せとのことだったので,Fedexで日本に送った.こちらのラボの用件ではないか
ら,自腹を切った.この代金を取り返すことは,この特許では到底無理だろう.なんだか馬鹿げているが,仕方ない.
特許を出願するのはこれが初めてではなく,東京にいた時にも一度ある.愛知に移る直前で,移ってからもしばらくの間,書類が送られてきてはサインをして
返すということが続いた.
特許の出願書には、「甲は乙に対して云々」という記述がある.読みにくいのでろくに読んでいなかったが,ある日読んでみると,その中に,分かりやすく翻
訳すると,「僕の取り分は全て教授に渡す」という内容の文言が入っているのを見つけた.まあ,この特許もお金になる特許ではなかったが,そうまでするか?
と閉口した.
この仕事を選んだときから,金持ちになることはほぼ諦めている(それでも,もう少し給料が多くても悪くはないと思うが).しかし,この仕事を選んだ理由
の一つは,「金の計算がしたくない」ということだったのだが,実際研究職についてみると,そんなのは全くの幻想だということが分かった.
確かに自分の懐に入る金は少ないだろうが,研究費その他,エラくなればなるほど予算のことで頭を悩ませる時間が増えるのは皮肉なものだ.研究室主宰者に
なれば,予算の管理や運営,助成金の獲得に多くの時間を割かねばならないし,研究所の管理職になれば,一日の大半はそうした仕事で潰れることだろう.
今はしがない貧乏ポスドクだが,一切金の計算をしなくて良いということは,考えようによっては今が一番幸せかもしれない.
* 学究も、いろいろとシンドイようだが、雄クン、健康そう。現実感のある感想に騒がしさがない。
☆ 花粉症がラクになってきたみたいで、薬に頼らなくても過ごせるようになりました。くしゃみは出ますけれど。
さっき、「ヒトラー〜最期の12日間〜」という映画を見ながら、唐辛子をまぶした柿の種を一袋食べてしまい、お腹いっぱいです。鰹のたたきを
買っておいたのですが、入らなそう。
風は、講演の準備などでお忙しくお過ごしのことと想います。当日は、パリッと背広でいらっしゃるの。
もぐりこんで聴講してみたいな。なーんて、そんなこと、とてもできませんね。富士山をまるまる跨いでではね。残念。 花
* 絶不調、というより、やる気が全くわかず、何にも手が着かず、雨までが、通り過ぎていったみたいです。
右脚、ボターッと腫れています。指で押すとむくんでいます。痛み、立ち居、歩行はらくになっていますが。ふくらはぎから下、足首へかけて、へんに赤らん
でいます。血流が欝滞しているようです。様子を見ています。
初鰹ですか。風は、もう真夏の素麺。
さ、少しでも何か用意しないと。頭、散漫な、風。
* 旧機の具合、やっさもっさ触り回して、なんとか、ホームページをここへ移せたのではないかと思う。思うだけだが。
頭の中、ぐちゃぐちゃ。ぐちゃぐちゃを人ごとのように眺めながら、いる。脚、なんだか、おかしいが。眼も右肘もおかしいが。
それでも手洗いに入ると、洋花の、名も知らない優しい花容が唐銅の筒にあふれて、もう、目がはなせない。目玉を吸い取られそうに見入っていて、それがよ
い休息になる。
風が鳴っている。一度目の講演の用意まったく進まないのに、明日また俳優座に招ばれている。二度目はどうなるやら。あと十日ほど、あれこれあって、気ぜ
わしい。それも楽しんでいるが。
* 五月十一日 金
* 晴れて、強風。早起きしての戸外の心地よさは、お天気の日はひとしおなのを、憶えている。老人は早起きというが、わたしは読書で寝付くのが遅く、そう
もゆかぬ。八時前に血糖値はかる。やや高め。
午後、俳優座劇場へ。できない宿題をかかえて居直った感じ。
☆ オハヨ 泉
六時間熟睡して五時起きです。すっきりと夜は明けていて、ゴミ捨てに出ると青葉が眼に沁みて爽やか。招かざる鳩もいたりして。嵐の落し物をきれいに掃除
し終えました。
暫く私語が停滞していてどうしたかな、と案じていましたが・・・
外出が出来る程に回復したのですね。それとも一途のガンバリでかな。お大事に。
パンが焼けたようで。ほな又
* 年度替わりをひかえて、電子文藝館のメーリングリストが賑わっている。大きな骨格をより強くより豊かに明確にし、技術的な小骨に拘泥してマニアックに
のどに骨を立てないようにしたい。
作品と校正、そして読者への迎合でない訴求力。
メールでやすい読み物をあさっている、その感覚のまま電子文藝館にも来ると思うのは錯覚。百万のケイタイ人のために技術的対応に奔命するよりは、まだし
も誤記・誤植のない良い作品を一つでも多く提供するのが本務だとわたしは考えている。目先のトッピングも大切な工夫だけれど、やはり本体の美味の確かさが
肝心の要、忘れたくない。
* 吉永仁郎昨 中野誠也演出の俳優座公演、『リビエールの夏の祭り』を六本木で観てきた。
主演は川口敦子そして中野誠也。この二人だけで演じる休憩後の後半がとてもよかった。うまい俳優が、何の邪魔もなくしみじみと演じる。川口も中野も今日
はイヤなクセ味が九分九厘出ず、ことに川口敦子のみごとな所作の美しさ、確かさ、また台詞の静かな素直さに感じ入った。
正直に言って、川口敦子の場合、今日の芝居のように、清水のような優しいうまみを感じた舞台はかつて無い。そしてよけいなもう一言をはさめばまだこの味
わいを、たとえばベテラン岩崎加根子から感じたことがない。大塚道子にはある。
川口敦子の上手なことは、よくよく知っている。わたしたち夫婦は俳優座の舞台を、まだ仲代達也のいたほぼ三十数年前からじつに精勤に見続けてきている。
わたし一人の好みを謂うにすぎないけれど、川口ほど達者な女優にも、好きになれない「科・白のネバネバ」を長い間観てきた。中野誠也もまったく同じ。この
二人はいつも言うがじつに似た嫌みなヘキをもっていた、と、もう「過去形」で謂おう。それほど今日の二人は、ネジレもネバネバも感じさせなかった。ま、中
野の方はろくろく口をきかない役だったけれど。口をきかなくてもわかる。幕切れ近いところで向こう向きにした敬礼、またホールドアップ。その見事な確かさ
だけで、口を利かなくてもハッキリ分かった。あれは脱皮だ。ことに川口敦子。すこしも力んだ風なく自然に舞台を確立していた。歌舞伎で謂えば最良の舞踊劇
をたのしんだほど川口のしなやかなからだが、優美なほどの音楽を奏で、言葉も素直に静かに、美しい糸を吐いていた。
わたしは意地悪な観客で、ここぞと言うときは眼をのぞく、望遠鏡で。川口らしいというか、その眼づかいは、しかし屈強に演技敵に勘定をつけているように
見えた。あれが役そのものの眼に成ったらいい、いやそうならなくては。おとといわたしは歌舞伎座で勧進帳の四天王の眼をのぞいたが、友右衛門はそこにいな
かった、家橘もいなかった、團蔵もいなかった、右之助にはかすかに右之助がのこっていたが、四人が四人、もう勘定高い演技者ではなかった、まちがいなく主
君義経の一大事に今にも命を捨てる家来の、人間の眼をしていてわたしは無垢に感動した。そういう眼をのぞきこむ醍醐味をわたしは捨てられない。
* 中野誠也については、初演出の、「読み」のいい成功に気持ちよく拍手を送る。この前の稽古場での、だれだったか俳優氏演出の拙さにはガッカリして帰っ
たが、今日の中野演出は、ことに後半、しっかり引き締まり、不覚にわたしはほろりとした。胸がつまった。演出の才を感じた。
今一度正直に言うことがある。あの芝居、前半は要らないぐらいだ。テレビドラマの舞台化みたいで、参ったなと思っていた。ああいう「地」でゆくような舞
台では、演劇を観にきた甲斐がない。映画のノベライゼーションも滓のようだが、テレビ劇の舞台化みたいな新劇では、ほとほと、かなわない。うぇぇと思って
いた、前半はそんな感じだったが、ストーリーに心をつよく惹くものがあり、それに、はなからオヤッと思うほど川口敦子の演技に見応えがあったので、堪えて
いた。
俄然後半へ入って、舞台が渋い真実みの光彩を放ち始め、惹き込まれていく幸せを感じつづけ、終幕まで。
数瞬、客席は拍手のタイミングを失った、が、それは舞台への失望からでなく、むしろ気圧されたほどの満足が拍手の手を逆に押さえたのである。そして、い
い拍手だった。拍手に力があった。
* 信州松本で生まれ育った幼なじみのカップルが東京へ出て、鳥越でミルクホールを開いて夫婦幸せだったが、夫は出征、支那へ満州へ、そして戦死の公報が
妻に届いていた。
妻は戦後も焼け残った鳥越の店をつづけ、土地に根をおろしていた、が、昭和二十九年ころか、夫かと思われる記憶喪失の浮浪者、川っぺりの小屋に住み、ロ
シア語の民謡を冴えない低い声で歌い歩く男を、妻は店の前でみつける。
ありふれたようで、聞いたこともありそうな物語であるが、それとて生かすも殺すも、演者のちから。中野と川口はこれを存在感のある話に仕上げてくれた。
胸にずっしと沈み込むせつなさ、かなしみ、気の騒ぎに観客は引き込まれてゆく。わたしたちのように、敗戦後の「尋ね人番組」に耳を皿にして聴き入ってきた
世代には、このストーリーはとても作り話でない現実感がある。戦争への、敗戦への、戦後への思いが、まだ心身に冷えずにのこっている。俳優座が今演じてく
れて、少しも古びない人間の、夫婦の、戦争の主題なのだ。ああよく取り上げてくれた、演じてくれたという思いが、胸に落ち、納得した。
それだけを、言っておく、好い芝居をみたあとの清々しさも、また寂しさも有った。こういう気持ちは、エネルギーになる。
* 六本木ではいつも好い食べ物の店に出会えない。歩くもいやになり、大江戸線練馬での乗り換え前に、美味いとんかつで、ビールを飲んで帰った。
* 脚は、少し重かったし帰りには痛みも、異様感あった。だが、外出はできる。むしろ、外出して脚を使った方がクスリかも知れない。
☆ 猛烈な風が通り過ぎて行きました。凄まじかった。カーポートがもげてしまうんじゃないかと心配なほどでした。
そちらの風はいかがですか。
> やる気が全くわかず、何にも手が着かず、
風にもそんなことがあるのね、と、ほっとしました。
とはいえ、ほっとしている場合ではなく、花も読みたい本は溜まっているし、英語の予習もしなければ。
洋書を輪読することに、だいぶ慣れてきましたので、毎週の予習がさほど負担でもなくなってきました。でも、先週休んでしまったので、次回の分はいつもの
倍です。今から取り掛かります。
英語は、読む・書く・話す を併せて行うよう心がけています。少しずつだけれど、成果が出ていると思います。英語力は、勉強をやめてしまったら最後、す
ぐに鈍ってしまうので、どんな形であれ、つづけたいです。 花
* 大好きなリノ・バンチュラの『男と女の詩』を、引きずられるように一度で観通した。
どんな映画でも、録画ものはたいてい二度に分けて観ているが、ときどきそれをさせない映画がある。「男と女」との続編のような、けれど世間は大違いのこ
の映画のフランス流に洒落た味が堪らない。ラストの切れ味のおもしろさ。「二人を愛せる」と言い切る女の、深いというか大きいというか、はたまた、こわい
というか。
利己主義に似て「己」を超え、個と個とに徹してゆく。言葉でごまかしたり、つまりは逃げをうったりより、ずっと毅いし潔い。好きだ。魅力を覚える。女優
の名前、憶えられない。顔はしっかり記憶した。
リノ・バンチュラの映画では、題は変だが、アラン・ドロンと競演して一人の若い女を男二人で爽やかに清く愛した「冒険者」がすばらしかった。が、「男と
女の詩」も、勝るとも劣らない。あの男の魅力に匹敵するのは、スペンサー・トレーシーとジャン・ギャバンか。ジョン・ウエインでは甘い。
おかげで、まる一日、谷崎のこと、何の用意もできなかった。もう二日しかないが、なんだか見切り発車になってしまいそう。その方が良いかもしれない。
* 「渡驢渡馬」のことを案じている。
驢馬もわたる馬もわたる虫けらも象もわたる。日本人もインド人もわたり王さんも子供も何の区別なしにわたる、女人禁制とも言わない、橋銭を払えとも言わ
ない、そんな橋。
そんな橋のようで人があれば、その人は無心であるだろう。静かな心であるだろう。そんな橋は涅槃像にも似ている。しかし、その橋には涅槃も煩悩も無い、
木石の橋だ。橋ですらないのだ。
* 五月十二日 土
* 六時十分起床、血糖値111。
* いま眼を洗われて心落ち着くのは、手洗いに咲き溢れている花花を眼下にじっと眺めているとき。
花は、ふつう、やや高い、たとえば食卓や棚に花瓶をおいて眺めている。やや上目に、咲いた花をみあげている。花の首筋を下から見ている。床の間のしつら
えが今日つい割愛される、と、自然そうなる。だが、テラスの植木鉢の花など、もともとは咲いた花容を上から眺めて楽しんでいる。盆栽や鉢植えはそれが普通
で、花の顔はその方が自然に美しい。
で、家や部屋の中でも、倒れる危険のないかぎり、なるべく花は眼より低めに置きたい、玄関でも、そして手洗いでも。
その手洗いの、およそ二十数輪も一斉に咲いた愛らしい洋花を、「少女が口いっぱいにあいて合唱しているようね」と妻はよろこんだ。「合唱」という「表
現」が、花容にふさわしいとおもしろく聴いた。
花が咲くと書くその「咲」の字を、昔の人は「わらふ」と訓んだ。「初めに月と呼びし人はや」と亡くなった山中智恵子はうたったが、初めて、「花咲ふ」と
謂ってみた人の「表現」力は、センスは、たいしたもの、ことに草花の魅力を言い尽くしている。
だが今われわれが、相変わらず安易に「花わらう」では、何といってももはや慣用句の流用になりやすく、よほどでないかぎり、避けて通る。他の表現を探
る。「お花がわらった」としきりに繰り返す現代の童謡を聴いた記憶があるが、ま、その辺までにまかせておき、よほどでない限り「花がわらっていた」と散文
の作品には書かない。
一輪挿しの花を合唱とは謂うまい。淡い桃色五弁の花の芯に口紅ようの小さい底紅。そんな花の顔が上を向いて一斉に二十四、五も咲いていれば、なるほど
ね、「合唱」の容貌愛らしくて、眼がはなせない。おかげで手洗いがさながらの、明浄処。
* 毎夜読んでいる『総説旧約聖書』は、本格大部の研究成果。わたしなどにはかなり高度にすぎた精密なものだが、例の、頁をペンで真っ赤に汚しながら食い
つき、いまいわゆる冒頭「モーセ五書」の解析と諸説を読み進んでいる。同時に『旧約聖書』本文を、もうずいぶん先まで読んできて、おかげで方角も知れない
曠野に、道案内がついた心地がしている。
たまたまそういうことになったのだが、もう一つ、『世界の歴史』は「フランス革命とナポレオン」を亡き桑原武夫さんの啖呵を切るような筆致で読んでい
て、気がつくと、併行して読んでいるルソーの『告白』が、うまいぐあいに対になってくれている。ルソーのもだんだん面白くなっている、幾クセもある文体で
述懐であるが。
今日の流行り言葉でいえば、ルソーほど、人間・社会・政治の「格差」「不平等」を心底憎んだ人はいないだろう。わたしなど、その一点でルソーの歴史的・
今日的有意義を思い、日本の政治家の口へ「ルソー」をねじ込んでやりたく思う。
同じくは、『千夜一夜物語』世界にも啓蒙的な解説本があればなあと思いつつ、文庫本の各冊に詳細な「註」をも、克明に楽しんでいる。まだ半途にいる。
* 「mixi」でニックネームでのお付き合いながら、少しずつ親愛感の増してゆくグループが身の回りにできてきたなあという、一種の錯覚をすら、楽しん
でいる。メッセージもコメントも増えているし、日記を書いていないのに「足あと」も増え続けている。
その一方、電子メールは圧倒的大多数が、呼びかけの題目を見るもけがらわしいSPAMだらけ。ペンの委員会活動や本業のあるかぎり無くすわけに行かない
が、無用化しているアドレスの整理廃棄は思い切ってしてしまう気で居る。
☆ Annual meeting ハーバード 雄
今日は一日中,脳科学センターの年次研究会に参加していた.
会場は「American Academy of Arts and
Sciences」という場所で,職場から近いが,今まで行った事のない場所だった.何も考えずに行ったのだが,着いてみて驚いた.広い.建物もそうだ
が,門から延々と歩かなくてはならない.木々に囲まれた中に2階建てのホールがあった.
受付を済ませた後,中をぐるりと見て歩いた。「American Academy of Arts and
Sciences」のメンバーに選ばれた人たちからのお礼の手紙が飾られていた.
錚々たるメンバーばかりで,初代アメリカ大統領ジョージ・ワシントンに始まり,歴代大統領の手紙(J.F.ケネディやクリントンのも見受けられた)のほ
かに,チャールズ・ダーウィン,アルバート・アインシュタイン,作曲家のショスタコーヴィッチ,'I have a
dream'の演説で有名なマーチン・ルーサー・キング牧師のものなども見受けられた.古いものは全て直筆,比較的新しい人のもサインは自筆だ.
会は、研究室主宰者たちによるトークと,ポスドクを中心とするポスターセッションの2部構成.脳センターの構成員だけでなく,他の学部などからも,関連
する研究室から講演者が呼ばれていた.
講演者の持ち時間は一人当たり10分間と極めて短く,質疑応答を入れても15分程度.話す方からしてみれば,とてもでない話し足りないだろうが,それで
も講演が終わったのは夕方5時だから,これくらいでちょうど良いのだろう.
扱う生物も,マウスやサルから,線虫,ショウジョウバエなど多岐に亘り,中には鳥の歌の学習の研究者もいた.
今はあちこちの建物に散らばっているが,来年4月には,新たにできる建物に全ての研究室が集結するのだそうで,引越しの手間を考えると頭が痛いが,立派
な研究所になることは確かだろう.
午前中のセッションを終え,昼食の時間となった.いつの間にか別室にテーブルが用意されていた.パンとサラダ,メインディッシュはチキン,デザートに
ケーキも振舞われた.ケーキは少々甘すぎたが,他は美味.これがタダとは信じられない.
食後のコーヒーが振舞われるのを待っていたが,午後からのセッション開始の時間となってしまい,やむなく諦める.
講演の中で圧巻だったのは,「Department of Chemistry」からの招待講演者であるSunney XieとXiaowei
Zhuang.
Xieラボの「CARS(コヒーレントアンチストークスラマン)顕微鏡」は,絶大な将来性を秘めている.以前から共同研究をボスにお願いしていたのだ
が,ランチの時,ボスは、Xie教授と隣の席でずっと話していた.ポスターセッションの時にご挨拶をする.僕の研究目的への利用に興味を持ってくださり,
是非一緒にやりましょうとのこと.うまく僕の研究目的に利用できるとよいのだが.
Zhuangは、僕と大して歳が違わないのではないだろうか.しかしもうfull
professor.彼女の開発した「顕微鏡STORM」は,通常の光学顕微鏡の20分の1という驚異的な解像度を誇る.通常の顕微鏡では識別できない試
料がはっきりと見える.圧倒的だった.
ポスターセッションでは,普段はメディカルエリアにいらしてお話することのできない日本人研究者2人にお会いでき,近々食事でもということになった.
夕食は、久々にCafe
Sushiで、チラシ寿司.冷房が壊れているらしく,蒸し暑い.板前さんから「暑くなってきたので,これで精をつけてください」といって,「うざく」を
サービスしていただいた.有難うございます.満足して帰宅.
* こういう具体的な日記のおもしろさは、格別。臨場感に満たされる。
* 次なる卒業生クンの「愛」論という「愛」観は、ちょっと風変わりではなかろうか。
☆ 秦先生 臻
21日以降のお誘い、ありがとうございます。楽しみです。できれば、なるべく早い時期が助かります。27
(日)午後(三時ごろ)はいかがでしょうか? いつも先生のPC、気にかかっていましたが…また不調だったようですね。お役に立てるかどうかはともかく、
またPCを拝見できればと思っています。
近況ですが、、去年から、我が家全員、常に誰かの調子が悪い状態が続いています。治りかかっては無理して、また病気をもらって、の繰り返し。先日の連
休も、疲れが残る中、目一杯体を使ってしまい、後半は家族全員、寝込んでしまいました。典型的な貧乏性家族です…。
遅ればせのご挨拶ながら、ご本、ありがとうございました。
短歌・俳句は、大学の授業のときから、何がどう際立っているのか分からず、字面から離れない平凡なものにしか受け取れないことばかりでした。
が、今回のご本の一つ一つの歌への解説…とくに、言葉の選定に気が配られているものとそうではないものの解説をいくつも読み比べていくうち(作品ではな
く、解説です。)、「なぜその表現にするのか」を、自分でも考えられるようになってきました。すると「青春短歌大学」にもあった句や歌が、途端に深みを
もって浮かんできます。
私には、ようやく出逢えた「学習の本」になっております。
では、実際の私の生活の中での「愛」はどうなの? となると…、感じません。と書くと穏やかではありませんが…、日々「する」ことに終始しており、その
「行為」に愛があるとは思えません。こどもと遊ぶにしても、愛のある遊び方なんていうものはないと思います。子供の体力と運動能力と体調と気分に応じ、自
分も子供も楽しむ。自己満足に陥らないように翌日は必ず「振り返り」をする。そこまでが「遊び方」です。
時々子供と二人で遊びに行ったときの写真を見返すと、何度でも見たくなる写真があり、ここに愛があった、と言ってもいいかな、と感じます。その愛?
は、「思想」というか「信条」というか、「行為の裏打ち」になっているものです。
愛は現在進行形で感ずることはできず、「過去形」として気づくもの。
だから皆さん、短歌や俳句にして気づいているんではなかろうか、と思います。
* 詩歌への感受性といい、愛への思いといい、よほどわたしの思いから逸れている。詩歌も愛も、このように、ハートならぬマインドで「分別」し「学習」し
「振り返り=過去認識」していて、生き生きと喜びが心身に融け込むのだろうか。
篠塚純子の 産みしより一時間ののち対面せるわが子はもすでに一人の他人 という歌のはらんだ理性からは、刻々の「今・此処」を子と共生してゆ現在愛
が感じ取れるが。「愛は現在進行形で感ずることはできず、「過去形」として気づくもの」とは、なんと、お気の毒。「過去形」で恋愛していたのかな。
他の方の、ちょっと感想が聞いてみたい。
☆ 叡、高野山で凍える
高野山はとても寒かったです。PHSが圏外のため御連絡できず。昼過ぎ難波に着き、梅田で最近結婚した友人と会い、現在奈良へ。明日は東大寺から。5時
半起きです。
京都の自由行動もあまり時間はなく、頂いた情報のなかで絞らなければなりません。
PCの不調は大変困りますね。私もバックアップをとっていないので不安です。
おととい雨の室生寺で凶のおみくじを引いてしまいました。がっくり。 叡
* 高野山の凍豆腐は美味いよ 山
ま、小さい頭にべらぼうな見聞をつめこんでも、海綿同様絞れば、キュッと流れ出てしまう。眼のレンズを深く絞って、印象深い相手を無心に吸い込んでくれ
ばいい、量ではない。一度見て触れて足りることは無いでしょうよ。
凶のつぎは吉ときまっています。まわるまわる世界はまわる。凶も吉も、外のもの。
勝手にまわらせ、内なる叡は、静かに深まれ。言葉にとらわれずに。
気をつけて、疲れすぎないように。はりきるほどのことじゃない。 お元気で、叡。
* 星野さん お志のええお茶たまわりました、恐れ入ります。ありがたく頂戴いたします。
不染鉄は、野さんの「三塁打」ですね。よくまあ。
いま東京藝大の学生が古美術めぐりで一斉に京都奈良で勉強しています。そのなかにわたしの東工大での教え子がいます。院を出て大企業に入り、一転藝大の
油絵をめざして受験、三年目に合格していま二年生の女性。
もし京都で自由時間が出来たら星野画廊さんを探してゆきなさいと勧めてあります。顔を出したら、いいものを見せてやって下さい。
六月また蹴上での美術文化賞授賞式に出向きます。
ご活躍を。
絵を入れる余裕はないんですが、図版のいらない絵画論を、ペンの電子文藝館に出稿してくれませんか。奥さんも入会されませんか。 湖
☆ 花、遊びには出ず、家でのんびりしています。お元気ですか、風。
明日はわが家の三ヶ月点検があり、火曜には追加工事も予定しています。
天気がよいので、布団を干しました。ふっくらしますね。わたし、天気がよいと、「洗濯しないと損」と思ってしまいます。一人暮らしをはじめた十八のとき
からこうなんですよ、主婦している今も。
『男と女の詩(うた)』は見たことありません。先月、NHK-BS2で放送していたかしらん。機会があったら、見ますね。
『男流文学論』という本を読んでいます。十五年くらい前に出版されたもので、当時少し話題になっていたのを覚えています。上野千鶴子、富岡多恵子、小倉
千賀子の三人の鼎談で、とてもおもしろいです。
吉行淳之介、島尾敏雄、谷崎潤一郎、小島信夫、三島由紀夫らについて討論しています。今、島尾敏雄のところを読んでいます。風はこの本、ご存知かな。
少し陽が傾きましたね。これから散歩に行ってきます。
* くらくらするほど眠い。機械の前で椅子から倒れそうになる。
* 右ふくらはぎ、妻も私も、蜂窩織炎をすこし疑っている。ありえないことではない。かなりの浮腫と部分的な張りとしこりと、指圧あとの潰瘍気味まで感じ
られる。かすかな発赤がある。これが糖尿病性のものか、自転車事故の後遺症か、それが糖尿病と連動しているのかはわからない。攣縮痛は平穏化している、
が、なくなってはいないた。こういう状態は前にも何度もあった。それだけは分かっている。脚の痙攣はもう二年ほど持病なみに頻回繰り返してきた。
じりじりと事態は楽観をゆるさない。聖路加の診察は七月までない。近所の皮膚科か内科に行くにも、せめて二十一日の二度目の谷崎話を終えてからになる。
最悪の場合、下肢切断まである。最悪はまだ無いとわたしは感じているが。
* 『若き日の信長』は市川雷蔵と森一生監督の秀作。若い日の林成年やなんと松本幸四郎ではない市川染五郎、それに金田一敦子や青山京子などはるかに遠く
なった好い顔ぶれ。モノトーンの写真が美しい。角度のいい視野をきちんとはかったように把握して、表現に無用の揺れがなかった。
☆ 足の痛みのこと、気掛かりでしたが、少しずつ快方にむかわれているようなので安心していました。今日の「私語」を読んで驚きました。お仕事も大切で
しょうが、一日も早く治療を受けてくださいますようお願いします。痛みに弱く怖がりですので、恒平さんの強いのには感心していましたが、やはり医療も必要
かと。くれぐれも無理なさらずお大事にしてくださいますよう。 のばら 従妹
☆ 湖様 相変わらず忙しい日々を過ごしています。人の仕事はい
つまで経っても厳しいものです。
早く開放されたい思いに駆られることもあります・・・。
足のご様子が心配です。早く糖尿病専門の先生にみていただいてください。お願い申し上げます。
海の見える宿で、湖とさざ波が碁を打つ・・・。そんな夢を見ながら、日々過ごしたいと思っております。 波
* 五月十三日 日
* わたしはクリスチャンではないが、だから彼らの表白によく聞くのと同じに、「父よ」とは唱えていない。しかしこの気持ちに間近にいると自覚するときは
ある。文字通りの父親に呼びまた頼むというのではないが。
むかし、同じ保谷のご近所同士かと聞いていた常田さんという俳優の「声」で、影絵のようなコマーシャルあるいは天気予報の添え物のような映像が、テレビ
で見られた。そのなかで、「お父さん」とただ呼びかける「声」ひとつが在った、「お父さん」と。それがわたしにはクリスチャンのあの「父よ」と同じにいつ
も聞こえ、そうでなくても自分もああいう感じにときどき父を、父でなくても誰かを、ひたむきに呼んでいるのを自覚した。あの映像がもし「お母さん」と呟い
ていたのであったなら、ごくナミの印象で終わったろう。「お父さん」なのでわたしは「感じ」た、信頼そして信仰の何かしら、すがた・かたち・おもいのよう
なものを。
疑いは半欠けだし、信用も半欠けだ
子供はまだトータルであり全体的なのだ
彼はただ父親の行くところならどこへでもついてゆく
この幼な児のようになったとき
そのときにのみ
意識の最も高い頂きであるこの贈り物は与えられ得る
おまえが「受容性=帰依=明け渡し」という最も深い谷間になったとき
意識の最も高い頂きはおまえに与えられ得る
谷間だけが頂きを受け容れることができるのだ
完全に女性的に
完全に受容的に
すべての言葉とシンボルとを超越したただ「お父さん」と、そう声にすらしなくてもそのように待ち迎えたい全的な信頼・信仰。「みこころのままに」という
クリスチャンの思いとおなじことを、老子もまたバグワンも示唆してくれている。指さして指のはるかな月を見せてくれている。
☆ エメラルドネックレス ハーバード 雄
今日は,朝一番にムービングセールで頂くことになっていたコーヒーテーブルを運ぶ.
前にも日記に書いたが,同じアパートの別棟に住んでおられる方から頂くことになっていたが,先週の火事で延期になっていた.ちょっと傷などもついていた
が,まあタダなので文句は言えない.これで,揃えたいと思っていた家財道具は,全て揃った.もしかするとビデオデッキやDVDプレーヤーを買うかもしれな
いが,今すぐに必要という訳でもない.
テーブルを受け取ってから,すぐに家を出て,久しぶりにクーリッジコーナーまで歩く.
ここ最近,一気に蒸し暑くなったのだが,日本からは半袖の服をほとんど持ってこなかった.そこで,今日はクーリッジコーナーのGAPに行き,ポロシャツ
を数枚買う.半袖のオックスフォードシャツも買いたかったが,ろくなものが無くて今日は見送る.
ラボに着いて実験をしていると,ボスがたまたま通りがかった.
実は昨日,研究会から戻ってメールチェックすると,マウスをもらうことになっているドイツのラボからメールがあり,今月か来月ならば来ても良いとのこと
だった.
至急行きたいのだが,とボスに話す.ボスは「分かった.旅費をどうにかするから,ちょっとだけ時間をくれ」と言う.ドイツまではそれ程高くないと聞いて
いたが,ウチのラボは,それほど困窮しているのだろうか.Xieラボとの共同研究の件についても,少しだけ話をする.
実験は上手く行ったのかどうか微妙な結果.いずれにせよ,望んでいたのとはちょっと違う結果になる.これでカルシウムイメージングで試そうと思っていた
条件は全て試した.来週火曜日にボスとのミーティングがあるので,それまでには終わらせておきたかった.
4時過ぎにラボを出る.ハーバードヤードは,休日ということもあって,多くの観光客で賑わっていた.芝生も生えそろい,冬に来た頃とは大分雰囲気が変
わった.冬に撮った写真とほぼ同じ位置から,新しく写真を撮ってみた.
最後のリスはおまけで,ハーバードヤードにはリスがたくさんいるのだが,今日,ラボに行く時に,すぐ横をリスが通り過ぎた.おや,っと思ったが,向こう
も一端逃げようとしたものの,何故かこちらを見ている.写真を撮るチャンスと思いカメラを取り出したのだが,その間もずっとこちらを見て待っていた.おか
げで綺麗に撮れた.もしかすると,えさでもくれると思ったのかもしれない.悪いことをした.
ただ帰るのは勿体無いので,いつもと違う道を通ることにし,ハーバードのメディカルスクールエリア行きバスに乗ることにした.Kenmoreの駅に差し
掛かったところで,多くの人の群れに遭遇する.皆,レッドソックスのウエアを着ているので,試合帰りなのだろう.
Fenwayに停留所があったので,発作的に降りてみた.駅には試合帰りの人がごった返しているので,電車に乗ることは諦めて歩くことにする.
その前に,前から気になっていたFenway駅近くのBed Bath and
Beyondに立ち寄る.今まで,「これがあるといいんだけどなあ」と思っていたものが,次々と見つかる.例えば,石鹸を入れる容器.氷を作るための枠.
スポンジを置いておく入れ物など.
改めて見ると,この一帯には店が多く立ち並んでいる.今までは滅多に来ることがなかったが,車ならば目と鼻の先.これからはちょくちょく来よう.
駅から延々とriverwayと呼ばれる道を歩いて帰宅する.この辺り一帯はメディカルエリアがあって,立派な建物がたくさん立ち並び,車の通行も多
く,歩くには向かないのだが,riverwayの周りは木々がたくさん立ち並んでおり,川や沼の周りの木々に葉が生い茂ると緑色の首飾りのようになること
から, 「エメラルドネックレス」と呼ばれている.
確かに,歩いていても気持ちが良い.緑も豊かだが,野鳥の種類が豊富なことにも驚く.実際,自宅にいても朝方などは鳥の鳴き声で目覚めることも多いのだ
が,帰る道すがら,変わった鳴き方をする鳥がいたので思わずそちらを向くと,真っ赤な鳥がそこにいた.種類は分からない.カメラを取り出す間もなく消えて
しまった.
職場からの距離などを考えて,以前から引越しも考えてはいるのだが,ようやく生活の基盤も揃ったことだし,木々が緑に包まれると,自宅の周辺はなかなか
美しいなあと思うようになって来た.愛着が湧いてきたのかもしれない.そうなると,引っ越すのも惜しい気がしている.
* 着々生活しながら、其処をしっかり通って手にしてゆく発見や感想や感覚。これが尊く想われる。この青年には観念におぼれる不確かさがない。そのぶん
ゆっくり時間はかかっているけれとども、着地に確実さがある。ときどきうらやましく想う。
☆ 脚のこと、その他
雄
秦先生 「私語の刻」を読んでいて、足の怪我のことが気になりメールしました。
ご自分でもよくお分かりだと思うので、今までメールするのは控えていましたが、やはり先生の場合、糖尿病という病気を抱えていらっしゃるので、
傷の治りは普通と比べても遅いですし、その間に何があるか分かりません。聖路加の診療を早めてもらうか、もしそれができないのであれば、良い病院を聖路加
のかかりつけの医師から紹介してもらう方が良いかと思います。
先生もご承知のように、足の怪我には細心の注意を払う必要があります。
いちいちうるさい、とお思いでしょうが、どうかよろしくお願いいたします。
さて、もう一つ気になったことが。
同じく「私語の刻」にあった、「愛を勉強している人」のことです。
違和感を感じられると先生はおっしゃっていましたが、僕はもう少し強い感情を持ちました。
僕もこの話題には決して偉そうなことをいえる立場ではありませんが、少なくとも「愛」を「どう表現するか」についてはまだまだ勉強が必要だとは思
いますが、愛するということそのものは、人間が持って生まれた性質であって、勉強する云々では無いような気がします。
これこれこういう理由だから愛している、というようなものではなく、ただただ愛しているのであって、理由は後付けではないでしょうか。
子供に対しても、異性に対しても、愛しているがゆえに、相手が嫌がると思っていても、ついつい言ってしまうこともあります。
愛について詠った短歌や詩を読んでも、共感こそすれど、勉強したという気にはなりません。
勉強して学んだ愛で育てられても、子供は嬉しくないと思います。
最後に全く違う話を。
松たか子さんのエッセイ、電子文藝館でようやく読むことができました。
お母様とお父様のエッセイも既に掲載されていて、こちらは読むことができましたが、松さんのは、先生が「私語の刻」でコメントされてから少し間があった
ようです。
お母様のエッセイは、なかなか読んで面白く感じました。
松さんのも確かに先生がおっしゃるとおり、非常に素晴らしいエッセイですね。
決して飾らず、具体的に、素の自分を出しておられるように思います。
ますますファンになりました。
僕は野茂選手についてのエッセイに特に共感したのですが、なんとなく野茂選手の飾らない偉大さにも似たものを松さんにも感じます。飾らずに自分を出すの
は勇気が必要です。
それ以外に、これは引用ですが、ラ・マンチャの男の台詞の
「人生自体が気狂いじみているとしたら、一体本当の狂気とは何だ、本当の狂気とは。
夢に溺れてしまって現実をみないものも狂気かも知れぬ。
現実のみを追って夢をもたぬものも狂気かもしれぬ。
だが一番憎むべき狂気とは、あるがままの人生にただ折合いをつけてしまって、
あるべき姿の為に戦わない事だ。」
という言葉が胸に沁みました。
良いエッセイを有難うございました。
くどいようですが、くれぐれもお体をお大事に。
* これも海外からの若い友人。感謝。思いよらずにきたが、海外でこうしてペンクラブの「電子文藝館」発信の作品を愛読していてくれていたんだ、有り難
う。松たか子の「ひとりごと」なんてわたしもまだ掲載されたのを見ていなかった。ほんの昨日か今日かにとうどう掲載に漕ぎ着けたばかり。
全二十六七編から松さんが十編をえらび、わたしがもう五編を追加させてもらった。野茂選手に触れた一文、わたしも心嬉しく読んでいた。松本幸四郎、藤間
紀子、松たか子と親子三人を順にペンクラブに誘った。親子三人の作品が、大勢の、もう七百人にも近づいた幕末以来の「書き手」たちの作とならんで「電子文
藝館」に半永久的に掲載されてゆく。少しも違和感のない好い随筆でありエッセイであり、この人たちはいわゆる影の書き手などと無関係、自身で骨をけずって
一編また一編書いている。「オール読物」に連載中の父と娘との往復書簡、最新の分は娘の番。これが、とてもよかった。
* 現「会員」以外の現存の書き手の作は、よほどよくお願いしないと掲載できないが、阿川弘之さんのように私からお願いして快く作品の選定も任せてくだ
さった方もある。『年年歳歳』はわたしに現代小説のよさを教えられた戦後の名作であった。
甥の黒川創も息子の秦建日子も資格は十分あるのにまだ入ってきてくれない。身よりの者をわたしが推薦するのは遠慮している。入って欲しい若い書き手たち
が大勢いる。ペンを老人クラブにしてはいけない、若い人たちの意志と言葉とで、文筆家ならではの世界平和、言論表現の基本の自由にたいする寄与を願いた
い。会員の平均年齢をなんとか六十歳の前へもってゆきたい。
☆ 秦さんへ 笠 e-OLD 千葉
ごぶさたしております。
お見舞い申し上げます。
ひさーしぶりに「ぱそこん」を開けて秦さんのほーむぺーじを拝見しました。いろいろな事が起きて大勢の方々が心配してくれてありがたいと思
います。どうかくれぐれもお大事にしてください。
やはり
(1)気軽に診てもらえる近くに「かかりつけ医」がいるといいと思います。
(2)だるまさんが自転車に乗るのはやめましょう。
(3)足は下げっぱなしにせず高くして、足の体操、マッサージ、保温:つまり血の循環をよくしてください。
ひとの事は云えず、横になっている方が多く(坐位保持困難)ぱそこんもmixiもご無沙汰しています。臥ながら操作できるパソコンはどうかと考え玉井さ
んに相談してみたりしまして(玉井さんはコンピュータ屋さんだったそうです)・・まだ考え中です。ぼんやり考える? だけが多くなりました。ほんとはもっ
と愚痴だらけなのですが・・少しでも元気を出そうと思っています。
暑かったりうすら寒かったりで困ります。どうかほんとうにほんとうにお大切にしてください。 拝
* わが事よりはるかに胸痛む。一の知友・知己なのに、これでは会うもままならないのか。わたしのいい加減で時機を逸したのであるか、いたたまれない。わ
たしと同い歳なのに。ご心配ばかりかけている。ちっとも言うことをきかない我が儘なわたしにさぞ懲りてこられただろうなあ。
* 成る成らぬは知らないが、先方日大の希望にろくに添っていないとおそれるが、ぎりぎりいっぱい、明日の心用意だけ出来てきた。
過去のほとんどの仕事がホームページに収納してある。紙の本版「湖の本」は九十巻がそろっている。これへ単行本はおおかた収録してある。半端な初出原稿
もほとんど漏れなく残してある。で、それらを「あれこれ」していれば、作家論も作品論も私見は適宜にアレンジできる。要するにそんな作業は今が今わたしの
したいことではないので、手が着かず悶々として時間を失ってしまうのだ。
* もし八、九年の日録をこまめに編集すれば、『死から死へ』「かくのごとき、死」ほど分厚い(五百枚ほど)湖の本が、もう五十冊ちかく編めてしまう。そ
んな面倒なまねは出来ないけれど、それをしてくれる人を求めることは出来るかも知れない。現に申し出てくれている人もいる。しかし、これはよほどわたしの
センスを心得ていてくれる編集心得のある、また信頼できる人であってほしい。身ぐるみみんな渡してはだかにされるようなものだから。
いずれにしてもホームページそのものを相当の費用をかけても使いよくリニューアルする時機にきているが、問題点の核心は「私語」の編集だと思っている。
ただカテゴリーべつに分ける整理は、「私語」そのものの流れ・空気をばらけさせてしまう。機械の上ではむしろ混沌とした味を生かしておき、別にカテゴ
リーをたてて編集することを考慮した方が良い。しかし私にはそんな技術もヒマもない。信頼できる人に預けられるといいが。
* 五月十三日 母の日 つづき
* 草まくら旅にしあれば母の日を火鉢ながらに香たきて居り 土田耕平
☆ 今夕 お願いした四冊届きました こんなに早く届けていただけたので 一と組はこの火曜日に機会があり その席に持って行こうと思います
感謝。
あと
もう 「体調のことも大事な仕事」と 不義理をされても良いではありませんか おからだの事 奥様・働き盛りの息子様の為にも あまり私されませぬよう
お大事にと
まだうまく伝えらるように話できませんが
父が脳梗塞で倒れ10ヶ月弱入院し逝きましたが 母はその間 体調の不良を自覚しながらも 父を最後まで自分が守る・看病する 一緒に入院するわけに
はいかない
その為 検査は受けない もし何らかの病で 手遅れとなっても自分の責任と 家族・医者にも宣言し 結果 父の死後に検査を受けた時は すでに末期癌
でした
母の父 誠一郎は二人の妻ともに先立たれており 最期は 守伯父夫婦と嫁ぐ前の母が世話をしていた その体験もあり 自分は夫を看取るのだという意識
吉岡からの嫁として 病で弱った夫を 歯医者として 尊厳をもたせたままおくるのだという意識 父への愛 いろんな思いがあったのだと思います
検査を拒否した時には 話もしました
ただ こちらも迂闊にも納得してしまってました
ただ 子からすれば 今もやはり 母はそのからだと命を 私して逝った と
ですから ...
母の日に 拝 巌 従弟・南山城
* 泣く。
* 従弟はほかにも柳生の里との地縁や血縁にふれて分かる限りを教えてきてくれる。ありがとう。
むかし、わたしは一大発心して、自分の血縁やルーツ探訪の行脚を試みた。作品の中で「当尾(とおの)宏」とよく名乗っていたが、その加茂町当尾村に実父
の生家、往年の大庄屋吉岡家も訪ねて当時府立木津高校の校長先生だった守叔父夫婦に歓迎されたし、加茂駅近くの医家に嫁いでいた従弟の母上恵子叔母にも
逢ってきた。
わたしの遠い遠い朧な吉岡での記憶に、お姉ちゃんが二人、元気な犬が影のように浮かんで消えていなかったが、恵子叔母さんはその小さい方のお姉ちゃん
だったことに合点がいった。どんなに嬉しく懐かしかったことか。東京へ帰ってからもわたしは妻や子が驚きあきれていたほど興奮しつづけていたのである。
その叔母と従弟とは西武線の石神井公園駅ちかくの親戚を足場に、突然保谷の我が家を一度だけ訪ねてくれたこともあった。今でも、石神井公園を電車で通る
つど同姓の医院の広告が目にはいるときっと恵子叔母さんやいとこをわたしは思い出すのである。
* 五月十四日 月
* 朝一番に好いメールがいくつか届いていた。今日はもう一時間余もすれば「谷崎潤一郎」を話しに出かけ、済んだその足で兜町のペンクラブへ駆けつける。
電子文藝館、今期最期の委員会。その前に、まず、このメールを書き写しておきたい。わたしがグダグタ私語するより、よほどすばらしい。残念ながら錯視例の
写真は割愛するが、察しはつけてもらえるだろう。具体的な記事でおのずとこの都市の魅力や誘惑が伝わってくる。書庫にじつはボストン市街の大きな写真集が
あったはず。あれを出してこよう。
雄くんに着実にマイミクが増えてゆく。日記が愛読されている証拠。マイミクに限っての日記にするつもりらしいから、もっと増えてくるだろう。すてきな友
達が現れてくれるといい。
☆ ボストンの昼寝 雄
僕は、アメリカでは Bank of America
という銀行を利用している.おそらくアメリカで最も大きな銀行の一つであり,ATMもそこら中にある.
このBank of Americaのイベントとして,'Museum on
Us'というものがある.5月中ならば参加Museumのどこでも,Bank of
AmericaのATMカードを見せれば、タダで入場できる.なんと素晴らしい企画だろう.日本の銀行も,こういうところを取り入れてくれればいいのに.
ここボストン地区での今年の参加Museumは,Museum of Fine Arts ,Museum of Science, Museum
of Afro-American History,The Old State House Museumの4つ.
この機会を利用しない手はない.今日はMuseum of Fine Arts(いわゆるボストン美術館)とMuseum of
Scienceの2つをハシゴしてきた.
どちらもかなりの規模なので,じっくり見ることはできない.タダだからというせいもあるが,かなり贅沢な見方をしてきた.ボストン美術館の方は,以前見
たことがあるので,自分が見たい場所だけに集中し,なるべく早めに切り上げることとした.
ボストン美術館に以前来たのは,まだボストンに来て間もない,冬の頃だった.このとき気に入ったのが,ヨーロッパ近代美術のコーナーとエジプトやロー
マ・ギリシャの古代美術のコーナー.また,その時に見逃して悔しい思いをしたのが,浮世絵の数々と日本庭園.そこで,これらに焦点を当てて観る事にした.
今回分かったのだが,所蔵する浮世絵の中で実際に展示してあるのは.ごくわずかに過ぎないということ.それも,どういう訳かは知らないが,歌川国芳のも
のばかり.もっと色々な浮世絵師のコレクションがあるはずなのに,展示コーナーには「もっと見たい場合は,Museum of Fine
Artsのウェブサイト(http://www.mfa.org/index.asp)を見ろ」と書かれていて,興ざめする.
また,前回見られなかった日本庭園だが,今日もダメだった.理由を聞くと「まだ天候が良くないので」.
確かに,今日はここ数日の中では気温が低く,コートなしでは肌寒いほどだが,それでも5月半ばにもなって、天候のせいで見られないとは,がっかり.
結局,ヨーロッパ美術とエジプト,ローマ・ギリシャのコーナーを中心に観たが,やはり、いずれも圧巻.お気に入りのモネのLa
Japonaiseにも再会を果たしてきた.
今日,特に気に入ったのは、ゴッホとゴーギャンの作品.間近で観ることができるので,筆遣いまでくっきりと.どちらも素晴らしいが,今日は特にゴーギャ
ンの絵に惹かれた.確か,サマーセット・モームの「月と6ペンス」の主人公は,ゴーギャンがモデルでは無かっただろうか.
古代美術コーナーには,書くべき言葉が見当たらない.ただひたすら圧巻.横たわる数々の棺やモニュメント.それらには象形文字が刻まれたものが数多く見
られる.
こうした象形文字を1文字1文字刻むのは,楽な作業ではなかっただろう.今ならば,こうしてキーボードを叩くだけで,いくらでも好きに物を書くことがで
きる.この1文字1文字を,古代の人々は何を思いながら刻んだのだろう.そして,近代のゴッホやゴーギャンは,あの荒々しいタッチの一筆一筆に何を籠めて
いたのだろう.そんなことに思いを馳せた.
昼飯時を大分過ぎ,腹が減ってきたので,ボストン美術館はこの辺りにして,Museum of
Scienceへと移動した.途中,Government
Centerで下車し,先週行ったにも関わらず何も食べられなかったクインシーマーケットに行き,遅めの昼食を摂る.
向かったのは,クインシーマーケット内にあり,「地球の歩き方」でも絶賛されている「ワルラス&カーペンター」.クラムチャウダーが絶賛されていたので
注文.メインディッシュは,以前リーガルシーフードで食べて感動したLittleneck.今回は生ではなく,酒蒸しにしたもの(本当にsteamed
with Sake and
scallionと書かれていた).サミュエル・アダムスのビールと共に頂いたが,残念ながらどちらも,それほどとは思えなかった.値段は決して安くな
い.これならいずれもリーガルシーフードで食べた方が良さそうだ.特にlittleneckは,生の方がはるかに旨い.
気を取り直して,グリーンラインに乗りScience
Parkで下車.駅の周りはチャールズ川と海に挟まれて,なんとなくお台場っぽい.さっそくMuseum of Scienceに向かった.
規模としては上野の国立科学博物館と比較すると,かなり小ぶりだった.展示してあるものも,それほどという訳でもない.説明する専門の職員たちが何人か
いる.子供が色々と体験しながら科学を学ぶには良さそう.
中でも面白かったのは,「錯視」の数々.人間の脳は目から入る情報をそのまま脳に伝えている,と多くの人は考えがちだが,実はそうではない.目から入っ
た情報は,人間にとって都合よく曲げられている.その一例が錯視.例えば,上の図で AとB
が実は同じ色であることに初めから気づく人は,よほど周りに流されない冷静沈着な人か,あるいは相当なへそ曲がりだろう.(嘘だと思う方は,両手で他の部
分を隠して見て下さい).
規模がそれほど大きくないので,あっという間に見終えてしまった.
せっかくなので,もう少し散歩をしようと思い,Charles/MGHまで地下鉄に乗り,ビーコンヒルをぶらつく.
ビーコンヒルに行ったのは、これが初めて.チャールズ通りが最も栄えているが,それでも大した規模ではない.街並みはヨーロッパに非常に似て
いる.景観を損なわないように,セブンイレブンさえもが,レンガ造りの建物で作られ,標識も黄土色のプレートにイタリックの文字で7-elevenと書か
れていた.
プルデンシャルまで引き返し,copley
place内にあるJ.crewで、夏物の服を買い足し,向かいのShawsスーパーで1週間分の食材を買って帰宅.
マイミク「湖」さんによれば,「京の昼寝」という言葉があるらしい.ホームページから借用すると,以下の通り.
「昔は京都の者が昼寝しながらでも身につけたものを、地方の人は不自由に勉学しなければならなかった。美術も文藝も、やはり優れた作品に触れることが、そ
の後に大きい。それと、今ひとつものの生まれ出てくる風土の実感が体験として大きい。物の色、物の音、ことば、山紫水明、空の色、風の声。そういうものが
役に立った。」
ボストンには多くの美術館・博物館がある.恥ずかしながら,僕にはそれらに対する知識が全く欠けている.「昼寝」という訳にはいかないだろう
が,せいぜいこういう機会を利用して,あちこちの美術館・博物館に足を運べば,きっと自分の中に何かが蓄積されるに違いない.そんなことを期待している。
* 勤務怱忙の日々を懸命に励んでいる卒業生の一人は、また心を茶の湯にむけている人でもある。茶の湯ではときおり「閑事」の二字を床がけにみる。わたし
も表千家六閑斎の二字を叔母にもらっている。小間の茶に掛けたこともあるる
☆ 秦さん、こんばんは。 卿
ご返信下さりありがとうございます。
恥ずかしながら「閑事」の掛け物は知りませんでしたが、文字そのものの意味は、内容のない事、つまらない事、ということになるのでしょうか。
取るに足らないように思われる事にも、よくよく心を澄まして向き合えば、何かしら価値あることを見出す事ができると、もしくは一歩進めて、本当に大事な
ものは、ぼうっとしていると見過ごされがちな、一見つまらない事の中に潜んでいるもの、と私は読みます。
お茶などは余暇の娯楽の一つに過ぎないという風に、ある意味「閑事」と捉える向きに対しての問題提起と思えなくも有りません。
追われるようにこなす仕事においては、初めの直観で大事かどうかを判断してしまい、「閑事」と思われる事にまで、きちんと向き合いながら進めることは難
しいのが現実です。でも、もう少し心を研ぎ澄まして対する事が出来れば、きっと今この状況においてしか気付けない事、得られないものが、実は沢山有るのか
も知れませんね。
6月に入ったらぜひお目にかからせて下さい。平日は直前に予想外の仕事が入ってしまう可能性があり、大事な予定を入れるのは怖いのですが、秦さんは週末
などでもご都合大丈夫でしょうか。
* 会う日が楽しみだ。もう中堅の地位にきている人たちだ、なかなか休日や週末以外はむずかしい。それでよい。臻クンとも叡サンとも近いうちに会う。東工
大は相変わらずまぢかに息づいている。
☆ お久しぶりです、湖。 珠
メール嬉しく、苦しい私の声が聞こえたかと驚きました。
穏やかな日々に、心の天秤が揺れ動きます。愛の詩華集は、愛の色々を映し出し、我が身に切り刻むように読んでいます。心の中で、愛はいとも簡単に素直に
語られ、またむごく苦しく蠢きます。
私は、相手の思うだろう自分になりたくて、なれなくて、若い時のように、自分と戦っています。ありのままの自分を、、、などというのはいくつになっても
有り得ぬ事と思います。変わりゆきたいという思いが灯るのは、恋も人生も同じなのでしょう。これが、今此処に在る私だと、生きている事だと信じ、満つるべ
く苦しみを見ています。
湖の足が心配です。その足、何か言いたい事があるのではないでしょうか。冷たく澄んだ湖の奥底で火照る其処、耳をすましてそっと聴いてみて下さい。
珠は静かに湖を、その足を見ています。
* 感謝します。
☆ 生きています。 讃岐
仕事と、趣味でやってることとがからまりあって、あっぷあっぷしています。
今日、NHKのアーカイブスで「手塚治虫創作の秘密」を見て、また感激。やっぱり天才と改めて思いました。時間に追われて、かけもち同時進行で執筆、
「創作の秘密」は完成したときの成就感と解放感だった。3日間の睡眠時間は、3時間あまり。最近の私の生活、ちょっとだけ似てるんかなあと思ったりし
て・・。でも、手塚先生、あと40年は描き続ける、アイディアは山ほどあると言ってたのに、60歳でなくなってしまった。
看護学校今年度がスタートしました。69人。中卒から国立大法学部卒、転職、主婦・・。いろんな年齢のいろんな経歴の人が、資格取得めざしてがんばって
います。沖縄の人が今年も2人。
3時間連続授業のあいまに、「地口附け」をまねして、ことわざのパロディーバージョンにトライしました。こんな遊びにも、生活が出てるなあと感心。秀作
(?)をご紹介します。思わず笑って、ちょっと、ほろりとします。
准看の上にも3年 確認不足は医療事故の元 肝炎患者に酒のギフト
時間たって血固まる 合わぬ職場は続かぬ 看護師が患者になる 嫁の笑顔も三年 旦那も動けば楽になる
家に帰れば母親任せ 冴えぬ彼はいらぬ メール隠して履歴隠さず やり遂げる看護の道
湖さんの写真の、モロー、去年神戸で見ました。画集より、ずっとずっと色美しく、繊細でした。
* 日大芸術学科での谷崎話しの一回目は、思ったように話した。だいたい谷崎をどれほど読んでいる学生だか少しも分からないのだから、谷崎の人と作品とを
ことこまかに話しても、なかなか理解できないだろう。
わたしは、谷崎潤一郎ほどの書き手の作品と世界とにせまってゆくには、読み手がどれほどのいわば「底荷」を船底に積んでいないとダメか、そういう話しを
今日はしてきた。おそらく学生以上にわたしを呼んだ教師のほうが、そういうわたしの真意をよう読み取っていなくて、なかなか谷崎そのものに触れずに漫談し
ていると不満であったかも知れない、が、文学と文学者とを読む・分かるとは、眼帽子をかぶつた馬の直進のようであっては、ロクなことにはならないのを、と
かく専門の学者研究者は狭く思いこんで、理解しない。
相手は谷崎である、日本語の歴史も、古典の咀嚼も、美のセンスや、藝術観も、水面下の氷山を十分察知するように壮大に遠巻きに読み込んでゆかねば成ら
ず、谷崎をただ谷崎作品の表面だけで読んでいても、そんな読みでは砂をかむような按配で済んでしまう。事実、数多い谷崎研究論文などをたくさん読んでみて
も、爪楊枝で歯に挟まったところをつついているような段階で終わっている、「学問としての論文」はこんなものだという按配だが、ほとんど谷崎を読むための
豊かな役にはたっていない。ただの自己満足ばっかり。
論ずるなら、前人未踏の「発見」「読み」でもって作者も作品も肥やし、かつて誰も見つけられなかった、言わなかった、言えなかったようなことをバシッと
言ってのけるのでなくては、閾値したのバブル同然でつまらないのであるが、そういうことが出来るためには、「絶大の底荷」を腹中に溜めていないと所詮ムリ
なのだ。
* 来週もう一度話しに行く。
* 江古田駅西の武蔵野稲荷に参ってきた。そのころから急に脚が痛み出した。
二時半、そのまま江古田駅に向かい、池袋から有楽町線で新富町までゆき、そこからタクシーに乗り三十分遅れで電子文藝館委員会に参加した。
そのあと、今日で一応総員任期切れの辞職。八人の委員が残り、近くで一夕の歓。朝からほとんど食べていなかったが、その店でもビールと焼酎のほか何もほ
とんど食べなかった。あと、一人で銀座から帰宅、「千夜一夜物語」を面白く。
☆ 講演はつつがなく終えられましたでしょうか、風。
風の脚を心配しています。今日のお出かけも、しんどかったのでは。
早くお医者に診てもらってほしいなあ、と、遠くでやきもきしていますが、風ご自身のこと、いちばんよくお分かりなのは風でしょうから、風のご判断を信頼
し、お任せします。
(愛に関わる)若いお父さんのメールについて。
「学習の本」といってみたり、愛は「過去形」だったり、文字通り受け取れば、わたしとは随分違う考えだなあ、と思いますが、「この人、生真面目すぎて不
器用なのかなあ」とも思いました。
まるで、「愛」という問いに対する正しい解答が存在するかのように、愛を定義づけようとし、わかりにくいことになっているのかなあ、と。
一期一会。だいじに、だいじに思います。 花
* 右下肢の痛みが増してきた。今日重い参考資料を多めに持ち込んだのが重量負担で脚に響いたようにも思われる、が、容態の真相はむろんわたしには分から
ない。痛みに慣れて我慢しているのであり、杖で家の中を歩いていた頃と、痛み、あまり変わっていない気もする。ビッコを引くように歩いているので左太もも
にまで苦痛が転移しかけている。十六、十七、二十一、二十六、三十日と余儀ない外出予定があり、もっと増えることも季節的にありうる。痛み止めをとりあえ
ず服用している。
なんだか、去年のやす香の日記に似てきたなあ。
ま、意識は活発だし好奇心も関心も食欲もある。元気な今のうちに逢えるだけの人にたくさん逢っておきたくなる。
* 俄然、鈴木大拙が難しくなってきた、理解が届かない。ところがバグワンの方は的確に胸に響いて、ストンストンと腹に落ちてゆく。透ってゆく。沈透いて
ゆく。ありがたいと思う。
* 五月十四日 つづき
* 臻クンが家まで来てくれる。月末の楽しみ。脚のことを気に掛けてくれたのだろう、ありがとう。長いメールは、読ませる。
☆ 秦先生 27(日)は午後から時間の都合がつきました。差し出がましいとは思いますが、この機会に先生の新PCを見たいと思い、予定の一つに入れて
いただけないでしょうか。
>今日のきみのメール、詩歌のことも愛のこともわたしには理解の届かないところ多く、首をひねりました。こんど教えてください。
今度の話のネタを減らすつもりはないのですが、そんなに驚かれるとは思いませんでした。
以下、ちょっと長くなりましたが、、、 臻
詩歌のことについて言うと、
乳房吸ふそれぞれの持つ癖のあり母のみが知る五人のわが子
うさぎ当番に行きていつまで帰り来ぬ子は遊べるか兎とともに
この二首。
前者には、クスリとしました。これは、最近の私の生活に近い内容なので、多少想像できた例です。子供への視線のほかに、お乳をやめると乳房は小さくな
る、もしかして、そういう若さへの懐かしさもあるかもしれない…くらいに想像しました。
この一首への解説は、「いわばこれだけの事」「多くの母の思いを代弁しえていようが、『うったえ』の力は意外に弱い。多く、一般の歌はこの辺で力がとま
りがちであるとの感想もふくめて、敢えて挙げておく。」とあります。
読んだときは、驚きました。
たしかに言われてみればそのとおり、とも思います。読むほうの私も知らぬ間に、クスリで留まっていたと気づかされたのかも。と、頭で理解しました。
そして、後者。
これを読んでも、ピンと来ません。そもそも、子供の頃、動物当番はなかったなぁ…そこ止まりの想像。
ところが解説では「これは一見、只事歌の見本のように読める。が、『子は遊べるか兎とともに』には考えさせる。『当番』の義務にかかずらわっているとい
う風には見ない。」と始まります。
ここで「え?」と驚きます。
そして「『兎』は、学問とも仕事とも恋人とも取れてくる」。
読む方の、単純な言葉の置き換えではない、想像の膨らまし方。
こうやって読み替えてみると、なるほど、確かにこの歌は、読み替えによって兎小屋がどこまでも広がっていく。面白い。
こうなると、前者が、これだけの事、というのも強くうなづけます。
ようやく、解説がすんなり読めるようになってきました。
で、前者がつまらなくなり、後者が面白くなるのかというと、そんなことはありません。後者のような歌の、謎が解けだす面白さが加わったのです。
今回のご本を読んでいて、初見は大半が「クスリ」か「只事歌」にしか見えません。私には、分別以前なんです。
解説を通じて、広がっていくのが、実に愉快です。しかも、「いわばこれだけの事」という歌や、無駄な言葉との評のある歌の解説を読む毎に、(結果とし
て)解説を、理解しやすくなっていきます。
いきなりワールドカップサッカーを見ても感動なく、その後日本のサッカーリーグを見て、ワールドカップの凄さが分かった時に似ています。
解説のような想像の広げ方を、自分だけでやろうとすると、簡単にはいきません。何度も解説を読んでいくうちに、コツが少しずつつかめているように思って
います。
ジャンルは全く異なりますが、「こころ」の先生の年齢も、私はめちゃくちゃに答えた口でした。いまだにあのエッセイは読み返します。そして次第に、小説
の行間に書き込まれたものや、あるいは、でたらめに、気づくようになって、小説を読むのが実に楽しい毎日です。
「想像」する、ということを、ただ思いついた脈絡のないものを呼び覚ますだけにしか捉えていなかったことを、今回のご本で改めて気づかされました。
さて続いて、「遊び」ですが、「反省」は、失敗を記録するためのものです。
以下は「平均的」な、ある「パパの日」の「遊び」の例です。先々週、近場の楽チンコースです。
まず自転車で20分。らくだ公園で砂場遊び。気の済むまで。息子は延々と電車を埋めては掘り起こす。もう百回以上やられてるので、私は片手間に相手。気
づくと私はとてつもない砂山を。息子に踏み潰されました。
次に昼食のため隣の公園に移動。自転車で5分。高い木々に覆われ、適度に木漏れ日があります。木の葉ずれの音を聞いているだけでも新緑が見えそう。ベン
チでピクニック。パパと二人の定番はメロンパンor焼きそばパン。
息子はパンを適当にかじると石の滑り台へ。幅1m、高さ2m。これが私も息子も一番のお気に入り。ここで、飽きるまで。最初は一人、上から、下から、ス
ピードをつけ、ゆっくりと。そのうち二人で手を繋いで助走して、上ったり、上れず途中ですべり落ちたり。大笑い。
続いて息子にウソをついて、さらに別の公園へ。自転車で5分。最近は提案への口ごたえが多いので、現場を見せて判断させます。
「あれ?ここ、新しい公園?」そこには人工的な小川に池。その日は夏日。前日も水遊びに夢中でした。もう行く気満々。
人工池があります。直径10m、澄んではいますが妙な泡が沢山浮いています。こういう池は、夏に向けて6月下旬ごろ清掃されると、泡がなくなります。つ
まり今はきれいではないハズ。その池のふちに、やもりのようにはいつくばった小学生の男女5人。息子もあっという間に仲間入り。
アイスのカップを持った小学三年生くらいの子が「おたまじゃくし取れるんです」。水面の薄皮のすぐ下に、卵が全て孵ったのかというくらい、無数のおたま
じゃくし。私はおたまじゃくしをみた記憶がありません。くろぐろとして思ったより大きく、目がはっきり見えます。表情まで見えそう。
「やる!」という息子に「難しいよ」というと、すかさず近くの子が「コケの栄養を食べに来ているから、下からすくうようにして取ると、簡単に取れま
す。」
何度かやらせます。予想通り三歳児の手は短く、コケまで届きません。池におっこちそう。私がやってみました。おたまじゃくしを触るのも、人生でこれが
初。子供といるとそういうことばかり。緊張します。
何度も失敗し、ようやく一匹すくうと、息子の掌の中へ。プルプル動くおたまじゃくしをつぶしそうなくらい触ってから、みんなが集めているたらいに入れま
した。
しばらく続けていると、小学生達は母親達に呼ばれ、私達二人、広い公園に取り残されました。その後はなぜか泥んこ遊び。土をほじって、池の水をかけ、ぐ
じゃぐじゃにして、草むらに投げ込む。理解を超えた遊びにパパ呆然。息子は黙々。せいぜい「うまく掘れないのはどうしてかな?」などとアドバイスをする程
度。
その後公園を離れ、通りすがりに初めて見つけた古民家を覗き、再びらくだ公園にもどり、パパとの定番ごっこ(そこにある遊具でごっこ遊び。鉄棒の上をカ
ニ歩きだとか、雲のブランコで電車に乗っている酔っ払いごっこをするとか。)を一通りやって、帰宅。
この日の失敗は3点。
一つ目は、よくあることですが、自転車のルート選定振り返り。最低でも40分、長いときは2時間、自転車で走ります。予定外の場所を通ることがあり、後
に用事が控えていたり、疲れていると、つい楽な道を選び、結果、一方通行(自転車除外)の逆送とか、交通の激しい道を通ってしまいます。単なる反省ではな
く、どういう代替道があるのかの確認。
二つ目は季節モノ。息子は翌日から目やにが異様に出るようになりました。最終的には、近所で同じ症状があり、流行していた病気と分かったのですが、一年
振りの水遊びについ手拭がおろそかになっていました。水遊び直後の手洗い励行。
最後は、石の滑り台を上りやすく、と裸足にしていました。思い返すと、滑り台付近には弁当ガラだとか、卑猥な落書きがあり、推察するに、ガラスの破片が
おちていてもおかしくありません。(遊んでいるときは、私もつい夢中になって思いが至りませんでした。)とはいえ、息子が自力で登るためには、裸足でない
と。ミニ箒持参することにしました。
これが楽チンコースですから、自然とパパと二人きりになります。最初からこうしようとしたわけではありません。片っ端から公園を回る中で、二人の関係が
こういうコースを作り上げました。公園については(なぜ遠い公園、なぜ回る)話すとキリがないので省きます。
毎週こんな感じです。ただでさえ仕事して風呂入って寝る生活の上、最近は息子が早起きで、慢性的に睡眠不足。楽チンコースでも正直しんどいです。こう
やって書くと楽しそうですが、遊んでいる最中、楽しいことは確かですが、親としてあと一歩引いて考える余裕がありません。目に見える危険に「イケナイ」
「ダメ」を言う程度。自転車のひとこぎひとこぎにこめるのは愛ではなく、早く移動したいという一念。それが、危険なルートを走らせます。
やりすぎかな、息子の楽しむ顔見たさのエゴかな、と思うこともありますが、妻にその日の様子を話し、写真やビデオを見せると、意外な一面を目にするらし
く、うらやましがられます。私も息子の成長に一役買えたか、と満足し家族で一番早く眠りに就きます。で、数日後、ふと、妻の評の言葉の中に愛情を感ずるこ
とがあります。
ですが、無理があるのは確か。自己満足で事故を起こしては元も子もないので、反省で戒めています。
> きみは奥さんと「過去形」として気づいてゆく恋愛をしていましたか。まさか。
そうですね。私もまさか、と思います。
ただ、このような様子の毎日で、「今」、が大きすぎ、思い出せない、というのが、(ふざけているわけでもなく)本当のところです。「今」のトップラン
ナーである私の息子に追いつくのが、我々夫婦には精一杯です。 ではまた。
* 久しぶりの「アイサツ」を受け、フムフムと楽しんだ。
* 「臻」君 ありがとう。二十七日、昼飯はこっちで用意しますから、正午をすぎてもちっともかまいません、楽しみに待っています。
詩歌のこと 遊びのことなど、ずいぶん理解が進みました。
詩歌に触れていってくれること、とっても嬉しいです。ものが見えてくるとは、まさしくそういう熟し方なんですからね。
逢えるの、楽しみです。機械見て頂けるのも嬉しい。組み立て機械の方、音声が全然出ないし、LANは利かないし、機械間の移送もできないし、スキャナも
プリンタも二台の機械の片方ずつにしかつながっていません。そして一台のインターネットはアウトです。
それでも曲がりなりに仕事に使っています。
元気に来てください。ゆっくり時間を抱いてきてください、話したいものね。 秦
* 五月十五日 火
* 五・一五。なんら軍人テロに弁護の気もわかない。しかし、テロはじつに「国民」による百万の助命嘆願でほとんど容認され、一国の総理らを撃ち殺してい
ながら、処罰もウソのように軽く見過ごされた。軍の横暴と宣伝に、愚かな国民が盲従したのだ。この民度というものの低さ、以来七十数年、明らかに国民の敵
かもしれぬ政権に国民がよりかかっている。
* 「話せば分かる」と犬養毅総理は言い、「問答無用」と陸軍将校らは撃ち殺した。いま、「話せば分かる」と言って「話して」くれる宰相を我々はもってい
ない。「問答無用」とばかり悪法案をもう自民党政権は幾つたてつづけに乱発してきたことだろう。
夜前おそく社民党の女代議士がイラク派兵二年延長決定に反対し、緻密に克明に質問を重ねてよく聴かせた、が、阿倍総理の答弁はまったく一語として答弁に
なっていなかった。なさけない。
* 「ミラボーとともに革命をはじめ、ナポレオンとともに革命を葬った」といわれるシエースは、フランス革命最大の論拠となった『第三身分とは何か』とい
うパンフレットの著者であった。
第一身分とは僧侶、第二身分とは貴族、第三身分とは平民。この上に国王や王妃の宮廷があった。
シエースは、第三身分とは何か、「すべてだ」と断言した。事実、人数からすれば、当たり前だが、第一第二身分はほんの一握りだったが、ただそれだけの意
味ではなかった。彼は第三身分こそ「国民」の意義を全面的に満たしていて、その人権と安寧とを政治的にはかる主導の権利をもっていると提唱し、三つの身分
が「合同」の欺瞞的な「三部会」が招集され第三身分に他する露骨で陰険な差別がなされ結果的に閉め出されたとき、奇貨おくべしと、がらんどうの広い球戯場
に第三身分だけの「国民議会」を宣言し、憲法をもち、はじめて絶対王政に対する事実上の「革命」を緒につけた。
「国民議会」の強襲的な立ち上げは、シエースのはやくから思い描いて明言もしていたシナリオであり、王や貴族、大司教たちの強欲が、シナリオの実現に火
をつけたのだった。
フランス革命をここで復習するのではない、わたしは特大の興味で読んでいるだけだが、一つ、此処に書いておこうと思った。
シエースはこう言っている。革命前夜の空気を無視出来ないけれど、一般論として現下の日本にも適用できる、そうありたい、ことだ。
* 「哲学者の任務は、政治の目標を確立する点にあり、あらかじめ(思想の上で)その目標(能力・核心・確信・高水準)に到達していなければ、この任務を
果たすことはできない。………政治家の義務は、哲学者の(真に良き)提言を地上の条件に適応させる点にある。」 シエース
* 今の日本は封建時代をぬけだし、ありがたいことに事実上「第三身分がすべてだ」と謂える「国民」の国だ、少なくも憲法の大義においてそうだ。
それを何とか過去の特権の復権と第三身分支配へと安倍内閣や与党政権は躍起になっている。事実の積み上げがそれを示していて、わるいことに「すべて」で
あるはずの「国民」は眠っている。
どこを探してもシエースの言うような「哲学者」の真摯な提言や目標確立もみられず、どこをどう探してもそんな「政治家」はいない、かのようである。
わたしは早くから、ここ数十年の現代日本には偉大な哲学者、哲学そのものが払底していると指摘し、嘆息してきた。梅原猛や鶴見俊輔にしても趣味的に小さ
な範囲で小声で何かを呟いていても、「国民」はその名前すらほとんど認識していない。その悪影響として俗欲でまず蠢いてしまう、しかも大半は頭脳の明晰で
ない代議士たちが、手前勝手な「ゆがみだらけの理想」で国民の運命を、国民の手を縛っておいて盗人のように平安や幸福や人権という価値を、懐から強奪する
をもって「政治」と心得ているしまつだ。
「哲学者」を自称する者の勉強と発憤とを願う。同じ事は「宗教者」にも言いたい。今日宗教者とは「トーク」の瀬戸内寂聴尼ひとりか、これまた寒心にたえ
ない。
* 「間に合わない」ことに真実恐怖し対策しなければならない時機に地球と人類は来ていて、この五十年を徒手拱手していたら、『デイ・アンド・トゥモ
ロー』ようの大危機が現実問題だと、あのアメリカの元副大統領が率先世界を行脚している。たとえていえば彼が現代の哲学者・宗教家を体現しているのだ、そ
して彼の危機の提議を政治家が率先聴いて邁進しなければ、憲法改正も国民投票も株高もあらゆる便宜・便利もへちまもみな「間に合わない」荒波に埋没してし
まうだけである危険を、地球上の「全国民」は背に負うている。いまこそ、哲学も政治も国民も、敢然と「十目の石を先ず捨てて十一目の起死回生」をはからね
ば、もう「間に合わない」かもしれないのだ、いったい、われわれは、何をしている気だろう、惰眠のままに。
* われわれは日々を生きて暮らしている。腹が減れば食わねば成らず、食うためには稼がねばならず、仕事は誰の目の前にも山と積まれていて、それが幸福の
或部分も不如意の或部分をも成しているし、恋する人は恋を悲喜こもごも享受し、創作する人は創作に悲喜こもごも腐心する、代議士は選挙区を歩き、老境は老
境をまた悲喜こもごも歩んでいる。それはそれで大事であり手をはなせないが、喩えればそれらは地球環境と人類の存亡という、しかも今や時間をはかって近未
来に予測されている、間に合うか合わないかの危機に比し、大きな巌と一粒一粒の砂とのようだ。砂も大事、いや砂が何より大事なら、巌が真っ逆さまに奈落へ
転落するのを、間に合ううちに防ぎたいではないか。
☆ Twelve angry men ボストン 雄
一昨日のことになるが,コーヒーテーブルも揃ったということで,ソファーベッドに座ってワインを飲みながらテレビを見ていた.普段は決まったチャンネル
しか見ないのだが,たまたまチャンネルをあれこれと変えていたら,昔の映画をやっていた.
放映されていたのは"Twelve angry men".
映画をほとんど見ない僕でも知っているので,おそらくほとんどの方はご存知の映画だろうが,陪審員制度を題材とした作.ほとんど全てのシーンが,狭くて
蒸し暑い陪審員室の中だけであるにも関わらず,脚本が面白いために,全く飽きさせない.好きな映画を一つ挙げろ,と言われたら,多分僕はこの映画か、「レ
ナードの朝」を挙げると思う.
久しぶりに,やはり面白い.最初は分からないが,映画が進行するにつれ,12人の個性がそれぞれ明らかになってくる.
残念ながら英語力に難があるため,全てが分かったとは言いがたい.特に言い争いのシーン(といっても,そればかりなのだが)は早口で聞き取れなかったり
する.それでも,大体のあらすじは覚えていたため,楽しめた.
今回,全く日本語字幕がない状況で見たことによって,No.11がアメリカ人ではないことなど,その人が話す英語から,それぞれの陪審員がどんな生い立
ちでどんな生活ぶりなのかなども,なんとなく想像できたのは興味深かった.
この映画には,もう一つ異なる思い入れがある.
高校3年生の文化祭で,僕らのクラスでこの作品を演劇として上演したのだった.
マイミクMaoxilianは僕の高校時代からの親友.僕の高校は3年間クラス替えをしないので,彼とは3年間同じクラスで過ごした.彼は交友関係が広
いので,そうは思わないかもしれないが,僕にとって「唯一無二の親友」と言われたら,彼の名前しか思い浮かばない.そう頻繁に連絡を取るわけではないけれ
ど(皮肉にも,僕がボストンに来てmixiを始めてからの方が,コミュニケーションの頻度が増えた気がする),コミュニケーションの頻度は,親友であるか
否かには関係ない気がする.
高校で、確か彼も,この陪審員のうちの誰かを演じていたはず.2日間に亘って,午前と午後に1度ずつ上演された.負担が大きいということで,2グループ
が演じたので,実際に出演したのは、12x2=24人.膨大な量の台詞を,みんなが完璧に憶えて演じていたのには感服した.
それまでは,うちのクラスは割とふざけた演劇をやることが多く,1年目はシンデレラを男が女装して上演した.このときは,僕は継母の役をやらされた.後
にも先にも,化粧をされたのはこれだけ.スカートをはいたのもこれだけだが,あんなに頼りないものだとは知らなかった.
2年目は,嫌味を言う教師の役をやらされた(一体僕は,クラスのみんなからどう思われていたんだろう>Maoxilian).3年目に一転してシリアス
に「12人の怒れる男」を上演した時は,裏方になってしまった.
なんだか少し懐かしい気持ちになった.
* 「コミュニケーションの頻度は,親友であるか否かには関係ない気がする」というのは、言えている。わたしの心親しい友達には、まだ電子メディアと無縁
なのが何人もいる。遠く離れていればコミュニケーションは現実にめったにない。
頻繁にメールをやりとりしていた人たちも、わたしは少しずつ意識的に減らしてきた。義務か日課のように書かれてくるメールは、がどうしても空疎になる。
書かずにおれず、また読んで嬉しい嬉しいメールを「交わす」のが、いい。そういうメールなら、逆に言うと、毎日でも、日に何度でも、嬉しいということにな
る。ハイさよならと言われた場合は別にしても、メールが遠のいているから気も疎くなる、ということは少なくもわたしからは無い。本来そんなことは、無関
係。
* 一昨十三日、パトリシア・マキリップ『イルスの竪琴』の第一巻『THE RIDDLE-MASTER OF HED =
星を帯びし者』を原作本で読み上げた。脇明子の訳本で三百頁以上ある。いつ読み始めたか忘れているが、ほぼ一夜も欠かさず、何冊もの読書のしめくくりに、
この英語を少しずつ楽しんできた。訳本で何度も読んでおり、ストーリーは頭に入っているが、細部の言語的な感銘は原作を逐一読み通してゆくことで、もっと
深く密着でき、おどろきも、発見も納得もやはり原作の表現にはすごみがある。
ヘドのモルゴンは、ついにエーレンスターの奥山に「HIGH
ONE」を尋ね、その玉座に、見てはならない顔をみつけて、世界もくつがえすほどの「シャウト=叫び」を放つ。深夜についにそこへわたしもたどり着き、モ
ルゴンの叫びを聴いた。
第二巻を昨夜から読み始めた。
* 五月十六日 水
* 昨日、衝突で傷めた自転車を、修理のため、傷めたまま乗って自転車屋に。二時間ほどで修理終えたと電話が来た。わたしの自転車は郵便配達用ともいわれ
る頑強な車体で、安心感あり、車体には致命的な破損がないので、そのまま生かして故障部分を点検・回復してもらった。しめて一万一千円。快適。
自転車に乗って走ることでは脚にみじん負担がかからず、痛みも無く、らくらく走れる。ところが、歩行だと相変わらず右ふくらはぎに苦痛が来る。どうして
も、びっこをひく。
しかしもう痛みそのものに慣れ、どこまで堪えられるかもわかるので、なるべく痛みは痛みとして殺して、普通に歩いてみる。出来るときも出来ないときもあ
るが。
「笠」さんに教えられたように、起立姿勢や椅子の腰掛け時間が長いと、下肢に鬱血ないし血滞がくるのだろう、脚を水平にあげているとすこし回復する。寝
起きの朝は、忘れるほど軽くなっているが、しばらくすると痛みがもどる。電車に乗って、空いていると、右脚を座席から水平にあげている、と、足首が熱いほ
ど温まってきて、ふくらはぎの違和感がややうすれる。歩き出せば、また痛み出す。
ところが自転車だとどうもない。平穏無事。とはいえ、もし何かのはずみで不自然に脚に咄嗟に力が入ると、痙攣のおそれは十分ある。痙攣すると乗車姿勢も
保てず転倒するしかない、それほど攣縮の痛みはきつい。危険。
郵便局へ行くのがわたしの大事な用のひとつだが、坂道の往復で、歩くには負担。だが、自転車なららくに数分でポストへ往来できる。気は、つけなくちゃ。
* 『太平記』を読んでいた数日前、「一事一会」の四文字に出会った。注はなく、現代語に訳してある部分をみると、ごく生活的なその文字通りの意味に訳し
てあった。事も出来事、会もいわば会合。会得するの「会」ではなかったし、「一期」という背景も感じられなかった。もちろん、太平記は堺の茶人武野紹鴎ら
の時代に相当先行している。この四文字を念頭に、禅に接していたのちの紹鴎や山上宗二ら茶人たちが「一期一碗」と言いはじめたのか、さらに時代がくだって
井伊直弼の「一期一会」に達したかどうか。注目していい。
* 「ペン電子文藝館」の委員会は、つまり委員には作品の「校正」という作業をしてもらっている。さぞイヤで渋々かなあと思っていたが、みながみなそうで
もないらしく、ありがたくもホッともする。掲示された作品の校正より、わたしがしてきたような原作をスキャンしてそれを正確に校正しておくという、第一次
作業はもっと厳しく苦痛に近かった。だが誰かがそれを責任を持ってきちんとやらないと、原作は損なうし読者にも迷惑を掛ける。
それはそうとしても、ペンの委員会の「委員という地位」は、意外に委員たちに好まれている。委員自体をやめたいと申し出た人に、わたしは過去二三人しか
出会わない。むしろ任期満了そして新体制にかわるとき、ほとんどどの委員も当然そのまま留任と思いこんでいるほど。それで、新人気の始まるとき毎回のよう
に各委員会で揉め事がおきるという。前回理事会で専務理事から、任期満了とはとにかくいったん「総辞職の意味」だと周知願うと珍しい通達があった。新委員
は、委員長権限で新たに人選する建前なのだから分かって欲しいという趣旨。当然のこと。
「仲良しクラブ」のように惰性的になって、委員会の精神も活動の実質も停滞してしまった例も、現にあった、あると聞いている。仕事をきちっとしてくださ
る委員がどんなに委員長は有りがたいか、わたしは多年体験した。活性化に工夫がいつも必要、それで当たり前の委員会なのである。働かずに楽しんでいる委員
は、原則、不要である。もう、わたし自身も不要の時機に来ている。
* 遠来の客と、ずいぶん話した、食事もして。谷崎潤一郎と「母」の話に話題が集まった。谷崎の母は美人番付の大関か関脇かという人であった。谷崎はこの
現実の母と、美的観念としての「母」とをもっていたとわたしは思う。後者の「母」の源泉は、祖父が信仰していたロシア正教の、イコンに描かれていた「白い
肌のマリア」像であった、とわたしは思っている。谷崎はその絵像を憧れと畏怖のまなざしとで少年の頃眺めていた。しかもその「母」をインセストとのからみ
で眺めて「夢の浮橋」に至ったには、源氏物語体験がやはり決定的に大きい、重い。
* 脚はややひきずるように庇い脚で歩き、痛みも重さもあったけれど、ほぼ半日の外出にきつい支障なく、痙攣もかすかに一度右脚の太ももに感じただけ。よ
かった
☆ 仏蘭西の野は火の色す… ゆめ
立川・昭和公園まで初夏の花をみに出かけました。広大な地にオレンジ色のポピーや紫のルピナス、赤いアネモネなどが一斉に咲き誇り、素晴らしい眺めでし
た。風の強い日で、少し喉の調子が悪いな、と思っていたら、てきめんに翌日から風邪気味になってしまいました。
* 五月十七日 木
* 右のふくらはぎを撫で撫で、痛みをなだめすかして、椅子に腰掛けている。椅子の暮らしのよくないのは、座席の前枠が太ももの同じところにいつも当た
り、そこで何かしら血滞させそうなこと。すくなくも同じ坐姿で長時間居ると、枠に当たった部分が痛みを覚え込んで忘れてくれない。「挫」という文字の、痛
みを食い込んでいる意味が思われる。
* 心嬉しいことがあった。
医学書院時代の後輩で、わたしのデスクに配属されてきた同僚中島信也君、筆名小鷹信光君が大著『ハードボイルドと私』で評論部門の推理作家協会賞を受け
ていた。新聞で見つけた。この著は十分それに値すると、もらったときすでに独り思っていたが、適切に実現した。推理作家協会というのはわたしには無縁世界
だが、知人には大勢会員がいる。我が息子の秦建日子も現にそうであるらしいが、ペンの同僚の阿刀田氏も猪瀬氏も此の本に名前の見えていた権田萬治氏も、そ
の他大勢が入っている。ま、仲間内、内輪の賞といえども、心ゆく心嬉しい受賞の報に胸が温かい。
* この日頃を毎日のように心地温かにしてくれるのが、ハーバードのラボに籍を置いた最先端生物学の研究者である「雄」クンの日記であることは、もう言う
までもない。いつも、わたしが独占していたくない心境で、ここに再録をゆるしてもらっている。一つには、彼に早く……、と。いやお節介か。
☆ 研究を取るか,恋愛を取るか ボストン 雄
今日は週に一度のプログレスレポートの日.担当はポルトガル出身のポスドクの、M.
実は昨日まで知らなかったのだが,ミゲルは来月中にラボを去り,彼女が住むドイツに行くのだという.Mは,このラボでは3番目に新しいポスドクなので,
びっくりした.まだ2年も経っていないのではないだろうか.
もともと,ボストンに来る前,Mはドイツでポスドクをしていた.その頃に知り合ったのかどうかは定かでないが,彼女もボストンにしばらく居たようだか
ら,先に帰った彼女を追いかけるように,Mもドイツに戻るのだろう.
このラボを辞めるだけでなく,なんとサイエンスそのものも辞めるらしい.ドイツでは,コンピューターのソフトウェアの会社に就職するという.
Mがこのラボでやっていたのは,新しい顕微鏡の開発だった.そのため,彼には個人の部屋が与えられ,その部屋には最新鋭の機器が数多く揃えられていた.
彼が使ったお金だけで,1億円は下らないだろう.しかも,まだその顕微鏡は完成していない.全く新しい原理の顕微鏡ならば話は分かるのだが,彼が作ってい
たのは,既に論文になっている顕微鏡だ.
そんなこともあって,うちのラボの中には,彼のことを面白くなく思っていた人は少なくなかった.中でも,顕微鏡のエキスパートとしてラボに雇われている
Sは相当面白くないらしく,「彼は結局,ラボで一番高いオモチャが欲しいだけなんだよ」と陰口をきいていた.
今日のプログレスレポートは,さすがにテンションも低く,未完成のままであることを申し訳なさそうに話していた(ように見えた).
2,3週間前からサバティカルとしてドイツからやって来て,プログレスレポートだけウチのラボに参加しているTBは,実はMの元ボスでもある.前のラボ
にいた頃,MはTBと折り合いが悪く,それでボストンに移ってきたのだった.きっとTBは今日のプログレスレポートには来ないだろうと思っていたが,定時
きっかりに現れたのには驚いた.
そしてTBは,ミゲルが話しているのを時々止めては,えぐるように辛らつな質問を浴びせかけていた.最初はそれなりに答えていたミゲルだったが,途中か
らは質問を遮るように話し続けたり,質問に答える場合でも,真正面からではなく,かわすような回答しかしなくなった.正直言って,参加しているのが嫌にな
るプログレスレポートだった.
ただでさえ,今後使えるようになる見込みの全くない顕微鏡の作製過程など,聞きたくはない.いつもよりは短めの,1時間弱のプログレスレポートだった
が,もううんざりだった.
別に,Mを責めるつもりはない.確かに,高額の機器を買い漁った挙句,作り上げもしないで,彼女がドイツに戻ったからといって投げ出していくのは,身勝
手なように僕には思える.ただ,彼をラボに受け入れ,それらの機器を買うことを承諾してきたのだから,ボスにも責任はある.
むしろ,僕にとって驚きなのは,彼女がドイツにいるからといって,ラボもサイエンスも辞めてしまうということだ.
ボスの移籍により,ラボそのものが引っ越すというケースは,日本にも海外にも多く見られる.その際に,彼または彼女がいるので,ボスに付いて移籍するこ
とはせず,他のラボを探すという人は,実は少なからずいる.日本でも最近は,かなり多く見られるようになってきている.普通の会社でも,こういうのは今や
当たり前なのだろうか? そして,あくまでも個人的な印象だが,女性よりもむしろ男の方が,そうした傾向が強まっている気がする.
まあ,確かに彼女(または彼)はこの世でたった一人の存在だが,同じようなことを研究しているラボは世界にゴマンとある,と言われれば,そうかもしれな
い.
ただ,僕には,それだとなんとなく,科学に対して不誠実なような気がしてしまう.
「もともと,そのラボがあまり好きではなかった」というのならば理解できるのだが,本当に自分のやりたいことをやれるラボであれば,もし自分ならば,た
とえ一時的に遠距離恋愛になったとしても,相手には誠意をもって説得した上でラボに残り,なるべく早いうちに遠距離恋愛ではなくなるように行動すると思う
のだ.
愛知にいた頃,やはり恋愛を優先してラボを移籍した人が身近にいて,そんな話題が上った時に,上記の自説を主張したところ,隣のラボの技官さんに、
「そんなことを言ってるから,先生はいまだに独身なんですよ」と一蹴されてしまった.まあ,そうかもしれません.
* コメント 05月16日 湖
理系の研究機構にいる研究者には、切実な、いつになってもキツイ話題・問題ですね。よそながら身につまされます。
幸運、天の配剤を何よりあなたのために切望しています。
この問題でわたしはあなたに、あまり大きな顔は出来ないんですよ、自然科学ならぬ哲学・美学の院を見限って、妻に成る人といっしょに京都を捨て、東京に
駆け落ちしましたからね。念願の、創作人生に出会えましたけれども。そのおかげで、あなたがたとも出会えた、幸せでしたよ。 湖
☆ コメント 雄
湖さん,コメント有難うございます.
いえ,そういうことではなく,結局どのような選択肢を取るかで,その人の価値観が現れるように思うのです.先生の場合,いずれの選択肢を選んだにせよ,
最終的に幸せな人生を歩むことができたというのは素晴らしいことだと思います.
ちなみに,上の文章を自分で書いておきながら,少なからず違和感を感じていました.そして気づいたのですが,研究室の移籍云々や会社に関しては,科学
(または仕事)への誠実さ云々よりも,ボスや会社に対しての忠誠心が大きく反映される気がします.そういう意味では,あまり良いたとえではなかったかもし
れません.ボスへの忠誠心云々は僕にとって,それほど大きい問題ではなく,恋愛相手を選ぶのはむしろ自然なことかもしれません.特に,既に相手がいて移籍
先を選ぶ場合,お互いの興味を反映させつつ,最良の移籍先を探すというのはよくあることです.
確かにおっしゃるように,研究者どうしのカップルの場合,お互いにとって最良の行き先を選ぶということは非常に重要であり,かつ難しい問題でもありま
す.
* 天の配剤を祈る気持ち、それだけがある、わたしには。山之口貘の「求婚の広告」を彼がしているとは思わないが、その詩と詩集『思弁の苑』に佐藤春夫が
附した序詞に、「枝に鳴る風見たいに自然だ しみじみと生活の季節を示し 単純で深味のあるものと思ふ 誰か女房になつてやる奴はゐないか」とある。もう
一度「雄」くんに代わり貘のその詩をかかげてみる。お節介を怒るなよ、雄。
☆ 求婚の広告(1938) 山之口 獏
一日もはやく私は結婚したいのです
結婚さへすれば
私は人一倍生きてゐたくなるでせう
かやうに私は面白い男であると私もおもふのです
面白い男と面白く暮したくなつて
私ををつとにしたくなつて
せんちめんたるになつてゐる女はそこらにゐませんか
さつさと来て呉れませんか女よ
見えもしない風を見でゐるかのやうに
どの女があなたであるかは知らないが
あなたを
私は待ち佗びてゐるのです
* おそらく最高度ないし最先端の研究に従事しているラボの、ほんのかすかな一端を覗き見るおもしろさ。逆立ちしても現実のわたしは其処へ歩いては行けな
いのだから。だからといって無縁だとは思わない。わたしの学生が現にそこで生きている、一人の若い男として。
今朝のその男の日記も見過ごせぬおもしろさで、わたしの機械にとびこんできた。
☆ 衣替え ボストン 雄
この週末に夏物の服を買った.昨日から半袖のポロシャツで過ごしている.昨日の朝,天気予報を見ると,華氏81度まで気温が上がるとのことだったので,
これは半袖でなくては,と思って着たのだったが,アパートを一歩出た瞬間,後悔した.
涼しいというよりも,寒い.周りを見渡しても,半袖の人など誰もおらず,ジャンパーを羽織っている人さえ見かける.しかし,引き返すとプログレスレポー
トに遅れてしまうので,やむなくそのまま家を出た.
朝は後悔したものの,昼になって予報が正しかったことを知る.半袖でちょうど良い.ポロシャツは,日本ではほとんど着たことがなかったのだが,皆が似
合っていると褒めてくれてホッとする.
一日の中での寒暖の差が烈しい.朝晩は冷え込むが,昼は暑い.
加えて問題なのが,華氏の計算に慣れていないこと.計算に慣れていないので,当然ながら感覚的にも慣れない.温度を聞いても,暖かいのか寒いのか,実感
が湧かない.
華氏の温度から32度を引いて5を掛け,9で割ると摂氏になるのだが,暗算能力が確実に低下していて,なんと32を引くところで,既に躓いてしまう.脳
の中に汚れが溜まっているような気持ちになる.
ところで,全くどうでも良いことなのだが,ポロシャツの裾はズボンの中にしまうのが良いのか,それとも出すべきなのだろうか.
おそらく,外に出す人が(特に若者は)多いと思うのだが,アメリカではズボンの中にしまう人が多いように思う.Tシャツの裾をズボンの中に入れる人さえ
いる.
僕もさすがにTシャツの裾はズボンの中に入れないけれど,ワイシャツっぽいものの時は入れることが多い.体型のせいか,ズボンの外に裾を出すと,東南ア
ジアの民族衣装のようになってしまうからだ.やっぱり外に出した方が良いのかなと思って,一時期外に出していたこともあるのだが,他所のラボの秘書さんか
ら
「(太って)入らなくなったんですか?」
と言われて以来,意地でも入れない.
確かに少し前までは,若者は皆,シャツの裾をズボンの外に出していた気がするのだが,数年前から,東京ではそうでもなくなっている気がする.たまに東京
に帰ると,裾を仕舞っている若者(といっても,僕と同じ位の世代だが)を見かける頻度が増えてきた気がする.むしろ地方に行けば行くほど,裾を仕舞ってい
るとかっこ悪いといって笑われた.
ポロシャツの場合はどうなのだろうか.アメリカだと,僕がざっと見る限り,7割位の人が中に仕舞っている.日本では出している人がほとんどだったと思う
のだけれど.
ファッションのことに全く疎い。気になってしまう.
* 大いに笑う。ハハハ
☆ おはようございます、風 花
雨が小降りになりました。東京はいかがですか。
お変わりないですか、風。脚は、いかが。
昨夜ソファでひと眠りしてから、深夜にムクッと起き出して、お風呂に入り、二時半頃床に入りました。
まだちょっと眠いなー、という感じです。
燃えるゴミの日でしたので、雨の中、早いうちにステーションまで行って来ましたよ。
新しい玄関に、傘立てがほしいなあ、と思いました。
風もメールくださいね。
* 世情や政治や政治家に索然・殺伐とした気分にさせられるとき、わたしはこういう男女を問わない「恋文」たちに癒される。「私語」の「闇」ならではの安
息である。
* 五月十七日 つづき
* 新橋演舞場の夜の部を楽しんできた。演舞場真ん前の「笹巻き鮨」を買って入ったのが正解、魚も鮨飯もうまく、椎茸や筍の鮨もうまく、笹の香も。街へ出
たら少し脚をのばしても買って帰りたいほど。
* 花道にまぢかい通路右脇、前から五列め。花道芝居の多い出し物で、絶好、高麗屋に感謝。
その染五郎、「三笠山御殿の場」では求女実は藤原淡海という典型的な美貌の二枚目だが、声がつぶれていて、これで女形はどうなるかと心配した。役者が声
をつぶしていてはどうにもならない。
この芝居は、杉酒屋娘お三輪のための舞台。福助は、御殿女中たちにいじめられる可憐な娘から、恨みへ、そして吉右衛門の漁師鱶七じつは鎌足家来の金輪五
郎に刺し抜かれて死んでゆこうとする憤怒、それも一転して己が死の恋人求女に対する献身になると知った歓喜と愛恋を、瀕死のまま動的に演じ通した。わたし
は要所で役者の眼の奥までのぞきこむが、福助はビクともせず美しい強い表情をうかべてお三輪になりきり、心事の流れを違乱なく表現し死んでいった。福助、
大きな眼も生き生き光らせるが、きれいな両手の指の先まで魅力的に使える役者で、そんなところを見ているだけでも芝居が楽しめる。
福助と比べると、気の毒だが高麗蔵の橘姫は、人によれば美しいとみるだろうが、覚えた型芝居を着々と手続き通りにやっているだけ、その表情も眼の奥まで
も、要するに役者高麗蔵でしかない。高麗蔵のどの芝居も、いつもそう。これを内面へまで充実させないと便利な中どころで老けていってしまう。身動きのかす
かな硬さもその辺が影響している。
吉右衛門は可も不可もなし。
* 次の「法界坊」はいかに吉右衛門が名優でも、ちょっと期待薄であった。平成中村座の当時勘九郎、いま勘三郎の、串田和美演出で超大樽の底をぶち抜いた
ような怪演のおもしろさが、まだ、生々しい。その潜入見が底流しているだけに、顔ぶれは揃えていたけれど芝雀の娘おくみもいまいち柄が大きすぎたし、美し
いはすてきに美しい染五郎の野分姫がガラガラ声のつや消しで容易に盛り上がらない。
吉右衛門はさすがにしどころ面白く演じてくれたが、「藝」で歩留まりのおもしろさ。勘三郎だと、生のままの法界坊が目の前で天成のやんちゃくちゃをし放
題で、呆れかえらせるおもしろさだった。せっかく富十郎が舞台を抑えてくれても、活溌溌地の熱気の舞台に燃えてゆかなかった。
* だが大切り趣向の所作事「双面水照月」では、染五郎が立派に「法界坊の幽霊」と「野分姫の怨霊」とを演じ分けて、芝雀のむすめおくみと、錦之助の手代
要助、実は吉田松若丸の相惚れの道行を、さんざんに悩ませた。法界坊のは逆恨みにすぎないが、その法界坊に殺された野分姫はじつははるばる都から尋ねてき
た松若丸の許嫁で、おくみとの恋のさやあてもあった間柄、怨霊になるのもムリない。染五郎はここではあんまり喋らなくて済む役ゆえ、われわれもしらけるこ
と少なく、熱演に拍手を惜しまなかった。だが、なぜだかこのところ、染五郎のこういうきわどい役にばかり数多く出会ってきたなあと思う。彼が堂々弁慶をみ
せてくれる日まで元気でいたい。
この大切りでも、福助の渡し守おしづが、見せた。すっきりと丈高く、舞台を本当に魅力的にしたのは福助が芯にいたからだ。他の役者の所作に眼をそそいで
いても、それがそのままおしずの役どころで、不行儀の揺らぎがない。伸びてゆく大名題の誇らしいほどの充実に感銘を受けた。
今一人、新・錦之助の求女・松若丸が、後半へ行くほどに、そして花道に芝雀と立つほどに、もの柔らかな感性の素直なよさをみせ、貴重な存在にますます
成ってゆくだろう嬉しさを覚えた。
* タクシーで銀座一丁目まで行き、有楽町線で一気に保谷へ帰った。脚の痛みが行きより帰りは倍加していた。ほとんどかすかにびっこを引いて歩いた。それ
にも慣れてゆく。
☆ 美ら島ぬ軍艦 maokat
いまから六十二年前の今日、沖縄では首里城の西方で旧日本軍と米海兵隊軍がシュガーローフという丘をめぐる激しい攻防戦を戦い、旧日本軍の防衛線が破ら
れた。
美しい東シナ海には、米第六海兵師団の軍艦が所狭しと列び、地形が変わるほどの艦砲射撃を行った。
破れた旧日本軍は首里城を捨て南部へ退却を始める。置き去りにされた住民のうち三人に一人が命を失っている。祖父祖母、親兄弟、妻、夫、恋人、身近に悲
惨な死を見た沖縄県民にとって、六十年前の記憶はまだ生々しいものだ。
防衛省は、米軍基地移設予定地で反対派住民が行っている妨害行為を排除するため、掃海母艦「ぶんご」を沖縄に派遣した。
防衛「庁」が防衛「省」になってまだ半年も経っていないのに、もう、こういうことをする。沖縄に暮らす人にとっては、まさに悪夢の再来。無神経も甚だし
い。というよりも、こういう無感覚な人間が「軍事」を操っていることを心底恐れる。
六十年前は敵国の軍艦がやって来た。しかし今度は「自国」の軍艦が意にそわぬ者の制圧にやってくる。それも、沖縄が日本に復帰した三十五周年記念日の、
三日後。
六十年前の「軍」は住民を置き去りにして逃げた。今は自国民を標的にして向かって来ている。
もしかしたら防衛相は、沖縄県民を「自国民」とは思っていないのか? 同じことを、よもや大臣地元の佐世保や、首都圏の横須賀ではできないだろうから。
沈黙している在京メディアもなさけない。
一体沖縄県民にとってこの「六十年は何だった」というのだろうか。
* 胸を鳴らす。ふつふつと怒りがわく。
* 築地へ行きも帰りも、妻をとなりに座らせたまま、わたしは『フランス革命』に読みふけってきた。
なんという政治のエネルギー。国民の意思の多様にして激しく危うく強烈なこと。感動に息が詰まってくるのを、わたしはせっせせっせと赤い傍線を引きまく
ることで沈静させながら、感動する。右往左往する知識人たち。限界があり変節もあり、たしかに「自分でけしかけた大牛が、角を振り立ててこっちへ走ってく
るのに慌てる」ような有様もあり、シエースもミラボーも、ラファイエットも、自分の目的をすでに果たして以降の革命の進展に振り回されてゆく。不徹底も撞
着もあり、過激な制御不能も突発してくる。
だが、なんとこの革命の展開の「必然」でみごとなこと。わたしは、かれらが掲げた「憲法」の精神が、日本国憲法にも生き生き伝えられている真実に、心新
たに感銘を受ける。アメリカの建国もフランスの革命にも、政治と人間の「理想」はうたわれていて、その価値は金無垢。その金無垢の理想を日本の憲法が、た
とえ産婆役のよき示唆によったにせよ、受け継いでいて何がおかしいか、誇ってこそいいのである。
その理想の根本は人間の尊厳をまもるにたる「基本的人権の永久の確立」ではなかったか。今の日本の政治家は、これを蹂躙し足蹴にして、いわば第三身分の
国民・私民の尊厳を奪い取り続けている。
安倍総理と内閣との、好戦志向の欺瞞・高圧政治を、わたしは憎悪する。
* 朝いちばんに「珠」さんのメッセージ、という連絡が「mixi」からあって、開いたが何もなかった。問い合わせのメールを返しておいて、演舞場へ出か
けた。出かける直前に沛然と雨、そして雷。それがウソのように晴れたところで出かけられた。
☆ 湖へ 私、不快には思っていませんよ、大丈夫。
私語への転載不可の場合には、ちゃんと書きます。また書き忘れたとして載っても、それは私によるもの、、、湖に送ったものは、どうされようと湖の心のま
まに、おまかせしてます。気にかけて下さったお気持ち、それは嬉しく頂きますが。
以前もメッセージ゙の件、同じような事があったように思い出されます。私、削除も何も先日お送りしたメッセージ以後、誰にも、何も、メッセージを書
いていないのです。機械の悪戯でしょうか。でも、機械にもご機嫌含め、ある種怖いような意思を感じる時があります。
先日のメッセージ゙の掲載は、ある意味、間違いなく珠の嘆きを和らげて下さいました。心の中に満ちた水が、今まさにこぼれようとしている時でした。豊か
な生活感に満ちたボストンの「雄」さんの文章や、若いお父さんの描く息子さんとの一ッ時などの文章に囲まれて、珠の中へ中へと蠢くその気配は、なんと珠は
我が身ばかりを見ているのかと、ぞっとしたのです。
繰り返し湖の「私語」を眺めつつ、穏やかに沈透(しづ)かになってゆく自分を感じていました。今の一時的でも穏やかな時間は、湖によってもたらされまし
た。お礼、、というのもと思っていた矢先の、今日のメールです。私としては雷神さんのお取り計らいと思います。
湖、ありがとう。
大事に、足の声を聞いて、労って。
雷神さんと、湖に、心謝。
* つい今し方帰宅。脚、痛みましたが、びっこをひきながらも曲がりなりに痛みこらえて歩けます。
憤激した「珠」の罵詈を食いそうな恐怖を覚えていた、わけではないんですが、もしそうなら言うてもいいなと想っていたところを、「珠」が正確にふまえて
いてくれたと分かり、感謝しています。よかった。
「珠」は、もう少し広い場所へ視野をつくって、優しい柔らかい自身を発見して好いはずだと思ってきました。そしてそういう気持ちが「珠」の作文をいます
こし具体的にヴィヴィッドにしながら、「珠」自身がよろこび「人」も心嬉しいような表白が可能になりますようにと。
このメッセージは、そういう「珠」のはずみがみえて楽しい。感謝。人が「珠」の書くものに思わず胸が開かれるように。それは好い「魂の看護」にむすびつ
くはずと。
それにしても 「珠」さんからのメッセージという事務局通知は、虚報であったにしても、このメッセージに繋がったのだから、「湖」は嬉しく。
☆ ありがとう、湖。 珠
心にふわっと漣たったように、言葉がやってきました。
ころころと好い音のする珠になりたいな。湖は珠を映してくれる鏡のよう、、深謝。
足、お大事に。 くれぐれも、無理せずに。
* ま、こういう声が時に往来しても好い。いろいろに見え、見えている世界。こわばりを脱ぎ捨てると、世界がきらきらし始める。「珠」などと名付けたこと
がちゃんと役に立っているか。
さらに一つ、見過ごせないメール。夫君はわたしの中学、高校の同級生。夫妻ともに、京大卒。
☆ <研究をとるか、恋愛をとるか> 藤
秦恒平さま
ご無沙汰しているうちに季節はどんどん移り変わりましたが、お陰様で一同かわりなく過ごしております。
湖の本、有難うございました。
私は和歌・短歌・俳句などさっぱり素養がないのですが、気持ちを惹かれたページから順不同で読ませていただいています。
何故か斎藤史さんの歌に惹かれます。
HPの方はせっせと拝読しています。
ボストンの「雄」さんの日記のからの引用では、その昔研究者を夢見た私としては、最新の研究内容の気配が興味深く、暮らしのご様子も楽しく読ませていた
だいています。
ボストンの街には昔二日間ほど滞在し、川をはさんだハーバードとMITを、あこがれの眼差しで眺めたものです。クラムチャウダーを食べました。
当時私たち家族はカリフォルニアにいて、夫の仕事出張にくっついて行き、5才の息子を公園で遊ばせて仕事が終わるまでの時間をつぶしたり。
今回面白かったのは、<研究をとるか、恋愛をとるか>という永遠の大テーマ? への「雄」さん、「M」さん、秦さんそれぞれの考え方、行動、感想です。
私もそこへ(女の立場から)割り込ませていただいて良いでしょうか?
夫は思いだしたように
「僕なんかと結婚せんとあのまま大学にいて学位取ったら良かったのに」とか
「(家に留めてしまって)かわいそなことしたなあ、後悔していないか?」などと、私に聞くのです。
「別にぃ---それに、後悔したとしてもあんたのせいやないし。自分で考え、自分で決めたことなんやから」と、私は答えます。
現代の、或いは他の女性はどうお考えになるかは知らないけれど、少なくとも私は、自分のために男がこれと決めた仕事を変えたりして欲しくなかった、だか
ら自分がついて行くか、ついて行かないか、の問題でしかなかった、”女のために進路を変えるような男”に、私は魅力を感じなかった。というと、えらいカッ
コエエけど、本当は私が単に ”男に弱い根性なし” だったのかも。
と言う訳で、私は今風に言えば ”自分のキャリアを捨てて” ほいほいと、なんちゅうことない男に、ついていったのであります。
その男は原子力発電に夢をかけていて、私も一緒に同じ夢を見ることにしました。
たまたま私の父が当時の京大工学部長と中学時代の友達だったので、
「一人娘がかくかくの会社の男と結婚し東海村へ行くと言ってるがどないしたもんやろ」と相談したら、
「あの会社は三日でつぶれるかもしれん。大事な娘さんをドブにほかすようなもんやで。別の婿さんさがしてやろか?」といわれたそうな。
その ”三日で潰れるやも知れぬ会社” が、この秋、創立50周年を迎えることになりました。
私たちが結婚した45年程前は、原子力は「未来の希望のエネルギー」でした。
商業用一号炉の完成から終焉までを見届け、いくつかの現在も稼働中の発電所を作り、逆風にあったり、又ちょっと見直されたり---海辺の建設現場や、海
外やらを転々としでも新しい技術で新しいものを作る仕事は楽しかったです。
夫婦で同じ夢を見るは良いものです。
きっと秦さんご夫婦もそうであり、奥様は私と同じ事をおっしゃるのではないでしょうか。
「雄」さんが良きパートナーにめぐりあわれるのを祈っています。
今にして思うのは、女が男に合わすのでも、男が女に合わすのでも、どっちも合わしたりしなくても、どの生き方でも二人にとって一番良いと思えれば
それで良いのではないでしょうか。
ちなみに長男は連れ合いに合わす生き方をして、二人はとても幸せそうです。
来週日帰りで京都へ行く予定、なんとなくわくわくしています。 2007/5/17
* 五月十八日 金
* 学校で教師が生徒に日本の「憲法」について授業すると、当局に注意ないし警告ないし禁止されるという実例を、新聞は報じている。これはもう「現代先進
国家」という資格からの転落ではないか。
国家公務員こそ現行憲法への忠実と誠意とを誓約しているのではないのか。小泉・安倍内閣の、いや中曽根内閣の頃からの「国賊的な政治」の行方が露骨に露
骨になっている。
国民は多くの情報を手にすることは、当局と比してきわめてきわめて難しいが、それだけに恐れず直観を、勘を、洞察を働かせる訓練が必要だ。
* フランス革命の早い時期に、これぞ「すべて」といわれた、「第三身分=国民」主導の立憲国民議会が、憲法の前文に相当する「人権宣言 人間および市民
の権利宣言」で確認した、第一条は「権利の平等」であった。第二条は「自由、所有権、安全、圧政への抵抗」であった。第三条では「主権在民の原理」が確
認・規定され、全十七箇条の基本はこの三箇条に要約されていると、京大教授であった桑原武夫は言い、「これはあらゆる近代的憲法の源流をなすものであっ
て、近代社会創出の基本原理となった。そしてこれは、一九四七年に制定されたわが日本国憲法にまで継承されている」と確言している。源流の理想を認めて汲
んで誇って、何が恥ずかしいか。示唆してくれたアメリカに感謝してもいいが、押しつけられた云々の言いぐさは、本筋をあまりに逸れている。
上の三箇条に「戦争放棄」が加わっていることを、われわれは世界史の前に誇って好いのであり、死の商人、死の政治家たちの餌食にまたまたならないよう
に、「圧政への抵抗」精神を、実践へ、とわたしは願う。
* わたしは十分心して、バグワンのこういう言葉に聴いている。
「実際のところ 知識を通して知覚する場合には 正しく知覚しているとは言えない あらゆる知識はさまざまな投影を生む 知識というのは偏見だ 知識と
いうのは先入観だ 知識というのは断定だ おまえはその中にはいって行きもせずに結論をくだしてしまっている」。
「知識は過去からしか来ない」とも。
それでもなお、わたしは歴史は軽視しない、過去にとらわれなくても。
☆ 「求婚の広告」 ボストン 雄
秦先生,いつも日記を読んでくださり,有難うございます.先生の「私語」のスペースを奪ってしまい,読者の皆様のお怒りを買ってはいないか,少々不安で
はあります.是非,先生の「私語」も今までどおりお書き頂き,僕達を愉しませて下さい.よろしくお願い致します.
さて,ホームページにも載っていた山之口獏の詩ですが,面白いのを通り越して,笑えないのも確かです(面白いですけど).特に最近,まさに同じような気
分でして,図星を指された心地です.
おっしゃるとおり,なんとかしないといけないのです.それはもう,大分前から,そう思っているのですね.しかし,中々思うようには行かないものです.
そもそも,東京から愛知に移った時もそうですが,今回ボストンに移ったことで,確実に出会いのチャンスは減っています.別に日本人に限る必要はないので
しょうけど,外国人の場合,言葉の問題,恋愛・結婚への考え方,そして首尾よくいった場合でも,どちらの国に残るのか,など,どうしてもハードルは高く
なっていきます.
自分は結婚しない方向へ方向へと,ひたすら向かっているのではとさえ思ってしまいます.
僕の勝手な感想かもしれないですが,少なくとも僕の周りにいる(もしくは,いた)女性は,30代前半までは,「私は家事もするつもりは一切ないし,
仕事で離れ離れになるかもしれないけど,それでもよければ結婚してあげてもいいわよ」というスタンスの人が多かったです.
いまどき,家事を一方的に女性に押し付ける男というのは結婚できそうにないと僕も思いますが,かといって,家事を全面的に引き受けさせられるのも嫌なの
です.
そうでなくなるのは,年齢的な問題もあるのか,あるいは世代での考え方の違いなのか,40代以上の女性ということになるようです.
おそらく,そうでない方も数多くおられるのでしょう.僕の周りに,たまたまいないだけなのでしょう.
「見えもしない風を見でゐるかのやうに
どの女があなたであるかは知らないが
あなたを
私は待ち佗びてゐるのです」
という箇所が,特にこたえます.
なんとかしないといけないのですけど,本当に,今は完全に白紙状態です.
* むかし、結婚を「科学」に喩えて所見を東工大学生たちに求めたことがある。多彩に「学問」の名がもちだされ、その理由がそれぞれにお見事で、ときにお
見事すぎるのにも遭遇した。
面白いことに「経済学」にこと寄せて結婚を語ってきたのはおおかた女性で、その一人など、結婚相手になりうる男性のために詳細な「採点」項目を所持して
おり、「総得点」の多い方のを選ぶつもりですと書いていたのには降参した。男性の回答は内容豊富だが、ロマンティックに結婚を想い描いていて、すこし心配
したが。
作家角田光代がわたしの教室にいた頃の早稲田文芸科で、学生に、年に五十枚、二十枚、五枚の小説を書かせて批評していた。角田さんもそうして前へと背を
押したのだった。
男女半々ぐらい学生がいて、読んでみる小説からの総括の印象は、「男は坊ちゃん、女は猛獣(けもの)」という、そんなことはそれまで夢にも想わなかった
実感だった。むろん例外はありましたが。
* これまた此処へ載せずにおれない内容。わたしは、こういう話がチンプンカンプンでも、好き。ヘエッと感嘆させられる話につい敬意が行く。
☆ セミナーはこうありたい ハーバード 雄
(昨日の)昼には,一昨日の日記にも登場した,ドイツからサバティカルで来ているTBのセミナーがあった.さすがに超有名教授だけあって,いつもは半分
も埋まればよい講堂が,ほぼ満席となった.
テーマは「活動依存的な神経回路網形成」.
いわゆる普通の電気回路の場合は,色々な部品を導線でハンダ付けしていき,最終的に出来てからスイッチをONにするが,脳は違う.
脳の場合は,始めから,一つ一つの部品(細胞)に電気が流れている.そのうち,よく電気が流れる細胞どうしの継ぎ目(シナプス)は残し,電気が流れにく
いシナプスは間引かれていくことで,最終的な回路が完成する.これが「活動依存的な回路網形成」な訳だが,どうやって,よく使われるシナプスだけが残され
て,使われないシナプスが間引かれるのかの仕組みは良く分かっていない.
実は,僕自身の課題がまさにこれで,将来的にこの仕組みを明らかにしたいと思っている.そんな訳で,今日のセミナーは楽しみにしていた.
まず始めは,海馬の神経細胞の話.海馬は脳の中ほどにある,出し巻き卵を湾曲させたような形をした細長い部分で,左右1つずつある.ここは,記憶・学習
に大事だと考えられている.
昔,H.M.というてんかんの患者から海馬を摘出する手術が行われたのだが,その後,H.M.は新しいことを何一つ覚えられなくなってしまった.H,
M,には気の毒としか言いようが無いが,多くの研究者が彼を研究して論文を書いたので,彼は記憶・学習の研究者の間では最も有名な人物の一人である.
海馬の神経細胞にある決まった電気刺激を与え続けると,シナプスを介して繋がっている神経細胞同士が電気をよく通すようになることが知られている.この
現象は記憶・学習と関係していると考えられているのだが,この刺激を与えたときの神経細胞の形を観察すると,シナプスを作るための突起が増えていくのが観
察された.逆に,電気を通しにくくするような刺激もあるのだが,これを与えると,突起が消えていくのも観察できた.それらの様子をムービーで紹介してい
た.
さらに,目からの情報が,大脳皮質でどのように処理されるのかを調べるために,マウスの目にレーザーを与えて部分的に破壊し,その部分から大脳皮質のど
こに情報が伝わるのか,そしてそのとき,他の部分から入力を受ける大脳皮質の部分がどのように変わるのかなどについても示していた.
日記では伝えるのが難しいのだが,非常に素晴らしいセミナーだった.
実は,この手の研究は最近の流行で,色々な研究室で既に手がけられている.海馬や大脳皮質というのはそれだけで興味深いし,しかも,それらの様子を観察
するための顕微鏡も高額な最先端の顕微鏡を使っての成果だ.面白くない訳がない.
例えるならば,最高級の松坂牛のステーキや,大間の鮪のトロの刺身のようなもので,「素材が良くて道具が良ければ,料理人の腕は関係ないんじゃない
の?」と,ひねくれ者の僕は考えてしまう.
今日,そのように思わなかった理由の一つは,個々のデータの質がとにかく高いこと.実現不可能なことではないにせよ,実際にやったら大変だろうなあと思
われるようなデータがふんだんに出てくる.興味のあり方も非常に正統的で,古くからの課題に正面から取り組んでいる様に感銘した.
加えて,トークが非常に上手.しかも,口先だけの,話術の巧みさでカバーするといったものではなくて,非常に論理的にデータを積み上げていって,自分の
主張を提示しているので,とても好感が持てた.
セミナーではこうありたいなあ,と思わされる内容だった.
* いろいろ、うろうろと、手が着いたような着かないような按配で。そのように時間は経ってゆく。退屈はしないのである。
* 五月十九日 土
* 桶谷秀昭氏から新潮新書『人間を磨く』、小沢昭一氏からちくま文庫『色の道 商売往来(平身傾聴裏街道戦後史)』をもらった。
桶谷さんの本の帯には「人を嗤う人間になるな」とあり、小沢さんのには「真実は、陰・脇・裏にある」とあって、介添人のような役で永六輔氏の名も出てい
るが、全面小沢さんが「色の道」の商売人たちにインタビューしている。この人はインタビューの名人で、同様の本をもうずいぶんたくさん戴いている。貴重な
資料本も含まれていた。
まずは対照的な二冊だ。「胸を打つ40(編)の深い思索」で桶谷さんの本は、ある。まだ両方少しも読んでいない、昨日に貰いたて。ありがたいというか、
書庫と二軒の家屋とに溢れている本の少なくも半数は、いやもっとかも知れない、みな、人様に贈られた本。わたしは基本的な辞典、事典や、どうしてもと思う
全集や古典こそ自身で揃えるが、小説単行本のたぐいは著者に戴いた本を、人と内容とを吟味して架蔵または手近に積んである。玄関にも階段にも戸棚にも床脇
にも積んである。ふしぎにどこにどんな本があると覚えている。
いろんな本を、研究書、小説、詩歌、批評・評論、随筆、地誌、歴史、古典全集、古文献それに、個人全集・事典・辞典まで、久しく贈られ続けてきた。わた
しがそれらをよく「読む」からであろう。わたしと人さまとのお付き合いでは、書籍の贈答が最も豊富多彩。愛着も深い。役にもたくさん立てた。よほど畑ちが
いでなければ、いまわたしが必要とする程度のことは大方書庫へ入れば見当がつく。堅いのも柔らかいのも右から左へ、いろんな顔と本とが混じっていて、それ
もわたしの「顔」であり「世間」である。
そして日々にもらっている、いろいろなメールや手紙やメッセージも、いわば寄贈された書籍世界と、範疇としては同じ人間的な質に満たされていればこそ、
わたしは敢えて此処へ遠慮しいしい置かせてもらっている、むろん聴して下さる人のものに限っているが。
人は、われ一人の思いこみでは、まず間違いなくまっさきに「自分自身」を見間違え見失う。相対化ということには、相対化なるが故に、蓋然性以上の精度は
求めにくいのは知れたはなしだが、絶対化よりは誤謬に距離がもてる。根本において人は孤独で、そうあって自然当然だという想いがわたしにはある、が、それ
でも日常的にわたしは、自分を滑稽に絶対化しない道を歩いている。自分で眺めている自分なんて、眼をそむけないで暴くように眺めれば、ずいぶんと醜悪で、
ねじけて、汚れているものだ。居直ってそれを肯定も容認もしないで、柔らかに静かに生きて死んで行けるようにするにも、わたしは大勢の人に手を貸していた
だきたいと願っている。
☆ ボストン「雄」さん日記のファンから 藤
秦恒平様 突然雨が降り出すことの多い日々----安心して洗濯物が干せません。
おみ足の具合は如何ですか。無理しないでくださいませ。
ボストン「雄」さん日記の「活動依存的な神経回路網形成」のセミナー報告 とってもインタレスティングで、とっても判りやすくて、私の好奇心を刺激しま
した。
これを書き、伝えて下さった「雄」さん、「湖」さんに感謝します。
私の次男のようなダウン症の人の脳も研究者の興味をそそることが多く、ここに出てくる話とも関連してるのでは---とか思いながら、私はもっと知りたい
な。
とても難解な領域の研究をこのようにわかりやすく(出汁巻き卵、松阪牛、大間マグロなど身近な喩えも加えて)説明できる「雄」さんは、”センスのある本
当に頭の良い人”だなあと 今回の日記からだけでも私は”惚れ惚れする”のですが、もうすぐ70才の女に惚れてもらってもなんにもなりませんねえ----
-。
ついでに前回の”結婚したい”の話への感想。
こちらは、専門のお話しに比べると、ちょっとレベルが落ちる気がします。
1) そもそも「あなたと結婚してあげても良い」など言う(思い上がった)女と 「雄」さんほどの方は結婚してはいけません。
結婚は”してあげる”とか”してもらった”なんて言うものではありません。
対等に、堂々とやるものです。
2) 家事はどちらに押しつけるものでもなく、人が自立して生きるためのスキルであり、基本的には”自分でやって当たり前の仕事”です。
自分にまつわる家事を他人にやってもらえるのは、好意・愛情によるもの、さもなくば分業による義務又は経済活動(それがお金になる)からです。
結婚にはお互いの ”この人と一緒にいたい(物理的でなくても精神的にでも)” という気持ちが重要、家事はそのときにやれる人がやれば良いのです。
研究の最先端にくらべ、「雄」さんの女性観、結婚観は少し古くないですか?
「雄」さんファンとして残念。
「湖」先生はどうお思いになりますか? 2007/5/19 藤
* そうら来た。
「藤」さんにおおむね賛成であり、しかも「雄」クンの置かれている理系学生や青年たちの事情も、元教授、痛いように見聞してきて、現在もいつも感じ案じ
ている。なかなか、「結婚してはいけません。対等に、堂々とやるものです」は、その通りであっても、現実にはつらい。「結婚は”してあげる”とか”しても
らった”なんて言うものではありません」のは実に確かですが、その先へ、現実に歩を進めたい、その手順・手続きが幸不幸とも深くからみついて難題なんで
す。
同じことで案じている男子卒業生は、ほかにもいます、何人も。
むかしむかし、看護学生や看護婦さんたちと編集の仕事をしていたある機会に、東大の保健衛生の著名だった教授が、あなたがた今何にいちばん心の奥で関心
をもってますか、と質問され、一同沈黙。
「死ですか」「知識ですか」「娯楽ですか」と問われても、沈黙。で、矛先がわたしへ回ってきた、編集担当者だから仕方がない、わたしは言下に「結婚」で
すよと答え、それが彼女たちの大方の本音に触れていた。
わたしは知っていたのである。今なら「恋愛」とか「つきあい」とか謂うのだろうが、もう四十年も昔のはなしだ、が、若い人たちに、そうでないと見えてそ
うなのが「結婚」であり、但しそれが、昔は女性から、今はむしろ男性たちの身にいやに難しいことに変わってきている。それも見えている。
雄くんの、また見過ごせない面白い日記が来ている。
断っておくが、こんな気楽そうにしていて、日記など書いていて、研究者がこれでいいのか、脇目もふらずに没頭しないでいいのか と想う人は、誤解。
これはむしろ必要な気合い。精衛海を填める式の徒労の連続から、いい結果に出逢わねばならないのだろう。疲労・徒労また挫折感から来る危険な妄想や蟻地
獄のような慣習に流されない、気のたしかな自己処理能力が必要なのだろうと想っている。
次の日記は、彼の文才を、ある種の余裕をみごとに示していて、笑える。
* 二人の韓国人女性 ハーバード 雄
昨日から,再び肌寒い気候になった.一月前に戻ったかのようだ.コートが手放せない.今日は朝から冷たい雨が一日中降っていた.
朝一番に,ハーバードインターナショナルオフィスに行く.ビザにサインをもらうためだ.来月の第一週にミュンヘンに行き,実験することになった.海外に
行く際には,ビザに大学のサインが必要なので行ってきた.
帰ってきてからは,相変わらずカルシウムイメージング.昨日,顕微鏡担当のテクニシャンであるスティーブが,JCに向かって「カルシウムイメージングは
時間の無駄だろう」とヒソヒソ話をしているのが聞こえてしまった.おそらく僕のことを話していたのだろう.
他人の噂をいちいち気にしても始まらない.しかし,スティーブの言うことはもっともで,あまり変わり映えのしない条件検討ばかりしていても,時間と金の
無駄に過ぎない.特に時間は限られている.
興味本位なのか,本気で心配しているのかは分からないが,実験しているとスティーブが「カルシウムイメージングをやっているのか?」と聞いてきた.いく
つか質問がてら,アドバイスらしきものをくれた.
周りの人たちを見ていても,皆,色々なテーマを並行してやっている.共同研究をやっている人も多い.僕の場合は一つのことをやっているだけだ.僕も,そ
ろそろ他のことをするべきなのかもしれない.
そのためには,もっとこの分野での勉強が必要なことを,最近痛感している.プログレスレポートで他人の話が分かりにくいのは,英語のせいだけではないの
だと,今頃になってようやく認識してきた.分からないのは,そこで使われているロジックに馴染みがないからだ.
どういうことを明らかにするために,どういう手法を用いるのか,そしてどんな結果が得られた時に,そこからどのような結論を導き出すことができるのか.
それらが,今まで僕が経験してきたものと,かなり違っているのだ.今までとは畑違いの分野に飛び込んだのだから,違っていて当然であり,それこそ,僕がボ
ストンに来て学ぶべきものなのに違いない.
そんなことを考えながら実験していると,僕の顕微鏡を挟む形で置かれている両隣の顕微鏡を,いつしか二人の韓国人女性が使っていた.
一人は大学生のジェイ.今年の9月にニューヨークのメディカルスクールに戻る.彼女は2歳の時からアメリカだから,ほとんどアメリカ人と言って差し支え
ない.英語の発音も綺麗だ.しかしご両親が韓国人なので,韓国文化にも詳しい.
もう一人は,隣のラボのポスドクのインジュン.彼女は大学(もしくは大学院)からアメリカに来た.大学院を終えてから,ポスドクとして今のラボに来た.
アメリカ生活も,もうかなり長いはずだ.ただし,英語はいかにも外国人の英語であり,僕にとっては聞き取るのが難しい.
二人は雰囲気も,これまでの境遇なども全く違うが,二人とも喜怒哀楽がかなり激しいのは共通している.全くの偏見だが,韓国の女性は割合そのような人が
多いように思うのだが,そういう意味では二人とも典型的な韓国人といえる.
二人と雑談をしているうちに,ひょんなことからインジュンが
「日本人の女性と韓国人の女性は,どっちが可愛いか」と聞いてきた.
ここで、
「そりゃ,韓国人に決まってるよ」と言えれば,ある意味正解なのかもしれないが,二人がそういう答えを期待している訳ではないことは雰囲気から充分わ
かっているので,馬鹿正直に
「うーん,韓国の女性はそんなに知らないから,どちらとはいえないよ」と答える.
インジュンは
「日本の女の子の方が可愛い」という.これを聞いたジェイが
「え〜,韓国の女の子の方が絶対可愛いよ」という.
韓国人の女優は知っているか? と聞くので,
「チェ・ジウは知ってるよ」と僕.すぐさまインジュンが怪訝な顔つきで,
「あの子,可愛い?」.
どうやら,チェ・ジウをあまり可愛いとは思っていない様子だ.
「うん,綺麗だと思うよ」と僕.するとジェイが
「あの子は可愛いわよ.でも,きっと馬鹿よ」.
ジェイはいつでも女性に厳しいのだ.ウチのラボの女性で合格点をもらった人はひとりもいない.
「あとユン・ソナも知ってるよ」と僕が言うと,インジュンが
「ああ,あの子はちょっと日本人っぽい顔よね.顔がこう,小さくって...」と話し出す.またしてもジェイは
「どうってことないわよね」.
逆に僕から
「二人は,韓国の俳優だったら,誰が好きなの?」と聞き返す.インジュンが
「私はリュ・シウォン」と答えると,ジェイは爆笑して
「え〜,信じられない.私はあの目が嫌い」.
ジェイも誰か名前を挙げていたのだが,発音が良すぎて僕には聞き取れない.もう少し日本語っぽい発音で言ってくれれば,韓流ブームの影響で,もしかした
ら分かるかもしれないのに.顕微鏡についているパソコンでわざわざInternet
Explorerを立ち上げて,僕に画像を見せてくれたが,リュ・シウォンとどこが違うのか,僕には良く分からなかった.
インジュンが言うには,
「私は本当は韓国の男は嫌いなのよ.保守的だから.でも,韓国にいた時は,他に選択肢がないから,仕方なくね.でも,アメリカに来て選択肢が増えて,
大正解だわ」.
僕などは,言葉がろくに話せないというだけで,はなから外国人は無理だと思っている.この積極性が少しでも僕にあればいいのだけど.
インジュンが
「私の本当のタイプは**なのよ」という.ジェイがそれを聞いて爆笑しているが,発音が聞き取れない.インジュンもInternet
Explorerを立ち上げて画像を見せてくれた.見て仰け反った.ショーン・コネリーだった.ずいぶんと年上好みのようで...
「こういう人を見かけたら,私に紹介してちょうだい」
ちょっと気分の塞いでいた今日だったが,二人の馬鹿話に,すこし疲れが取れた.
* わたしはチェ・ジウや、なんだっけ宮廷料理の達人のようなドラマのヒロインは覚えていて、美しいと思ってきた。研究の合間にインターネットでヒョヒョ
イと好きな俳優の顔を検索していたり。時代だなあと思う。「雄」クンの難しさにも同情してしまう。
* あさっての谷崎話の「用意」はもう出来ている。その話はいま触れない。これが済めば、ラク隠居というわけではないが。気の重荷ではあったが重荷をその
ままにつきあっていて、かえって有りがたい機会になったといえる、依頼の先生方のご希望とは逸れて思われるだろうが、わたしに喋らせれば平凡な型どおりは
しない。そして最も文学の「読み」に大事なことを日大の学生諸君に、伝えられる限り、伝えたい。時間が少し足りなくなるかも知れないが。
☆ 陽が高くなり、吹き抜け窓や天窓から、光がよく入るようになりました。リビングや玄関が明るいです。
うちの購入したのは、積水ハウスの分譲地十二区画の、売れ残っていた一区画でした。分譲地中、いちばん日照条件が悪いと思っていましたが、家を建てる向
きや採光に気を配ったお陰か、かなり明るい仕上がりになってい、ほっとしています。
送っていただいたバグワン・シュリ・ラジニーシの言葉に、違和感は感じません。
勝負事で、「勝つと思うな、思えば負けよ」とよくいいます。
例えば、剣道では、勝敗への拘りを乗り越えたところに、「勝」があります。「無」の境地です。
この極みを尊ぶゆえに、稽古をしている人は世界中にたくさんいるけれど、あえて剣道をオリンピック競技にしないといいます。
わたしは子供の頃、剣道の稽古に通っていたせいか、武術における、またはそれ以外の所での「無」の希求に、すんなり共感できます。
「無」は、「何もない」ことの裏がえし、空に満ちた或る境地だと思っています。
うまく説明できたとは思わないけれど、うまく説明できなくていいのかな、とも思います。「無」は、説明や理屈の及ばない「極」だと思うから。
風は、どうしてバグワンの言葉を花にくれたのかな。お気を悪くなさらないでくださいね。風が、花に言ってほしいこと・してほしいことを、もっと具体的に
教えてくれたら、何でもしてあげたい。
とりとめのないメールになってしまったけれど、花は元気に過ごしています、とても。 花
* バグワンの言葉はときどき堪らなく人と分かち持ちたくなる。しばしばバグワンに言われてしまう。今も、こんなぐあい。
☆ もし自然に逆らったら おまえの自我(エゴ)は強まるだろう それがチャレンジというものだ おまえが挑戦を好んできたのはそのせいだ 挑戦のない
人生は退屈なものになってしまう 自我(エゴ)が空腹を感じるからだ 自我(エゴ)は食べ物を必要とする 挑戦がその食べ物を供給する それでおまえは挑
戦を求めてきた 今も求めている もし何の挑戦もなかったら おまえはわざわざそれをつくり出す まるで川の流れに逆らって泳ぐように 障害物をわざわざ
つくり出すのだ 障害物と一勝負交えたいばっかりに。
「川」は海に向かっている それを、なぜ闘うのか? 「川」におまえの身を任せてごらん 「川」と一つになるのだ 「川」におまえを明け渡すのだ。
* 闘って勝つ、状況をコントロールする、そんなことに若い日々を投げ込んできたような気がする。いくら勝っても、いくら操縦できても、それだけだ。いや
心はいつも騒がしかった。静かな心はもてなかった。もっと、もっと。際限のない自我(エゴ)の餌食に日々を貢いできた、欲心に溢れかえって。
☆ ざわざわざわ 碧
先週あたりから、なんだか背中がざわざわして落ち着かない。機嫌は良いし、どちらかといえば浮かれ気味。でも、このざわざわは妙に気にかかる。 テレビ
で聞く「元・暴力団員」という表現がイヤ。どうして無職といわないの? あるいは「容疑者」だけで充分じゃない。
頭部切断の高校生。一瞬ギョッとしかけて、そのまま麻痺した感覚になる。いやなニュースが続いて慣れてしまった? それとも防衛反応? 実はそうではな
いらしい。こちらの想像を超えて彼自身が麻痺してるのだ。離人感覚よりもっと、もっと遠くにいるようだ。
岩国市への補助金三十五億円カット
地域格差〜根室地域の医師不足
沖縄の基地調査に自衛隊派遣
集団的自衛権解釈見直し
専守防衛
愛国心
バブル期以来の高収益
北海道洞爺湖サミット
安倍はこのまま総理を続ける気だろうか。
憲法改悪までは皆、素知らぬ顔で突っ走らせるつもりなのか。
☆ 鳶が、鴉へ
メール嬉しく。外出は余儀ない仕事もおありでしょうが、一人博物館を楽しまれたり、歌舞伎にも行かれて・・少し安心しています。とにかくゆっくり、無理
しないで気晴らししつつ養生なさってください。
姉娘はこの夏には結婚すると思います。具体的なことはまだ分かりませんが、既に海外にコンドミニアムを買いました。(勿論、ローンがこれから・・・)日
本と違って価格の2割を支払った後、七月から内装工事が始まるとか。
詩のこと。文体の「固さ」に嫌気さしますが、放棄しようにも放棄できないもの、自然にあらわれてしまうものあり、どうしようもない、か。
「雄」さんとは二月から三月にかけて数回メールを交換しました。メールを書くと即座に返信をくださいます。律儀、礼儀正しさ、几帳面さを感じました。
「求婚の広告」に書かれてあること、とても現実的なこと。あるいは彼が心機一転、積極的に伴侶を探し求
め、現れた彼女も彼の現況に合わせていけるとしたら、結婚の可能性はありますが。「雄」さんに結婚の意志がある以上、決して心配はないと確信しています、
期待しています。(余分ですが・・夫の研究室の助教授も助手も、今は準教授、副手と言うらしいですが・・いずれも独身。彼らにはあまり結婚願望がない様
子。)
結婚を「科学」に喩えての所見! 面白かったろうと想像します。女性が「経済学」を取り上げるのは今も昔も変わらないでしょう。・・それにしても、いま
どきの「男は坊ちゃん、女はけもの」という「総括としての印象」には絶句です。男のほうがロマンチック、詩的・・女は現実的でイヤラシイとも言われて、な
るほどと半ば納得しても、昨今の若い女はけもの、ですか。
研究をとるか、恋愛をとるか、無責任な言い方かもしれませんが、研究も恋愛もとればいいのです。研究というと限られますから、仕事か恋愛かとします。わ
たしは棄てて幸せではなかったから、今となっては悔しさもこめて、たとい中途半端な結果になったとしても、両方頑張ってとればいいと思います。特に若い女
性は経済的な自立を貫いて欲しいと願っていますので。
「藤」さんの、「自分のために男がこれと決めた仕事を変えたりして欲しくなかった」気持ちは十分分かります。が、ついて行くか、ついて行かないかの問題
だと選択肢を二つに限らず、ついて行って、なお仕事を変えても新たに始めることは可能だと。
”女のために進路を変えるような男”
に魅力を感じないこともあるし、逆に「女のために進路を変えるほどの男」に身震いするほど感激し惚れることもあり得ます。
夫婦で同じ夢を見られれば幸せですが、必ずしもそのようになるとは限らず・・こうして書いていると、わたしはかなりシニカルで嫌なおばさんだと嘆息しま
す。
「女が男に合わすのでも、男が女に合わすのでも、どっちも合わしたりしなくても、どの生き方でも二人にとって一番良いと思えれば、それで良い」のが理想
ですが、女が男に合わせざるを得ない状況が圧倒的に多いのが現実です。
とりとめないメールになりました。HPに載せないほうがいい内容が多いかもしれません。
絵の締め切りが近づいているので、この方に気持ちが焦っています。
* 有りがたいというか、困ったなというか、日大から電話で、「麻疹」流行のため今月中「閉校」、六月四日に、二回目の谷崎話を延期してくれませんかと。
いっそ原稿に仕上げておこうかしらん、速記録への手入れは堪らんから。
* 右脚、膝から下へ堅く腫れている。歩くと痛みは相変わらずだが、構わず歩いている。自転車で近くへ買い物にいったが運転には何不自由なく、不思議なく
らい。しかしよほどでない限り、もう乗らぬようにする。ただ、代わりの運動が、「歩いて痛い」のでは。せいぜい用事を作って都心へ外出か。
* 少し気楽にデニス・クエイドと、すてきな奥さんレイチェル・グリフィスの野球映画『オールド・ルーキー』をほろほろと涙を散らしながら楽しんだ。気持
ちの良い娯楽作であった。若い頃よりも、三人の子をもってからの父親が、絶好の剛速球が投げられたなんて信じにくいのだけれど、これは実話だもの。OK。
* 五月二十日 日
* 明日の約束が無くなり、拍子抜けして、気楽に寝坊した。横になっている方が脚が軽い。機械二台の回りにモノの溢れているのをかたづけ、「臻」クンの来
てくれるのに備えねば。
好天。五月晴れ。
星川さんの訳に基づきながら、バグワンに聴こう。原本には「あなた」とあっても、わたしは「おまえ」と呼ばれて、いつも直接耳に聴くことにしている。
☆ おまえが知識を持って「真実」のところへやって来ても それはけっし〜見えない おまえは盲目同然なのだ 知識はおまえを盲目にする もしクリアー
な目を持ちたかったら おまえは知識を落としなさい
知覚というものは知識などとは何の関係もない
〈真実〉とく知識〉とはウマが合わないのだ 知識には生や存在の無辺の広がりを包み込むことができない 知識はあまりにもちっぽけだ あまりにも小さい
そして存在というのはあまりにも巨大だ あまりにも莫大だ
どうしてその知識に存在を包み込むことができる? ましておまえの知識が? それは無理だ
もし存在をおまえの知識のパターンなどに押し込めようとしたら おまえはその美しさをぶち壊しにしてしまうだろう その真実をぶち壊しにしてしまうだろ
う
ひとたび存在が知識に置換されてしまったら それはもう存在じゃない それはあたかも,おまえがインドの地図を持って歩いて 自分はインドを持ち歩いて
いるのだと思い込むようなものだ
どんな地図にもインドを内包することなどできるものじゃない
月の写真は月ではない
神という言葉は神じゃない
愛という言葉も愛じゃない
どんな言葉にも,生の神秘を内包することはできない
そして知識というのは
ただ言葉,言葉,言葉(=あるいは記号)以外の何ものでもない
知識というのは大いなる幻想だ
だからこそ仏陀は言う 自分の中に「無」を定着させよ,と──
無というのはひとつの知らない状態を謂う
おまえの意識に何の曇りもないとき おまえは何でもない
何でもないものは「真実」と完璧にううまくいく 何でもないものだけが「真実」と完璧にうまくいくのだ
知識には実存の神秘を包含することなどできない
知識というのは「神秘なるもの」に対立する 「神秘なるもの」とは知られていないもの 知られることのできないものを意味する 基本的に,本来的に,知
られ得ざるもの──
知られざるはかりじゃない,知られ得ないのだ どうして知られ得ざるものが知識に還元され得よう?
知識というのは浜辺の小石を拾い集め続け そしてダイヤモンドを見のがし続けるのだ
知識というのは凡庸だ 借りものだ 保証されない真正にはたどり着いても けっして永遠にオリジナルじゃない
「真実〉」知るにはひとつの洞察 オリジナルな洞察が必要だ どこまでもどこまでも見抜くことのできる目が必要だ おまえは透明なヴィジョンを必要とす
る
それだからして おまえの心(マインド)が知識を完全に脱ぎ捨ててはじめて 知識を空っぽにしてはじめて それは知るにいたる そこに何の知識もないと
き そこに知識があるのだ
なぜならば,そこに何の知識もないとき そこには即ち知るということがあるからだ
心(マインド)が知識をすっかり脱ぎ捨てたとき 裸で,静かで,機能を止めているとき 心(マインド)が何のためという考えもなく特続中のとき ただひ
とつの純粋な「待機」であるとき
おまえは待ち受けてはいるが 何を待っているのかすら知らない おまえはお客さんを待ってはいるが何の心当たりもない ドアの鍵をはずしてお客さんの
ノックを待ってはいるが おまえは そのお客さんが誰であるか何の心当たりもない…… どうして予めそれを知ることなんかできる?
もしおまえが日ごろ神の青写真を持ち歩いているとしたら おまえは神を取り逃がし続けることだろう というのも おまえはいままで「彼」を知ったことな
ど実のところ無いのだから−−−
そう ほかに知った人たち(=覚者たち)はいる
だが,彼らの言ったことは どれもこれも みな ただの地図(=案内)にすぎない 私も おまえのために地図ならあげられる あらゆる知識はひとつの
地図なのだ
どうか そんな地図を崇拝しはじめないこと 地図のまわりに寺院を建てはじめないこと 寺院というのはそうやって作られてきた
ある寺院はヴェーダに捧げられている また別なものはバイブルに また別なものはコーランに
みんな そういうものは 地図なのだ! それらほは物の土地じゃない それらはただの図表なのだ
私がおまえに何かを言うとき 私は仕方なく「言葉」を使わなければならない
いろいろな言葉がおまえに届く おまえはそういう言葉に飛びかかる おまえは熱心にそういう「言葉」ばかりを貯蔵し始める 心(マインド)は大の貯蔵屋
だ 貯めに貯め込む そうして今度は,おまえは 自分が「知っている」と思い込みはじめる けっこうな「思いこみ」じゃないか。
そんなのは正しい知り方じゃない
正しい知り方は一切の知識を捨てることだ
それも一息で捨ててしまうことだ!
ゆっくり少しずつ進んだりしないこと
もしおまえがことの要点を見抜いたら それはまさに「今・此処」のこの瞬間にも起こり得る
実際には
要点を見抜くということは その瞬間を起こらせるということなのだ おまえは特別何をする必要もない 知識を落とすことすらしなくていい 知識にはおま
えを知者・覚者・ブッダにすることなどできない ただ,実際にはそれは おまえを邪魔するだけだという その点を見抜くこと──
これを見抜くこと それが「革命」だ それが「変身」なのだ
そして心(マインド)が裸のとき
静かで,機能していず 全き待機の中にあるとき
そのときこそ,そこに「真実」(の生)が訪れる
そのときこそ,そこに「真実」(の生)がある
それは どこからやって来る必要もない
それは ずっとおまえの「今・此処」にあったのだ いつも
ただ おまえはあまりにも知識で一杯だった
それがために、おまえは気も付かなかった それを のがし続けていたのだ。
* バグワンのこれとても「言葉」の「地図」であり、これをいくら貯め込んでもはじまらない。わたしもそう思う。ただそれさえにもわたしは感謝している。
☆ いいお天気ですね。もう普通に自転車に乗れますか。お元気ですか。長崎のハウステンボスや西武ドームで多種のバラの花が初夏を謳歌しているのも観て
きました。気分は青春で〜す。
肉体年齢は古稀でも、気持の青春は、例え薬の力でも元気があってのこと。家に引っ込めばそのラクチンに馴れて老いてしまうもんね。数すくない周りの友人
も、あっちもこっちも悪いと云いつつ、個人差はあるけれど、よく食べよくしゃべりよく遊ばはる。先が見え出したもんね。悲しい訃報も聞く機会も多く。
そんなワケで、精一杯元気にしむけていますよ。 泉
* 自転車は問題なし 歩行には痛みが残っています。痛みに慣れてかるくビッコひきながら過ごしています。
元気なようでなによりです。長崎まで行ったのですか。
わたしの状況は可も不可もない、フツー。自転車はさすがに少しこわくなり、自粛していますが、フツーにさっさと歩けないので、「歩く」運動ができませ
ん。ま、落ち着いて過ごしています。
むかしなら、古稀すぎて「気分は青春」なんて信じられなかったが、今になってみると、可能なんだとおどろきます。気分分かるよ。
わたしが言えたもんではないが、だけど 怪我、事故に用心あれ。
* 五月二十日 つづき
* この、以下の日記には、自分自身の思いをかなり代弁してもらっている。そう感じるので読む。
☆ 分化(differentiation) ハーバード 雄
朝起きると,頭が痛い.風邪をひいたのかもしれない.ここ最近の寒暖の差のせいで,ラボの多くの人たちが風邪をひいている.しかし実験の予定があるの
で,薬を飲んで10時頃までベッドの中で過ごしてから,ラボに出勤.
途中,Pho
Pasteurで昼食.最近,外食はここばかりだ.ここでは大抵フォーを注文するが,今日はチキンカレー.この間,来店した際,隣のテーブルの客が食べて
いたのが,妙にうまそうだった.
ナンプラーの香りと,レモングラスの香りがマッチして,いかにもアジアらしい香りがする.チキンだけでなく,ズッキーニやパプリカがふんだんに入ってい
て,野菜が豊富.スプーンではなく,なんとフォークで食べろというのだが,カレーの味が濃いので,これでちょうど良いのだろう.カレーは甘味が強く,ほん
の少し辛味も感じられる.日本人の舌にはちょうど良い.なかなか美味しい.フォーに飽きたら,今後はこれを頼むことにしよう.
ラボでは電気生理実験.標本を作っていつもどおりトライするが,なかなか細胞に針が入らない.入っても,期待するような結果がなかなか出ない.
5時半に標本がダメになったので,続けるかどうしようか迷い,一旦休憩していると,昨日の日記にも登場したジェイが,僕の居室にやってきて,一緒に夕食
に行かないかという.
先週の日曜日にビーコンヒルに行ったのだが,その際,ジェイが以前薦めていたイタリアンレストランFigsの前を通りがかった.翌日ジェイに会った際,
「そういえば,昨日,Figsの前を通ったよ」と言ったところ,「あの店は私の家から近いのよ.今度一緒に行きましょう」と言っていた.
今日,僕の居室に入ってきたジェイは,Figsはちょっと遠いから,代わりにハーバードスクエアのどこかで夕食に行かないかという.何が食べたいかと聞
くと,寿司が食べたいというので,すっかり馴染みとなったCafe Sushiへ.
僕はにぎり寿司,ジェイはちらし寿司を注文.ジェイがスプーンを店員に頼んでいたので驚く.「日本人は箸で食べるの?」と聞くので,そうだよと答えた
ら,せっかく持ってきてもらったスプーンを使わずに箸で食べていた.
来週の週末,彼女はカリフォルニアに行くのだという.彼女の親友が結婚式を挙げるのだそうで,式に参加するためらしい.親友はビジネスの仕事についてお
り,その夫となる人は投資の仕事をしているらしい.3人は大学時代からの知り合いだという.
「私の友達には色々な職業についている人がいるの.みんな違う世界に住んでいるのよ.だから,私と友達とでいる時はいいけど,友達同士が何人かいるとダ
メ.あまりに世界が違いすぎて,話がかみ合わなくなってしまう」とジェイ.
寿司を食べ終えて店を出ると,「まだ顕微鏡の予約の時間まで間があるので,コーヒーを飲みに行こう」というので,スターバックスに付き合う.
スターバックスで延々と,このラボでの2年間のことと,9月にメディカルスクールに戻ってからの今後について,彼女は語っていた.僕の英語力のことを忘
れたのか,途中から容赦ないスピードで話し続けたので,僕はひたすら聞き役に徹し,時折相槌を打つのが精一杯だった.
「このラボに来てから,他人の好意とか,善意といったものは,一切期待してはいけないし,いくら外面が良くても内心は利己的で野心家でないと研究者とし
ては成功できないのだと思った」とジェイ.
確かに,僕の周りの教授たちを見ていても,いわゆる「いい人」というのは本当に少ない.性格が悪くないと教授にはなれないのだろうかとさえ,思ってしま
う.認めたくない事実だろうが,おそらく正しいのだろう.
もともとそういう人たちだったのだ,と言ってしまえばそうなのかもしれないが,おそらく環境によって作られてきた部分も少なくないのだと思う.
僕自身のことを振り返っても,大岡山のキャンパスに通っていた学部2年生生の頃までは本当に気楽だった.大学に行き,講義に出席してテストさえ受けてい
ればいい.しかし,学部3年からすずかけ台キャンパスに通い,さらに研究室に入ってみると,それでは済まされないことが分かる.
ごく限られた人達(しかも全て自分より目上)とともに狭い空間に閉じ込められ,朝から晩まで一緒に過ごすという,あまりに濃密な人間関係の苦痛.やる気
に溢れて入ったはずの研究生活なのに,何一つ実験が上手く行かないことへの苛立ち.僕の場合は,これらに加えて生活費の困窮もあった.今思い返すと,この
時期は今までの人生の中で,どん底だったように思う.
経験したことがないので分からないが,大学を卒業した人たちが会社に入ると,おそらく同じようなことを経験するのだろう.会社とは違うと言われそうだ
が,研究室とて一つの社会.やはり順応するのは大変だ.「職業は人を作る」というが,職業にあわせて作りかえられていく過程には痛みが伴う.
そうして異なる環境で2,3年経ってから再会すると,以前あれほど親しかった人たちなのに,全く会話が成り立たなかったりする.
はじめは1個の卵だったものが,細胞分裂を繰り返すうちに,それぞれ筋肉になったり神経になっていくことを,生物学では「分化
(differentiation)」と呼ぶ.人間も同じで,生まれたばかりの子供はどの子も同じように見えるが,成長していく過程でそれぞれの個性が備
わっていく.生まれつきの部分も少なからず存在するが,同時に環境によって変えられる部分も少なくないだろう.
僕自身は神経細胞がどのように分化するのかに興味を持って研究テーマとしているが,その背景には「人はどのようにして,個性を獲得していくのだろうか」
ということへの関心がある.
ジェイはひたすらしゃべり続けた挙句,「そろそろ顕微鏡の予約の時間だから行かなくちゃ」と言って,店を出た.Tのハーバード駅で別れて,ジェイはラボ
へと戻っていった.もう夜の9時だというのに.きっと彼女ならば,メディカルスクールでのハードな生活にも順応し,うまく立派な医師へと分化してくれるこ
とだろう.
* じつを謂うと、東工大を終えて東大へ転じていった「雄」とわたしは、せいぜい数度しか顔を見ていない。わたしの覚えている顔は、学生の頃にバルセロナ
の「京」も一緒に、目黒駅地下で飯を食った「雄」の顔で、忘れなかった。
わたしは彼や彼女らの専攻学の指導教官ではなかった、バカなだれもがさげすんでかかる「パンキョウ(一般教育)」の「文学・作家」教授であった。だが、
一学年に1200人程度だった学生の、999人がわたしの講義を聴こうと申告した年もあり、あれにはさすがに参ってしまった。そんな大教室は「講堂」しか
なく、講堂ではわたしの思っているような授業は出来ないのだった。
そういう学生たちが、四年間にわたしに提出した課題への「アイサツ」「述懐」は、原稿用紙に換算して三万枚を超え、それは普通の単行本の百冊に相当し
た。学生たちはそのようにしてわたしにいわば「告白」し続けた。わたしもすべて読んで、次週には教室へ戻していた。それが学生たちの私の講座・教室へ集
まってくる理由の一つだった。
わたしは、東工大の研究生に不必要としか思われない「文学概論」など、しなかった。だれもの魂がはらんでいる「文学感性」を開放するようにし向け続け
た。そういう教授と学生として、われわれは今も多く「個と個と」して「友達」なのである。
☆ はじめてのおもちゃ 馨
実は子どものおもちゃを買ったことのなかった私。
いま家にあるおもちゃ類は、頂き物・おみやげ(これは夫や私からのものもあります)・サンタさんからのプレゼント、という経由で到来しています。
あ、お友達の誕生日用にトイザラスに行った時に、ねだられてメルちゃんを買ったことはあるなー。でも、これはやむをえない仕儀でした。
・・・が、初めて主体的におもちゃを買いました。息子用おもちゃ(←あくまでムスメのではないところがポイント)。
いま息子のマイブームはなんとお片づけ。
目についたものはなんでもかんでもポイっ! ポイっ! ポポイのポイっ!
ゴミ箱に入れる場合もありますが、外に投げ出すことが圧倒的に多いです。我が家の裏口には猫用のドアがついているのですが、そこから次々に投げ出した
り、昼間はベランダから投げ出したり。
捨てられたもの・・・私のスリッパ。ムスメのおもちゃ。テレビのリモコン。私の化粧品類。お財布。たたんだばかりの洗濯物。掃除機の口。積み木
etc... うち、今でも見つからないもの・・・テレビのリモコン。私のハンドクリーム。
で、考えました。
この片付け魔(いや捨て魔だな)、何か無害な方向に持っていかれないか。
というわけで、一念発起して初めておもちゃを買いました。
木のボックスにいろいろな形の幾何図形の穴が空いていて、同じ形のブロックをあてはめていく、というよくあるおもちゃです。
このおもちゃ、息子のニーズとマッチしていたせいか、購入後、延々と遊んでいます。入れたり出したり、入れたり出したり。ようやく少し目を離して家事を
できるようになりました。よかった、よかった。
が、やっぱり。おもちゃ到着2日後、一連のブロックの中で扇形が行方不明となりました。そのときは締め切りのリビングに私と二人でいたのに、どこを探し
ても出て来ない〜〜。
息子の身の回りに四次元ポケットがぽこっと空いていて、そこをのぞくと、扇形のブロックやテレビのリモコンや使いかけのハンドクリームが浮かんでるん
じゃないかなー。
紛失後3日して突然出てきた掃除機の口は、きっとそこからこぼれ落ちたんじゃないかなー。
なぁんて思いを馳せる母でした。。
ちなみに、ムスメにおもちゃを買わなかったのは、ちっこい時から「自分で作る」という子だったのが一番の理由ですねー。この前も「お母さんはDS買って
くれないに決まってるから自分で作ったの」と、工作物を見せてくれました(^^)。今はお人形(サンタさんより)用の二段ベッドを工作中。
安上がりな子どもです。
☆ 女の幼き息子に 佐藤 惣之助
幼き息子よ
その清らかな眼つきの水平線に
私はいつも真白な帆のやうに現はれよう
おまへのための南風のやうな若い母を
どんなに私が愛すればとて
その小さい視神経を明るくして
六月の山脈を見るやうに
はればれとこの私を感じておくれ
私はおまへの生の燈台である母とならんで
おまへのまつ毛にもつとも楽しい灯をつけてあげられるやうに
私の心霊を海へ放つて清めて来ようから。
* 夕方自転車でほんの少し近在を走ってきた。きつい風が奔っていた。
* 五月二十一日 月
* 早朝の宅急便で、栃木から、美術品のような大きなメロンが四つ贈られてきた。そういう季節なんだ。
また京都の二十歳過ぎのひとから「mixi」にメッセージが来ていた。高校のはるかな後輩なのかもしれない。
麻疹の閉校がなければ今日で、日大での谷崎話が放免になるところだったのに、六月初めに延期。やれやれ。
* 十分眠らなかった。『フランス革命』が興深く、手放せなかった、一度は灯を消して寝ようとしたのだが、また灯をつけ読み始めた。桑原武夫担当のこの一
巻、なまじな小説より百倍もおもしろく刺激に富んでいる。
フランス革命というとバスチーュにはじまり、ルイ十六世の処刑 王妃マリ・アントワネットの処刑、そして恐怖政治とぐらい概略は知っていても、ほぼ日を
月を追うかのように推移・経過の必然を詳細に覚えていたのではない。
岩波新書で『フランス革命』を、ツヴァイクの『マリー・アントワネット』『フーシェ』を、モロワの『フランス史』を読んできたが、桑原さんの歴史として
の記述のおもしろさはまた格別。
ことにロベスピエールという人材の大きさや重さを、はじめて共感ももろとも教わった。これまではへんに恐れるように名を記憶していた。ルソーを愛読した
希有のこの革命家に畏敬と共感をもったのは、桑原さんの学恩である。ルソーのような、ロベスピエールのような哲学・思索・洞察・実践者を「日本」はついに
もてなかった。
ルソーの『告白』も桑原武夫訳。訳がいい。夜ごとに佳境へ。全二巻の岩波文庫を読み終えたら、『エミール』よりも『社会契約論』『人間不平等論』など読
んでみたい。
睡眠を奪ったもう一つは、やはり『イルスの竪琴』第二巻。英語を逐一追っていると深夜の睡魔に降参しそうなものなのに、あとをひくようにいつまでも手放
せない。この物語のもう一人の主人公レーデルルという公女の魅力をこの巻では先ず追って行くのである。
『オデュッセイア』と部下たちの、神にのろわれた苦難の海行が、神話的に続いている。もっと昔に読んでおきたかった。彼ら受難の大海放浪はトロイからの
帰還時のこと、せいぜいあの海域でのこととわたしは多寡をくくっていた。だが、カッスラーの読み物の中で、それがアメリカの西海岸にも至る大航海であった
とつぶさに示唆されていて、俄然読んでみたくなった。読み始めると、そんな詮索を超え、やはり神話伝説のおもしろさに毎夜惹かれている。
旧約聖書は途方もなく麻のように乱脈、殺伐としている。エホバ神への契約の恐れが、その導きとともに、時に血なまぐさく続いている。この大昔の訳本では
「エホバ」としてあるが「ヤハウェ」が正しいらしく、『総説旧約聖書』にしたがえばイスラエルの神の名は、古くは「エロヒーム」など今一つ二つべつのの名
でも呼ばれていたそうだ。すべてわたしの初めて歩いてゆく道である。
ついでというのではないが、会社へ同期で入社した粂川光樹君の、明治学院大学名誉教授としての大著、『上代日本の文学と時間』も読み始めていて、これに
も教えられる。視野をひらかれ深められている。感謝。
万葉集の全ての歌を、そして出来たら八代集の和歌をぜんぶ「音読」予定に組み入れたくなった。
そして桶谷秀昭さんの『人を磨く』も半分ほど読んだ。桶谷さんらしい。
* 読書は、わたしには今は「シャワーを浴びる」ような爽快な楽しみ。「知識という垢」はむしろ洗い流される。良い本は、ああ生きていて良かった、良かっ
たと思わせてくれるし、そのどれもこれも直には体験できない世界。天に輝く星星を眺めているような嬉しさ。それだけで、足りている。「今・此処」がきれい
に洗われ拭われ、無心を無のまま満たされる。
* 自転車でなら五分とかからない駅近くの内科・神経内科へ行ってみた。昨日夕方、自転車のペダルに片足おいて、もう片方の右足でうしろへ蹴って進んだと
たん、膝下だけでなく太ももを伝って尻の方へまできつい痛みが走った。乗るには異常ないが、子供のスケーターを片足蹴りして進んだら覿面にこたえた。膝よ
り上はめったに痛まないのと、日大が延期になったのを利して、とうどう医者に行った。神経内科の専門医がいちばんいいと思っていたから。
糖尿病と飲酒から来ていると謂われた。蜂窩織炎はたぶんないだろうと。この医院なりに検査してみますからと、血液をとられた。
両方ともふくらはぎは異様に硬く張っている。むくみもある。神経に、異常ほどの無反応はないが、足首から下がかなり冷たいのも、糖尿病からかと。酒は一
合程度におさえ、酒のぶんは食事を落とし、野菜と水分の補給を十分に考えて下さいと。投薬も治療処置もなし。つまり現状のまま。ま、そういうことに落ち着
くのではと予期したとおり。
痙攣・攣縮はいつも有るでしょうと。はい、もう数年、反復してあります。つまり糖尿との関係で慢性化しているのであろう。自転車には、常に危険がつきま
とうと謂うこと。
* おかげで次の「湖(うみ)の本」のための大きな用意が出来た。これから原稿に作り上げる。
いま浅井奈穂子の圧倒的なベートーベン『熱情』を聴きながら、作業していた。浅井の演奏は力感にあふれ、情があつい。グレン・グールドもいい、ホロ
ヴィッツいい。浅井の熱情は巨匠に比しても、強い個性だ。激動のなかでピアノが澄んで珠のように鳴っている。いま、アンコール曲を弾き始めた、バッハのコ
ラール、主よ、人の望みの喜びよ。
* 五月二十二日 火
* 変わりなく海外の連続ドラマ『ER』は、好んでよく見ている。昨夜の「救出」は文字通り凄かったが、感動も誘い、上々。現場の医師や看護士たちに出入
りはあるが、アビーもコバッチュも、その他何人もまだがんばっている。もう我々に彼や彼女たちは、ドラマの演技者でなくなっている。アビーを演じている
モーラ・ティァニーを『真実の行方』で弁護士助手としてみつけたとき、ケリー部長を演じているノーラ・イネスを『ディープ・コンパクト』でみつけたとき、
最近では小柄なインド人医師が女子サッカー映画の主人公なのをみつけたときなど、まさかと、びっくりしたほど。どの医師も看護士も気に入って贔屓にしてい
る。
命が、緊急の病傷・血・内臓そして死と密着している待ったなしの衝撃に、観ながら体を硬くしているときも多い。そして、スタッフたちの人間としての彫り
込みのよろしさ。おどろき。共感も、ときに厭悪すらある。
* 昨夜、機械から離れる前、思い立ってこの二三日の私ごとを抜粋し、「mixi」日記に送った。人さまの日記ばかり読んでいて、ふと気がひけ、割り込ん
だ。日記をほとんど書かないことにしているのに、「足あと」は増え続けている。申し訳ない気もした。すぐ反応して下さる人も。感謝。
「mixi への久々のご登場,嬉しくお迎えします。こうしてお返事も差し上げられますし。長々とお許し下さい」と。
☆ 「私語の刻」毎日拝読しております。米国の教え子さんの日記,楽しみにしております。先日来の「恋愛か研究か」の記述は,結婚未経験者の,心の「立
ちすくみ」がよくわかる,興味深いものでした。映画『グッドウィルハンティング―旅立ち―』や,自分の若い頃を思い出させました。映画では数学の天才が恋
人と生きる道を選び,私は夫の転勤で仕事(高校教師)を辞め,といったように。彼の考えが,結婚によってどう変わるか(変わらないか)が,また興味深いと
ころです。
「結婚て一度やってみると面白いよ」くらいしか私には言えませんが。
結婚に限らず,納得して選んだはずの道でも,心の揺れは絶対に出てきます。それと戦い,自分自身「ブレない」ようにするには,周囲の人の,「心」や「言
葉」による助けが必要です。これは,「人」でなければなりません。ものでも,ましてや仕事でもなく。という点で,日記中の「人は、われ一人の思いこみで
は、まっさきに、間違いなく自分自身を見間違え見失う。・・・わたしは大勢の人に手を貸していただきたいと願っている。」というお言葉には大いに共感しま
した。読み違いがなければいいのですが。
また,観劇の記や谷崎の講演の記録(5・14)を有難うございます。私のお願いを聞いてくださったのかと嬉しくなりました。
実は,25日の團菊祭は,新橋演舞場の切符が取れなかったので行くことにしたものです。うらやましくも悔しくもある観劇の記でした。
また講演の記,ご意図は,確かに「その場で」は伝わらなかったかもしれません。確かに,谷崎を読むには様々なものが要求されます。歴史や文学や芸能や古
典や京阪神や東京の地理への知識,そして人間の心の襞の奥深くまで見ることも。しかし,それらの要求は,自分自身が時間の経過の中で「変わる」ことで,見
えてくるものです。湖様の話に例えれば,聞いたその場で,商品のように「自分の変化・向上」が入手できるものでもありません。たとえば谷崎に触れる別の機
会などに,はっとする経験となって生きる性質のものと理解しました。教育学では「アーハ体験」といいます。
自分の職業からの視点で申し上げて恐縮ですが,本来,教育は等価交換ではありません。時間が必要なものなのです。時間をかけて学び手が「変わった」と
き,成果が現れるのです。にもかかわらず,最近,この時間軸を無視した「等価交換的」視点がどんどん教育界に広まってしまいました。「学ぶことの意味」を
問うてくるなど,最たるものだと思われます。日大での反応がそのようなものだったとすれば,これはお辛いことだったと,お察しいたします。
本日の「私語の刻」も楽しみにしております。 麗
* 有り難う存じます。
ときどき、ひと様の日記や作品を読んでいるだけが、申し訳なくなると、割り込んでしまいました。
意識の流れのような「私語」で、もし「表現」していることがあるとしたら、「今・此処」で「生きています」という呟き、だけ。
平安神宮の桜をみるために『細雪』のひとたちが例年繰り返した「用意」の深さ・佳い意味の贅沢。谷崎をよりよく「読む」には、そういう「用意」が大事だ
とわたしは伝えたいのです。そのためにわたしの「谷崎愛」とは、と思い直す機会になりました。
週末には友枝昭世の能『邯鄲』そして狂言は『文蔵』です。能はこのごろは喜多の昭世、観世の栄夫ぐらいにほぼ限って、せいぜい歌舞伎や新劇に行きます。
眠くて目の玉が「でんぐりかえる」から、お能は「勘弁」という家内なので、能には一人で行きます。
漱石の『心』の「先生」を翻訳する海外の人は、「sensei」としているそうです。教師と先生とは「兼ねねばならないべつもの」だなあと、わずかな体
験で、よく思いました。とりとめなく。
お元気で。 湖
* 此処には載せないが、ニューヨークで勉強している若い若い孫娘なみのともだちの、真新しい日記も、とても面白かった。
☆ ドイツへ ハーバード 雄
来月の始めにミュンヘンに行くことが正式に決まった.6日にボストンを発ち,10日に帰ってくる予定.
今朝,メールを開くと,秘書のフィリスが明日から1週間休みを取るという.全く聞いていない.初耳だ.先週,出張の準備をしているときに,教えてくれれ
ばよいのに.慌ててドイツのラボにメールを送り,先週こちらが打診した予定で良いか確認のメールを送る.
先方からのメールを待つ間,取り合えずフィリスに頼んで,こちらではどういう出張手続きが必要なのかを聞き,航空券の予約を始める.
ついでにホテルの予約も始めようと,expedia.comでホテルを検索するが,一体どれが良いのかさっぱり分からない.土地勘がないので,いちいち
地図をクリックするが,地図が小さすぎる上に拡大されすぎていて,縮小しないとさっぱり分からない.旅好きの人は,どのホテルにするかを決めるのも楽しみ
の一つなのだろうが,僕は苦手.時間がたっぷりあれば楽しめるのだろうが,仕事をサボっての作業なので嫌気が差す.おまけに予算も限られているので,洒落
たホテルなど望めない.
途方に暮れた時,マイミク「ぶんちゃん」さんがミュンヘン在住であることを思い出し,メールでアドバイスを請う.
いつもだと先方のラボからのメールは中々返ってこないのだが,事情を説明して今日中にお願いしたせいか,昼には返事があり,予定通りで良いとのこと.ど
うにか航空券の予約を終えた.僕はこちらでヒストリーのあるクレジットカードを持っていないので,フィリスが立て替えてくれた.
今朝,こうなるとは全く知らずに,実家から送ってきた緑茶が飲みきれないのでフィリスにあげたのだが,それで機嫌を良くしたようだ.
さらに,先方のラボのボスが最寄りのホテルも教えてくれた.
早速予約しようかとサイトを開いたのだが,なんと予約のページが全てドイツ語.全く分からない.仕方なく,livedoorの翻訳ソフトのページでドイ
ツ語を英語へと翻訳する.さらに,英語に訳しても分からないところを,英和辞典で翻訳.ヘトヘトに疲れた.
ようやく最後のページまで辿りついた時,怒涛のごときドイツ語が.さらには「来ても泊まれないこともありうるので,その場合の保険が・・・」とある.そ
れを見た瞬間,一気にやる気が失せた.
ぶんちゃんさんからのメールでお勧めになっていたホテルのホームページを開く.なんと予約のページに日の丸のマークがあるではないか.
あっさり,日本語で予約してしまった.さっきまでの苦労は一体何だったのだ.最初に予約しようとしていたホテルより少し高かったのだけど,税込みだった
ので,トータルではこちらの方が安く上がった.やれやれ.
* 自分がこういうハメになったらと思うと、彼の動悸が伝わってくる。そういうふうに「書く」のは、なかなか。易しくない。
* 六月歌舞伎座の座席がとれたと連絡があった。演舞場での『妹背山婦女庭訓』の「御殿」につぐ場面が観られる。幸四郎が大判事。昼も夜も番組充実、梅雨
は梅雨なりに胸を濡らし、しっとり楽しみたい。京都での美術文化賞授賞式を終えてきてから。
* ベルナデット・ラフォンというあまり観ない女優の『私よりも美しい私』とかいう珍しい題のブラック・ユーモアの映画に吸い寄せられた。しまいまで席を
起てなかった、ずいぶん笑わせてももらった。男を性的に翻弄し殺人も窃盗もテンデ気にしないアッケラカンとした犯罪女性の物語。フランス語の音楽的な聴感
にもふと魅せられる。
* 『太平記』がおよそ成ったとき、日本の中世は太平どころか、ほど遠くなっていった。平家物語、太平記、そしてわたしはさらに応仁の乱のころへ次なる関
心を重ねて行こうとしている。
* フランス革命はおびただしい恐怖政治の犠牲の血を流し続け、ロベスピエールもサン・ジュストも断頭台に果てた。彼らは「サン・キュロット(長いズボ
ン)」のしかも小ブルジョワや農民の支持を得て、革命の完成に奮迅の努力を重ねたが、「キュロット(半ズボン)」の貴族や大ブルジョアの権力支配へ落ちつ
いて行く歴史の流れを、阻みきれなかった。基盤が狭く薄かった。「キュロット」は多く殺戮されていたが、「サン・キュロット」の力を突き抜いてブルジョア
資本主義への動向を決定的にする勢力は、「平原派」と呼ばれる中間勢力として多数残っていた。
わずか五十日後には断頭台に斃れる運命のロベスピエールら「モンテーニュ派」の巨人たちが、革命の「絶頂」として実現した「革命祭典」の演出は、それは
それは大がかりにかつ緻密な意向で構成されていた。責任編者の桑原武夫さんも謂っている、まさしくそれは近代オリンピックやまた北朝鮮の好んで行うあのマ
スゲームのみごとな濫觴・嚆矢というべきものであった。「恐怖政治を必要とした思想」には少数の権勢により人民大衆の支配が二度と為されてはならないとい
う「不動の理想」が働いていた。理想は、だが、持ち堪えられない。
フランス大統領選に敗れたロワイヤル女史には、どの程度かは確認できないがこの理想が生きていたかと見受けられる。当選したサルコジ大統領は、むしろフ
ランス革命を事実上終結させた軍政皇帝ナポレオンとブルジョア資本主義との継承意志が見て取れなくない。
* 右脚、ブリ返したように痛む。神経内科での検査の結果、腎臓はすれすれの正常。悪玉コレステロールも似た感じだが、少し正常値よりはみ出ていた。聖路
加の検査値よりかすかに良くなっている値もあり、つまり脚の痙攣は、糖尿病からの悪影響。入念なコントロールがぜひ必要と。糖尿病は、腎臓と、神経と、眼
に来るおそれの濃い病気であり、ふくらはぎの痙攣痛や足首下の冷化などは神経系の障害と考えられ、眼にもそれが来ている現状。腎臓も安心できない、用心せ
よと。なんら疑う余地もない。そしてその先に、自分自身の意向も、希望も、ある。
* 五月二十三日 水
* 芝白金台の寺に、孫・やす香の墓参。
目黒駅前で建日子の車にひろってもらった。夏を想わせる日照り。庭園美術館や自然教育園前を通りすぎてゆく。医学書院のむかし、この道をとことこ歩い
て、取材の仕事で白金の公衆衛生院によく通った。今は大通りの西側におおきな高層住居がふえているが、印象は昔とそう変わらない。むしろ左に、広尾の方へ
降りてゆく広い道路ができてから、東側へ空間が明るく開けたと感じられる。わたしの歩いていた頃は迎賓館がまだ庭園美術館になってなかった。自然教育園へ
は東工大での授業の帰りに立ち寄ったりした。
八芳園に車を預け、表通りへ戻って、黄檗宗であるらしい寺院の参道へ入った。道の脇の季節の花も、つよい日差しにつぶされたように萎えがち。やや殺風景
な石道がまるで夏日にぎらつき、額を灼かれる心地で小門の内、右に大きな扁額を掲げた堂の前へ出た。
境内、木立まばら。真昼時の閑散とした小径を、ためらわず墓地に入った。
そう整然とした墓地ではない、が、ゴミの籠は通路脇にみな空で、掃除は行き届いていた。木立も木陰もまばらで、目立つ大樹は目に入らないが、道や墓の根
回りに季節の花がいろいろに咲いていた。紫陽花も。皐月も。山吹も。
★★家の墓所を、墓石を、教わっていた見当に少しもはやく見つけたかった。ただただ見つけたかった。「やす香、みんなで来たよ」と呼んでいた、胸の内
で。
両親に打ち明けないで、おじいやんやまみいをあえて保谷へ訪ねた、やす香。どうかお墓に参ってあげてください、きっとみなさんを、やす香はお墓で待ちか
ねていますと、顔も見知らない人に誘ってもらった。有りがたかった。嬉しかった。
* 「★★家」とだけ表に書いた墓石を、ちょっと意表に出た角地に、建日子が先ずみつけた。おかめ笹と十薬の花とに少し囲まれ、右の脇道へまわると、「や
す香」の命日と享年が、★★の祖父・祖母についで三行目に刻してある。その「やす香」の文字を、おもわず掌で何度も何度も慈しみながら泣いた。泣くよりほ
かに、墓石の裏面に向かい合うすべをわたしは知らなかった。妻も、叔父も、何度も何度も同じように「やす香」の文字を掌に包んだ。いつでもいい、何度でも
いい、来たいときはいつでも何度でも好きな格好で保谷に訪ねておいでと言って、やす香より何倍も歳のいった三人が、孫を、姪を、心から惜しんで泣いた。墓
正面の枯れた花や、散らばったものや、雨風の汚れ水を、妻が、少しばかりきれいにした。
「やす香」から立ち去りがたく、けれど、ほかにどうしようもなかった。卒塔婆や水塔婆を建てる備えもなかった。
たまたま表に「★★家」とある墓石の裏面が脇道に真向いていて、名が刻んである。わたしたちは、それをこそ「やす香のお墓」と眺め、掌を合わせてただ佇
むしかなかった。わたしはただもう念仏十念、十数念。
「また来るよ、やす香」と声かけ声かけ墓地を辞してきた。あまり強い日差しに、わたしは堪えかねまた墓前へ立ち返って、鞄に持ってい冷えたペットボトル
の水の栓を切った。「やす香」「やす香」と呼びながら、刻んだ名に、墓石に、また亡くなられている★★祖父母の名にも、せめてそんな水を注ぎかけてきた。
* 境内から脇の石段を道路へ下り、八芳園本館で三人で軽食し、ゆっくり話した。
妻が建日子の仕事場へ行きたい、猫のグーの顔を見て帰りたいというので、遠くない、いや近いと謂えるほどのマンシォンに立ち寄ることにした。脚はよほど
痛んでいたが、脚の投げ出せるソファにすわり、ウイスキーを所望した。なんと到来物の「ブラントン」が封切らずにあり、建日子は気前よく振る舞ってくれ
た。好きなバーボンだ、感謝。
やがて恵比寿駅まで送ってもらい、一路保谷へ帰った。
* やす香に逢ってきた気がする、嬉しい、寂しいことであった。
そして今、わたしたちが心から毎日毎日気に掛けているのは、もう一人の孫娘、たった一人になった孫・みゆ希のこと。心ゆく、元気な日々、満ち足りた日々
を、新一年「パフォーマンス科」の高校生らしく満喫しているだろうか。「日本一の歌手になりたい」とか風の便りは伝えてくれている。わたしたちは、ただた
だ、心身健康でいて欲しい、安全でいて欲しいとみゆ希の幸せを願っている。
* 杖なし、歩いて目黒まで行き恵比寿から帰ってきたが、脚は痛んだ。六月の京都行きは断念した。旅行鞄が必ず脚へ負担になる。それまでにも、二度三度四
度とどうしても都内に出歩かねばすまぬ用がある。一日中、ペンの理事会・総会・新理事会・懇親会というハードな日もある。それにこの痛みに対する治療は、
神経内科でもされ得ない、つまりは糖尿病を管理するしかないようで、痛み止め毎食後三週間分が、わたしの希望で、念のために出ただけ。とくに近くのその医
院に通うわけでもない。
* 夕刻前に帰宅したら、いいメールがさしあたり二つ届いていた。その一つは、『愛、はるかに照せ』への熱・情こもった有りがたい批評でもあった。わたし
が言ってはおかしいが、ちからづよく、まっすぐ核心部へ肉薄されていた。敬服した。
☆ おみ足のご様子、心配していました。「私語」を拝見しながら、毎日「早く病院に行きなさい!」とヤキモキしていました。
糖尿病はささいな傷でも悪化しやすく、しかも痛みをあまり感じなくて手遅れになりやすいとか。どうせおせっかいナースの言うことなどお聞きにならないで
しょうが、本当に「過信」「油断」は禁物です。強引に「歩いて治そう」なんて何たるバーバリズム! 通院を続けて早く治してくださいね。
私は腰がいつまでたっても治らないのでうんざりしています。病院にも行きましたが、今のところ効果がありません。パソコンの前に長時間座ることができま
せん。掃除も手抜きし、猫の毛舞う家の汚れを見て見ぬふりをする努力をしています。(それは望むところでしょと、ツッコミは入れないでください。)
少しずつ書き進めるしかなくて遅くなりましたが、『愛、はるかに照らせ』の感想を書きましたので送らせていただきます。読者の自由で、好き
に書き散らして、失礼の程お許しくださいませ。お手空きの折にでもご一読いただければ幸いです。
『愛、はるかに照らせ』は、私にとって感想を書くのが難しい本で
す。
まず、「愛」という人生根幹のテーマでじつにじつに重い本だったことがあげられますが、初読した時、ある種違和感がつきまといました。
このようなことを書くと叱られるかもしれませんが、取り上げられている短歌より、秦恒平の批評のほうが文藝として素晴らしいと思えることが多々ありまし
た。私の鑑賞力の足りなさだけではないでしょう。たしかによく選ばれた佳い歌なのに、明らかに秦恒平の「読み」のほうが面白い、あるいはより詩的であると
思える詩歌を前に、私は頭を抱えていました。たとえば、(以下 秦恒平の地の文は『 』で囲みます。)
いねがたき我に気付きて声かくる父にいらへしてさびしきものを 相坂 一郎
『「ねむれないのか……」襖ごしにでもあろう、父は子を気づかってくれる夜ふけ。多少のいらだちも抑えて、「えぇ」と答えたのか「いいえ」と返事した
か。ここまではごく分りよく、そして「さびしきものを」に無限の情が籠もる。この父は自身衰老の坂をはや下りつつあるのやも知れぬ。この子は、たとえばせ
つない恋を失った直後であるのやも知れぬ。失意とも不安ともつかぬ日々の夜の底で、言葉にもならない声を父と子はかけ合いながら、縁のきづなを手さぐりし
て、しかもそのように生きつぐ寂しさに生きの命の重さをおし量っているのだろう。子は父の健康を、父は子の幸福を。しかも父であり子であることの測り知れ
ぬどんよりとした、くらさ。』
この歌は秦恒平の解説、とくに最後の数行によってより美しく「詩」として完成すると感じられてなりませんでした。こういう例は、他にいくつも見受けられ
ました。
詩はあらゆる文藝の精髄ですから、詩以上に詩的な批評というのはあまり見かけません。それがこのご本ではアンソロジーには不釣り合いな、ねじれ、逆転現
象がおきています。私は自分のこの違和感の原因がわからず、最後まで首をかしげながら読んでいました。
ところが、もう一度読み始めてすぐに、自分が「愛の、詞華集」という副題に惑わされていたことに気づきました。『私の解説や鑑賞が、作品を新鮮に読む喜
びを読者から奪うほど過度にわたるまいとも、心がけた』という作者の表明を鵜呑みにしてはいけないのでした。
初読時、私は愛についての短歌や詩を味わい、当代きっての読み手の鑑賞、解説を読む、あるいは優れた文藝評論を読むような心構えでこの本を読んでいたの
です。それはたしかに間違えではないのでしょうが、作者の真意とはずれていたと思います。
『「父」「死」「愛」。作家であり父である私のモラルは此処に、肉声で具体的に示してある。娘・夕日子も息子建日子もそんな父、こんな父に見守られ慈し
まれていた。もうとうにいい大人の彼女や彼がどう生きて行くかは、本人それぞれの責任である。巻中、清水房雄氏の短歌にも聴きながら、「長き苦しみ」を生
きた「父」のこの一冊は、死後におよんで変わらぬ、二人へのまた親しんだ若人たちへの「遺書」と思ってくれていい。』
つまり、『愛、はるかに照らせ』は愛についての詞華集の体裁をとった、独特の「作品」でした。選歌という一つの「創作」があり、その後に批評とエッセイ
の境界線を跨いで、全体としては湖の、愛についての思想を述べた一種の「小説に近い」作品。創作的に選ばれたアンソロジーと批評的エッセイの合体。文藝評
論的エッセイ。アンソロジーフィクション? とにかく今までの文学のジャンルに色分けされない新しい「形」の「創作」なのです。
そう読むと、疑問が氷解して、俄然面白くなってきました。
以前にロラン・バルトの『恋愛のディスクール・断章』をお読みになったことがあるかとお訊きしたことがありました。ああいう形式なら、秦恒平という文学
者のほうがもっと美しく書くのではないかと、そんなことを愛読者として勝手に想像をふくらませてしまったのです。
この一冊は私のその「願い」にかなうものでした。作者が意識的にそう書いたのかどうかはわかりませんが、そう読むと納得できると思いました。少なくと
も、私の感じた違和感は、この読みで解決の糸口が一つ見つかったのでした。
『愛、はるかに照らせ』は「私語」に似た一種の断片の文藝。断片が全体を凌駕する秦恒平独特の創作形式ではないかと、そんな風に私は読みたいと思いま
す。多くの愛の短歌や詩を利用して、秦恒平は、自身の愛の世界を表現したのだと思います。
私は和歌短歌の魅力を深く愛するものですが、この文学形式には限界も感じてきました。紫式部がなぜ優れた歌が詠めるのに歌人におさまらず、「源氏物語」
を書いたのか。和歌だけでは紫式部には不充分だった、和歌で表現しきれないものがあったのだろうと容易に推測できます。
同じことは谷崎にも秦恒平にも言えて、その気になればいくらでも佳い歌が詠めるのに歌人にならなかったのには作者の資質と理由があるのです。
『愛、はるかに照らせ』は短歌の魅力と限界を知り尽くした秦恒平が、短歌の魅力を最大限に引き出しながら、その限界を補い新しい可能性を付加する試みの
作品とも読めるのではないでしょうか。批評的「歌」についての物語としても読めて、じつに盛り沢山に豊かに味わうことができます。
適切な譬えかどうかわかりませんが、イタリアのラベンナの有名なモザイク美術のような一冊です。秀逸な俳句論、短歌論、歌人や俳人論、秦恒平の人生観な
どがモザイクのようにちりばめられて、全体をみると詩歌の諸相が色とりどりに反射し、きらきら輝いて見えてくるのです。
順不同に心惹かれた批評の一部をいくつか書いてみます。
『 恋を歌った近代詩は、藤村以後の方が、佐藤春夫にせよ北原白秋にせよ室生犀星にせよ、むしろ過剰な感傷と修辞に酔い気味であったのかも知れぬ。国民
的に愛誦されてきた恋の名詩をその後ほとんど持たない詩史…に、日本と日本語の不幸があるといえば、詩人たちは何と応えるのだろう。
この作者には「手」をうたった歌がひときわ多い。無神論者啄木でも何か不思議な力が信じたい、こういう切羽つまった時こそは殊にそうだったろう。啄木は
そういう時「ぢつと手を見る」人だった。「死児のひたひにまたも手をやる」手当てびとだった。くやしい、せつない愛の「手」だった。「手」を信じ「手」に
失望した詩人。
俳譜は眼だなと思わせられる。
子規のえらさは「歌」にせよ「句」にせよ生かして使いこなす、文字どおりの生活感にある。ものともせず意を尽くしてしまう。「写生」意識のなかに、紛れ
ない「写意」感覚もある。「趣向」や「趣味」もある。面白くする工夫をいやしいなどとは夢にも考えていない。この大らかさが今日もっと回復されていい。
臨終の母をかくも壮大に歌いあげた歌人の、詩集と「うたごえ」の力づよさに私はおどろく。短歌の感動はここに極まっている。言葉の斡旋だけを歌と心得て
得意顔の歌人は恥じよ。茂吉の歌は、さながらの大噴火である。あかい炎に岩も灰も混じって、それすらも噴火(歌)ならではの魅力となる。
短歌表現とルビの問題はもっと検討されてよい。
どう技巧的にうまくても、この「うったえ」の力ない歌は心に残らない。
友情を歌った「歌」もなにも、日本の国には、雪月花を三つの風雅の友に見立てたりする美意識がありながら、人間同士の「友」としての信頼や愛情を主題に
した「表現」が実に少ない。……よくも悪しくも「血縁」に重く、「他人」のなかから真実の「身内」つまりは真実の「友」を見出すのがへたな民族らしい。い
わゆるフレンドシップは、日本では今も育ち切っていない。 』
拾いだしたのは、書き写すのに時間のかからないほんの一部ですが、簡潔にして見事というしかない批評です。さらに、批評の間にちりばめられた作者の述懐
は、時に取り上げられた詩歌以上の、散文「詩」として読むべきではないかと思います。
『 人として生まれてもっとも不思議な選択と決意とを示した人間的な行為は、結婚である。
どう老いようとも「母」には母の領分が厳然と在る。それを認めてなお「母」を見守らねばならない子の視線もある。 「老」は親だけが負う重荷でなく、子
もすでに負うている。「親」への深いため息のような愛は、すでに自身への苦しい吐息でもあらねばならない、それほど「子」として生きるのもまた寂しいつと
めなのだ。
親のまだ元気な人には分からない。五十になり六十になっても、まだ「親」が生きていてくれるのは無類に嬉しく頼もしいものだ。海山を越えて生きて来た豪
のものでさえも、いざ親に死なれてみるとすぽっと頭の上が寒く心細くなる。
わが親の、子へ、まぎれないこの自分へ傾けてくれた愛は、みんな親から子への「片思ひ」だったか。いや、子の我の心なさで、力ずくその海山の愛を「片思
ひ」と同じ結果に終わらせたのではなかったか。作者は親として、父として、今、その「片思ひ」をしていればこそ、痛切に亡き親たちの心が分かるのだ。世に
ありとある親はそう思い、世にありとある子も、いつかきっとそれに気づく。人間のすることは、いつも、なにかから、一歩も二歩も遅れている。
「家族」の愛は清いものと限らず、修羅と相剋の渦に毒気を煮詰めている場合も少なくない。
師とは全人格、全生涯をかけての師であり、弟子もそうなのである。そして何度も何度も出会い直し出会い重ねて行く。
夢の夢である儚い価値に気づかなくて、どうして現実の価値が見えようか。 』
一行一行が筆者秦恒平の命の滴のようで、飲みほすと純度の高い美酒の味わいに陶然としますが、いささか酔いがきつい読書だったかもしれません。一つ一つ
の愛の歌が心に重く痛く、秦恒平の「遺書」というほどの創作がずしりと胸底に沈みました。
最後に、『愛、はるかに照らせ』は愛の詩歌をとりあげて愛の諸相について語りながら、詰まるところ秦恒平の究極の文藝愛を歌いあげている一冊と申し上げ
たいと思います。
一体どれほど膨大な読書がこの一冊を創りあげたことでしょう。秦恒平以外何人もなし得ない文学愛の集大成でした。私は読んでいて作者の文学に対する渾身
の愛に胸が熱くなったのです。秦恒平は「文藝愛の作家」と呼べるかもしれません。たとえ恋愛小説のかたちをしていても、文藝への愛に貫かれていない作品は
ないのです。
「今・此処」に、大いなる愛の一冊をお届けいただき本当に感謝いたします。
さて、以下は、あくまで個人的な好き嫌いの感想です。そしてとてもプライベートなことを書きます。ものの価値を決める判断基準の一つは「好き嫌い」でも
ありますから許してください。
好きな歌を二十選んでというお言葉でしたが、少し難題でした。どうしても自分の価値観が秦恒平の「読み」に影響を受けてしまうからです。そこで、文学と
しての価値を抜きにした好き嫌いを「一つ」だけ書きます。
これやこの一期のいのち炎立ちせよと迫りし吾妹よ吾妹
真命の極みに堪へてししむらを敢てゆだねしわぎも子あはれ 吉野 秀雄
吉野秀雄の一連の歌が『日本短歌史上、卓越した成果』であり、吉野秀雄が『萬葉の昔から現代までを通じ最もすぐれた挽歌の詠み手』であるという湖の評価
はまったくその通りでありましょう。凄まじい慟哭の歌に思わず身震いします。
しかし、名歌と感動しながら、私にはここに描かれる愛が、夫婦愛の極み、とは思えないのです。夫である吉野秀雄は妻を愛していた。これは真実でしょう。
でも死にゆく妻の愛はこのようなかたちであっていいのでしょうか。私はこの妻の愛の痛ましさに胸うたれますが、共感できないのです。
自分に死が迫っていると感じていたなら、このように夫を愛するのは酷です。なぜなら、湖の言うように、「死なれる」というのは『もっとも苦しい受身』だ
から。激しい愛の絶頂の記憶は、遺される夫の長い人生を嘆き苛ませるでしょう。「死なれ」た後の夫と子どもの人生を幸せに導くのが、若く死に選ばれたもの
の愛だと、少なくとも私はそう思います。
ここに歌われている妻に夫への愛はあったけれど、それは「小我の愛」にすぎない。だから、この歌の感動は茂吉の臨終の母を詠んだ歌の感動には及ばないの
です、私には。
ずっと以前にテレビで西部劇を観ました。
題名も忘れてしまいましたし、名作とも思いませんでしたが、ストーリーが強く印象に残りました。
余命いくばくもないと医者に言われた妻が、夫に新しい妻、子どもたちに新しい母となる女を必死で探し歩くのです。あの当時の西部は女の数が少ない上に、
子だくさんの、過酷な労働を強いられる農家だったか酪農家では、後添いに来てくれる女を見つけるのは容易ではありません。
やっと承諾をとったまじめそうな女を夫の元に連れていくと、もともと妻を愛していた夫は絶対いやだと拒否。妻が女手なしには一日だって夫も、乳飲み子を
含む子どもたちも生きていけない切羽詰まった現実を説ききかせると、夫は後添えを迎えることを渋々承諾したものの、妻の連れてきた女はいやだといいます。
妻がなぜだめなのかと問い詰めると金輪際「抱く気持ちになれない女」だからと。そこで後添え探しは振り出しに戻ります。
あちこち出かけ万策つきた妻は、道中たまたま出会った美しいけれど酒場の娼婦に「私の夫と結婚して」と頼むことになります。自分の生活に嫌気がさしてい
た娼婦はしばらく躊躇してからいいわよと答えます。女を連れ帰ると、夫は「娼婦じゃないか。正気か」とあきれたものの、前の女とどちらを選ぶかと迫られて
しかたなく女を受け入れることとなり、夫と妻と娼婦との奇妙な同居生活が始まります。
妻は子どものおしめの替えかたからはじめて、家事労働を娼婦に仕込みますが日々病状は悪化し、ついにベッドから起き上がることもできなくなります。
そんなある夜、妻が死ぬことに堪えられなくなった夫が庭でひとり泣いていると、娼婦がやってきて慰めます。そして二人は結ばれます。
翌朝そのことを知った妻は娼婦に、夫とのセックスはどうだったかと訊ねます。妻は自分は夫との性に満足していたけれど、何しろ夫しか男を知らないから、
そう言うと、娼婦は今まで経験したなかでも夫とのセックスはよかったと答えるのです。妻は満足そうににっこりして、そして数日後に亡くなります。
映画の結末はよくおぼえていません。たぶん、長い歳月が経って仕事に成功した夫とすっかりエレガントになった娼婦がとても幸せに暮らしているところで終
わったように記憶していますが、定かではありません。私の関心は妻の死までしかなかったのでしょう。
「愛の最もむごき部分」は、妻が夫や子どもたちの記憶からさえ死んでゆくことを決めた、正真正銘「捨身の選択」にあるのでしょう。
自分が死ぬ前にどうか愛してほしい、忘れないでほしい、抱いてほしいと夫に願う、あるいは自分が夫をこんなに愛していると訴える……それはたとえ「愛」
に変わりはないにしても、自己愛に近い小さな愛。映画のなかの妻が、生の証でもある性の情熱を、自身の最後の日々に夫と燃焼させる道を選ばなかったのは、
「大我の愛」だと思います。
抱いてくれと頼めばひしと抱きしめてくれる夫を、悲しみに後追いしかねない夫をあえて突き放して、新しい愛の可能性に譲る。自分など忘れられていいと、
妻は徹して自分を捨てた。身を引いて自分の愛するものをすべて手放した。ただ、これから長い人生のある夫と子どもの幸せのみを願った。私にはこれが人間の
最高の愛のかたちであろうと感銘を受けました。(映画そのものは芸術的高みに達しているものではありませんでしたが)
吉野秀雄の歌は生と性と情熱の讃歌。悲劇的であっても、人生の幸福の瞬間を描いた歌です。その意味で圧倒的な名歌と讃えたい。しかし、真実の愛はもっと
「美しくない情景」にひそんでいる気がしてなりません。私は、むごい愛をむしろこちらの歌に感じます。
病む人をぬぐふと絞る手拭に夫の臭ひのして哀しけれ 脇 須美
この歌は歌の格として吉野秀雄作品に到底及ばないと思いますが、愛の格でいえばこちらのほうが高いと思いました。
高村光太郎の詩の一節に「愛はぢみな熱情だから」とありました。
愛する人のため火の中に飛び込んでいくことと、手拭いに臭いのつくほど長く長く患う人への介護のどちらがより困難かと考えると、それは後者のほうだろう
と思います。
華やかなもの、楽しいもの、晴れがましいものなど一切なくなって尚、黙々と単調で過酷で地味な介護を続けるのはやはり愛。燃え上がるもののなくなった中
からとろ火を絶やさないのが「不屈の愛」でありましょう。
私は「夫の臭ひ」の一言の中に長い結婚生活の中の妻の苦い体験なども感じます。世の中に夫に裏切られたことのある妻がどのくらいいるのかわかりません
が、この「臭ひ」の使い方は微妙な嫌悪を含み、幸せなばかりの妻ではなかったろうという想像を抱かせます。
この夫は病んでやっと妻の元に戻ってきた夫かもしれない。若く健康な時代を妻一筋には捧げなかった夫が、老いて病んで妻の支えしかなくなったさまに、妻
の万感こもった「哀しけれ」があると読むと、これは苦しくて真実哀しい愛の一面です。そういう想像を誘うという点で、私には共感できるものがありました。
文学的価値とはちがうものですけれど。
もう一つ付け加えるとしたら、私は吉野秀雄の歌に「無意識の嫉妬」を感じるのかもしれません。あのような『一瞬に金無垢の炎と燃え上がれる』性の悦びは
私には決して得られない世界だからです。未知の世界なのです。無縁なのです。もし、性のエクスタシーが男への愛に不可欠だとしたら、私の女としての人生は
惨憺たる失敗です。
井上靖の『不在』を取り上げてくださって、少し救われる気持ちがしました。「神の打った終止符」を清々しく受け入れるのも愛としたら、私にも可能な愛で
ありましょう。
『 真に人間的な「愛」とは、親子も夫婦も含めて本当は「友」としての愛であるのが正しいのでは、なかろうか。私は、かねがね、そう思って来たのだ
が…。』
女として欠落した私ですが、せめてこの友としての愛を与え・受ける、そう生きられたらどんなに幸福だろうと思いました。
一つ一つの詩歌に、さまざまな想い……後悔や断念や羨望や感謝が入り乱れ、ある意味呻くような苦しい読書でした。喉元に剣を突きつけられるように、愛に
ついて問われ続けるご本でした。これからも湖のお声を聴くように繰り返し読み続けることでしょう。
湖、お元気ですか。お幸せですか。どうぞ脚を早く治してください。
追伸 糖尿病に鍼灸治療はいけないのですか? 全身の血流をよくするという点でとても効果のある療法ですから、もし可能なら、きちんとした病院ではじめ
てみたらいかがでしょう。 聖
* 著者冥利とはこういう、きちんと書かれて批評的な「愛読の記」をもらうことだ。好意的にかなり甘い点数だが、著者自身の意図をここまで汲んで頂けれ
ば、書いて良かったと心ゆくものがある。吉野さんの有名な一連の作に対する批評も、これは吉野短歌にというより、秦恒平の或る「不十分」への批判であるだ
ろうと、有りがたく読んだ。
世の中が真っ暗になっても、こういう読者を持ったという思いが道の先を励まし照らしてくれるに違いない。書き手は、多くのとは言わない、たった一人でも
いい真実読み込んでくれる読者をもちたいが本音であり、そんな本音を「かつて知らない」「知らなくて済む」ような安い書き手にはなりたくなかった、わたし
は。一度としてなりたくなかった。
☆ あんまりお天気がいいので、思い立ち、衣裳ケースにしまってあったTシャツを全部洗濯しました。夏に備えて。花は、とても元気です。
もっとも季節の変わり目だからでしょう、皮膚の具合が芳しくありません。特に顔の。基礎化粧品を変えてみようかと、考えているところです。
風、やっとお医者でみてもらったのですね。ちょっと、ほっとしました。
でも、診断はほっとしていいものではなく、花は、風ご自身の管理を期待します。期待します。どうか、少しでも長く、風のお作が読み続けられますように。
花
* 期待…か。応えなくてはね。
* 次の、「優」さんの「mixi」日記は、ぜひ此処へも戴きたい。そして声を大きくして、此処で告げたい。お願いすらしたい。「今」を憂えているどなた
にも、迂遠にきこえて端的・確実な、「おすすめ」を書き添えておきたい。
わたしの「今・此処」を目下励まし力づけてくれているのは、中公文庫『世界の歴史』第十巻、桑原武夫責任編集の『フランス革命とナポレオン』です。これ
を愛読し熟読しながら どうか日本政治の現状の巨大な危うさ、途方もない退廃に気づいて欲しいのです。易しい筆致で、的確に歴史を再構築し記述してくれて
います。記述は公正で立派です。莫大に教えられます。すぐ手に入る示唆豊かな好著です。
☆ 蔓延するスノビズム、労働者よ団結せよ! 優 e-OLD
「けなげなる茶髪少女を貧乏人と 吐き棄つる汝(な)はスノブの卑劣」 (都下多摩、一加齢茶髪男)
東京新聞等に掲載された、母子家庭に育ち家計を助け、将来は進学、獣医志望の夢を持つ16歳の茶髪のバイト少女が不当解雇に立ち上がった一件 (以下、記
事転載)
2CHスレに早速こんな名無しの言葉が吐き棄てられた。
「茶髪って貧乏人に多いんだよな」
上流気取りの勝ち組と錯誤するスノブが、とくに親のすねかじりの若者がはびこり続けている、暗くジメジメと。
俗物根性、紳士気取りは辟易する。
お前らは何なんだ。親の丸抱えで進学校を出て、一流企業に就職したとして、偉そうに....かつて自分の足で立ったこともないくせに、
おまけにいつも名無しで、弱者を低く見て省みない、卑劣のきわみ。
笑止では済まぬぞ、
情けなや。
私の回りでは、労働者階級から、苦学(働きながら勉強すること)し――奨学金で学校を出て社会で自立している若者を多く見聞きする。そういう彼らを陰な
がら応援する。
言っておくが、茶髪はファッショナブルだぜ。
中には、恵まれぬ生育環境にあって、いまは外面しか磨けない落ちこぼれもいるけど、みんな同じ制服着て親の庇護・過保護と見栄で囲われている血色の悪い
子らの方がずーっとダサくて気色悪いんだ。
こんな姿(な)りで、日本の一部保護区域だけでなら通じるけど、厳しい社会、広い世界に飛び出りゃおおかた落伍するぜ。
も一つ言っておくが、英語のgentleman はgentle+manであって、元は「奴隷を、家僕をいたぶらぬ、傷つけぬ」なんだ。
☆ 『「茶髪は解雇」覆す フリーター泣き寝入りしない 2007年5月20日』 (東京新聞)
「茶髪」を理由にアルバイト先から解雇されそうになった16歳の少女が立ち上がった。東京都内に住む福家(ふくや)菜津美さん。フリーターらの労働組合
「首都圏青年ユニオン」に加わって団体交渉に臨み、会社側の姿勢をただした結果、雇用継続を勝ち取った。
「自分と同じような目に遭った人のためにも言わなくちゃって、がんばった」。
少女の笑顔は、不当解雇にも泣き寝入りしてきた非正規雇用者たちに、希望をもたらしそうだ。 (佐藤直子記者)
「まじめに働いてきたのに、なぜ辞めなくてはならないのですか」
4月下旬、団体交渉が行われた豊島区内の会議室。机の向こう側の会社幹部や解雇を言い渡した店長、顧問弁護士に向かって福家さんは一息に言った。弁護士
が答えた。
「髪の色が、店の規則に合っていないからです」
地元のファミリーレストランでアルバイトを始めたのは中学卒業後の昨年4月。時給820円で週3日、夕方6時から深夜10時までフロアで働く。週5日は
早朝から隣町の牛丼店でも働き、バイトの掛け持ちで毎月の収入は14万円ほど。体はきついが、将来の進学や家計の援助のために頑張ってきた。
そんな生活が今年3月に変わった。ファミリーレストランの新任の店長が従業員の身だしなみを細かく注意し、福家さんには、従業員マニュアルの色見本に
沿って、髪の染め直しを求めてきた。
福家さんは、突然の指示に戸惑った。仕事中は清潔感を保つため長い髪を小さくまとめ、装飾品は一切、外した。客から苦情が出たことは一度もなかったとい
う。
「前の店長には注意されなかった。すぐに髪を黒く染めろと言われても納得できません」。
反論する福家さんに、店長は
「一緒に働けない。辞めてもらう」
と解雇をほのめかした。半年ごとに更新されるバイトの契約期限は7月末だったが、その期限すら守られない“通告”だった。
福家さんは4月、知人の紹介で首都圏青年ユニオンのドアをたたく。フリーターの若者たちが、個人で加入している労働組合。組合員になれば団体交渉権が行
使でき、会社側と渡り合えることを知った。
「前の店長は仕事ぶりを認めてくれて時給も20円上げてくれた」。
交渉の席上、涙ぐんで声を上げた福家さんの横で、同ユニオンの河添誠書記長は
「有期雇用を繰り返してきた福家さんを雇い止めにするには正当事由が必要」
と主張した。これに対し
「(店長の言葉などに)解雇の意味はなかった」
とする会社側は、約1時間の交渉の末、雇用の継続を約束した。
同ユニオンによると、非正規雇用者の増加を受け、労働者の組合組織率は2割を切っており、残り8割は不当解雇にも泣き寝入りしているのが実情という。
同ユニオンなどは20日正午から、東京・千駄ケ谷の明治公園で集会を開催。福家さんも体験を報告する。参加無料。問い合わせは集会実行委員会=電03
(3468)5301=へ。
* 親子三人で食事しながらの会話も、どうしてもこうしても安倍総理と内閣への、与党への、野党への、また世上の事件への、そして大きな格差や差別問題へ
の慨嘆と希望のなさに話題があつまり、よそうよ、ほかにいい話題ないかなと舵をとっても、つい、うんざりする世の中への意気地のない愚痴へ戻ってゆく。
三菱東京UFJ銀行が超歴史的な好決算を出しながら、国の補助は受け取りっぱなし、しかも役員退職報酬は各一億円も支払い、安倍総理の身内であるそんな
一人への未払いを詫びても、血税による支援になんら応えようとしない強欲を一言でも詫びる気はないようだと、新聞が暴いていた。ホリエモンや村上ファンド
は刑罰されても、社会保険庁も日興證券もその他大企業の不祥事はほぼ一度も刑罰されていない。この不公平は何なんだと息子は怒る。父親は腕組みして天井を
振り仰ぐ。
* 五月二十三日 つづき
* 「ムスメと息子の最近」と題して「馨」さん。そして「雄」クンが今日も。なんだか、自分のムスメと息子のことのよう。
この二人には、わたしのような走り書きの変換ミスが、ほとんどない。
☆ ムスメと息子の最近 馨
この一週間、毎日小児科に通ってます。
はじまりは、予防接種二人分。息子の麻疹・風疹混合とムスメの日本脳炎。息子の方は、お誕生日後すぐにポリオの集団接種が入ってしまい、その後の4週間
をはしか大流行を横目にじりじりしながら数えて、いざ!と打ちに行きました。すると「日本脳炎の接種できます」の貼り紙が…。そうです、副作用があるのか
ないのか微妙な日本脳炎予防接種でしたが、ようやく「同意書があれば」打てるようになりました。ということで、即、ムスメに接種。
日本脳炎、副作用のないワクチンが開発されたわけではないのですが、ここ数年、予防接種を止めていたら日本脳炎の発症数が副作用の発症なんかそこのけに
増えてしまったそうです。
こういうとき、私は「因果関係がまだ不明確な副作用の心配よりも、日本脳炎を避けるほうが先決。もし何かあった場合は覚悟しよう」と考えるタイプです。
日本脳炎のワクチンはいま話題の西ナイル熱にも効くという話もありますし、日本の現状では、現在のワクチンを打った方が明らかにベターな選択だと思ってい
ます。
それで、一週間後に日本脳炎の追加接種をする、というのが唯一の小児科通いの予定でしたが、その後、息子は頭を打って特大のタンコブを作るわ、治ったと
思ったら40度の熱を出すわ、ムスメは学校の検診でアレルギー性鼻炎の診断を持ってくるわ(お医者様には治療の必要はないよ、と言われました)、この一週
間は結局小児科に通い詰めています。息子クンがまだまだお熱が下がらないので、もう少し通うことになりそうです。 ちょっとでも熱が下がってラクになって
くるとすぐに起きて遊び始めるのが問題。
ムスメは40度までの熱は出したことがなかったので、噂に聞いていた「男の子は熱を出しやすい」というのを初めて体験しました。
そしてその小児科通いのついでに、今までわからなかった子どもたちの血液型も調べました。
娘の場合、心ヒソカに「あってほしくないなー」と思う血液型があって、でも行動を見ているとどう考えてもその血液型の気がして、直視したくない母はずっ
と血液型検査を受けて来なかったのですが、結果、はい、予想通りでした。
オマケに息子までその血液型。母一人、多勢に無勢のA型です。(とは言うものの、私もA型と思われることがほとんどないのは確かですが。)
がっくりする母を尻目に、帰宅コールをかけてきたダンナさんにムスメは嬉々として結果を報告。
「うん、そうなの。お母さん以外みんなおんなじ。お母さん? うん、お母さん、とぉーってもがっかりしてる」
ムスメよ、冷静にそういう報告をするアナタは何者?
このムスメ、小学校生活を堪能しています。
このひと月で彼女の野生児度が一気にアップしたよう。近くに同じくらい外遊びが好きなお友達がいて、毎日のように遊んでいます。いや、帰ってから遊ぶ以
前に帰り道にどれだけ道草食っているのか・・・毎日1時間以上かけて帰ってきています。
竹の子を掘ったり(しかも、その竹の子を川で洗って食べたらしい。お腹はこわしませんでした)、崖によじ登ったり、靴を脱いでフジヅルにのぼってターザ
ンごっこをしたり(そういう日に限って唯一持っている高いファミリアの靴下を履いていっていたりする)、桑の実を食べたり、とにかく読書が好きなおとなし
い女の子だった私には想像を絶する世界。
昨日の海への遠足も帰ってきた時には靴と靴下が真っ黒。靴を波にさらわれて靴下のまま追いかけた、とのこと。帰宅途中からは裸足でした。もう何をか言わ
んや。言葉を失って母は無言で靴と靴下にタワシをかけて洗いました。
でも、よく考えるとこんなにとことん遊べるのも人生のうちで今だけなんだろうな、と思います。そう考えると、まぁ、命に別状がない範囲なら大目に見よう
かと。
それでも、学校からのお知らせで「寄り道をしている子を見かけます」と書いてあるのを見つけたりすると、「うっ」と言葉に詰まってしまう母だったりもし
ます。
みなさま、この日記、どうか学校には黙ってて下さいまし。
☆ 日記のこと ハーバード 雄
昨日,今日と,再び晴れ間が戻ってきた.気温は先々週ほど高くはないが,これくらいがちょうどいい.爽やかで気持ちがいい.
今日も一日中,電気生理.しかし,期待されるような結果が出ない.
以前,電気生理学の先生が,「生理学者は狩猟民族,生化学者は農耕民族」と言っていたが,うまいことを言うなあと思う.
カルシウムイメージングや電気生理といった生理学実験の場合,結果は一瞬で出る.しかし,何も出ない時は,本当に何も出ない.釣りで言うところの「ボウ
ズ」だ.
生化学や分子生物学の実験の場合,DNAを切り貼りしたり,タンパク質を精製したりと,手間と時間のかかる作業が比較的長期間に亘ることがあるが,全く
何も収穫できない,ということも少ない.
さて,タイトルに書いた「日記のこと」だが,今朝,カウンターを見たらアクセス数が1900を越えていた.6月前には2000に到達するだろうか.
マイミクの多い人から見たら,半年近くでこのペースは遅いと思われるかもしれない.しかし,僕の日記を読んでくださっている方は,(少なくともmixi
を介しての場合は)ごくわずかの方だけなので,それらの方が定期的に読んでくださっての2000アクセス.とても有難く感じられる.いつも読んでくださっ
て有難うございます.
この2000アクセスか,あるいは日記を始めてから6月でちょうど半年になるので,こうした区切りをもって,日記の公開をマイミクおよびその友達に制限
しようかな,と前から考えていた.そこで,以前,マイミクへの登録のお願いをした.何故か,あの時期,ちょっと良く分からないアクセスが多かったのだ.
ただ,それも最近は収まっている.たまたま訪れて下さった方の中から,定期的に読んでくださるようになった方もいる.しばらくは,このまま様子を見よう
かな,と考えている.
日記に何を書くかは,大体,帰りのバスの中で考えていることが多い.その日あったことを思い出しながら,何を書いたら良いかを,ぼうっと考えている.帰
りのバスに乗っている時は大概疲れているので,そのまま,うとうとしてしまうことも多い.
書くことが決まってからは,比較的早い.どんなに長い日でも,大体30分あれば充分に書くことができる.割合,筆は早いほうだ.ただし,「日本語で」だ
が.英語の論文を書くときは,本当に遅い.英語圏に生まれなかったことを悔やむ.
ただし,書き終えた後で,読み返して推敲することは,ある.その間も日記のことを考えていたとするならば,かなりの時間をかけていると言ってもよいのか
もしれない.
日記をつけるようになって変わったことは,それまで取るに足らないと思っていたことにも目を向けるようになったことだろうか.また,その日にあった悲惨
な出来事でも,「日記のネタになる」と思えば,儲けた気分にもなる(ただし,あまりに悲惨な場合は,思い返すことすら辛くなるが).
そして,何より変わったのは,マイミクさんとして交流を持つ方が増えたこと.これが僕にとっては,何よりの収穫だったと思う.
さらに,「湖」さんがご自身のホームページに僕の日記を良く転載してくださり,色々とコメントを下さる.これも,大変に有難い.今後も,よろしくお願い
致します >「湖」さん.
勿論,人目に触れる日記だけに,読む人のことは意識する.先週は少し長く書きすぎたので,日曜からは控えめに書いたりと,それなりに工夫はしている.し
かし,日記を書き始めた理由が自分の備忘録ということなので,どうしてもあれもこれもと盛り込みがちで,結果として長文になってしまうことが多い.読む方
には負担を強いてしまい,申し訳なく思っているが,どうかお許しください.
これまでで,一番反響が大きかった日記は,僕にとっては意外だったが,研究をやめて彼女を追ってドイツに行くポスドクの話だった.
こちらのコメントはそれほどでもなかったが,「湖」さんのホームページに転載されてからは,「研究の話に比べてレベルが低い」「結婚や恋愛に対する考え
方が古い」と厳しいご意見が多かった.
まあ,こうしたご批判ではなくても,やはり皆さん,恋愛・結婚には関心が高いせいか,色々とご意見・ご感想を寄せられた方は多かった.
色々と読みにくかったり,不適切な発言などもあるかもしれないですが,これからもよろしくお願いします.
* 馨さん、雄君とも、心身共に「健康」にそして丁寧に「生きて」いる。わたしは自身をこのような「鏡」に映して、励まされるのである。
* 「mixi」にもういくつもの力作を連載し続けている、手術後の「甲子」さんから、思いがけず、山梨のすばらしく精製された葡萄ジャムの大瓶を二つも
頂戴した。夕食していた途中に届き、わたしはすぐ飯米食を一膳でやめ、恵比寿駅で買って来たおいしい食パンにのりかえ、早速ジャムを賞味、うまさに唸っ
た。
ありがとうございます、甲子さん。
続々と小説を書き続けられる健康な意志力にいつも励まされています。米寿をまずはめざし、粘り勝ちに「甲子文学」を確立してください。
やがてまた『e-文庫「umi」』をしっかり立て直して充実させたく、甲子文庫がよりよく満たされてゆきますように願っています。
* 五月二十四日 木
* ロベスピエールが「最高存在の祭典」と名付けた世界史的なマス・パフォーマンスを主催し、フランス革命の絶頂に立ったときの彼の思想はこうであった、
と。
『民主的な政府の根本原則は「徳」である。それは祖国とその法(=憲法)への愛以外のなにものでもないから…。人民が弘くあがめているものなら、(たと
えカトリック信仰のような)宗教的偏見であっても、まっこうからそれに反対してはならぬ。人民が成長して、すこしずつ偏見を克服してゆくには、時が必要な
のだ。合理的な哲学や理論指導では美徳は養われない。立法者にとっては、実際的な効用と価値とをもつものは、すべて真実だ、たとえ神の存在とか、霊魂の不
滅といったものが、たんなる夢でしかなくとも、それらはやはり、人間精神の思いついたあらゆるもののうちで、最も美しいものであろう。』
「最高存在」という表現に、カソリックの「神」をあえて彼はほのめかしていた。
そして五十日後に彼は、断頭台を自身の血で濡らした。最後の迫ったときロベスピエールは言っている、
「私は(もうこれ以上)生きる必要を信じない。徳と摂理だけを信じる。私はこれまでになかったほど、(自分が)人間の邪悪から独立しているのを感ずる」
と。
彼ロベスピエールを、復讐とブルジョアの利益の為だけに断罪した者たち、革命憲法を改悪し、世界を物質と金銭との欲望に売り渡した「テルミドル反動」派
の言葉も、耳を澄まして聞いてみよう。改悪憲法の説明に当たったボワシ・ダングラの以下のことばほど、赤裸々にブルジョワ支配を表明したものはないと、今
日の歴史家たちは断案している。安倍内閣の声が重なっている。ボワシは言う、即ち、
* 『われわれは最良の人々によって統治されねばならない。最良の人々とは、最も教育があり、法の維持にも最も関心(=利益)をもつ人々である。ところ
で、このような人々は、ほんのわずかの例外を除いて、財産を所有し、その財産が所在している国に愛着をいだき、その財産を保護する法律に忠実で、その財産
をまもる安泰を重んずる人々のうちにのみ見いだされるであろう。』
『持てる人々の統治する国は社会組織だが、持たざる人々の統治する国はたんなる自然状態である』と。
ロベスピエールらのフランス革命の理想を蹂躙し、王政復古をも辞さないブルジョワたちはこう叫んだのである。
* これが、「美しい日本」を叫んでいる安倍内閣の考え方そのものであると気づく人はいないのか。
日本の野党も、「持たざる」国民も、学ぶべき歴史にも学んで、一握りの「持てる者」に奉仕するばかりの政権を打ち倒そうと、日本の現状に、世界の現状に
鋭い視線を射し込まねばならぬ。
上のボワシの言葉は、ほとんどブッシュやサルコジや小泉・安倍の徒の科白そのものではないか。
わたしは党派心のない、持つ気もない、その意味ではダメで力ない只一人の老境にすぎないが、血は沸き立つのである。沸き立つ血が、言葉になる。だが言葉
だけではモノゴトは大きく動かない。行動力ある若い知性にわたしは心から期待する。
* やす香のお墓参りをしたことは、言葉にならない或る「ちから」になった。もののあはれは、ちからにも安心にも繋がっている。
* 五月末から六月へ、はや押し寄せるように用事の波が。
幸い、苦になる用事はほとんど無い。その気で楽しめばみな楽しめること。新年度に入り、日本ペンクラブの方が、各委員会も含めてどうなるか、新執行部が
どんな方向へペンの舵を取る気か。すべて、この三十日の総会から始まる。
* 電子メディア委員会が総務省へ出向いて、先方官僚と対面の会議も予定している。例のわたしのホームページ全撤去というサーバーの暴行にもからんだ話し
合いであり、参加する。
* 歌舞伎座の昼夜座席券も届いた。チラシの顔写真をながめ、ゾクゾクしている。
藤十郎、富十郎の両国宝にならんで、幸四郎、吉右衛門、仁左衛門、梅玉、秀太郎、魁春、芝雀。
芝雀という女形は、面を照らすとまるっこい平たい平凡な顔になり、曇らせると絶世の美女に変わる。チラシの写真はその美女(これは船弁慶の義経であろう
から美男)の方で、見飽きない美しさ。
幸四郎は四役。うち一度は初孫の齋ちゃんを初お目見えに手を引いて出る。「オール読物」でのムスメとの往復書簡でおじいちゃんが嬉しそう。「妹背山」は
小松原、花渡しから吉野川まで。後室定高は藤十郎。幸四郎が大判事。大歌舞伎になる。
松貫四こと吉右衛門構成の「閻魔と政頼」のあと「侠客春雨傘」で藤間齋の初お目見えがある。染五郎長男、二歳とか。
夜は仁の「御濱御殿綱豊卿」に染五郎の富森助右衛門。声をしっかり治して若い高麗屋の力演を期待。次の「盲長屋梅加賀鳶」は高麗屋と播磨屋との出会い。
楽しみは大切り「船弁慶」の幽霊知盛を、父幸四郎の弁慶に立ち向かい染五郎がどれほど大きく切なく盛り上げてくれるか。妻もわたしも心を寄せて好きな、
知盛。
☆ > 孫の墓参に。
よかったですね。きのうは暑かったでしょう。
大事な人を亡くしたあと、してあげられることは何だろうと、考えることがあります。
忘れず、思い出してあげることかなあ、と。
風と一緒に、いろいろ行きたい、見たいこと、夢のようにあります。そのためにも、風の脚の痛いのが、少しでも和らぎませんとね。
風、眼もくれぐれもお大事に。
花も、近視気味で、乱視が少しあります。もう長いこと、ファンケルという会社の、「快視サポート」という、ブルーベリーエキス・ベータカロテンなどの配
合されたサプリメントを摂っています。ブルーベリーエキス単体より、効果がある気しますよ。
風元気に吹き通しますように。 花
* 右眼の右隅にかすかにひきつれたような曇りが感じられる。この半月ほどいつも継続して感じられる。鬱陶しい。聖路加の診察を待たずに近くの眼科に観て
貰いに行こうと思う。それにしても緑内障の朝夜二度、白内障の朝昼夜三度の眼薬のさしようが、なんでこう下手なんだか。
* 甲子さんに、すばらしいジャム壺のほかに、二足分の簡単履きというか室内履ききを頂戴している。いまも、履いている。ひたッと足に吸い付く感触。ス
リッパのように脱げ落ちないので階段の上がり降りに安心感も。感謝。
* 六月八日、蹴上の元都ホテルでの「京都美術文化賞授賞式」と、晩の「吉兆」での役員会、ともに脚の痛みよくならないので、欠席通知した。返信の締め切
り現在、痛みがどうしてもおさまらない、仕方がない。
☆ 何気ない一言 ボストン 雄
一昨日のこと,グレッグが僕の居室に入ってくると,「なあ,ciona.俺は今,猛烈に寿司が食いたいんだよ.ランチで一緒に行かないか?今日は忙しい
から無理だけど,水曜日がいいな.行こうよ〜」と言ってきた.寿司は先週土曜日にジェイと食べたばかりだが,無碍に断るのも良くないと思い,OKする.昨
日,一昨日は自作の弁当持参だったが,今日はそのような訳で,弁当を持たずにラボに行く.
ある程度予想してはいたが,何も言ってこないのでグレッグに,「お前は月曜日に,俺に何を言ったか覚えているか?」と聞くと,「しまった!」とグレッ
グ.
「全くお前にはがっかりだ」と,普段言われているセリフをお返しする.しかし,グレッグは悪びれもせず,「俺は忙しい人間だから,忘れちゃうんだ」.
しかし,悪いと思ったのか,夜7時を回り,電気生理実験でくたくたになっている僕のところに来ると,「今日は,暇はあるか?うちの奥さんは今日,仕事で
帰りが遅くなるらしいんだ.もし良かったら,一緒にセントラル駅の近くでビールとハンバーガーでもどうだ?」.
OKすると,「俺は良い夫だから,奥さんに電話してみてOKだったら行こう」.しばらく奥さんの返事を待つことにするが,「ダメだ.つながらない.どう
しよう」とグレッグ.
「別に今日じゃなくていいよ」と僕.本当に,今日でなくても,良かった.今日はヘトヘトに疲れたので,ハンバーガーではなくて,もっとあっさりした
フォーが食べたかった.しかし,「いや,本当に君次第だよ」と僕.単に'It's up to
you.'という言い回しを使ってみたかったというのもあるが...
するとグレッグは,「うーん,でも,どっちみちセントラル駅の近くまでは,行かなくちゃいけない用があるんだ」と言うので,「それなら軽く飲んで行こう
か」と僕が言い,結局飲みに行くこととなった.
行ったのはセントラル駅近くのThe Tavern in the
Square.マサチューセッツアベニュー沿いにあり,テラス席もある.店の中には,大きなテレビが数台あり,ヤンキース対レッドソックス戦を流してい
た.ヤンキースの熱烈なファンであるグレッグが,この店を何故選んだのかが良く分かった.
最初は「俺は後で奥さんと飯を食うから,前菜だけでいいや」と言っていたグレッグだったが,注文する段になって,僕と同じハンバーガーを注文.「帰って
から,奥さんと一緒に食べるんじゃなかったの?」と聞くと,「奥さんは僕の性格をよく知ってるから,きっとこっちで食べてきて,軽いものだけ用意すると
言ってくれるよ」とグレッグ.
サミュエル・アダムス・ラガーを飲みながら,ハンバーガーを頬張りつつヤンキース・レッドソックス戦を観ていると,グレッグの携帯が鳴った.奥さんから
だった.
外に出て会話をし,戻ってくると「軽い前菜だけ用意しておくから,そっちでcionaと食べてきたら,と言われた」と.続けて,「僕らは,お互いの性格
や考え方をよく分かってるんだよ」.
全く何気ない会話ではあるが,それを聞いて僕は,妙にグレッグがうらやましくなった.そんな風に自分のことをよく理解してくれる人がいるなんて,それだ
けで幸せな気がする.
この間の日曜日に,日本人ポスドクのMさんとSさんと一緒に食事をしたが,その際に同席されたMさんの奥様の,何気ない一言も印象的だった.
全くの偶然だが,僕ら3人は同じ留学助成金を頂いている.そこで,「助成金が切れたら,その後どうするんでしょうね」という話題が出た.あまり考えたい
話題ではない.
僕などは真剣に「うーん」と考え込んでしまった.今,休職している日本の研究所の身分の問題もあるし,ビザの問題もある.学生時代の育英会からの奨学金
の問題もある.しかし,今やっていることを放り出して,何も成果を挙げないまま逃げ帰るのも嫌だ.第一,逃げ帰ることができるかどうかさえ,わからない.
すると,Mさんの奥さんが,Mさんに向かって一言.「まあ,なんとかなるわよ」
本当になんでもない,それもたった一言だけだったが,その時,Mさんのことが心底羨ましく感じられた.
奥さんは精神科医だが,こちらではボランティアの非営利団体で働いているだけだから,収入源はMさんだけだ.もしMさんの収入が減れば,奥さんにとって
も大問題であることは確かだ.それでも,一言,こういってくれる奥さんがいたら,どれだけ心強いことだろう.
独りで全てを背負い込むのは,仕方ないことかもしれない.一人の自立した人間として生きていくには,当然のことかもしれない.でも,そんなときに,お互
いを分かり合えたり,励まし合えたりできる相手がいることは,やはりいいなあと思う.理想論に過ぎるかもしれないが,素直に羨ましい.勿論,一方的な関係
ではない.奥さんがこう言ってくれるのには,日頃のMさんの奥さんに対する接し方が反映されているのだろう.
帰り際,グレッグは「これは奥さんの好物なんだ」といって,crab cakeを店の人に作ってもらい,お土産にしていた.
なんだか,妙に羨ましい気分になりながら,セントラル駅からTで帰宅.
☆ 雑記 碧
月曜に買った『京の和菓子』(辻ミチ子著・中公新書)序章冒頭に、「日曜日の朝、亀山さんへ仏壇に供えるおけそく(華足)さん、神棚に上げる星つきさん
(おけそくの上に小餅がついている餅)を買いに行く」とある。
おや、これは。去年の暮に「湖」さんの書いてらした「ほしづきサン」のことみたい。
今日ようやくパソコンで検索してみた(その前に手元の仏教辞典と小さい国語辞典をみたけれど載っていなかった)。
「けそく」は華足・華束の表記あり。餅を供える道具。仏飯器、リン、高月などと共に写真もあった。我が家では高月にお正月の餅も、お盆のお迎え・お土産
団子も供えている。省略したのかな。
「ほしつき」はそのまま平仮名で謂れまではわからなかった。
今月は豆月間。
えんどう豆・さやえんどう・スナップえんどう・おたふく豆を毎日のように食べている。どなたかに食べ助けをしてもらうつもりだったが、例年になく実入り
が悪いしハモグリバエがわんさか付いているのでそれも憚られて。
先週その豆採りに出かけたら、またもや日焼けしたのか顔が赤くなって首の周りが痒くなった。皮膚科に行ったが「紫外線で、そんなまだらに出ることはな
い」と一蹴されてしまった。
「考えられる原因として 1.芳香剤」「置いてません」
「2.化粧品」「使いません」「化粧水や乳液も?スッピン?」「はい」
「あとは植物」「あぁ。豆採りに行きました」
・ ・・というわけで後半の豆上げ作業は手伝わず、いまはせっせと食べるだけ。
明日はここ下関で国民保護法に基づく訓練というのをするらしい。民間人も巻き込んで。六連島の住民でなくてよかった。(全市民で、といわれたって参加し
ないぞ。)
* 五月二十五日 金
* たしかな記憶に限って言うと、ナポレオンにふれ合ったのは、『モンテクリスト伯』と『戦争と平和』で早かった。前者では、彼はひとたび敗れてのエルバ
島逼塞から再起を期していた。後者ではモスクワへの侵攻と冬将軍への屈服・敗退が壮大に描かれていた。
いま「ナポレオン」を読んでいて、当時のフランスの情勢理解に資するのは『モンテクリスト伯』であって、そもそもエドモン・ダンテスが船主に依頼され雌
伏のナポレオンに密かに使いしたのも、その結果ダングラールやフェルナンに密告されたのも、検事ヴィルフォールの手で冤罪のまま死の牢城に絶望的に禁獄さ
れたのも、この検事の父が親ナポレオン派であり、王政復古に出世の望みを抱く息子はこれを王に注進するなど、微妙なところが物語の展開自体で解説されてい
た。なんだか懐かしくなって、またもやあの『モンテクリスト伯』が読みたくなってきた。
わたしは低俗な読み物を低俗と言い放ってはばからない頑なな男だが、それは低俗だからであって、優秀な読み物は歓迎してきた。世界的にはわたしは『モン
テクリスト伯』に匹敵するなら大歓迎としている。国内的にはなかなかそれほどの大傑作には出会えないが、直木三十五の『南国太平記』には引き込まれた覚え
がある。
☆ 慈雨 百
やす香さんのお墓が白金にあると伺い驚いています。十代のその昔、毎日のように通学で前を通っていました。今も、お願いしている呉服屋さん(店舗のない
職人さん)が真ん前なので近くに行きます。付属の幼稚園もありました。
境内に入ったことはなくほとんど意識したことのないお寺でしたが、うちからこんな近い場所にお墓がおありとは不思議な縁のようなものを感じます。
お墓参りさせていただく立場にはございませんが、近くを通る時にはやす香さんのことを想いそっと手を合わせお祈りしたいと思います。
もうじき十回目の月命日です。
「わたしは今、二つの長い小説をゆっくり書き継いでいる。」
これほどやす香さんを、そして多くの読者を喜ばせている言葉はありません。やす香さんがお作のなかで「とわに」生き続けてくださいますよう
に。
湖の本を注文させてください。エッセイシリーズから、
洛東巷談 9・10
死から死へ 20
私の私 知識人の言葉と責任 25
計四冊です。おついでの折にお願いいたします。『私の私』はプレゼントの予定ですので、ご署名はいりません。つまり他にはご署名が欲しいと
いうことみたいで、なんとも……ごめんなさい。
雨ですけれど、今日の雨は恵みの雨に感じます。お元気な一日をお過ごしください。
* 「お墓」でやす香の所在を再確認したという覚えではないのだが、それでも墓石の裏に「やす香」の刻字を観て掌にふれ愛おしんできた感触は、妻にもわた
しにも言いしれぬ或る安心を与えてくれた。
こうして月命日を記憶していて下さる方々の数多いにも、胸を熱くする。
* 滝の落ちるように、雨の音。わたしは童謡の歌詞にはこうるさい批評童子であったが、「アメアメ フレフレ カーサンノ ヂャノメデ オムカヘ ウレシ
イナ ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」は好きであった。「カーサン ボクノヲ カシマショカ キミキミ コノカサ サシタマヘ」「ボクナ
ラ イインダ カーサンノ オホキナ ヂャノメニ ハヒッテク ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」と続くと不覚にも泣けた。わたしはそんな
自分の母を知らなかった。持たなかった。
* フランソアズ・トリュフォー監督の、昨日は『恋のエチュード』を、今日はジャンヌ・モロー主演の『黒衣の花嫁』を観た。作風は似ていたが、魅力ある
ジャンヌ・モローの女よりも、昨日の、どの俳優の名も知らない姉妹と男との淡泊なようで執拗な味わいのロマンスの方が印象にやきついた。姉妹を愛した男、
姉妹から愛された一人の男の、いわば失恋というか喪失というか、フクザツな味わいに舌のしびれる美しい映像であった。
何度も何度も観てよろこんでいる、ミシェル・ファイファーの『レディ・ホーク』を新しい映像で録画した。胸にしみいるレジエンド。この女優は不思議に妖
しい魅惑をたたえた個性。ことにこの、昼間は鷹に夜は美女にと魔法を掛けられている物語で、深みある表情を輝かせる。彼女の恋人もまた、昼は騎士に夜は狼
にと魔法を掛けられ、二人はほんの一瞬昼夜の境目でしか顔が見られず共に旅をしている。旅の幾変遷の果て、彼らに無道な魔法を掛けた邪恋暴政の大司教の宮
廷へ宮廷へのりこむ。こういう作品は手放せない。
* 五月二十六日 土
* 六時に起きて先ず仕事を。
* 正午過ぎ、千駄ヶ谷の能楽堂へ向かい、保谷駅で、財布を忘れてきたのに気づく。愛用のカード入れに予備の千円札、小銭入れに五百円硬貨。SUICA
カードなのを頼んで、そのまま向かう。右脚痛くまともに歩けない。昭世の『邯鄲』だけ堪能して、帰ろうと。
* 能の前に、狂言『文蔵』は面白い大曲なのだが、野村万蔵たち、退屈の極み。眠たく、こんな辛気くさいへたな『文蔵』には、初めておめにかかった。
昭世の『邯鄲』はさすが。
この能、前に観世栄夫で観たときは正面席だったが、正面では、肝心の邯鄲の枕して「大床」で魯生が眠るのも、立ち居するのも、長い舞を舞うのも、存外に
観づらいのである。畳一つほどの細長い大床の、いわば頭側がまっすぐこっちを向いている。つまり床への視野は床の短辺を観ることになる。今日はどんな席を
もらっているだろうと思っていたら、昭世の能会では珍しく中正面の七番。ここは舞台から橋がかりから揚幕まで一望に視野がひろく、しかも矩形の大床長辺が
真正面に見える好位置。考えてくれたんだと、嬉しくなった。
廬生の大床の、ほとんど大床の上でだけのぜんぶの舞や、所作が、精緻に美しく見えた。なんてうまい能役者だろう、栄夫さんは高齢で脚のおぼつかなさが真
剣さになり、悩ましく感動させた廬生だったが、昭世師の廬生は邯鄲の夢枕になにかを教わったと謂うより、夢見る前からつよい洞察が自身の人生に対し用意さ
れていたかと思わせるほど、動揺のない毅然とした達観を想わせた。夢を見て夢だと気づいたというより、夢だろうと想っていたのが夢を見て夢と確かめられ
た、思い残すことはないという風趣に富んだ佳い廬生だった。
囃子が壮んでよろしく、地謡も聴かせた。ああ『邯鄲』ってやっぱりおもしろさもすごみでも、卓越した能の一つなんだと納得した。昭世はいつもわたしを落
胆させない。
* こんなことを想っていた、『邯鄲』一炊の夢に頓悟する廬生は、あくまで自身の人生を問うている。その限りでは廬生は廬生の手の内で問題を解決している
のだが、廬生から離れて廬生を取り巻いている政治的。社会的現実の方は、邯鄲』という能で何か有効に示唆されるだろうか。
たとえばわたしが邯鄲一炊の夢をみたなら、安倍やブッシュや金正日らの悩ましくもいきどおろしい問題もともにうち捨ててしまえるのだろうか。それなら簡
単だ、鉦と太鼓でわたしも一炊の夢に世界をかえてしまえる枕をさがして夢を結びたい。そうは行かないだろう。悔しいが。
* 脚は痛み、ひきずって、ゆっくりしか歩けない。情けないほど人が横を通りすぎてゆく。ガラスにうつるわたしは嘗て見知らぬほどふけこんでよぼよぼして
いる。こりゃいけない。着るものも持つものも大事に気遣いして、若い活気を忘れないようにしたい。
☆ ついに ハーバード 雄
昨日,「夏休みにはまだ早い」と書いたのを訂正したくなるような,暑い一日だった.最高気温は優に摂氏30度を超えただろう.ラボの中はクーラーが効い
ていて涼しいが,一歩外に出ると,湿度も高く,むっとするような暑さに包まれる.
今日も朝から電気生理.刺激電極が壊れてしまったので,ハンダ付けをし,銀線にメッキを施す.苦手のハンダ付けも,大分上達した気がする.
ガラス電極を神経細胞に入れるが,細胞の調子の良い時に見られるような電位変化が見られない.標本を作りなおして再度トライしたが上手く行かず,諦めか
けた頃,普段と違う電位変化に気づく.
JCにデータを見せると,「うん,これは確かに間違いなく,シナプスからのシグナルだよ.」
ようやく,見たかったシグナルが見えた.まだ,データのクオリティーは低く,科学的にも新しい現象ではないので,これで何かの発見になるとか,論文の
データになるという訳ではない.
しかし,4月にセットを作るところから始めて,ようやくデータを取れるところまで来たということで,感慨深い.それに,シナプスの応答を自分の目で確か
に見たのはこれが初めて.
何度もJCが僕の背中を叩き,「Good Job!」と繰り返し言った.帰り際も,大きな声で「Good
Job!」'と叫びながら,奥さんと一緒に帰っていった.少し嬉しかった.
すぐ追試しようと思ったのだが,溶液を切らしてしまったこともあり,気分の良いまま,今日は早めに切り上げて,帰ることにする.
帰りは回り道をしてポーターへ.歩くだけで汗が噴出す.
Kotobukiyaで久しぶりに日本の食材を買いあさる.暑さの余り,置いてあった「葛きり」を衝動買い.
* よかったね。
☆ 泣きました バルセロナ 京
恒平さん 泣きました。故国への往路は「夫婦の愛」に、帰路は「親への愛」に。
読み進むごと涙が嗚咽に変わりそうになり、幾度も幾度もご本を閉じて、目を瞑らねばなりませんでした。
愛ある夫婦がこうも普通に存在することに、私はほとんど驚愕しました。
自身の伴侶に回り逢うまで、私にとって「夫婦」とは、いがみ合い、貶し合い、互いに磨り減ってゆくものでしたから。
「**ちゃんの親はいつも一緒に出掛ける」とか、「**の両親は一緒に風呂に入る」とか。(十八にして、一緒に風呂に入る夫婦のあることを知り、仰天し
ました。)そんな話は実感の伴わない虚構の世界でしかなく、私にとって「夫婦」とは、あくまで私の両親だったのです。
「夫婦の愛」を読みながら、この幸せを知り得た人間が、今の私だけではなかったことに、大きな大きな安堵を、そして感動を覚えていました。
私にとってもうひとつ意外だったのは、夫の、妻を歌った歌の多いことです。
内職の終り待ちゐし夜の床に寒い寒いと妻が入りくる
湯上りの匂いさせつつ売り残りの饅頭を持ちて妻が寝に来る
しまひ湯をながくたのしみゐし妻が湯槽に蓋を置く音がする
常々、男の妻への愛など、あるのかないのか分からぬほどに聞こえてはこないもの、と思い込んでいましたから、こんな健やかな愛が聞こえて、とても嬉しく
なりました。男の人って、こんなに優しく静かに妻を愛するのですね。
たすからぬ病と知りしひと夜経てわれよりも妻の十年老いたり
思ひきり生きてみよとぞ聴く哀し春の墓辺のきみは風にて
自らを重ねやすいものほど、喉元に込み上げるものを鎮めるのに苦労します。
膝にごはんをこぼすと言って叱った母が
今では老いて自分がぼろぼろごはんをこぼす
母のしつけで決してごはんをこぼさない私も
やがて老いてぼろぼろとこぼすやうになるのだらう
そのときは母はゐないだらう
そのとき私を哀れがる子供が私にはゐない
老いた母は母のしつけを私が伝えねばならぬ子供のゐないため
私の子供の代りにぼろぼろとごはんをこぼす 高見 順
「病む父」 伊藤整より
父は何でも知り
何でも我意をとほす筈だつたではないか。
身体ばかりは伸びても 心の幼い兄弟が
人の中に出てする仕事を立派だと安心してゐたり
私たちの言ふ薬は
なぜすぐ飲んで見たりするやうになったのだらう。
「父」を「母」に換えて、私の母への愛は上の二歌に言い尽くされている気がします。
あつかましく われ其の孫に なれたなら 京
* 一人のいつも思いあまっていた卒業生に、こういうメールを書いてもらえただけでも、『愛、はるかに照せ』を湖の本にしてよかった。すこしだけ、親をゆ
るしてあげなさい。あなた自身が幸せに。それでいいのです。
* 五月二十七日 日
* よく寝た起きぬけの暫くは脚が軽いので、出来るときはつい寝坊する。
午後一番に「臻」くんが機械を見に来てくれる。晴れていて気持ちが良い。腫れていてと、機械が、さきに謂う。気持ちわるい。
夜前、思いがけず録画の映画に引き込まれて二時になり、それから本を読んだ。音読の大拙、バグワン、太平記三冊のほか、世界史とマキリップだけにして寝
たが。
『ナポレオン』が政治にも天才的であったことはわかるが、その天才は彼一人の権力構成がいかに正確で強圧的であったかにあり、王政・王党を倒した「革命」
精神を利しつつ、自身、世襲是認の終身第一統領から帝政へと強硬に駆け上ってゆく。彼が、国民に「自由」はいらない、「平等に扱えばいいのだ」と謂うと
き、頂点に立つ彼の絶対強権下での平等にすぎなかった。
あやしげな政治屋ほど、ともすると彼の天才ぬきに、凡庸に、ナポレオンの強権支配をまねたがる。みな、そうだ。好き勝手に憲法をかえたり勝手に解釈した
りしたがる。
『フランス革命とナポレオン』の経緯をていねいに見返していると、いままさに日本国民として迫られている憲法改悪へのあしどりの、隠された、いやもはや
露わに露わな政権の強権意志が目に見える。ナポレオンは「宗教協約」をローマ法王と結んで、さらに強権城を守る堀を確保したが、そのローマ法王庁がとほう
もない教権・強権により中世を近代へ自壊させたことはだれもが知っている。ナポレオンとローマとの一見「美しい」取引ははなはだ強度のエゴを互いに持ち
合っていた。いま安倍自民が、権力志向を徐々に露わにしている創価学会系公明党と巧みに結託している。似ている。歴史的な脈絡をちゃんと得ている。おそる
べし。
そして「第三身分」の我々は、またもまたも闘わねばならない、条件はなはだ悪く。
この際政権が真剣に恐れて弾圧を着々派嘗ている対象が「インターネット」にあることを、われわれ国民・私民は、絶対忘れてならない。われわれに身を守れ
る武器は他にない、「インターネット」しかない。他のすべては権力が握っている。マスコミをすらも。
* 意味の重いメッセージが入ってきた。大勢の人が一種のショックを受けつつ自分自身の問題へ転じて考え込むであろう。先日「聖」さんのくれたメールで語
られていた或る「映画」のストーリーとも鋭く響き合う。
メッセージを読む。
☆ 湖さま 鏡
おみ足のお具合はいかがいらっしゃいますか。自転車で出かけるのは私も大好きですが、先生と同じ年の母が自転車で出かけるのを見ると少しはらはらするの
も確かです。どうぞどうぞお大事になさって下さいませ。
今日メール差し上げたのは、ミクシイの友人を一人ご紹介をしたいと思ってのことです。私のマイミクさんで「桜子」さんと言います。彼女がいるのは、ミク
シィの上のみ。実際には今はもうこの世にいない方です。
癌で亡くなりました。亡くなったちょうど一年後から、ご主人が、「去年の今日」を「いま」として一年遅れの日記を書かれ続け、桜子さんの一周忌に日記は
終了しました。
それからもう一年半経ちました。(亡くなられてから二年半です。)
ご主人が私と高校の同窓だったらしく(当時、面識はありませんでした)、ミクシィ上でお会いし、その時に桜子さんのことも読み、「桜子」さんのマイミク
に入れて頂きました。
私自身、姉と姪を相次いで亡くしたばかりで身につまされ、毎日、涙しながら読んでおりました。ちょうど一年前に先生のページを涙しながら読んでいたよう
に。
そんなこともあり、「モウンニングワーク」をテーマとされている先生にご紹介したい、と、ずっと思っておりましたが、やす香さんのこともあり、何となく
しそびれておりました。
今日、ようやくメール差し上げるのは、一つには、先生がお墓参りに行かれたとのことで、一つの区切りを感じたのと、もう一つはこの「桜子」さんのページ
がもうやがて閉鎖されることを少し前に知らされたからです。
その「閉鎖」の記事の中で彼は、今後ともに歩いていく女性と出会ったことも正直に書いてくれていました。あれだけ献身的に看病した後、心の整理をつけ、
一歩を踏み出すのにどれだけ葛藤があったことでしょう。彼は強い意志の持ち主で、それをありったけ桜子さんに注いでいました。そんな彼が自分のいなくなっ
たあと、誰かと巡り会うことを、桜子さん自身見守るような、そんな気配もありました。
でも、でも、それでも。
これを読んだ気持ちは「フクザツ」でした。
長い長い闘病生活の中で彼がどれほど桜子さんに尽くしているかを読んできましたし、そういう女性と出会って彼がふたたび歩いていくことは桜子さんもきっ
と望まれていたと思います。
でも、そう思ってしまった。
そして「伴侶ならまた選べるのよね」と呟いていたのです。
こんなこと思う自分が情けないですし、彼にとって桜子さんは桜子さんで、二度と出会えない存在であることもよくわかっています。でも私は「姪や姉の代わ
りはいない」と引き比べてしまいました。血を分けた家族の代わりはいないのです。桜子さんの闘病記の中で何度も桜子さんのお母様が登場します。闘病は彼と
お母様の二人三脚で行われました。そのお母様の気持ちに思いを馳せていました。実際に桜子さんのお母様はこんなこと思う心の狭い方ではないでしょう。むし
ろ、その幸せを祝ってあげるくらいの気持ちでしょう。でも自分なら絶対に、「あなたはいいわよね。伴侶をもう一度選べて。でも私の娘の代わりはいないの
よ」と思ってしまうだろう、と。
ミクシィの彼の告白に「おめでとう」というコメントがたくさんあるのも小さな違和感でした。
ミクシィという世界では、それ以上の付き合いは限界があるのかもしれない。他に思うことがあっても小さな言葉が増幅し、大きな感情を呼んでしまうネット
世界では、「無難」というのは最低限の礼儀でもあります。
でも・・・。
私の母はいろいろな人生を見てきた人間ですが、安井かずみを亡くした後、加藤和彦が案外に早く再婚したとき、
「本当に仲のよかった夫婦は、死に別れた後に意外に早く再婚するものなのよ」と言っていました。
そんなことも思い出したりしています。
でも・・・。
一人の人間が亡くなったとき、親の思い・血の繋がった家族の思いと、伴侶の思いは微妙にすれ違います。再婚して数ヶ月の姉が突然亡くなった時、その再婚
相手のとったモウンニングワークは必ずしも私たち家族にとって無条件で受け入れられるものでもなかったのも事実です。私は姉の生前に彼と会っていました
し、それなりに彼の行動を理解することはできましたが、それでも多少違和感がありました。
それを前提に桜子さんの死をめぐってネットの上では決して姿を現すことのない桜子さんのお母様の思いを考え込んだりしています。
でも、子どもの人生は子どものものです。子ども自身が選んだ伴侶こそ、何かの時に最優先するべきものなのでしょう。私もいつかそうやって「一人の他人」
として二人の子を見送らねばなりません。
少しだけお酒がまわっています。千鳥足の文章で申し訳ないと思いながらも、やはりお送りしたく送信してしまいますが、HPに刻まれる時には少し手加減し
て頂けると幸いです。
ほととぎすの鳴く夜です。入梅前にご体調のよくなられますよう。 鏡 目黒区
* ふっと言葉を喪っている。
さきに謂う映画のストーリーを「聖」さんのメールから再録したおきたい。これは、吉野秀雄の妻への挽歌をわたしが新刊の『愛、はるかに照せ』でみせた理
解への、根幹に触れた批評にかかわる部分である。当日の長い批評もこの「私語」に全文採ってある。
夫と妻、妻と夫。立場が入れ替わっても問題や感情は同じか。同じでないか。それも「問題」になることだろう。
☆ 聖
ずっと以前にテレビで西部劇を観ました。
題名も忘れてしまいましたし、名作とも思いませんでしたが、ストーリーが強く印象に残りました。
余命いくばくもないと医者に言われた妻が、夫に新しい妻、子どもたちに新しい母となる女を必死で探し歩くのです。あの当時の西部は女の数が少ない上に、
子だくさんの、過酷な労働を強いられる農家だったか酪農家では、後添いに来てくれる女を見つけるのは容易ではありません。
やっと承諾をとったまじめそうな女を夫の元に連れていくと、もともと妻を愛していた夫は絶対いやだと拒否。妻が女手なしには一日だって夫も、乳飲み子を
含む子どもたちも生きていけない切羽詰まった現実を説ききかせると、夫は後添えを迎えることを渋々承諾したものの、妻の連れてきた女はいやだといいます。
妻がなぜだめなのかと問い詰めると金輪際「抱く気持ちになれない女」だからと。そこで後添え探しは振り出しに戻ります。
あちこち出かけ万策つきた妻は、道中たまたま出会った美しいけれど酒場の娼婦に「私の夫と結婚して」と頼むことになります。自分の生活に嫌気がさしてい
た娼婦はしばらく躊躇してからいいわよと答えます。女を連れ帰ると、夫は「娼婦じゃないか。正気か」とあきれたものの、前の女とどちらを選ぶかと迫られて
しかたなく女を受け入れることとなり、夫と妻と娼婦との奇妙な同居生活が始まります。
妻は子どものおしめの替えかたからはじめて、家事労働を娼婦に仕込みますが日々病状は悪化し、ついにベッドから起き上がることもできなくなります。
そんなある夜、妻が死ぬことに堪えられなくなった夫が庭でひとり泣いていると、娼婦がやってきて慰めます。そして二人は結ばれます。
翌朝そのことを知った妻は娼婦に、夫とのセックスはどうだったかと訊ねます。妻は自分は夫との性に満足していたけれど、何しろ夫しか男を知らないから、
そう言うと、娼婦は今まで経験したなかでも夫とのセックスはよかったと答えるのです。妻は満足そうににっこりして、そして数日後に亡くなります。
映画の結末はよくおぼえていません。たぶん、長い歳月が経って仕事に成功した夫とすっかりエレガントになった娼婦がとても幸せに暮らしているところで終
わったように記憶していますが、定かではありません。私の関心は妻の死までしかなかったのでしょう。
* いくつかの実例もわたしは長い人生で見聞してきた。正直、たいそう意外に感じたことも、また再婚を奨めた場合もある。噂に聞いてやはり言葉を喪ったこ
とも。そして大なり小なり、多くの夫婦は現実にこの「問題」と向き合ってきた、或る文化で社会を構成してきた人間たちの世間では。まこと古くて大きな問題
だ。キリスト教では「死が二人を分かつまで」といったような誓詞を用いなかったであろうか、よく知らないが。生前と死後とで問題性は変動するのかどうかも
問題か。
* 五月二十七日 つづき
☆ 昨日・今日と晴天だったが黄砂も飛来。しかも光化学スモッグのおまけつきで、北九州の小学校は運動会を中止したとか。
おととい金曜日の国民保護計画に基づく避難訓練。雨の降りしきる中、六連島の住民のおよそ三分の一(希望者だけ、歩行に不自由のない人だけ)が参加し
て行われた。
夕刻のニュースをいくつか見てみたが、「テレビ山口」編集のそれが、いちばん詳しかった。訓練に反対の被爆者団体が抗議したことも伝えていたし、山口大
学の纐纈厚教授の評は的を射たものだった。
曰く、「通常の防災訓練と何ら変わるところはない、従って新しい立法も必要ない。それなのに敢えて行うのは<有事>を意識させるため、軍事訓練が必要と
思い込ませるために他ならない」
テレビの取材に「市民の生命・財産を守るのが自治体として最大の任務」と答える江島市長。でも、どうやって?
「生命はともかく財産なんて守れるわけないじゃん」と母。
今日の新聞に載っていた島民の<本音>が可笑しかった。
「武装勢力が上陸したら自家用の船で逃げる。対策本部の指示なんて待ってられない」
さもありなん。 碧
☆ 夜はもうバタンキュー。
そして、このところ、早い目覚めでも寝直さず枕もとの本を広げている。
二日ばかり、ハーバート・リード(1893〜1968.英国の詩人、文藝美術評論家)著、大沢正道訳『アナキズムの哲学』(法政大学出版会・叢書・ウニベ
ルシタス。1968=だいぶ前の本で叢書の通し番号がまだ振られていない)を構えることなくゆきつ戻りつ頁をめくり、一日のよき目覚めとしている。
今朝は「自由の鎖」(1946〜52)の一部「自由=フリーダムとリバティ」を読み、そしてあれこれ考えた。
「わたしは何のプランもたてていない。体裁はありふれた覚え書きである。わたしはいちいち日付をつけなかったが、大体、読書していった順か、過去の出来事
に刺激されたものである。」(著者)
語義や文脈について原書を参照し確認したき点があるが、生憎手元にはない。が、覚え書きの中に、著者のすぐれて優しく強い思想ニュアンスを、訳文を通し
て、流されずに充分つかみとれる。
朝からきままな(フリーダム)読書を楽しめるのは、難解な哲学ではない読める文藝の筆致効果であろう。
(通読後、感想をまとめたい。だいぶ離れてしまった「ユートピア」論も復習しつつ)
☆ 色川先生のことども 俊
掲載写真(割愛)は、「秩父事件」の資史料(複写物)。色川大吉氏が昭和五十年代に女優の北林谷栄さんに送った、自稿の抜き刷りと明治の新聞(明治
38、信濃毎日新聞連載記事)のコピーである。
秩父事件(秩父困民党)は、1884年(明治17年)10月31日から11月9日にかけて、埼玉県秩父郡の農民が政府に対して起こした武装蜂起事件。自
由民権運動の影響下に発生した、いわゆる「激化事件」の代表例ともされてきた。
関心ある方は、地元の高校社会科教諭、吉瀬総さんのHPをご覧下さい。1956年生まれ。埼玉県秩父市在住。埼玉県立秩父農工高校全日制教諭(社会
科)。 秩父事件研究顕彰協議会会員。
「圧制を変じて自由の世界を」 http://www.yasutani.com/ccbziken/
色川先生には、だいぶ以前、地元(東京経済大)の市民講座などでニ三度お話をうかがったことがある。
マイミクの「湖」さんが館長をつとめられる「日本ペンクラブ電子文藝館」〔招待席・主権在民史料〕に色川先生の記述抄編――「自由民権請願の波」 『近
代国家の出発』より――が無料掲載されており、ぜひお読み下さい。「湖」さんが色川氏からじかに掲載をゆるされたとうかがっている。同室他編、ほかの多彩
な分類コーナー作品もあわせ、一度立ち寄られるよう勧めます。
〔招待席・主主権在民室〕(館長の紹介文を転載)
色川
大吉 いろかわだいきち 歴史学者 1925年 千葉県佐原市に生まれる。東京経済大学名誉教授。一貫して民衆の側から日本近代史を調査検討詳説し、民衆
思想史の重要さをも夙に重く捉えた成果は、現代ないし未来に示唆と激励をなげかける。 掲載作は、昭和四十年代の大シリーズ中央公論社刊「日本の歴史」
で、第二十一巻『近代国家の出発』を担当記述された一冊から、民衆の政治エネルギーの結集とはいかなるものであったかと、表記一章の掲載を特に招請した。
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/index.html
「リバティは具体的、すなわち実存的である。
フリーダムは抽象的、すなわち観念である。(ハーバート・リード)」
自身の結論はまだ持ちえぬし、先は分からない。が、身近な事象、経験から何かをつかみとりたい。
数式の演繹ではなし。
因果の帰納でもなし。
シンプル、明快で優しく強い自由な実行メッセージが欲しい。
いや、手ずから導きだし造ろう。
be free as a bird
* 一時、卒業生の「臻(いたる)」君、来訪。妻の手料理で昼食・歓談。大手の電機メーカーにつとめ、もう十年、そのあいだジャズダンスのレッスンに熱心
に通っている。話し相手の出来る青年で、歓談にこと欠くことがない。彼の方からもいろいろ珍しい話題を出してくれる。わたしの話すこともよく聴いてくれ
る。
おみやげに銀色のてんとうむしのような自転車用ヘルメットを買ってきてくれた。サンキュー・ベリマッチ。夕食も一緒にして川崎まで帰っていった今も機械
の前でヘルメットを冠っている、子供みたい。
* 「臻(いたる)」君に訊いてみた。 平等、安全、人権、所有。この四つに不等記号をつけるとして、日本国の政治では、「臻(いたる)」君自身は、と。
彼、しばし思案して、自分は 人権>安全>平等>所有と。政権政治家たちは、畢竟日本の政治は、 所有>安全>平等>人権でしょうと。
フランス革命最初の憲法前文にあたる宣言では 高らかに 人権(自然権)、ついで平等、最後には安全を意味する友愛だった。フランスの誉れある三色旗
だった。それが数度の憲法いじりからナポレオンに至ると、真っ先に「所有」の保障、ついで最高権力者のもとでの「平等」、そして軍の力による「安全」で、
「人権・自由」などは国民には無用と切り捨てられていた。
* 有りがたい来客のおかげで、本機インターネットを回復し、本機・旧機に連絡がついた。ファイルの相互移送や、両方から外付けのスキャナやプリンタが使
えるようにしてくれた。機械全部からの「全検索」が可能になるよう新しいソフトをダウンロードもしてくれた。いろいろ、こまごま、調整していってくれた。
わたしはこれからおいおいに学習する。
結局、旧機の音声機能だけは回復できなかったが、機械環境は機動的にかなり回復された。感謝、感謝。
夕食後も歓談、六時には帰ると言ってたのを大幅に遅らせてしまった。申し訳ない。
☆ トリュフォーの映画はあまり見たことがないのですが、「黒衣の花嫁」なら見たことがありますよ。どんどん復讐してゆく、淡々とした映画でしたね。
印象に残っているのは、トリュフォーの晩年の映画で「隣の女」というのです。
昔の恋人同士、今はそれぞれ家庭を持つ男と女が、家が隣同士になり、逢引をはじめるのですが、深みにはまっていってしまい、もう引き返せないと悟った女
は、男を射殺し、無理心中するという、官能的でこわい映画でした。
映画はいくつも溜め録りしてあるのですが、一本に二時間くらいかかると思うと、なかなか見はじめられません。
最近は、小刻みに見たりしているのですが、それでも、なかなか・・・。
今日は暑かったですね。
機械を診てもらったのでしょう。いかがでしたか。 花
☆ 最近は孫絡みが少なくなって、解放時間が増えました。
今日はあまりに暑いので自転車は止めにし、ごく近くに東久留米行きのバス停があるので、始めてそっち方向に乗ってみました。朝から家事に勤しんで運動量
は充分という事もあり。
大体自転車と同じルートですが、氷川神社前を通過するのに気が付いてなくて。今度の機会には下車して拝観してきます。三十分弱の乗車時間が懸かるけれ
ど、池袋線に乗るにはラクだから、お見舞いに行こうかな、とホンキで考えていますよ。
日にち薬の効果は如何? とても心配しています。待ち時間と乗車中に打って送りまーす。お大事に ほな 泉
* これで、当面、創作と湖の本とに気を集められる。
* 大関白鵬が全勝優勝で横綱を手中にしたのは天晴れであった。また牝馬ウオッカがダービーに優勝したというのには驚嘆した。脱帽
* 社会保険庁での居直り答弁のたけだけしさ、松岡大臣を罷免できない、する気のない安倍総理の「美し」くない卑怯な強弁。教育の大毒だ。若い関取にも、
栄冠の牝馬にさえもかぎりなく劣る。
* 五月二十八日 月
* 松岡農林水産大臣が自ら縊死した。敗戦直後の陸軍大臣自決などのほかに現役大臣の自殺が過去にあったかどうか、知らない。思いつめた結果に相違なく、
やりきれぬ思いは思いとして、追い込んだ・追い込まれた陰の力は、政府与党の、なにかしら陰険な意図に出ていることは、国会での徹頭徹尾ごまかし答弁に明
瞭にくみ取れる。万人が万人おかしいと思っていることを、法制の範囲内だから問題なしとしか答えない姿勢には、公僕として国民に仕える感覚がゼロであり、
そのまま庇い続けた安倍総理の態度は、「それ以上は言うな、明かすな」との指令・厳命をだしていたものと思うしかない。公僕という自覚の無いことでは安倍
晋三という総理大臣は、怪物に部類できる。
もう死者にむち打っても詮無いことだ、が、安倍内閣、ことに総理への責任追及の手をゆるめてはならない。
* 黒いマゴが背後のソファで手脚をのばして、ときどきチラと尾を振って、ここちよげに眠っている。家中の好きな場所で憩ったりはしゃいだりしている。こ
ちらも幸せな気分になる。
昨日来てくれた「臻」くんが、少年の晴れやかさをうしなっていないと妻がほめる。わたしの感想では、それは多年掛けて彼が獲てきたいわば成果なんであっ
て、大学ではじめて会った頃の学生「臻」は、どっちかというと「うつむき」がちだった。それでも可愛いような笑顔をもっていた。しかも行動は超級アクディ
ヴだった、まるでマニアックに。イチローとあだ名を奉ったものだ。
手を入れていってくれた機械のあれこれ、まだ、手があちこち届いていない。本機、旧機のファイル移送ができると聞きながら、手順など教わらずじまいに
今、ウーンと唸っている。ま、よろしい。ボチボチやろ。
* 久しぶりも久しぶりに、思い切った読者の長めのアイサツと告白とが届いた。家族親族のことを書いていて、その限りでは当人なりの覚え書きのようだが、
そういうのをわたし宛に送ってきてくれた本意に、或る動機が働いているのではないかと思った。もっと長く丁寧に具体的に書きおきたい気が、機が、生じてい
るのではないか。「斯くありし」とおりに書こうとしても書けるものでない。「斯くあるべかりし」真意を、飾らず、ウソにならず毎日続けて表現してみてはと
奨めた。
忙しい勤務の母親である。しかし息子さんはもう大学生、やす香と同じ歳に生まれている。ムリをしても続かず、続けねば続かない。
続けるためには、たとえ一字二字、一行二行でもとぎらせず毎日続けてゆくといいし、粗い目次をつくって、書きたい範囲を自分で了解し、散漫を予防し、書
き出しはよほど強く印象的な或る場面から初めること、と、奨めてみた。
☆ おはようございます。ココです。
今朝は、東海道線の遅れが、回りまわって総武快速も遅れ、出社が20分遅れとなってしましました^^;
しんどい 出勤でしたが、外に出ると爽やかな風で (ちょっぴり冷気を含んだ感じですが)気持ちいいです。
すみません。ファイル テキストにしました。これで、ダメなら 直接メールにします。
何から書けばいいのか。何と言えばいいのか。私の少ないボキャブラリーでは、どう書いても言っても、安易な上滑りになってしまいます。ただ 出てくるの
は「無念!」です。
私の息子と同じ年の お孫さんに先立たれた と知った時、言葉がありませんでした。
今も同じです。ただ、ただ「無念」。
私の両親であれば、と考えるだけで、祖父母のショックは測り知れません。祖母にいたっては、立ち直れないだろうと思います。孫の成長を生きる糧としてい
るような私の両親を思うにつけ、秦先生は。。。と 思うと お便りすることが出来ませんでした。
この春 両親が始めて上京しました。10日ほど我が家で過ごしました。
私が、東京に転勤する時に、
「東京へ、遊びに来ればいいじゃない。」と言えば、
「もう よう行かん。」と言っていたのに、孫が大学に行ったことが、嬉しくて嬉しくて やっと来る気になりました。一年浪人したことが、祖母は相当
ショックだったのです。
少し、両親の話をします。
父 74歳 昭和7年生まれ
母 84歳 大正11年生まれ
昨年 金婚式を迎えました。
新聞社主催の式典に出席して、たぶん年が離れているので、取材をされて新聞に載りました。叔母が 切り抜きを送ってくれました。
(ここから長く、割愛)
あと少し、息子の近況を、報告します。昨年 東京農大(世田谷)に入学しました。環境工学の学部です。無事 2回生になりました。「よさこいソーラン」
サークルに入っていて、北海道・名古屋・大阪・浜松・岐阜・茨城・都内各所 等 あちこちに踊りに行っています。
大根と鳴子を持って、お祭りオトコです。サークル活動が忙しくて、アルバイトは週一回の家庭教師だけです。せいぜい踊りに行く時の、旅費の足しぐらいの
バイト代です。あとは、スネカジリです。
とはいえ、潤沢に賄ってやれるわけでもないので、いつも素寒貧です。でも、それぐらいでいいと思っています。
6月9/10日と、北海道へ踊りに行きます。おかげさまで、私も息子も、体は丈夫。(これも、両親に感謝です。丈夫に産んでもらって有難いことです。)
長々と、埒もないことを書いてしまいました。乱筆乱文 お赦しくださいませ。
今年の夏は 猛暑とか、梅雨の季節もそろそろです。くれぐれもご自愛くださいますように。かしこ
* 歳久しい「湖の本」の読者で、息子さんと、東京へはるばる転勤してきたとき、一度日比谷で無事の転勤を祝ったことがある。堅くなってコチコチの様子に
あだ名をつけ、メールなどは「ココ」でいいですと笑った。大きいことでは日本一のような会社へのはるばるの東京転勤なので、相当のスキルの持ち主なのだろ
うと想うが、知らない。
☆ 休日の過ごし方 ボストン 雄
午前中,昨日買ってきたアーティチョークを早速,調理してみた.棘を切り取り,20分ほどレモンと塩の入った湯で煮る.
食べてみた感想としては,竹の子のような感じ.見た目は全く異なるが,茹でて灰汁を取り除くところや,皮を大量に向いた中に食べる部分があるところ,そ
して最も食べがいのある部分の食感が似ている.
食感に関しては,もう少し茹でると百合根に似ているかもしれない.揚げると美味しいというのも分からないでもない.しかし,大きさの割に,食べられる部
分が本当に小さいのにはがっかり.
今日は天気予報では雷雨とのことだったので,家で本でも読もうかと思っていたのだが,それにしては余りに天気が良いので,午後から外出.外出したのは正
解で,昨日までとは違って湿度も低く,気温も少し下がって爽快.
プルデンシャルセンターにあるスーツケースの店に向かおうと家を出たのだが,近くの沼があまりに綺麗なので,予定を変更して,少し辺りを散歩することに
する.
犬を散歩させる人,ジョギングする人,ベンチで食事を摂る人,草の上にシートを敷き,その上で本を読む人.皆,思い思いに,のんびりと時を過ごしてい
る.ガチョウの一種だろうか,沼から出てきて,草むらで餌を食べている.横を僕が通り過ぎても,全く動じない.
ベンチで昼食を取っている人をよく見たら,なんと先週,食事をご一緒したMさん夫妻だった.そういえば,先週会った時に,ここのことを聞かれたかもしれ
ない.軽くご挨拶する.
沼の途中に橋がかかっているので,そこで折り返す.帰り道,2枚ほど沼の辺りの写真を撮った.エメラルド・ネックレスと呼ばれるだけあって,緑が本当に
美しい.
Eラインに乗り,プルデンシャルセンターへ.スーツケースの店に向かう前に,本屋に立ち寄る.中ではCDも売っていたのだが,品揃えが割と良い.ポリー
ニの弾くショパンの「エチュード」,バレンボイムの弾くショパンの「ノクターン」のCDを買う.以前行った,キーシンのコンサート以来,すっかりピアノ曲
にはまってしまい,同じ曲をホロヴィッツが弾いているCDをネット購入し,最近は実験しながらそればかり聞いていた.2枚買うと1枚タダになるというキャ
ンペーン中らしいので,さらにサー・ネヴィル・マリナー指揮のバッハの「フーガの技法」をつけてもらう.
スーツケースの店は,やはり思ったとおり,かなり値段が高い.小さめのものはまあまあ安いが,わざわざ買う必要があるか悩む.仕方なく,プルデンシャル
センターの外に出て,ニューベリーストリート沿いの店を数軒覗く.
今まで来たときは,ニューベリーストリートがにぎやかな通りだという印象は全く無かったのだが,気候が良くなったせいで,どこの飲食店も皆,オープンテ
ラスを開放するようになった.そのせいか,急に活気がみなぎった気がする.
場所柄なのか,それともボストンはどこでもそうなのか,他の店も安くはなかった.そもそも,僕が乗る飛行機の航空会社は,アメリカで最もlost
luggageが多いと聞く.どうせ持っていくのは洋服と手術道具位だろうが,手術道具は手荷物に入れられないし,洋服はどうせ大したものは無いので,一
番高いのはスーツケースかもしれない.そう思うと,わざわざ買いなおすのも馬鹿らしい.結局スーツケースは買わず終い.ただ,日本から持ってきたリュック
サックが大分ボロボロに壊れてきたので,代わりになる肩かけカバンをThe North Faceで購入.
せっかくプルデンシャルセンターまで来たので,リーガルシーフードに立ち寄り,oysterとclamを軽くつまむ.ささやかな贅沢.だが,少量なら
ば,それほど高くはない.再びEラインで帰宅.
僕は元々,活動的な人間ではない.休日だからといって朝早くに起き,遠くまで出かけて,盛りだくさんの予定をこなして帰ってくるというのは,性に合わな
い.近所の,ちょっと綺麗なところを散歩して,本やCDを物色し,美味しいものをちょっと食べて帰ってくる,というのが僕にとっては理想的な休日の過ごし
方.そういう意味では,今日は理想的な休日だった.
明日はメモリアル・デーといって祝日だが,ラボはいつもどおりフル稼働だろう.僕もこの2日で充分リフレッシュしたので,明日からはまた頑張れそうだ.
* この気散じなところが「雄」くんの真骨頂。休日の過ごし方など、どっちかならわたしも「雄」派だ。事実上のむりもあるからだが、なにも遠距離を出向い
てゆくことはない、気に入った近間でも十分楽しめる。いま、三宝寺池や、そうそう堀切の菖蒲や柴又へまた脚をのばしてもいいわけだ、だが、歩けないからな
あ。自転車でならいろんなところへ回れる。ヘルメット爺になって走るかな、怒られるかな。自転車だと脚はほんとうにラクなんです。
* 注文された本のポストからの送り出しついでに、一時間半、ヘルメットを冠り、新小金井街道から新青梅街道を大回りに自転車で走ってきた。暫くぶりのこ
とで、一時間半は短いが、家に近づく頃には、さすがに脚に疲労の重み、鈍い痛みの兆してくるのを感じた。
* コンピュータ二台に、これは何じゃと思う初めてのロゴが幾つもあり、ややこしくて、手に負えない。ま、ホームページの更新と、一太郎でワープロ作業は
出来るので当面困らない。両機の自在な交通が結局出来ないでいる。むずかしい機械である。
* 『白と黒のナイフ』は、グレン・クロースの弁護士とジェフ・ブリッジスの被告とで、面白く見せた。どんでんがえしというほどもなく予想できた結末だっ
たのが残念。『真実の行方』の痛烈なひっくり返しは今でも恐ろしいと思うが、あれに比べれば淡泊で工夫がなかった。しかし裁判場面は見せた。検事がはなか
ら悪役めくのもこの映画を一流の感銘作にしなかった。
* ある高校生少女のブログが、五月二十五日付で、終止符。一度もこちらからは働きかけなかったが、ただ眺めて楽しみにしていた。残念。
* 五月二十九日 火
* 女性の結集する、晴れやかでアクティヴな政治団体、今でもあるのか「主婦連」ぐらいしか知らない、が、主婦だけでは弱い。有っていいのに。しかし主導
権争い、ひょっとして男性以上に有って纏まらないのかも。ダービーを制覇した牝馬ウオッカを名誉総裁に頼んでは。
* 日本も「八月十五日」を適切な名付けで国民祭日の「メモリアル・デー」にし、政治屋どもの靖国神社ににじりよるややこしいパフォーマンスを賢く避けて
はどうか。人の死を政治目的に利用するのは避けたい。八月十五日なら、いろんな意味合いから適切ではないか。
☆ メモリアル・デー ボストン 雄
昨晩遅くにネットでニュースを見ていたら,二つの訃報が飛び込んできた.一つはZARDのボーカルの坂井泉水が慶應病院で階段から転落して脳挫傷で亡く
なったというもの.もう一つは松岡利勝農水大臣の自殺の報.どちらも衝撃だった.
僕は特にZARDのファンという訳ではないが,決して嫌いでない.がんと闘っていたということも知らなかった.ご冥福をお祈りします.今日,実験をしな
がら,ZARDの曲が頭の中でずっと流れていた.
松岡農相に関しては,何とも言いようが無い.現役閣僚の自殺など,これまで聞いたことがない.僕がアメリカに来てから,光熱水費の問題が国会で激しく取
り上げられるようになったので,僕にとっては今ひとつピンと来ない.ネットでもニュースは読めるが,やはりテレビから受ける印象とネットニュースとでは,
大きな差がある.たまにlocation
freeでニュースを見ても,一本5千円の水がどうした,というような内容ばかりで,正直言って馬鹿馬鹿しいと思っていた.しかし,まさか自殺するとは思
いもしなかったが.
「生む機械」発言の柳沢大臣といい,今回の松岡大臣,そして何より首相の安倍晋三と並べただけでも,この内閣は明らかにおかしいと思う.
さて,今日はメモリアル・デーでアメリカは祝日.メモリアル・デーとは元々は南北戦争の戦没者を追悼する日であったのだが,現在では国のために命を落と
した軍人全てを追悼する日となっているらしい.
祭日だが普段どおり家を出たものの,一向にバスが来ない.車の数もまばらだ.しかたなくTに乗って出勤.ハーバードスクエアで地上に出ると,昔の軍服姿
をした集団がパレードをしていた.カメラを持ってなかった.
街もそうだが,ラボもどことなく閑散としている.次々とラボのメンバーが顔を出すので,休んでいる人はわずかのようだが,それでもがらんとした雰囲気.
そんなに重要な祝日なのかと思い,金曜日に休暇から戻ってきた同室のライアンに聞くと,ただ単に気候の良い時期の連休だから,皆,どこかに行っているの
だろうとのこと.ゴールデンウィークみたいなものか.
祝日で思い出したが,今日,マイミクぶんちゃんさんより,僕がミュンヘンに行く日は,宗教的な祝日だとのこと.下手をすれば,金曜日も休暇を取って,4
連休にする人も多いのではないかとのことで,本当にラボで実験できるのかどうかと焦ってきた.朝一番にメールを先方に送ったが,返事が来ない.頼むから,
予定を変えてくれなどと言わないで欲しい.
実験は,やはり二日休んだせいか,勘を取り戻すのに少々時間がかかった.最後にようやく成功して記録をとる.祝日なので,早めに切り上げ,ハーバードス
クエアに出る.
昨日,コメントで教えて頂いた,キース・ジャレットのCDを早速購入.楽しみだ.Pho PasteurでいつものDac
Biet(牛肉入りフォー)と春巻きで夕食.
☆ 相変わらずです〜。絵も、親のことも・・。 鳶
先週は疲れか、掃除をした時の洗剤でかぶれたのか、顔が腫れて四日ほど大変でした。相国寺で若冲展が開かれているので出かけるつもりが、見る活力気力が
足りない状態では若冲に負けてしまいそうで見たくなく・・今週は行こうと漸く思えるようになりました。NEXT展も明日からです。
松岡大臣のこと、年金のこと、その前の改憲問題が吹き飛ばされそうな(決して吹き飛びませんが、)慌しさ。
日本人、日本社会の穏和さ、いい加減さ、ぐずぐず、ずるずる、どう表現してもいいですが、せめて、事、金銭にかかわる年金問題となれば、怒りにも火が付
くでしょう。頭の中だけで政治的社会的な問題に深く関心をもち、さて行動として何ができるのか。わたしの日常ではゼロです。情けない話。
夫婦のこと、愛情のこと、その他、京さんや鏡さん、聖さんの思い。やはり容易には書けません。書かないことも一つの覚悟、と思います。
長女は七月に婚姻届を出します。その前にわたしも同じフライトでシンガポールに行くことになりそうです。
次女の再就職も決まりました。六月半ばから就労、その前に明日からNYに旅行だそうです。NYには友人がいるので、そこに泊まるとか。旅行費用も借りて
いくのですよ。末っ子は本当に甘え上手のちゃっかりさん、羨ましいほど。
今週末も姑の元へ。
鴉の脚の様態、気に懸かります。お酒もあまり飲んではいけません、食べ過ぎもいけません。負担にならないような運動もなさってください。体を本当に大事
にしてください。くれぐれも大切に大切に。
* みな、国際的だ。じつに身軽に動く。
* 何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ 室町小歌
☆ ジャムより、足袋 甲子
実のところジャムは付け足しで、室内履きをお送りするのが主でした。二年ほど前に娘が買ってきてくれて愛用しており、自転車事故のあと「足が冷える」と
いう「私語」への書き込みを拝見、お送りしようと用意しましたが、陽気も暖かくなり、いかにも季節はずれ、と一旦断念したのでしたが、二・三日前にまた、
「しんしんと冷える」との記事を拝見、翌日お送りしました。
お送りしたとたん「夏日」となり、またまた失敗。わたしの生き様のごとき有様、苦笑を通り越して情けない思いがいたします。
それにつけても、多勢のかたがた、事故についての心配り、よい友を多数お持ちで羨ましく存じあげます。
『愛、はるかに照せ』 もちろん読ませていただいております。それの読後感もさまざまあること、さもありなん、と存じます。
また、卒業生の方の日々の日記もすばらしく、堪能させていただいております。こういう文章に遭遇すると、「自分は何のために書くのか」という根の問題に
引っかかってしまいますので、観賞だけさせていただいて深くは考えないようにしています。
「愛」について、よくよく考えると「自分は(自分以外の)誰かを愛したことがあるか(あったか)」という問題に突き当たってしまい、己れの浅はかさに気
づくばかりです。
まだ、言い足りてはおりません。当然ですね。
日々のご健康、ご留意なされますように…。
* 室内履きは、ひたっと足に吸い付くように薄く軽く、しかも温かいので、いただいたのも忘れるほど早速に愛着している。足先が、ほかほかと熱くなってく
る。かと思うと、それでもなにとなく冷たい感じが足先へ溜まってゆく。
甲子さん、有り難うございました。お大事に、日々を。「mixi」にお誘いしてよかったと思っています。旺盛な筆、羨ましいことです。
* 今日もヘルメット冠って二時間ほど自転車走。うち三十分ほどはひばりヶ丘のビストロへ沈没して、ジャンボのハンバーガーと自家製の草バンを食べなが
ら、マスターとおしゃべり。よほどビールも欲しかったが、自転車の途中では控えたがいいと覚悟して、やめた。
ひたすらスキャン原稿の校正にとりくんでいる。ま、なじんだ作業。
明日は日本ペンクラブの総会。一時から現理事会、三時から総会で新会長候補と新理事(当選・推薦)が承認され、五時から新理事会。六時から懇親会。
脚、少しずつ良くなってほしいが。散髪して、すかっとした。
* 五月三十日 水
* 「麗」さん、おもしろうてやがてさびしきお話なので、頂きます。 湖
☆ オバさんは日本の将来が心配だ 麗
5/27,学会発表が午前中で終わった。引き続き「営業」してもよかったが,麻疹が怖いのと,共同研究氏が「午後は?」などと大儀そうに言ってきたのと
で,帰ることにした。
共同研究氏とは**で別れ,JRで実家最寄の山手線某駅まで,ひとまず戻った。
久々に履いたハイヒールの足を引きずり,資料の山をぶら下げ,駅から実家までの道のりは10分ほど。坂道を登る様は,「後姿の時雨れてゆくか」ではないに
しても,「疲れているな」くらいの印象では,あったはずだ。暑い午後だった。
「すみません」
左後方上側という,いささか変な位置から声がした。
振り返ると,ロードレーサーに乗った,どう見ても20代の男性がいた。歩みを止め,無言で彼に見入った。
「迷子かしら」
いかにもオバさんらしい思いが,心中にはあった。
「あの,いきなりすみません。」 「?」
「突然で,何だって思うかという感じなんですが」 「??」
この男性、なかなか本題に入らない上に,こちらの不信感たっぷりの表情に気づいているだろうに,立ち去るそぶりもない。
あたりには人通りもない。「まずいなあ」と思い始めたころ,やっと男性が切り出した。
「その…そちらのお友達何人かと,僕の友人何人かと一緒にですね」 「!!!」
顔をしかめて手を横に,追い払うしぐさとともに駆け去った。
坂を上りきって振り返ると,ロードレーサーの姿はなかった。とうとうこちらからは,一言も発しなかった。
角を曲がると,実家が見えてきた。汗を拭きつつ,心配が萌してきた。
女の年齢(とし)も見抜けない,見抜けたとしても,臨機応変に立ち去る術も知らない,最初に考えたシナリオどおりにしか,言動を運べない…。牡の触覚も
嗅覚も瞬発力も退化したような,そんな若者が増えているのだろうか。
オバさんは,日本の将来が本当に心配だ。
* オバさんは、オジーサンを相手にわずかな未来をアテにすべきなんですかねー。
☆ お元気ですか、風 花
夕方から雨だと、天気予報でいっています。ちょっと曇ってきました。東京は如何?
映画「博士の愛した数式」は、見たことありますよ。静かな、いい作品でした。
浅丘ルリ子の役は、漱石の『門』の女性をイメージしたと、監督が言っていましたよ。
サイクリング用のヘルメット、是非してください。ちっとも変じゃないと思います。なりふりより、怪我を防ぐ方が大切です。
花もエクセサイズのつもりで、散歩をはじめました。近所を一時間弱歩くだけなので、さほど疲れを感じませんが、歩いた日は、夜になると強い眠気に襲われ
ます。なかなか心地よい疲労感です。
一昨日から、インターネットの画像サイト「You Tube」にハマってしまい、食事するのも惜しいほど、空き時間はパソコンの前に坐りっぱなしです。
遊んでいてはいけないとも思うのですが、こういう遊びは、我慢するより、逆にとことんハマッてしまうのがいいのです、花の場合。ハマッたあとは、ちゃん
と浮上できるますから。今回は、もうそろそろ水面が見えてきましたよ。 花
* 今日特筆すべき、一つ。会議場のあった東京會舘ギャラリーで、上村松篁の絵を一点即座に買ってきた。福井良之助の雪景もいい絵であったけれど、三百万
円はちと高い。ハハハ。
* 東京會舘への往復に『千夜一夜物語』第十三巻を読み終えた。このところ、ずうっとアラビヤンナイトが面白い。
* ペンの理事会、総会、理事会、懇親会に出て、懇親会の乾杯を待ちかね、乾杯だけし、さっさと帰ってきた。
「きく川」で久しぶりに鰻を食い、本を読みながら「菊正」を二合、おいしく。
* 井上ひさし氏から、阿刀田高氏に会長が替わり、専務理事に浅田次郎氏。理事から大江健三郎氏の名が消えた、嗚呼。小田実氏の名も。瀬戸内寂聴氏の名
も。 三好徹氏の名も。嗚呼。
* 専務理事はわたしの知る限り、小中陽太郎から阿刀田高から浅田次郎へと、たいした変化はなかった。
井上前会長は、専務理事に「仕事師」阿刀田氏を得たこと「だけ」が自身会長四年での「大成功」だったと、理事会でも総会でも懇親会アイサツでも繰り返し
ていた。まさにゴアイサツというものか。聞く耳に、すこし気持ち悪かった。以前の文学者って、こういう肌に粟の立つことは喋らなかったが、あれは皮肉なの
か。
わたしの理事十年で、会長は、梅原猛から、井上ひさし、阿刀田高へと。この推移、「世界」への顔として、正直すこし物足りない。遠藤周作にも井上靖に
も、石川達三にも芹沢光治良にも読み物(エンターテイメント)だけでなく、世界に通用する「文学」作品そのものがあった。あった。中村光夫、川端康成、志
賀直哉、正宗白鳥、そして島崎藤村。「文学」そのものだった。
「ペン電子文藝館」には、ほとんどみなわたし自信で選んだ「歴代会長作品」が出ている。梅原さんのも井上ひさしさんのもわたしが選んで出稿をお願いし
た、内容はちゃんとしている。阿刀田さんのものは理事時代に自選で出稿された。読み比べてみれば、分かる。正直、わたしは首をかしげてきた。どうか「佳い
作」を選んでまた新しく出稿して欲しいと、わたしは今日、改めて新会長に依頼してきた。
* いつぞや新聞記者たちを集め、当時の井上ひさし会長が、「直木賞」作家が理事のうちに五人ほどいる、直木賞の欲しい人は日本ペンクラブに入会して下さ
いと、諧謔にしても珍なアイサツをしたことがあった。新執行部の人選で察するところ、日本ペンクラブ会長は、今後当分はそんな雰囲気で続いてゆくようだ。
浅田新専務理事は総会後の親睦会で、前・新会長ともに自分の直木賞時の選者だったとアイサツしていた。なるほど。事情は知らないが、大江健三郎の名が理事
名簿からぬけたという事実、象徴的に問題が大きいなと感じられる。
はっきり言ってわたしは、大江さんが引き受けないなら、元気でさえあれば文句なく小田実に会長になってもらいたかった。彼こそペンの精神にふさわしい真
の国際人、彼の奮闘について行きたかった。病重く、くやしさ限りない。回復を切に願う。
* 阿刀田体制で、かなり一新するかと思いきや、執行部人事では、吉岡忍氏や堀武昭氏等の常務理事起用以外に新鮮味はない。あいかわらず、日本「興行」ペ
ンクラブになっていきそう、それはそれで悪くはない、ただ喫緊の際に緊急に反応できる機動性がほしい。そのためには、やはり「委員会活動」に基盤をおいて
の見渡しや批判精神が必要。たとえ井上前会長のペンはその「存在」一つで「機能している」のだという認識に同ずるにしても、やはり委員会が活溌に活動して
いればこそで、主要委員会が開店休業ではお話にならないのである。執行部の中央集権、委員会軽視傾向への不信の弁は、総会会場からもあがっていた。
現に、「言論表現委員会」と「電子メディア委員会」とのいきなり「合併」を強行した阿刀田新執行部の見識を、わたしは疑った。
* いま、「国際ペン」にも電子メデイア委員会の新設があっていいとわたしは考えてきた。この今日に、それの設置されていないことに、むしろ奇異の思いを
禁じがたいのである。
電子メディア問題は、それ自体の特色ある言論表現の新たな創造・新たな活動や、出版における著作権抑圧や、文学文章の質的堕落ないし変貌変質の問題や、
ケイタイやSPAM問題や、プロバイダの横暴や、電子メディアユーザーの権利蹂躙や、またサイバーテロや、情報操作、個人情報の政治的没収等々問題山積し
て、専念の「電子メディア委員会」でもさばき切れていない。
一方、「言論表現委員会」は日本ペンクラブの中核委員会であり、日々に対応を怠れない問題山積に、事実上お手上げのまま、委員会はほぼこの二年、あまり
働いてこなかった。十数年いや、二十年近くほぼ一回も出席をさぼらなかった言論表現委員のわたしが言うのである、事実である。
たぶん、どう逆立ちしても、現下「言論表現」のさまざまな問題と、「電子メディア」畑で陸続と起きている世界的課題とを、「一つ」の委員会のキャパシ
ティーで有効に捌けるわけがない、いったいどう適切に的確にそれらが処理できるというのか。ありえないのではないか。
じつのところ、この両委員会「合併」案は、わたし自身、密かにその可能性を、この一年余も思案し続けていた。言論表現委員会がこの一二年ろくろく働いて
いなかったので。
むろん机上論的には「合併」の「可」なる道はあるだろう、が、十分慎重に考慮しないと、ペンの中でも「最もアップ・トゥ・デートな二つの委員会」を、
「二つ同時に心中」させ、殺してしまいかねない、と恐れていたのである。
少なくも執行部は、電子メディア問題のはらんでいる世界的な意義を、どう理解しているのだろう。文学・文藝の問題としてどう理解しているのだろう。世界
人である堀武昭さんは以前、わたしに、国際ペンにも電子メディア委員会に相当する委員会が必要な気がしますねえと言われていた。
* 猪瀬直樹氏を言論表現委員長にしたのは自分の不明、任命責任は自分にあると総会会議場で言い切った井上前会長の言葉を、形の上で踏襲すべく、俄には適
切な「新」委員長を「新」執行部がよう選べなかった、だから強引に「両」委員会の「合併」を策したのであろうと、わたしは察している。そうとしか思われ
ず、それならば、やはりその場しのぎの「暴挙」に類する。阿刀田会長も浅田専務理事氏も、不都合が出来ればまた組み替えも考えるので、当面これでと。一応
それを了承するしかなかった。
幸いわたしの後任、山田健太「前」電子メディア委員長が、「新・言論表現委員長」に転じて、なんとか「合併の弊」なく工夫してやってみようと発言してく
れたので、彼の難しい立場もあるだろうから、わたしはそれ以上もの申さなかったが、実の活動に「大きな疑問と懸念との残る」ことは、他の委員長からも同様
の発言があった。
一升釜で一斗飯を炊かねば成るまい。出来ることか。
* 上の一例からも、事実問題として、委員会活動を、執行部のこういう上命下達システムに組み入れてしまう、こういう小手先の発想に、わたしは不審と不信
を覚える。山田氏にとくに懇請し、難しい「電子メディア委員会」の後任委員長を引き受けてもらった責任上も、今度の「新」委員会でもなお当分活動したい。
勉強もしたい。
しかし当選理事の一人として、今日一日の「交替」劇と、新執行部体制の片鱗に接し、いささか心寒かったのは隠さない。少しずつ身を退きたい、退蔵のきも
ちを動かすべく、さしあたり「電子文藝館」委員会から全面撤収を思い決め、新たに推薦した新大原委員長・理事に、その由、申し出てきた。此の委員会でなす
べきは、根限り、してきた。
* 今一つハッキリさせておく。
わたしは猪瀬氏主導の言論表現委員会に大きな不満をこのところ隠さなかった。その議事運営はまま横暴であった。それで委員の集まりもたしかに悪かった。
事実だ。ひどいときは委員長、篠田副委員長とわたしとたった三人だけの委員会もした。
だが、彼の「委員会」を一歩離れれば、わたしは猪瀬直樹という人を、たいへん「おもしろい人」「たいへんな勉強家」と、むしろいつも信頼し敬愛してき
た。誰にもそう言い、また人一倍彼の仕事や著述に注目し、褒めもし、批評もしてきた。彼はわたしの顔を見ると、にこにこと署名入りの新刊をたくさんくれた
し、わたしもよく読んできた。全集ももらっていて、大方読んできた。わたしの「猪瀬批判」と「猪瀬贔屓」とには、何のいやみも、迎合も遠慮もない。はたか
ら無責任に彼を非難ばかりしているなどと間違ってもらっては困る。
どちらかといえば、わたしは猪瀬くんが好きである。あんなに体を動かして勉強し実践する知識人は少ない。教えてもらったことはたいへん多い。
* 総会では、糸の切れた凧のように、井上氏や阿刀田氏や司会の高橋氏がしゃべりまくり、会場の本多勝一氏らから出た話題が、なんとなくかわすように脇へ
逸れたのが残念だった。なんという軽々とした彼らの長広舌だろう。時間の観念なく、しゃべり出したら歯止めがかからない。簡潔に話すのも文学・文藝の範疇
だが。
* 「ペン電子文藝館」館長退任 委員会退会 お願いなど 秦恒平理事
「ペン電子文藝館」委員の皆さん 事務局長 担当さん
本日の総会を機に、ご一緒してきた「ペン電子文藝館」から退きます。すべきことはした、という気持ちでいます。ながらく、お力添えを有り難うございまし
た。
会員その他何人かから頼まれたり、これを入稿したいと予定していた幾つかの仕事が、手元に残りましたが、今暫く、それらをATC**さんに入稿し本館に
挙げるまで、私の作業をゆるして下さい。
招待席の人と作品と。特別三室の作品と。いつも頭に、懸命に用意してきました。それらの校正作業も。自分の「ペン電子文藝館」は、それと思い決めて。
思えば、企画から開館まで、そして六百作、獅子奮迅で仕事をしてきましたので、いつ知れず、いろいろに皆さんの眉をひそめさせてもいたことでしょう。館
は、そういう大切な時機でありました。ご寛容を。
先への不安は、いくつか残しています。遺言のようなものと、少しだけ聴いて下さい。そしてぜひ善処して下さいますように。
近代文学の全ジャンルから、偏跛でない、しかもペンの姿勢にもとることのない、問題作、秀作、力作等を「選び」続けねば成りません。文学と創作行為とに
ほんとうに精通した、文学を愛する優れた文学者委員をぜひ委員に加えないと、館の質的維持は危ないことになります。好き好みに偏するようでもいけない。
失礼ですが、これは申し上げておかねばなりません。「何でこの作品が」と問われたとき、少なくも文学として「答えられる」権威が委員会にはぜひ必要で、
それが対外的な(作家・遺族や、読書界)信用になります。
「外の世界」から「質的」に信用される、恥ずかしからぬ「館長」を、ぜひ「外向きに」「ペン電子文藝館」は持たねばならないと思います。「委員長」は、
今回適切に「まわりもち」ルールのようなものができましたので、また委員会内で改選されてよいと思います。しかし「館長」はまるで別の「顔」になります。
ぜひとも会長なりと相談され、お飾りでない、実務の出来る「館長」をしかとお選びになりますように。ペンの委員会で「外向きの顔だけ」を持っているのは
「ペン電子文藝館」一つなのですから。
(「館長」として是非必要な前提は、電子機器を、少なくもコンピュータを、自身の手で扱うことができ、自分の目と手で「ペン電子文藝館」の内容や進行を終
始公正に見られる人、MLを通して委員とともに活動できる人であることです。近代文学全般がおよそ分かることの当然は言うまでもなく、それと共に、技術的
に「電子文藝館」運営に関われるのでなければ、ものの役に立ちません、お飾りの名誉職ではないのです。)
そして精確な校正。恥ずかしくないように。 見つけたら一字でも面倒がらず直してゆく根気を持って下さい。
大原さん(新委員長・新理事)とちゃんと膝つき合わせ相談してからやめたいと思っていましたが、相談の機会は一度も持てませんでした。気持ちがきっぱり
している今のうちに退会を決めたく、総会懇親会で新委員長や一部委員には率爾に気持ちだけ申し上げておきました。
残った僅かな仕事を、手間はかなりかかるのですけれど、片づけますまでMLを使用させて下さいますよう。
今一度、多年のお付き合いに感謝します。
やっと一つ足が抜けますのを喜んでいます。
* 五月三十一日 木
☆ 秦さん感謝 新「ペン電子文藝館」委員長
委員退任、実に残念です。長いあいだ、有難うございました。
電子文藝館は、秦さんが産み、育てたものです。それを念頭に運営します。よろしくお願い致します。
ペン新執行部の柁取り具合を注意します。 大原雄
☆ 古今無二路 バグワンに聴く。
おまえの罪悪──
おまえの俗悪──
おまえの陰険──
何をしようが同じこと
おまえはそれを飾り立てることができよう
その上に虚栄の寺院を建立することもできよう
それを美化することはできよう
だが、そんなことは、すべて通用しないよ
奥深いところで おまえは恥じることになるだろう
なぜなら、それは
おまえが何をするかという問題ではないからだ
わたしが 何で在るかという問題だ
おまえが 何で在りうるかの問題だ
──この重点のちがいは大きなポイントだよ──
* 掛け軸はいくらかあるが、やはり額が使いよい。松篁さんの「白鷺」親子三羽は画面がほどよい大きさで、即座に心惹かれた。見過ごしたら手に入らないと
思い、すぐカードで支払った。静かな心で向き合いたい。美しいダリを建日子に譲り、我が家でいちばんひろい壁に掛けたい、到来が待たれる。
東京會舘の連絡で、明日には届くそうだ。
* いま、最後の仕事の打ちの一つに、E会員渡辺通枝さんの随筆を読んでいる。この人は「随筆」欄の最初の出稿者で、現在八十半ばになる。最初に原稿をも
らった頃のこの人の随筆は、まだいくらかたどたどしくて表現も淡泊すぎるか説明的になりがちだった。
それがどうだろう、今回送られてきたそれぞれに短い二十編は、いわゆる「随筆」のお手本のように無垢に澄んで、表現も美しい。ほろほろと何度も優しさに
泣かされもする。こんなふうに随筆は書かれる。むかしの網野菊さんや森田たまさんを思い出す。共通しているのは「生きている日々」の美しさ、人柄の無垢
だ、それが読み手をしたたかに感動させる。しなやかに清いのである。
なかなか、だれも気張るものだから、または気取るものだから、とても、こんなふうに自然に具体的に書けない。佳い文章に出逢えたなあとわたしは喜んでい
る。人の仁があらわれている。もう一週間もせぬ間に「ペン電子文藝館」に送り出せるだろう。
ついこの間、わたしの『初恋』もふくめていっぺんに三編を送った。その気になれば、わたしの仕事は早い。あと何人かぶんがお預かりしてある。わたしの読
みと仕事を信頼してくれる人たちだ。早く済ませたい、が、慌てても仕方ない。
* ゆうべも遅くまでたくさん本を読んで、眠い。 おもしろい録画映画があれば観て、無ければ湯につかってナポレオン凋落の経緯を読むか、千夜一夜物語の
面白いあとを読み継ぐか。
『オデュッセイア』もついに「帰国」し、この先の展開が気になる。思い大判の本なので湯につかりながらは、ムリ。なんだか奇妙な味わいのルソー『告白』
も、けっこう先を誘ってきている。
「日大」の谷崎話が麻疹休校で気抜けしてしまった。学生たちが何を聴きたがっているのかが分からない。
* 『愛、はるかに照せ』をとても気に入ってくれたご近所から、洋菓子を添えて、グループでの歌作の記録本を三冊いただいた。ひばりヶ丘の「ティファ
ニー」のマスターもこの本をとても喜んでくれた。詩歌を自分でも創ってみたい、創っている、創りかけている人たちには、この本はすこぶる愛されているよう
だ。一つには、耳に聞き慣れ、目に見慣れた著名人の著名作ばかりで詩歌への見当をつけてきた人たちには、こういう身近な世間と題材と表現が有ることに、目
から鱗を落とされている方が多い。それこそがわたしの願いであった。
* 雷雨。
* 五月尽 つづき
* わたしは、いわゆる肩書に責任は持ってきたが、肩書に媚びたことはない。肩書の故に人にへつらったり媚びたりしないで生きてきた。国民学校の副級長と
か級長とかからそれは始まり、学級委員長や生徒会長を経て、勤めた会社でもいくつもの肩書を経た。もっと上を提示されてお断りしてきた。まして肩書ゆえに
上にゴマをする真似は一切しなかった。むしろ肩書がついてまわるにつけ、上司との間に私的には距離をおいた。わたしは会社時代も作家になってからも、目上
の人の私宅にほとんど近寄らなかったし、個人的にはめったに付き合わなかった。そういう機会は避けた。
わたしは清廉でも潔白でもない一種無頼の男であるけれども、媚びる、また仕えるという気持ちは、多くの感情の中で最も好まない。わたしは仕事のほかだれ
か人に対し「忠」の思いで従う気持ちにならない。兵隊に取られなくて本当に良かった。だが、現実にはわたしとその真っ逆さまの、それも媚びに媚びた他例に
ばかり出会ってきた気がする。じつに苦々しい。
* 棚からぼた餅の太宰賞をもらい世に出てからも、作家・小説家・批評家などは我が世渡りそのものゆえ、むしろそう呼ばれそう自覚することは誇りにしてき
たが、それゆえにこそ世間的に有力なだれそれに甘えて、世利・世得の虚栄をむさぼろうとは求めなかった。太宰賞すらもわたしが求めて応募したのでなく、筑
摩と選者たちが呼びむかえてくれたのだ、そんな例は希有であろう。
とにもかくにも如才なく立ち回ることは、わたしには出来なかった以上に、出来てもしなかった。いやだった。「心ゆくものが書けれ」ば、それでよかった。
今も、それで、よい。
京都美術文化賞の選者や財団理事になったのも、わたしが求めたことではない。東工大教授に選任されたのもわたしには寝耳に水だった。財団母体や学長はじ
め大学当局や文部省に、なにひとつわたしは負い目も遠慮ももたなかった。選任されれば全力でそれに当たるだけ、それはどの場合もそうしてきた。肩書に媚び
たことはない、責任を果たしたいと思うだけだ。
日本ペンクラブ理事になって、もう十年以上、委員長とか館長とかいう肩書ももちつづけた。だが、それに対しわたしのしたことは、職務に懸命であること、
それだけ。だれかの覚えがめでたかれなどと、毛筋も思わない。だから理事会でも委員会でも、顔色をうかがわず自分の思い信じることを率直にいつも発言し、
それゆえに嫌われようが、是は是、納得行かないことは納得しない姿勢で通してきた。それが一番わたしの気性にあい、しかし、それが世間を狭く細くわたる結
果になり、如才ない人たちから嗤われることになるのは、仕方がない、よくよく承知している。孤高などと思わない、だが、わたしが世の中を歩いていてかなり
孤独であるのは、誰もが観て知っている。無徳・不徳とみられてしまうのだろう。だが、わたしから観れば、そんな「徳」とはつまり「得」にほぼ同義語のいや
らしいものだ、とても潔い生き方ではない、人のことをさしとめたりしないが、自分では御免蒙りたい。
* 当たり前のはなし、肩書が会長だから偉い、学長は偉い、理事長だから偉い、教授や理事になったから偉い、総理大臣は偉い、天皇は偉いなどと、わたし
は、けっして思わない。思えないのである、そういう人を一人の人として眺めていても。大概、そんな肩書は寿命という一過性の虚飾に近いことを、わたしはい
ろんな人と事例とでいやほど観てきた。肩書というのは人間をだめにしかねないものだと思ってきた。肩書に這い寄るなんてなんてさびしい自負であることか。
ほそぼそと心恃みに願ふもの地位などありて時にあはれに 畔上知時
だが、たいていの場合、人はそれために世間に媚び、人に媚び、上に媚びて、調子をあわせるのに汲々としている。そしてそういう人ほど次々に肩書を手に入
れる。そういう例があまりに多く、失笑してしまう。肩書に転んで自身を見失う人なんて、見ていても恥ずかしい。
* 評判になった『華氏119』とかいうアメリカ人監督によるブッシュ政権批評の映画を半分ほど観ていて、ブッシュのアメリカが恥ずかしい以上に、あんな
のに尻尾をふりつづけた、ふりつづけている日本の総理大臣に惨憺たる絶望を新たにした。あんな手合いからすれば、明瞭に「日本の憲法を守る」といわれた天
皇さんにわたしは感謝する。
あんまり情けなくて、映画は半分でやめてきた。
* 五月が尽きた。六月。それは孫・やす香の悲しい思い出につながってゆく月だ。我が三十八年目の桜桃忌を迎える月でもある。